その男、危険につき
「ああ、なんてこと……」
嗚咽。号泣。動揺。
テーブルに突っ伏すリーラの姿を一言で表すならば、この辺りの言葉が妥当だろう。今もなお震える彼女の肩を、リヴァルスの大きな手が優しく包む。
廃屋を襲撃してきたラザロにプサイを人質に取られてから約四時間。太陽はだんだんと沈み、アリエス邸にも西日が差し込んでいる。
泣く婦人と、なだめる当主。立場は主と使用人だが、プサイと彼らの間にはそれ以上の絆があるのだとショータは確信した。それと同時に、自分に失望した。
──僕とカイにはないものだ。
「ショータ」
不意に声をかけられた。今までずっと静かに椅子に座っていたロメが、至極不安そうな瞳でこちらを見ていた。
「カイのいそうな場所に心当たりは……?」
答える代わりに、ショータは力なく首を横に振った。
ラザロは明日の正午、北の教会にカイを連れてこいと言った。しかしそのカイが今どこにいるのかわからない。
探そうにもノレスは一つの大きな街だ。あてもなく探して見つかるほど甘くはないだろう。
ショータは頭をガリガリと掻いた。探して見つけられる自信はない。かといってそんな事情はラザロには関係ないだろう。もしカイが明日の正午までに現れなかったときは──ここから先は考えたくもなかった。
「プサイ……」
顔をおおってロメが呟く。その姿が切なくて、可哀想で、ショータは胸の奥にナイフを突き立てられたような感覚がした。
「僕……カイを探してきます」
そう言って立ち上がった。リヴァルスが驚いた目でこちらを見る。
「探すって……心当たりもないんだろう?」
「それでも見つけないといけないんです。プサイを助けるためにも……」
そう言い残し、ショータはリビングの扉へと向かった。その背中にかけられるか細い声。
「……私も行きます」
ロメだ。泣いたのであろう、少し赤い瞳でまっすぐにショータを見ている。
そんな目で見られて、同行を断れるほどショータは非情ではない。
「わかった、行こうロメ」
「はい」
並び立ってリビングを出、そのまま玄関へ。眩しい西日に目を細めながらアリエス邸をあとにした二人は、駆け足気味に街へ下りた。
いくら子供の多い街と言えど、この時間になれば子供は一人もいなかった。店を構える大人たちも各々店じまいを始めており、およそ半数の店が今日の営業を終了していた。
「すいません!」
ショータは閉店の準備をしていた若い男に声をかけた。
「あの、人を探してて……黒い服を着た銀髪の男なんですけど、見てませんか?」
「黒服銀髪……いや、見てないね」
「そうですか……ありがとうございました」
手短に礼を言い、向かいの店の女店主にも声をかける。しかし返答は同じだった。
ロメも同様にあちらこちらに訊いて回っているが、結果は芳しくないようだ。合流するやいなや、悲しそうな顔で首を振る。
「こっちもダメだ……誰もカイのこと見てないよ」
「この辺にはいないのでしょうか……」
「最悪、この街にいないってことも……」
言ってからショータはハッとした。不安を煽るようなことを言うなんて軽率だ。ロメの眉間がハの字に開く。
「ごめん……僕を残してどこかに行くってことはないと思う、たぶん」
「そう、ですよね……とにかくもっと聞き込みしましょう」
「うん……」
ショータは西日と、ロメの不安げな顔から目をそらすように振り返った。その視界に入り込む、見覚えのある三つの小さな姿。
「あれは……」
見つけた瞬間ショータは駆けていた。荷物を抱える三人の少年少女は、ショータを認識した瞬間露骨に嫌な顔をした。
「えっと……ラオと、チノと、レッカだよね」
「……覚えててくれたんだ」
抑揚のない声でラオが言う。辛うじてラオは視線を合わせてくれるが、残りの二人はそっぽを向いてしまっている。
一人だけでも会話できるのは僥倖。ショータはラオの美しいオッドアイを見て問いかけた。
「ラオ。真っ黒い格好をした、銀髪の男を見なかった?」
「見てない」
即答。まともに考えていないのは明白だった。
「もっと真剣に考えてくれ! プサイの命がかかってるんだ!」
イラつき、声が大きくなる。周りがざわつき始めるがそんなことは小さなことだった。
三人の目付きが変わる。レッカが一歩前に踏み出した。
「命ってどういうこと? 説明して」
「ラザロにプサイが人質に取られたんです」
後ろからやって来たロメが言う。
「明日の正午までに、ショータの契約獣を北の教会に連れていかなければいけないんです……でも」
「その契約獣が見つからない、ってことか」
チノの言葉にロメは頷いた。
