032 アポロニア国家設立記念日
欠伸が出る。
平和過ぎて困る。
いや、困るという事は無いのだが、何もすることがないと暇だ。
「平和だなあ、ルル嬢」
「そうですねギルマス――この際聞いておきたいのですが、もう名前でお呼びしても?」
「ああ、呼んでいいよ」
よきにはからえ、といった感じで手を振る。
ルル嬢はニコリと笑い、私の名を呼んだ。
「では、今後はスズナリ殿で」
いつか、一度そう呼ばれた。
あれは――私が先代に裏切られたと思い落ち込んでいる時だったか。
「今後はそれでいい」
「はい、スズナリ殿――それと、いつまでも家名で私を呼ぶのもお止めください」
「では、アリーナ嬢と呼べと?」
「はい」
「それは何だか面倒臭いなあ。ルル嬢はルル嬢だよ」
というか、ルル嬢の方が呼び易い。
そう言った旨を伝え、なんとか納得してもらう。
「名前で呼んで欲しいんですけどね……」
「いつか、君を好きになったらそう呼ぼう」
「まだ好きではないんですね、じゃあ」
「好意はあるよ。純然たる人として好意で愛ではないが」
くだらない事を言い合う。
本当に暇だ。
「酒でも飲もうかな……」
「真昼間からの飲酒は、できる限りお止めください。仕事中ですよ」
「ギルマスの仕事なんて、昼も夜も無いんだからいいじゃないか」
酒を飲むのを止められる。
そうなると、いよいよ持ってする事がない。
「姫様も、こういう日に限って来ないよな」
「国内行事への参加もあり、そう暇な方ではないんですよ。本当は……」
そういえば、姫様は姫様だったな。
うん?国家行事?
「今日の国内行事って何だ?」
「国家の日です! 設立記念日ですが、何で覚えてらっしゃらないんですか?」
「ん、ああ……」
ルル嬢が顔を近づけて迫る。
そう言われても、私はこの国の出身ではない。
だが――
「そうか……設立記念日か。王による無料の振る舞い酒も出ているだろうな。」
「そりゃそうでしょうよ」
そうか。
――今日だ。
十一年前、先代と初めて会った日は。
飲んだくれて酔っぱらった浮浪者の姿で、先代と出会ったんだった。
「……」
「スズナリ殿?」
急に黙りこくった私を見て、ルル嬢が不安げな顔をする。
傍からの第一印象は最悪だな、と思う。
先代にとって私はどう映ったのだろうか。
この、浮浪者などいない平和なはずの国で浮浪者だった私は。
ロクにこの世界の言葉も通じず、異世界の服で右往左往していた私は。
どれだけ奇異に映ったのだろう。
「だから拾われた……のかな」
「また先代の話ですか?」
ルル嬢が、少し不快気な顔をした。
そんな顔するなよ。
ちょっと思いだしただけだ。
「せっかくだ、私達も街に繰り出して、振る舞い酒でも飲みに行かないか?」
「お断りします。ギルマス代理を務めますので、一人で行ってください」
どうやら、少し嫌われたようだ。
私はため息をついた後、ジャケットを羽織り、街へと出向くことにした。
◇
タダ酒を飲む。
たまにはワインではなく、エールもいい。
「とはいえ、一杯だけだな」
あまり飲み過ぎると、帰った時にルル嬢にマジギレされる。
彼女は怒ると怖いのだ。
レッサーデーモンでも頭頂から股下まで真っ二つだ。
「私はそれでも死なんがね」
何か、自分が人間やめてる気がしてきた。
いや、キメラ手術を受けたわけだが、まだ人間のはずだ。
――倫理観は壊れているがな。
「――おお、ギルマス。丁度いいところに」
「なんだ、オマール君か」
植木のように高く髪を固め上げているオマール君は、この雑踏の中でも目立つ。
なんだ、そんなに息を切らして。
「今すぐ金を貸してくれ。俺の名誉がかかっている」
「……」
オマール君は、開口一番思いもよらないことを口にしてきた。
「開口一番金貸してくれ? 金ならたっぷり稼いでいるだろうが」
ギルマスとして、君の財布事情位は把握している。
ウチのギルドでもアルデール君と並んでトップを競うほど稼いでるはずだ、彼は。
「明日には返す。急な物入りがあった――いや、現在進行形で物入りなんだよ」
「なんだ、デートの最中か?」
思わず茶化しを入れる。
「そのつもりだったんだが……それどころじゃなかった」
「あー、いた。オマールのお兄ちゃん」
「早く肉買ってー!」
「ちょっと待ってろ!! お兄ちゃん、今お肉の人と交渉中だから」
誰がお肉の人か。
だが、大体の事情は読めたぞ。
「さてはオマール君。シスターとのデートだと釣られて、孤児院の子供の世話係にさせられたな。しかも子供達の買い食いで金使い果たした」
「ああ、そうだよ、仰る通りだよ畜生! このお肉の人!」
お肉の人は止めろ。
孤児院から、いらん情報を得てきたなオマール君。
そんな事を話していると、見慣れたシスター服の女性が近寄ってくる。
「あら、スズナリ殿。ダンジョンに籠っているのは無かったのですか」
「アリー嬢、オマール君を騙すのは止めてください」
「騙してませんよ。さっきまで綺麗どころのシスター達にデレデレしてましたし、オマールさん」
「その代価が子供の世話か」
私は笑いながら、幾つか小分けにしている革袋から内一つをオマール君に投げた。
オマール君がお手玉して、それを受け取る。
「銀貨が入っている。好きなだけ使え。返す必要はない」
「マジか! さすがに太っ腹だな、お肉の人!」
だからお肉の人は止めろ。
なんか太ってるみたいだろうが。
歳はとっても、体型には気を使ってるんだぞ。
