017 ルーチンワーク②
私は広いがらんとした場所に出た。
いつものように手を叩くと、歪な反響が周囲から返ってくる。
「ご機嫌いかが? ドラゴン殿」
「今すぐお前を殺してやりたいよ」
いつもの挨拶。
それを終えて、私は一匹の肥えた牛を連れてくる。
ドラゴンへの差し入れだ。
「おお、我が知恵が必要になったか」
「場合によっては」
嬉しそうな声色に代わるドラゴンを尻目に、私はンモーと鳴く牛をなだめる。
引き渡すのは有用な知恵を得てからだ。
「行方不明の先代、この行き先が知りたい。ひょっとして、お前なら知ってるんじゃないのか」
「ん、なんだ。お前は知らなかったのか」
ドラゴンは涎を飲み込みながら、不思議そうに長い首をひねる。
逆に、何故お前が知っていると聞きたいところだが、それはもういい。
「知らない。知ってたら誰かを探索に行かせてるよ」
「ふむ、それはやめておけ。無駄死にさせるだけだ」
「何故?」
くるる、と喉を鳴らし、ドラゴンは回答を為す。
「奴が行ったのは北のマスデバリア大陸だ」
「――未踏破大陸か! 何故そんなところに」
マスデバリア大陸。
この大陸最北端から船で一か月の過酷な航路の先にある、最後に残った人類の未踏破大陸。
その内実は全く知られていない。
「冒険者、だからだろう。お前にはその気持ちがわからんか」
「……分かりませんね。私はしばらくの間はよろしくと言われていただけだ」
「口の端が震えているぞ。大分動揺しているようだな」
愉しそうにドラゴンは笑う。
未踏破大陸に行くと知っていたら最初から止めて――だから、私には教えてくれなかった。
「つまり、奴は始めから帰ってくる気等なかったのさ」
「それはお前の推測にすぎないだろう」
「未踏破大陸だぞ。仮に生きていたとて、探索に何十年かかると思っている」
おそらく、その寿命が尽きるまでには終わらんよ。
ドラゴンは私を嘲け笑うように言葉をつづけた。
「……知識への礼は言う。牛は置いていこう」
「そうか。今はお前の感情のブレの方が美味であったのだが」
「いつからドラゴンは人の感情を食うようになった。悪魔にでもなったつもりか?」
「……お前も何十年と閉じ込められればわかるさ」
この退屈さを満たすには人の感情を食う必要があるのさ。
――人は5年でも限界かもしれんがね。
そう嘯いて、ドラゴンは牛にがっつき始めた。
牛の断末魔、それを耳にしながら私はドラゴンの居室から出ていく。
その手に作った握り拳は震えていた。
「失礼します。迷宮探索依頼の照査と、掲示板への貼り付けが終了――」
ドアから、いつもの甲冑姿の女性が私室に現れる。
そして私を見て言葉を切り、書類を部屋に散らばらせた後、代わりに別な言葉を口にした。
「ギルドマスター、どうされましたか?」
「ある人に裏切られていたことに気づいただけだ」
私は顔を覆って嗚咽していた。
いや、まだ裏切られていたとは限らん。
彼女は――先代は「しばらくの間はよろしく」と確かに言っていた。
未踏破大陸の探索も、ほどほどで切り上げる予定だったのではないか。
ただ、彼女は生死不明――”帰れなくなった”だけではないか。
それは――裏切りよりも恐ろしい。
「ギルドマスタ――、いえ、スズナリ殿」
「……?」
「先代の事はもう忘れませんか?」
ルル嬢には、何について泣いているかなど完全に見破られている。
顔から手を放し、ルル嬢の顔を見る。
おそらく私の顔は涙で酷いことになっているだろう。
だがルル嬢は、構わず私の瞳をじっと見つめている。
「生死不明の人間を追いかけ続けても、つらいだけです」
「ならば、君とか」
「ええ、お嫌ですか」
ルル嬢が、テーブルの上に置いた私の手にそっと掌をかぶせる。
嫌ではない。
決して、嫌ではない。
「……だが、断るよ。私はまだ先代を待つ」
私は裏切られてなど、いない。
あのドラゴンのいう事を気にする必要もない。
ただ、待てばいいだけだ。
「……あと、何年お待ちになります? ずっと待っているのはもう見ていられません」
ルル嬢が問う。
期限を区切れというのなら、答えよう。
「三年……いや、あと二年待つ」
それでもこなければ、身辺の全てを片付けて、ギルマス業もお終いにしてしまおう。
その後――どうするか。
先代を追って未踏破大陸に行くか。
追わず――誰か別な人を好きになってしまうか。
それはその時に考えよう。
私の答えを得て、ルル嬢は呟く。
「わかりました。それまでは私も待ちます」
ルル嬢の眼は私に感化されたのか、少し潤んでいた。
私は彼女に対し、答えるべき言葉を一つしか持たない。
「……ごめんな」
「いいえ」
私の謝罪に、彼女は快く応じてくれた。
ギルド内からは、飲食を楽しむ音と、掲示板を指さしながら依頼を探す冒険者の声が聞こえる。
羨ましく感じる。
自分もあのように、一人の冒険者としてやっていきたいという思いがある。
だが、もう決めたことだ。
「あと二年は待つ」
自分で決めた枷だ。
最後まで全うしよう。
「最近、モンスターの出現数多くね」
「依頼の消化が間に合わねえよ」
ふと、気になる情報が耳元に入る。
その内アレキサンダー君が内容を上げてくるだろうから私はそれまで待てばいいが。
まさか大繁殖の時期か?