「どんな小さなことでもいいんです。それらしき人物を見かけたりしていませんか?」
「ロメの力になりたいのは山々なんだけどよ……」
気まずそうにチノが視線を外す。その言葉の続きをレッカが引き取った。
「見てないものを見たとは言えない……ごめん」
「そう、ですか……」
ロメが肩を落とす。チノとレッカも申し訳なさそうに口をつぐんだ。
「……チノ。これ持って」
唐突にラオが自分の荷物をチノに押し付けた。
「はぁ? なんでオレが……」
「本当に、どんな小さなことでもいいの?」
ラオはロメの目を見て訊いていた。落ち込んでいたロメの顔が、途端に希望をつかむ。
「はい。もしかして心当たりが?」
「心当たりって呼べるかどうかもわからないけど。なんとなく、そんな男を見たような気がするってだけだよ」
ショータとロメは顔を見合わせた。ついに見つけた、一筋の光。
「どこで見たの!?」
食い気味にショータが訊く。ラオは一瞬だけ顔をしかめたが、
「案内するよ。チノとレッカは先に帰っててくれ」
そう言って歩き出した。
ショータとロメはラオについていく。西日に向かって歩いていくので眩しくて仕方ないが、この先にカイがいるかもしれないと考えただけでそんなものはどうでもよくなった。
「ラオ、ありがとう」
「勘違いしないでほしいんだけど、ボクはプサイが心配なだけだから。あとラザロのことも気にくわない」
「それでも協力してくれて、僕は嬉しい」
「……そう」
それきりラオは話さなくなった。ただ黙々と足を動かす。
道を一本北へずれる。少しばかり道幅は広くなったが、反して人はいない。そこでラオは足を止めた。
こんなところにいるのか……とショータは思ったが、ラオが見ているのは道路ではなく、上だった。
連なる建物の屋根。西日が最も強く当たるその場所に人影が佇んでいる。
「契約獣って、こいつ?」
ラオが訊く。遠くてよく見えないが、ショータは確信していた。
「カイ!!」
全力で声を張り上げた。人影が振り向いて、飛んで、ショータの前に舞い降りる。
眼前に現れたそいつは、ショータの顔を見るなりこう言った。
「うるせぇ。何の用だ?」
真っ黒な服。銀髪。血のように真っ赤な瞳。口を開くと覗く牙。
カイだ。探していた自分の契約獣が、目の前にいる。
ショータは一歩強く踏み出すと、カイに向かって告げた。
「明日の正午、僕らと一緒に北の教会に行ってくれ」
「は? なんでそんなこと」
「ラザロ……この街の騎士団長にプサイが捕まった。助けるためにはカイも一緒に教会に行くしかないんだ」
「ほう。人質ってやつか」
「そう。だから──」
「断る」
ピキ、と、希望にヒビが入る音が聞こえた。
「ど、どうして……」
「なんで俺がプサイのために行かなきゃいけないんだ。捕まったのは自分の不手際だろ」
「違います! プサイは私をかばって捕まったんです!」
「同じことだ。人を助けて自分がピンチじゃワケないぞ」
カイは落ちていた大きめの木箱に腰かけた。
まともに話してもついてきてくれはしない。ならばと、ショータは知恵を巡らせた。
「カイ。君が来なくても僕とロメはプサイを助けに行くしかない。でも正直、僕らだけであのラザロに勝てる気がしないんだ。僕たちを守るって意味でついてきてくれないか?」
そう言うと、カイは眉を寄せて少し黙った。
「……それは脅しか? 自分が死ねばもう美味い血は飲めないぞっていう」
今度はショータが黙る番だった。図星だった。
カイはニヤッと笑った。鋭い牙が見える。
「確かにお前の血が飲めなくなるのは困る。だったら……」
カイの右手が閃く。鋭い爪に陽光が反射したことで気づいたショータは、咄嗟のバックステップで不意打ちを回避した。
「なにするんだカイ!!」
「テメェをここで瀕死にすれば明日行けないよな? ついでに血も飲めて一石二鳥だ」
「お前……!!」
ショータはパラドックスを抜刀した。地面を蹴ってカイへ肉薄する。
爪と刃が火花を散らす。ぐっと互いの額も近づき、睨み合う。
「カイお前、自分勝手が過ぎるぞ!」
「知ったことか! 俺は俺の都合で動く。お前以外の誰が死のうと、俺には知ったこっちゃねぇ!!」
押しつける刃に精一杯の力を込める。このままカイの身体に傷のひとつでもつけてやると思うくらい、強く。
しかし押し返してきたカイの力もすさまじく、ショータは一旦距離を取った。着地と同時に再び駆け出し、今度は両の刃で斬りかかるため構える。カイも両手の爪を光らせて待ち構える。
だからその動線上にロメが現れたとき、ショータは死ぬほど驚いた。驚き、両足で必死にブレーキをかける。
「ロメ、危な──」
パァン!