「スズナリ殿も一緒に行きませんか。今日は子供の世話があるので二人きりとはいきませんが」
「遠慮しておくよ。オマール君をよろしく」
私はひらひらと手をかざしながら、二人に別れを告げた。
◇
「私が王妃になった暁には、一年でフロイデ王国を亡ぼします!」
何言ってんだ姫様。
私はエールを――1杯だけのつもりが、結局我慢できなかったそれを吹き出しながら、バルコニーを仰いだ。
国民に解放された王宮の庭から見えるバルコニー、そこにはいつもの縦ロールのアリエッサ姫がいる。
姫様はプロレスラーのように指一本を上に立て、仁王立ちしていた。
「違法なキメラを製作し、我が国の国家転覆を企んだフロイデ王国を私は決して許しません!!」
だん、と遠く無ければ音が聞こえそうなほど、強くバルコニーを叩くアリエッサ姫。
お前。
お前なあ。
それ言っちゃったら、私が秘密裏にデライツ伯爵消した意味ないじゃん。
そんなことを考えながら、エールの泡を口元から拭い取る。
「王様も呆れてるだろ……」
私は同じくバルコニーに居るアルバート王を見るがニッコニコしていた。
アレは殺意を飛ばしている顔だ。
遠すぎて、国民は気づいていないが。
「……来賓客全員を威圧してるな、アレ」
バルコニーには来賓客――近隣国から遠方の国まで、その使者を集めているはずだが。
もちろん、その中には隣国のフロイデ王国の使者も含まれているはずだが。
姫様のエキセントリックな台詞に誰も反応しない。
ただただピクリとも動かない。誰一人として。
「国民よ! 今はただ待つがよい、フロイデ王国に天罰が下る日を!!」
縦ロールを揺らしながら、ばっ、と袖音を立ててアリエッサ姫はバルコニーから消えた。
気になる国民の反応は――
「いつも通りの姫様だな」
「いつも通りの姫様だった」
「ていうか、フロイデ王国が国家転覆を目論んでたって本当なのか?」
ある程度、予想通りだった。
発言の真偽すら疑われているぞ、良かったな、フロイデ王国。
「素晴らしい演説だったぞ、アリエッサ!!」
拍手するアルバート王。
同じく、拍手する来賓客全員。
恐らく、いや確実に、拍手している中にはフロイデ王国の使者も含まれている。
いいんだろうか、アレ。
いや、全員命がかかっているから仕方ないんだろうが、コレ毎年やってんのか。
魔王アルバートが、他国を威圧している光景にしか見えんぞ。
……事実上、その通りで毎年やってんだろうなあコレ。
必死に抵抗しようとしたフロイデ王国って実は凄かったんだなあ。
その手段が手段なので同情しないが。
「まあ、穏便に吸収される形になるんだろうから感謝しなよ」
王様が命じていれば、私はフロイデ王まで殺していた。
今回はそれだけの事だった。
命だけは見逃してやった――その事に感謝しろ。
私はエキセントリックな姫様の姿を思い出し笑いしながら、手に握るエールの残りを飲み干した。
◇
ダンジョンの私室。
なんとか夜までには帰り着くことが出来た。
「というわけで、まあまあ楽しい一日だった」
「それは何よりです。酔っぱらっても、いらっしゃらないようですし」
スンスン、とルル嬢が私の酒気を嗅ぎながら答える。
「今後のフロイデ王国の対応が微妙に気になるんだけどな」
「どうにもならないでしょう。国家転覆を狙ったのも事実ならば、もはや抵抗できないのも事実ですし」
だろうな。
フロイデ王家が、アポロニア王国の傘下入りして終わりか。
それには幾らかの年数がかかるだろうが。
「個人的にはアルバート王が大人しくしてるのが不思議に思うんですけどね」
アレを大人しくしていると世間では言うのだろうか?
まあ、言う事にしておくとしてだ。
「今の良質な政治を続けるには、とりあえずフロイデ王国の吸収までが限界と考えてるんじゃないか」
今のアルバート王の世代ではだが。
アルバート王が嫌々、王様業をやっているわけではなく、もっと野心的な人物だったらどうだろう。
我が国はもっと大王国になっていたのは間違いなかろうが、次の世代では持つまい。
いや、何真面目な事考えているんだろう。
この国がどうなろうが関係ないだろ私。
「スズナリ殿、一体何真剣に考えこんでるんですか……やはり国を継ぐ気があるんですか?」
「冗談じゃない。二年だと言ったろ」
その決意は揺るぎない。
だが、国政に少なからず関わる立場としては、どうしても考えてしまうだけだ。
「まあ、私はそうなった場合、側姫でもいいですけど。ちゃんとお嫁さんには貰ってくださいよ」
「……一体、いつの間にそういう話が出来上がってるのかね」
何かルル嬢、私の知らないところで何かやってないか。
アリエッサ姫の主導で、何かが動いている気がするのだ。
この直感は正しい気がする。
「……別に何もありませんよ。ただ、人には逃れられない定めがあるという事です」
「冗談じゃない、私は二年経ったらギルマスを辞めて、王家との関りも止めるぞ」
「本当にそれが可能ですか? スズナリ殿、変な責任感だけはありますから……」
……それは自分でも自覚している。
なんで私こんな事やってんだと立ち止まって思う事はしばしばある。
だが、この決定だけは揺るがない。
「二年だ! 二年経ったら私は全ての責任を放棄する!」
「はあ……応援する立場なんですが、何か無理な気がしてきました。でも頑張ってください」
何か力ないルル嬢の応援を聞きながら。
私はファウスト君に新しいワイングラスを持ってくるよう頭のアンテナで命令した。
了




