041 君の代わりはどこにもいない
『と、言うわけでお世話になりました』
筆記にて、会話を為す。
そんなアレキサンダー君を全力で引き留めんとする。
当ギルドで事務員と働いているアレキサンダー君。
最初は一時的なピンチヒッターのつもりだったが、今では無くてはならない存在となっている。
「ちょっと待った。確かに最初の約束では冬が来るまでだったが、当ギルドは君の力を必要としている」
「そうですよ、アレキサンダー君。考え直してくれませんか」
ルル嬢と一緒にアレキサンダー君を引き留める。
サラサラ、とまたアレキサンダー君が机上のホワイトボードに文字を書く。
『私も残念ではあります。しかし、冬が来ました。
おかげさまで冬の食料不足は逃れられそうですし、一時王命のため帰省したいのです』
私はその文字を見て、顔を上げ質問する。
「一時、というと、また冬が終われば働き続けてくれるのかね」
私の質問に、またサラサラと回答が書かれる。
『コボルト王家の子と言っても、所詮は18人兄弟の末っ子です。この仕事も気に入りました。冬以外の季節では今後ともお世話になろうと思っています。実家に仕送りもしたいですし』
アレキサンダー君、そんなに兄弟いるのか。
……コボルトは多産だな。
ていうか、王家だからと思ったが、ひょっとしてみんな筆記計算できるのかコボルト。
下に見るつもりなどなかったが、想像以上に教育水準高いな。
まあ、それはいい。今後も働いてくれるのを快諾してくれたのは嬉しい話だ。
「それは嬉しい。冬の間は仕方ないな。ゆっくりしてくれ。……そして、もし他にも就職希望者がいれば紹介してくれ。何分、事務員が不足しているのでね」
『判りました。春には必ず帰ってきます。その際には何人か誘ってみますね』
「有難い」
『それでは、失礼します』
ペンとホワイトボードを持って立ち上がり、ペコリと頭を下げて一礼し。
アレキサンダー君はダンジョンギルドの私の私室から出て行った。
「寂しくなるな」
思わず、呟く。
「私も寂しいです。みんな寂しいですよ。モフモフがいなくなると」
というか、冬の季節にこそ欲しい人材です、とルル嬢が呟く。
たまに抱きしめてたからな、ルル嬢も、ギルド員達も。
アレキサンダー君は抱きしめられるたびに銅貨貰ってたら、今頃大金持ちだろう。
まあ、そんな話はどうでもいい。
「ていうか、事務員だよ!! 足りてないぞ!!」
アレキサンダー君が完全に離れたであろう時間を見て、強く机を叩く。
彼は良くやってくれた。これ以上の心配はかけたくない。
「アレキサンダー君が一人で十人分くらい仕事こなしてましたからね」
本当に有能だったな。
いや、そんな冷静に語っている場合ではない。
「アルデール君に手伝わせるのは……いや、無理だ。冬は強力なモンスターが出る。冒険者として働いてもらわなくては」
彼に事務員をやらせている暇はない。
頭を抱え、どうしようかと呟く。
本来ならアレキサンダー君が手伝ってくれている間に、事務員を確保していたはずだったのだが。
キメラ騒ぎでそれどころではなかったのだ。
デライツの野郎、もっと苦しめて殺せばよかった。
「すぐに臨時募集をかけてくれ」
「もうやってます……が、これという人物はなかなか。ギルドの守秘もありますし。というか、どこもかしこもデスク業は人材の奪い合いですよ、今年の冬は」
「何故?」
「コボルトが王命のためか、洞窟に籠るからです。雇っていた商人達や、執事代わりにしていた貴族は行かないでくれの悲鳴の合唱ですよ」
「何でこの国そんなにコボルトに頼ってるんだよ! 本来国民ですらないだろ! 私も頼ってたけどさ!!」
ルル嬢は私の悲鳴を聞き、大きくため息をついた。