と、まるで風船が割れるような軽快な音が響いた。ロメの右手が、カイの左頬をぶっていた。
「もう……もういいです」
小さな声で呟いていた。
カイは何が起きたのかわかっていない様子でロメを見ている。
「長いこと一緒にいて、あなたに少しでも友情が芽生えているかもと期待した私がバカでした。もうあなたには頼りません」
それだけ言うとロメは踵を返した。
「ちょ、ちょっとロメ!」
パラドックスを鞘に戻し、慌ててロメを追う。隣に並んだラオが問いかける。
「ロメ、本当によかったの?」
「いいんです。あんなやつ、もう知りません。プサイは私たちだけで助けます」
「……なあロメ。明日ボクたちに何か手伝えることはない?」
「ありがとうラオ。でも危険ですから」
振り向いたその頬に煌めくものが流れていて、ショータもラオもかける言葉を失った。
西日が沈んで、その煌めきも見えなくなった。
☆ ☆ ☆
高くそびえる白い塔と、真上で暑苦しく輝く太陽を見上げ、ショータは息を飲み込んだ。
翌日、正午五分前。ラザロが指定した教会を前にして、ショータとロメは緊張にとらわれていた。当然だ。これからたった二人で、あのラザロと戦わなくてはいけないのだから。
「ロメ……本当にカイいなくてよかったの?」
隣に問いかける。
「構いません。あんなやついなくても、私とショータだけでプサイを助けられますよ」
それはショータにというより、自分に言い聞かせているようにも思えた。そうでもしなければ不安に押し潰されるのだろう。
「ロメ……」
「さあ、行きますよ」
数段だけの階段を上り、真っ白な両開き扉に手を掛ける。
少しの軋音もなく静かに開いた扉の向こうには、槍を背負った長身の男と、その背後で十字架に磔にされたプサイの姿があった。
「プサイ!」
「ロ……メ……?」
よく見ればプサイは傷だらけだ。そのプサイの前に立ちはだかるように、ラザロが前に出た。
「吸血鬼の契約獣はどうした?」
「……ここにはいません」
「そうか。人質の意味が分からなかったか」
ラザロは背負っていた槍を手に取ると、その切っ先をプサイの首に向けた。
「ならば、今ここで知ってもらおう」
「やめろ!!」
ショータは即座にパラドックスを抜刀、駆け出した。さらに腕輪に触れて魔法も構える。
「トルボ!」
雷を射出する。ラザロの槍がそれを薙ぎ払い、一瞬の隙ができる。その隙に向けてショータは加速した。
しかし、あと少しというところでショータとラザロの間に何者かが割って入った。その男はパラドックスを腕で受け止めると、怪力でショータを押し返した。
「ぐっ……!」
よろけながらも再び体勢を立て直す。顔を上げて乱入者を見る。ボロボロのシャツを着た、髪の逆立った男だ。
「誰だお前は!」
最大限の警戒をしながら投げかける。男は血走った目で辺りを見回すと口を開いた。
「なんだよ、契約獣いねェのかよ」
「は……?」
会話になっていない。男は明らかに不機嫌そうに顔をしかめた。
「で、お前誰だ?」
「聞いてるのはこっちだ!」
話すらまともにできない。力の強さもあり、ショータの中ではラザロ以上の危険人物として認識された。
ふと、隣でロメが震えていることに気づいた。
「ロメ? どうかした?」
「あ……あの男です……三年前、街で暴れていたのは……」
「なんだって!?」
「間違えようがありません。でもあの男、騎士団に連行されたはず……どうして今ここに……」
ロメが語った三年前の出来事……ロメがプサイと契約するきっかけになった凶暴男が目の前にいるその男と聞いて、ショータはパラドックスを握る両手に力を込めた。
ラザロが男の隣に立った。
「紹介しよう。私の契約獣、デルタだ」
「契約獣……デルタ……!?」
ロメが両目をいっぱいに見開く。
「あなた、契約獣だったんですか!?」
