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第一話「異世界デビュー」

 「先輩!今日の夜、飲みに行きませんか?」


 そう声をかけてきたのは唯一俺を慕ってくれる後輩、中村だ。この会社に勤め始めてから5年経ち後輩もちょっとずつ増えてきた。

 多くの後輩はただの仕事上の関係でしかないが、この中村だけは違う。


 中村が入りたての頃に色々仕事を教えたのもあったからなのか、今では週に一回は必ずと言っていいほど一緒に飲みにいく関係性だ。


 気軽に愚痴を言い合うことができるし、こいつと飲みに行くのは楽しい。


 しかし今は納期が近い。残念なことに仕事を家に持って帰ってする必要があるから酒を入れるわけにはいかない。

 残業は仕方ないが、家でもできる仕事はできるだけ家でやるようにしている。


 「ごめん、中村!今日は家で仕事やらなくちゃ。」

 「先輩。先週も同じことを言ってませんでしたか・・・?」


 あきれたような顔で俺を見る中村。

 確かにそうだった。先週誘われたときにも仕事を理由に断ったんだった。

 でも信じてくれ。仕事があるのは本当なんだ!


 そう俺は心の中で一人ごちる。


 でもこれで二週連続で飲みに行かないことになる。きっと中村もストレスを溜めていて俺に愚痴りたいことがあるのだろう。

 俺のポリシーは後輩を自分からは飲みに誘わない、である。このご時勢何がパワハラになるかなんて分からないからな。


 「ところでお前は自分の仕事終わらせたのか?」

 「なんとか終わらせました。だって先輩。時計を見てください。今はもう24時まわってるんですよ!」


 俺は驚いて時計を見る。確かに明日と思っていた時間は、すでに今日になってしまっていた。

 こんな時間から飲みに誘う後輩も後輩だが、やはり明日のことも考えるとこのまま会社から直帰するのがいいだろう。


 「もうこんな時間だったのか。急いで片付けるから待っといてくれ。」

 「分かりました。俺は缶コーヒーでも買ってきますね!先輩は甘いのがお好きでしたっけ?」

 「馬鹿言え!いつもブラックだって言ってるだろ!」


 中村は俺の返事を聞かずに走り出していた。きっといつも通りブラックを買ってきてくれるだろう。



 ちょうど片づけが終わった頃に、中村はコーヒーを一本ずつ片手に持って戻ってきた。


 「はい、先輩。微糖です。」

 「え?」


 素で「え?」という言葉が出てきた。言葉通り中村が右手で差し出してきたのは微糖。

 まさかと思って左手のもう一本を見てみるが、そこに握られているのは中村が大好きな激甘のもの。


 「嘘ですよ、先輩!」


 そう言って中村はポケットから別の缶コーヒーを取り出す。それは俺が一番好きなメーカーのブラックコーヒー。


 「また俺をからかいやがって・・・。ありがとう。」

 「先輩の反応が楽しいんです!どうやら片付けも終わっているようですし帰りましょうか。終電も近付いてますよ。」


 こんな感じで毎日が進んでいく。これが俺の平穏な日常だった。




---




 次の日の朝。仕事を遅くまでやっていたため3時間も眠ることができなかった俺は、閉じそうになる目をこすって家を出た。


 5分歩き最寄り駅から会社の最寄り駅へと電車で向かう。

 すこし乗っている時間は長いが乗換えがないのは非常に良い。


 毎度のごとく座ることはできないので吊り革を握ってスマホをいじる。

 始発に近い駅なので入り口付近でぎゅうぎゅうにならずに済むのも気に入っているのだ。


 少しスマホをいじっていると突然眠気が襲ってきたので自分の腕を枕に一眠りすることにする。

 このような状況でも気にせずすぐ寝付けるということは俺の特技の一つかもしれない。もちろん寝過ごしてしまったこともないし。


 そんなことを考えながらいつも通りすぐに眠りについた。




---




 「あれ?」


 吊り革をつかんでいた右手の感覚が突然変わり、眠りから覚め頭を働かせる。

 目を開けてみるがぼやけてしまっていて、あまりはっきり見ることができない。


 そういえばこの風はなんだろうか。空調の生温い風ではないようだが。

 俺は左手でゆっくり目をこする。


 しばらくするとだんだん視界がはっきりしてきた。

 俺の目に飛び込んできたのは木。右手は一本の枝をつかんでいる。


 「これはどういう状況なんだ。」


 驚きよりも先に枝をつかんでいるという状況のシュールさに恥ずかしさが込み上げてくる。

 そして次に戸惑い。


 俺は確かに電車に乗っていて、吊り革をつかんでいて、そのまま寝たはずだ。確かに。


 一度深く深呼吸した俺はゆっくりと周りを見渡す。

 

 後ろを振り返るとそれなりの広さのきれいな土の道があった。

 道の両脇には永遠とも思えるくらいに無秩序に木が生えていて、森に道をそのまま通しました、というような感じだった。


 そういえばと思い、スマホが入っているはずのズボンのポケットを探る。

 ない。スマホはなくなっていた。

 下を見ても落ちてしまったわけではなさそうだ。


 俺は現実逃避することにした。これはただの夢だ。

 そう思ってさっきのように枝をつかんで腕を枕にといった、もとの体勢に戻る。


 次目覚めるときは電車の中だろう。




---




 そんなはずはなかった。

 一時目をつむり眠気を待っていたが一向に眠くならないし、電車の中に戻った気配もない。


 こんなことではいけないと思った俺は、気を取り戻して考えをめぐらす。

 

 まずここはどこだろうか。

 森の中にある道。この情報だけでは、どこそこのどこと分かることはできないだろう。

 でも少なくとも来たことがある場所ではないのは確かだ。


 そもそも日本において、きれいな道を作ろうとしたときに土で舗装するなんてことがあるだろうか。

 そう考えたときに、あることが思いつき、あぁそれか、と勝手に納得してしまったのだ。


 異世界転移。


 昔読んだいくつかの小説の中に状況は全く異なっているが、このような展開の話があった。

 普段ならそんなことあるはずがないと笑うかもしれないが、今は突然森の中に移動した後。これが異世界転移だといわれても全く疑いはしない。

 

 一瞬取り乱しそうになったが、そうしたところで何も生み出されないので平常心を保つ。もしここが異世界であったとしても、知識がある分何も知らないよりはアドバンテージがある。

 

 確かそれらの小説の中で次に主人公がすることは、少女の叫び声がする方向に急いで向かい、まるでヒーローのように魔物か盗賊に襲われた馬車に乗った貴族かお姫様を助けることだったか。


 異世界に来てすぐにそんなことができて上手く行くわけないだろうと思ったことが非常に印象に残っている。


 たとえ叫び声が聞こえても俺は助けに行けないぞ、そんなことを思いながら、ここにとどまっていても何も始まらないので道に沿って歩き始める。

 進む方向は気分で決めた。この選択が吉と出るか凶と出るか。


 もちろん不安はある。言葉が通じるかということももちろんだが、この道を整備したのが人間であるとは限らない。

 そもそも知性を持った生き物にたどり着くまでに生きていられるだろうか。




---




 30分ほど歩いただろうか。少しずつ森が開け、視界のぎりぎりのところに城壁と門のようなものが見え始めた。


 どうやら森と道が永遠と続いてると思ったのは全くの勘違いだったようだ。


 いよいよここは日本でも平成時代の地球でもない。



 俺の平穏、どこに行った。


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