私は抱えていた頭を持ち上げ、呟く。
「仕方ない。やっかいな依頼事は出来る限り避け、私がデスク業務に専念するしかないか」
愚痴を吐いてもどうにもならん。
現実的な行動を起こさなくてはならない。
そんな私の思考を差し置いて、ドアからノックの音がする。
「どなたですか?」
「私です。貴方のアリー・クロレットです」
「お帰りください。というか本当に帰ってください。今それどころじゃないから」
私の断りを無視して、ドアが開いた。
「どうやら、大分お困りの用ですね」
「なんです、その全てお見通しといった顔は」
「さっき、アレキサンダー君とダンジョンですれ違いましたので」
ショートソードぶんぶん振り回してましたよ。
意外と強いんですね、コボルトって。
アリー嬢が血まみれのメイスを腰に下げながら言う。
「……面接のときも彼、ダンジョンギルドまで一人で来たからな。強いのは知ってる」
パントライン嬢と同レベルに強いんじゃないのか、彼。
パントライン嬢も姫様の護衛騎士だから、かなりのレベルなんだがな。
いや、要するに並の騎士より強いってことだよな。コボルトって何だ?価値観が崩壊しそうだ。
いくらなんでも、事務能力の有能さを含めアレキサンダー君が例外中の例外なんだろうが。
「それはそれとして、お困りのご様子。ここは教会に頼ってみませんか?」
「教会に?」
「孤児の世話がありますし、教会に暇人がいるわけではありませんが。冬の間程度なら手伝えるシスターも神父も何人かいますよ」
「なるほど、と言いたいところだが」
シスターや神父なら教育水準は問題ない。
だが、ギルドの守秘がある。
それを守ってくれるかどうか。
「受付程度なら、別にギルドの守秘など問題にならないでしょう?」
先を読んだように、アリー嬢が呟く。
確かにそうだ。アレキサンダー君は信頼して大分深いところまで食い込ませたが。
だが、それでも。
「冒険者たちの懐具合を把握されるのが問題なんですよね。受付任せると」
「そこを心配しますか」
「オマール君の例を見てれば心配もします。オマール君はちょっとアレでしたが」
「そんな、依頼達成の度に浄財を懇願したりしません。オマールさんにはちょっとアレでしたけど」
「……信用できませんね」
年頃のシスターに手を握られながら懇願されて、断れる男冒険者が何人いることやら。
男冒険者は市井の女に弱いぞ。
「いやいや、本当にやりませんから。勿論、事務員としてのお給金を弾んで頂けるならばですが」
「そっちが魂胆か……」
「毎月、キチンと浄財を下さるギルドへのお礼も含んでいるんですよ?」
なるほど。
しばし考え、目線でルル嬢に可否を問う。
ルル嬢は黙って頷いた。
そう言う事ならば。
「冬の間、よろしくお願いします」
「お任せください」
アリー嬢はドン、と豊かな自分の胸を叩いて答えた。
◇
「これで事務員の問題は解決と考えていいのか? ルル嬢」
「まあ……正直不安は残りますが、解決と言っていいでしょう」
ルル嬢が不安げに答える。
私も不安だ。
教会が信用できない。
だって神父が――いや、後になって知ったが。
「前に会ったあれ、大司教だったんだってな」
「我が国の大司教がアレとは……」
以前、教会の告解室であった人物。
あれはただの神父ではなく、大司教であったと後に知った。
「何考えてんだろ教会」
「知りませんよ、私に聞かれても」
私の取り込みに全力を注いでいる。
――浄財、だけではないな。
アリー嬢も知っての通り、私を取り込んでもギルドの浄財の額は変動しない。
私はそんなことで浄財の額を変動させない。
権力的な何か。
大司教より上の人物、枢機卿? まさか教皇?