「あ? 誰だお前?」
「覚えていないんですか……!」
強く歯噛みしたロメが腕輪に触れた。
「イアス!」
氷の弾丸が形成される。それらはロメのコントロールのもと、デルタへと飛んでいく。
しかし、それらはすべてラザロの槍によってガラスのように砕かれた。デルタが叫ぶ。
「兄貴! オレもう我慢できねェよ!」
「いいだろう」
ラザロが右腕の腕輪を露にする。そこに刻まれていた文字はΔ。
刻字とデルタの身体が輝く。腕の形が大きく変わり、腰から尻尾が伸びる。
やがて光がやむ。獣人態へと変化したデルタは、獲物を探すような獰猛な目でショータとロメを見た。
「きたきたァ……いくぜェェェェ!」
腕が変形した大きな鋏を振りかぶり、デルタが突進してくる。
「ロメ!」
「はい!」
ロメを後方に下がらせ、ショータは腕輪に触れた。
「シドル!」
盾を出現させ、鋏を受け止める。
なんという怪力か、ショータの身体が後ろへ滑る。しかし。
「行くんだ、ロメ!」
その言葉を全て言い終わる前に、ロメはショータの脇を抜けて前方へ出た。その手には愛用のクロスボウ、クロックダイヤ。
しかし当然、ロメの行く手にはラザロが立ち塞がる。
「愚かな……イレム」
槍の刀身が燃える。ラザロはその槍を振り回し、接近せんとするロメを牽制する。
「ネイド!!」
だがロメは足を止めず、クロスボウの矢に風をまとわせて撃ち出した。炎を風で消す。それがロメの作戦だった。
しかし、その目論見は外れることとなる。炎を消すにはその風はあまりにも弱く、そよ風同然だったのだ。
槍に払われる矢。ロメが何度撃ち出そうと、ラザロはそれを打ち消す。
「そんな……!」
ロメもとうとう足を止めた。このまま無策に突っ込むことはできない。
歯噛みし、思考を回すロメ。
水魔法を使うのは簡単だ。しかしそうすれば今度は敵から雷魔法が飛んでくる。それも回避しなければならない。
良策が思いつかない。圧倒的な魔力の差が、打てる手を片っ端から否定してくる。
万事休す。その言葉がロメの頭の中に浮かんだとき、ロメでもラザロでもショータでもない声が、広い教会に響き渡った。
「ネイド!」
突如、突風がラザロを襲う。槍の炎を消すには弱い風だが、ラザロが見せた一瞬の隙をロメは見逃さなかった。
「ネイド!!」
再び矢に風をまとわせ、撃ち出す。矢は突風の風も吸収して強くなり、槍の炎を撃ち抜いた。
「……何者だ」
炎が消された刀身から視線をそらし、ラザロが投げかける。
教会の入り口に二つの小さな影があった。そのうちの片方が、左腕を前にかざしている。
その二人を見て、ロメは口に出さずにはいられなかった。
「ラオ……タッくん……どうしてここに……」
「どうしてって、友達助けに来た。それだけだよ」
「話はラオから聞いたよ。もう大丈夫」
デルタと拮抗するショータをスルーし、二人はロメのもとまで駆け寄った。
ラオの左手首には昨日までなかった腕輪がある。
「ラオ、あなたもしかして……」
「……三人で話し合った結果だよ」
そう言うとラオは腕輪を掲げた。刻まれている文字はτ。
「いくよ、タッくん!」
「うん!」
τの字と同時にタッくん──本名をタウという少年の身体が輝き出す。
腕はペンギンの翼のように尖り、身長が大きく伸びる。光が消えたときそこにいたのは、線の細い頼りない少年ではなく、背の高い好青年だった。
ケープがはためく。タウは尖った翼を構えると一歩前に出て告げた。
「僕が先頭を切る。二人は後方支援に徹して」
「は……はい!」
ロメが返事をするのと同時に、タウが床を蹴ってラザロに肉薄した。
ラザロが槍を振るう。それを左の翼で受け止めたタウは、右の翼でラザロの左腕を切り裂いた。
「ぐぅっ……!」
後退するラザロ。しかし体勢を立て直させるわけにはいかない。
「イアス!」
「トルボ!」
