イスカリテ最強騎士
急いては事を仕損じるらしい。
御父様の言葉だ。
御父様は、イスカリテを地獄に落とす宣言後、また何事もなかったかのように最も深き迷宮の深層に潜っていった。
オーゲンの調子を確かめるらしい。
できればそのまま45階層まで行きたいそうだが――どうなる事やら。
冒険者街を数名で歩く。
ふと、マリアが横でいきなり屹立しながら、耳を澄ますように、顎をゆらりと動かした。
その唇が動くのが見える。
「全員――離れろ!!」
その言葉と共に、突如空から降って来た騎士のグレートソードが、マリア目掛けて振り下ろされるのが見えた。
マリアは両手の大楯を重ね、そのグレートソードを受け止める。
マリアの膂力――それは徒党「キルフラッシュ」の中でも5番目に位置する。
だが、その膂力を物ともせず、グレートソードはマリアの大楯を押し切ろうと――
「ウォーターバレット!!」
私は呪文を声高に叫んだ。
返されるは、騎士の言葉。
「――対抗手段は整えている」
我が水の弾丸は、その言葉通りに騎士の眼前で泡となって弾けた。
水呪文無効?
原因はわからない。
なれば――
私が次の行動を取る前に、パーティーの各自が行動を起こす。
「オフェンスアップ!!」
シューマンの筋力強化魔法。
それがマリアに付加されると同時に、騎士の――黒い甲冑で全身を包んだ男が右手で握ったグレートソードが、ぎぎ、と音を立ててマリアに押し戻される。
片手?
それだけでマリアの膂力に打ち勝とうとしたのか?
大槌。
モーゲンのそれが、黒い男――黒騎士の頭を打ち砕かんと振りかぶられる。
同時にスピラの放った矢が黒騎士を襲う。
黒騎士は、左手でスローイングダガーをモーゲンに放つ。
命中。
チェインメイル――御父様の製作したマジックアイテムであるそれを容易く貫き、モーゲンの腹はダガーに貫かれた。
地面に崩れ落ちるモーゲン。
スピラの放った矢は、甲冑で覆われていない黒騎士の目の部分を狙うが、少し顔を動かしただけ――それだけで弓矢は甲冑に弾かれた。
――残りの徒党員。
人狼のアンジェリ。
――すでに逃亡を開始している。
それでいい。
実力は相手が上だ。
4thと5thは今ダンジョン内。
今街に居るのは2ndと3rdパーティーのみ。
御父様が居ない今、頼りになるのは――3rdパーティーの女デュラハン、4番目の膂力を誇るルメイ。
そしてもう一人。
「おやおや、これは珍客ですな」
どこのパーティーにも属していないが――実力は以前のダンジョンで十分に示した、目の前に居るミゲルだ。
「両盾騎士のマリア。腐食のコゼット。廃教徒シューマン。破壊屋モーゲン。妖精弓手スピラ。人喰い狼アンジェリ。お前は――知らんな。キルリストに上がっていない。逃げても良いぞ?」
黒騎士が、マリアの大楯と力比べを行いながらも呟く。
こちらを徒党「キルフラッシュ」と知って攻撃してきた。
そんな阿呆、御父様が30階層を抜けてから今はいないはずだぞ。
だが、黒騎士は我ら全員を仕留めるだけの実力を持っている。
目的は何だ。
今飛び込んで腐食の手で首を刎ねるか? 心臓を抉るか?
――駄目だ。実力差があり過ぎる。
今、地に伏しているモーゲンと同じ結末を辿るだろう。
「私は貴方の事を知っていますよ。黒騎士殿。イスカリテ最強騎士――マシュー・ノードハーゲンでしたか」
ミゲルは回復ポーションを割り、地に伏すモーゲンにそれを振りかけながら――ふらふらと、いつもの様子で黒騎士に近づいていく。
モーゲンは一命を取り留めた様だ。
「マシューとお呼びしても?」
「貴様に気軽に名を呼び捨てされる覚えはない」
黒騎士が、ぐっと一時力を籠めるように停止した後――マリアが両盾ごとその身体を弾き飛ばされる。
石壁に身体をぶつけ、姿勢を崩して地面を転げる。
マリアは立ち上がれない。
おそらく――気絶した。
黒騎士、手を抜いていたのか?