その命令で、私の取り込みに力を注いでいるのではないか。
まさかな。
だが――今の教皇は強いものが好きらしい。
噂では、武力による教皇領の確保を目論んでいるとか。
「ギルマス?」
「すまない、変な事を考えていた」
自分を高く見積もりすぎだ。
いくらレッサードラゴン殺しとはいえ、そんな事で取り込もうとしないだろう。
だが、人の欲望は限りない。
「まあ、今回は教会に素直に感謝しておこう。今回だけになりそうだが」
「そうですね、今回だけですね」
ルル嬢と意見が一致した。
「それで、私はもう酒を飲んでもいいのかね」
「寝る前だけにしてください。しばらくは断酒でデスク業です」
「……」
ルル嬢は厳しい。
私は棚から取り出そうとしたジンをそっとしまう。
「……酒が、飲みたいなあ」
「完全にアル中ですねえ、ギルマス」
「酒を飲むと、何かから解放される気がするんだ」
「……」
あの開放感は不思議だ。
時折物を深く考えると、起こる偏頭痛、それが薄れる。
おそらくは、アルコールが何かに良好に作用しているのであろう。
先代に弄られた、脳のどこかに。
それでも――それでも、私は先代を恨まないが。
いや。
愛している。
「ギルマス、頭が痛いなら一度キリエに頭を見てもらってください」
「あのマッドにか? 御免だね」
この、弄られた脳の部分を含めて、私という個人が完成している。
私はそうしないと生きていけなかったのだ。
だから、私はこれで完成なのだ。
「……私は、今の私に何の不満もない」
「……そうですか」
少し、不満げなルル嬢の顔に。
心のどこかが、申し訳ない気持ちを抱きながら、私は目を閉じた。
◇
火山の活発化に襲われ、一族中でどうしようかと思った。
というか、人間コワイ。敵対したらどうしよう。
そんな意見がコボルト中を一時占めたが、新しい洞窟に引っ越してみれば、これが以前よりも快適である。
まあ、ギルマスのおかげなのだが。
懐で永続的に軽く熱を発する、ギルマスの言うところによればカイロと言われるもの。
今では全住民が持っている、その温もりを感じながら、アレキサンダーは軽く眠気を感じる。
「アレキサンダーよ、よくぞ戻った」
「只今戻りました」
コボルト語で父が話掛けてくる。
それに応じながらも思考は止まらない。
ビビりまくる周囲のため、仕方なしに使者としてアルバート王や公爵、そして他でもないギルマスに赤鉱石を抱えて挨拶周りに行ったが。
その反応はむしろ好意的だった。
公爵は報告に対して礼を言い、その騎士団は避難の手伝いと冬までの食糧支援をしてくれた。
ギルマスもこの懐の中で温まるカイロを返礼として渡してきた。
そうそう、アルバート王が直接こちらに訪れた際の父上の慌てようといったら。
含み笑いをしながら、父上を見る。
「アレキサンダーよ、何を笑っている」
「再会の嬉しさに、つい」
「そうか、そうか」
父が朗らかに笑う。
善きコボルトではあるが、父上はあまり王らしくない。
武力ではなく、その人柄によって選ばれた初代の王ゆえ、仕方ないとも言えるし誇りでもある。
「皆が帰ってきて私は嬉しい。どいつもこいつも、人間社会に出稼ぎに出かけてしまっていたからな。はげ山になってしまって食料を得るのが困難になり、仕方ないとはいえ……」
「……」
本音を言えば、帰りたくないコボルト達もいたはずだが、王命とあっては仕方ない。
そう思いながら帰ってきたコボルトもいるはずだ。私も含めて。
貨幣制度というものは面白い。
貰ったコインでいろんな物が買えるというものは、とても面白い。
今まで、人里から隠れ住んでいた山の隠者から――何の意味があるのか?と疑問に思いながらも、いつか必ず必要になるからと教わった知識を活かすのは面白い。
そう思うコボルトは多いだろう。
今思えば、あの今は亡き山の隠者は、火山活動を予測していたのだろうか?
人間社会には面白いものが沢山ある。
そしてアポロニア王国の住人は想像以上に人が良く、絆されてしまったコボルトも多いだろう。
よく抱きしめてくるのには少し辟易としているが。
「アレキサンダーよ、お前は我が一族で一番賢い。故に、当家は末子相続とした。兄弟の誰もが納得している。いつかはお前が王を継がねばならんのだぞ。あまり人間社会に入れ込み過ぎるのは……」
煩いなあ、判ってるよ父さん。
判ってるんだけどね。
ギルマスとルル嬢の、必死に私を引き留める顔がチラつく。
そして何より人間社会と仕事の面白さ。
私は欠伸をしながら、父さんへの返事にどう答えるか――いっそ、退屈に違いない王位を兄に譲ってしまおうか。
そんな事を考え始めた。
了