同時にラオも詠唱していた。ロメが作り出した氷の弾丸が、バチバチと電気を帯びる。
「ゴー!」
ロメの合図で弾丸がラザロへ向かっていく。今度はしかと命中し、ラザロが怯むのが確実に見えた。
「今だよ!」
タウが叫ぶ。教会に入ってきた二つの影がラオとロメ、タウとラザロさえ越えて十字架のプサイのもとへたどり着く。チノとレッカだった。
「なっ、貴様ら……!」
「君の相手は僕だ!」
再びタウが翼で斬りかかる。それを槍で受け止めながらも、ラザロは確実に後ろへ押されていっていた。
この分ならラザロは問題ない。プサイも救出された。そう思って油断したのが盾に現れたのだろう。ショータが構える盾が軋んだ。
「なっ……」
「砕け散れェェ!」
デルタの鋏が勢いよく閉じられ、盾が真っ二つに切断される。ショータはその衝撃で後方に吹き飛ばされ、教会の床を転がった。
「くそっ……なんてパワーだ……」
起き上がろうとしたところに、やつの尻尾が伸びてくる。右腕を拘束され身動きが取れなくなる。
「まずい……!」
「死ねェェェェ!」
大振りの鋏が近づいてくる。あんなもので刻まれればショータの身体なんて簡単に切断されるだろう。
絶体絶命。唯一自由な左手でできる対応策を考えるが、短剣に魔法をまとわせて迎撃するしか思いつかない。しかしそれも力勝負になる。勝てる保証はない。
それでもやるしかないと、ショータは腕輪に噛みついて光を灯した。
「イレム!!」
剣に炎をまとわせ振りかぶる。下手すれば剣ごと切り裂かれる。そうならないようにショータは全力の力を込め、そして──
「このサソリ野郎が!!」
その剣が振るわれる直前、割って入った黒服がデルタの顔面に拳を打ち込んだ。
その後ろ姿を見たとき、ショータは思わず泣きそうになった。
「カイ……来てくれたんだ」
「お前が死ぬのは都合が悪い。それだけだ」
右腕に絡みついていた尻尾もほどき、ようやく自由が戻る。拘束されていた箇所を撫でていると、隣に立つ相棒が問いかけてきた。
「まだいけるよな?」
「……当然!」
腕輪のχの字が光り輝く。カイの身体も光に包まれ、その姿を獣人態へ変える。
光が消え、爪と翼を携えたカイが笑う。
「俺の契約者いたぶってくれた礼は、きっちりしないとなぁ!」
翼を広げ、カイが高く飛ぶ。デルタの頭上を取ると急降下し、その爪でデルタを肩口から切り裂いた。
「ぐァァァァァ!?」
どす黒い血が飛び散る。口元についた血をひと舐めして、カイは苦そうに顔を歪めた。
「なんだこれ……こんな不味い血飲んだことないぞ」
「カイ、こんなときくらいやめなよ」
「ああ、やめときゃよかった」
爪を振って血を払うカイ。ショータはその横で全体を見回した。
プサイはチノとレッカが救出し、今は一番後方に下がっている。タウとロメとラオはラザロを押しているし、デルタも今のカイの一撃が効いている。
勝てる。みんなの力を合わせればきっと。
ショータがそう思ったとき、ラザロに動きがあった。
「トルボ!」
雷魔法でタウを引き離した。そして自分の契約獣へ命令を飛ばす。
「デルタ、下がれ」
「兄貴、オレはまだ……」
「いいから下がれ」
冷たい声だった。あの凶暴なデルタもラザロの指示には素直に従い、彼の後ろに下がる。
何か仕掛けてくる。そう思ってショータが警戒しようとした瞬間、ラザロは自分の腕輪に触れた。
「クロープス」
教会の真ん中に橙色の大きな魔方陣が浮かぶ。同時に感じる、途方もない熱気。
「みんな、伏せて!」
ショータが叫ぶのが早かったか、それとも。
魔方陣は大きな爆発を引き起こし、一瞬のうちにショータたちを教会の外へ吹き飛ばした。
痛いほどの爆風。身体が溶けそうな熱。
地面を転がる。身体中に痛みが走る。
「うぅっ……」