その場合、私自身も前線に赴く必要があるが……
「ギルドマスター殿」
「やあ、アルデール君」
考え事を遮るようにして、正面から声がかかる。
最近はこのアルデール君と喋るのもルーチンワーク化している気がする。
彼のグローブの印象的なモチーフが目にちらつく。
「……何かありましたか?」
「ん……何でもない」
恐らくは、私の充血した赤い目を見て言っているのだろう。
私は気にしないように言った後、前から思っていたことを頼むことにした。
「アルデール君、君、次期ギルドマスターになってくれないか」
「ギルドマスター、私は錬金術師志望だと」
「その折にはアカデミーに、君への全ての錬金資料の解放と特別講義を頼んでおく」
「……」
「ギルドマスターを兼任しながらでも、勉強はできるはずだろう?」
「まあ……それは……」
考え込むアルデール君。
餌は十分なはずだ。
後は説得するのみのはず。
「私の代わりができそうな人物が君しかいない。知能労働できる冒険者自体が少ない」
「ルル嬢は?」
「彼女はどうあってもギルドマスターになる気はない」
そう――ひょっとして、ひょっとしたら妻になるかもしれない女性だ。
「そうはいっても、すぐにお辞めになる気は無いんですよね」
「あと二年だ」
「?」
「二年で辞める。これは決定事項だ」
何故急に、と言いたげなアルデール君を視線で抑え、黙らせる。
「君も、延々とギルドマスターをやる必要はない。代理を見つけたら代わってしまっていいのだよ」
「そう簡単には見つからないと思いますが……」
アルデール君は再び考え込むそぶりを見せた後――それを止めて、一頷きする。
「いいでしょう。ギルドマスター引継ぎの件、承りました」
「……すまない」
「約束は守ってくださいよ」
私は姿勢を正しく頭を下げるアルデール君に対し、こちらも姿勢を正し、頭を下げることにした。
「今日は良き日……なのかな」
後顧の憂いは文字通り絶った。
アルデール君ならば、問題なくギルマス業をこなせるだろう。
そして、自分の方針を定めることもできた。
「あと2年か」
自分で決めたが、我ながら良い期限だと思う。
ワイングラスを傾けながら、それを一気に飲み干す。
そのころには、姫様の婚約者問題も解決しているだろう。
「いや……解決してるのかな?」
正直、解決していない気がする。
自分にとってはもうどうでもいい話だが。
あと2年で全ての責任を放棄してしまう。
姫様の婚約者捜索の依頼はアルデール君が引き継げばいい。
再び注いだワインを一息で飲み干す。
「プロージット(乾杯)!!」
やってはいかんと思いつつ、癖になっているのか思わずやってしまう。
ひしゃげ割れるワイングラスの音。
すかさず、ファウスト君がホウキとチリトリでワイングラスを片付ける。
それを操っているのは私だが。
「まあ、みんな好き勝手やってるんだから、私も好き勝手やるだけさ」
王様も、姫様も……先代も。みんなが好き勝手に生きている。
だから私も好きにしていいよな。
アルデール君には少し悪い気がするが。
代償は十分に与えたからもういいだろ。
「……私は裏切られてなど、いない」
私は本日分の日誌――今日考えた決意を全て書き上げた後、それを閉じることにした。
了