――いや、何らかの強化スキルを使ったのだろう。
黒騎士の甲冑から、黒墨の煙のようなものが噴出している。
身体強化魔法だ。
悔しいが――私は様子見するしかない。
後はミゲルに任せる。
本音は――両方とも死んでしまえ。
「それは残念。それでは、名を呼ぶことも無く、さようなら」
「貴様がな」
ミゲルが燕尾服を広げ、そこからナイフが大量に飛び出していく。
ダンシングナイフ。
宙に舞う、数十のナイフ。
だが、黒い全身鎧に身を包んだ黒騎士――マシューにそれではダメージを与えることが――
「踊りましょう」
ミゲルが身を躍らせる。
ダンスのように全身を揺り動かしながら、重心を前に。
まるで地面に這うように前傾姿勢を取り――蜘蛛のように走り出した。
「お前を殺しても金にも名誉にもならんが――」
マシューは、グレートソードを振りかぶり、その巨大な甲冑の背後に刀身を隠した。
どこから、あの一撃が落ちてくるか判らない。
マリアだから防げた強烈な一撃だぞ。
だが――ミゲルの姿が消え失せた。
「何!?」
黒騎士は急に姿を消したミゲルを、透明魔法のスキルの類であると判断し――横に大きくグレートソードを振る。
だが、そこに手ごたえはない。
「それでは、まず手足を奪いましょう」
居たのは、マシューの背後。
幽霊のようにその姿を現し、燕尾服のミゲルはそのまま指をパチンと鳴らし、宙に浮いたナイフを動かした。
甲冑の関節部――隙間へ目掛けて。
マシューはグレートソードを振りきった後。
回避動作はとれない。
ナイフが関節部に突き刺さり、吹き出す血。
だが――
「ふん。毒なんぞ効かん」
マシューがたじろぐ事は無い。
おそらくはナイフに毒が塗られていることを想定した言葉であろう。
マシューはグレートソードを鞘に納め、全身のナイフを抜き取り、その膂力でへし折りながら地面に投げ捨てる。
「おやおや。ゲンイチロウ様ご自慢、お手製のマジックナイフでしたのに。毒も無効ですか」
残念。
そう言いたげに、ミゲルは首を二度振る。
対して残念そうでもない。
「血止めせよ。我が鎧」
祝詞。
おそらく黒い甲冑のマジックワードであろう、それをマシューが読み上げると。
ミシミシ、と何とも形容しがたい肉が弾けるような音と共に、関節部から流れる血が止まる。
「名を聞いておこう」
「お断りします」
「それでは金にも名誉にもならんではないか」
「金ならお支払いしますから、見逃してもらえませんかねえ」
ミゲルは親指と人差し指で丸を作り、硬貨のマークを示す。
どこまでふざけているのだ。
だが、時間稼ぎに会話は良い。
「その子供――腐食のコゼットの身柄を寄越すなら見逃さんでもない」
「ああ、なるほど。ゲンイチロウ様への交渉材料というわけで――」
ぴたり、とミゲルは動きを止め、わざとらしく私に視線を向けた後。
はっきりと呟いた。
「貴方馬鹿ですか? そんな事をしたら私がゲンイチロウ様に殺されるじゃないですか」
「ならば、今死ね。道化師。まさか貴様のような実力者が身を隠していたとはな。今は2ndと3rdパーティーしか街にいないと聞いていたのにな」
マシューは首を振り、鞘に納めたグレートソードを再度引き抜く。
「当てにならん。全くもって我が国の諜報部は当てにならん。これはキルフラッシュのパーティーに内通者が出来たというのも、貴様らに騙されているだけだな」
「おや、お気づきなら御注進されてはいかが?」
「寿命を目前にして狂った王にそんな言葉が通じる物か!!」
マシューが怒り狂ったような声を挙げ、黒墨のような煙を全身から――マリアを弾き飛ばしたときよりもさらに激しく噴出させる。
まだ全力では無いのか?
「あー、ヤバイですね。コレ。コゼット。貴女今役立たずです。お逃げなさい。お目当ては貴女のようですし」
「……」
事実、役立たずだ。
近接戦に自信が無いわけではないが、マリアが勝てない相手に私が勝てる道理は無い。
だが。
「まだルメイが残っている。もう少し待つわ。いざとなったら自害して死ねばいい」
「貴女が死ぬのは結構です。が、捕らわれるとゲンイチロウ様が困るのですが……モーゲン。せめて遠ざけなさい」
いつの間にか復調していたモーゲンが立ち上がり、私を背後に庇う。
マリアはまだ目覚めないようだ。
スピラは矢を放つ準備を済ませているが、通じるかどうか疑問を抱いた顔をしている。
「俺の金と名誉のために死ね!!」
マシューがグレートソードを振り上げた。
その時――馬のいななく声とともに、黒い影が突進してきた。
ランスを水平にして構え、猛烈な突進。
いわゆるランスチャージだ。
――よくもまあ、街中であんなもの持ち込んで来たな。
マシューがランスの先端を胸で受け止め、遠くに撥ね飛ばされる。
そしてあっさりと立ち上がった。
声を挙げ、その存在が健在である事を示す。
「首無しルメイか!」
「……何者? ランスチャージを受け止めたぞ」
小脇に首を抱えた、デュラハンであるルメイがその目を瞬かせる。
人狼のアンジェリが、遅れてその後に着いてきた。
「知らないよ。いきなり襲い掛かって――」
「あちら。イスカリテ最強騎士のマシュー・ノードハーゲン殿ですよ」
ミゲルが、ランスチャージで巻き起こった石畳の破片に飲まれたのか、その燕尾服の裾を手で払っている。
ルメイは本当に嫌そうな顔で、ミゲルの呼んだその名を繰り返した。
「マシュー? 王家の殺し屋、マシュー・ノードハーゲン?」
「そのマシューです」
私は知らないが、どうやら有名人のようだ。
ちょうど、マリアが頭を抱えながら立ち上がる。
そして両手の大楯を構えながら、我々の前に塞がる。
開口一番、謝罪を述べた。
「ミゲル、済まない。お前が居なければ死ぬところだった」
「謝るくらいなら防御を頼みます。ナイフはもう終わりです。武器はありますが」
ミゲルは音を立てて燕尾服を叩き、ナイフがもう残弾切れであることを述べた。
そしてどこから取り出したのか、ククリナイフを手に持っている。
さて――ここからどうしたものか。
そもそも相手は何者だ。
その疑問に答えるように、マリアが言葉を吐く。
「王家の殺し屋、マシュー・ノードハーゲン。曰くイスカリテにおける最強騎士。その任務は『最も深き迷宮』に集う強力な冒険者達への暴力装置。こうやって私達みたいに危険な冒険者が現れた場合、また王家が欲しい物を持ってる冒険者が現れた場合は――」
「金と名誉のために殺し、我が名を高める。それだけだ。王家の飼い犬扱い等するな。この国で俺に最も金と名誉を払ってくれるのが王家というだけだ」
「……わざわざイスカリテなんかに仕えなくてもいいと思うんだけどねえ」
ふん、とマリアが鼻を鳴らす。
ついで、ミゲルが口を開いた。
「アポロニア王国での騎士団長の座なんかで勘弁してくれませんかねえ。いっそ仲間になんぞどうです」
「お断りだ。あのゲンイチロウ――それがその座を保証してくれることは、『俺は調べた』。そう、俺は知ってるぞ。王家は知らんがな。だが断る。いくら金を貰っても」
「何故? 金も名誉も地位もゲンイチロウ様は保証してくれますよ。ちゃんと調べたんでしょう」
ミゲルが不思議そうな表情を浮かべる。
マシューは全身鎧故、その表情は判らないが――おそらく、笑って答えた。
「その報酬は確実に支払われるものか? 仮にあの男が魔女モルディベートに負けたならば」
「……騎士としての名誉や地位は、御破算でしょうねえ。アルバート王は相手にもしてくれないでしょう。あなた悪名高いですし。ゲンイチロウ様ならそこら辺飲み込んでくれるんですが」
ミゲルがやれやれ、と両手を天に向けながら、降参の仕草をする。
「俺はゲンイチロウが、魔女モルディベートに負ける方に賭けた。それだけだ。故に、お前等を此処で仕留め、腐食のコゼットを人質にさせてもらうぞ」」
「全く面倒ですねえ。ゲンイチロウ様には勝てるかどうかわからないから、人質とって賢者の石との交換狙いであることが本当に面倒。力押しの馬鹿ならよかったのに」
本当に面倒そうにミゲルは呟いた後。
叫んだ。
「全員! 最も深き迷宮に向かって逃亡!! 遅れたものは自害!!」
「何!?」
私達はミゲルの言葉に従い、最も深き迷宮に向かって全力疾走を開始した。
何かあった時はそうする。
そういう取り決めである。
私は人狼のアンジェリだけが、他の3rdパーティーへ周知すべく裏路地に向かって走りだしたのを目の端に捉えながら。
一人も自害者が出ない事を祈った。
ミゲルは死んでもいいけど。