呻き声が聞こえ、そちらに目をやるとロメが踞っていた。どうやらプサイをかばって熱風をもろに受けたらしい。背中が少しだけ焦げている。
「私を甘く見た罰だ」
教会からゆっくりとラザロが出てくる。その背後から出てきたデルタの血は、もう止まっていた。
「デルタ、やれ」
「ああ!」
デルタが動けないロメに狙いを定める。大きな鋏を振り上げ、一歩一歩近づいていく。
「やめろぉ!!」
ショータは気がついたら駆け出していた。ロメをかばうように両手を広げて立ち塞がる。
「ふざけんな人間! 死ぬ気か!」
カイから怒号が飛ぶがお構い無し。ショータはデルタの鋏をその身で受ける覚悟でいた。
「いいぜェ、まずはお前からだァ!」
振り上げた鋏を、さらに大振りに振り上げる。あんなもので殴られたらひとたまりもない。だが、ロメを見捨てるわけにはいかない。
ショータは目をつぶり、己が骨を砕かんばかりの衝撃が訪れるのを待った。
「ジェルルッ☆」
しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。代わりに奇妙な笑い声が鼓膜に張りついて離れない。
「ジェルルッ、ジェルルルルッ☆」
ゆっくりまぶたを開ける。するとどういうことか、デルタに半透明の触手が刺さっていた。デルタは苦しそうな表情で身体を痙攣させている。
「この触手……まさか……」
ショータは振り向いた。ショータの後ろにその女は立っていた。
「ジェルルッ、ショータちゃん久しぶり~!」
露出度の高いパーカーを着、触手を携えた白髪の契約獣。ショータはそいつの名を、思い切り憎しみを込めて呼んだ。
「クシー……!! お前何しに来た!?」
契約獣ξ。過激派組織サクリΦスに属する契約獣で、国王を殺した真犯人。
クシーは気持ち悪く身体をうねらせながら、妖艶な声で返答した。
「えー、その言い方はひどくなーい? せっかく助けに来たっていうのに」
「助けだと……!?」
「クラゲの契約獣か……たしかサクリΦスの一員だったか」
ラザロが槍を構える。ショータもパラドックスを拾い上げ応戦体制に入る。
「やめなよ、僕が来たんだ。無意味な争いになる」
が、そこに横から割り込んだのはクシーの契約者、シアールだった。藍色の軍服を身にまとった、サクリΦスのナルシスト幹部。
「お前も確かサクリΦスの……ちょうどいい。全員まとめて葬り去ってやる」
「何言ってるんだか……君ごときに僕は殺せないよ。そしてもちろん、ショータくんらも殺させない」
シアールは左足首につけている腕輪を蹴ると、右手を前にかざし、呪文を唱えた。
「クロープス」
浮き上がる橙色の魔方陣。それは間髪入れずに爆発し、爆風と土埃をこれでもかと巻き上げる。
何も見えなくなる。誰がどこにいるのかさえ把握できない中、クシーの触手がショータを絡め取った。
「うわっ」
「ショータちゃん見っけ! これで全員!」
自分が運ばれる感覚。不意に土埃の中から身体が出る。
見るとクシーに運ばれているのは自分だけではなかった。気絶しているロメとプサイ、そしてギャーギャーわめく元気のあるカイ。
クシーは四人を抱えているとは思えない俊敏な走りで教会から遠ざかっていった。隣にはシアールも並走している。
「おい! ラオたちは!」
「さあ? 自分たちでどうにかすればいい」
「お前……!」
パラドックスを投擲しようとするが、腕を触手で縛られる。
「ちょっと大人しくしててね~ショータちゃん」
「なんで僕たちだけを助けた!? 目的はなんだ!?」
「そんなの、仲間だからに決まっているじゃないか」
「仲間? 僕がいつお前たちの仲間になった!?」
「国王殺しの容疑者として追われているんだろう? だったら立派な仲間さ」
「ふざけるな! 誰がお前たちの仲間になんかなるか!」
「威勢を張るのは勝手だけど、世間はそうは見てくれないよ? 君たちは国王殺しに一役買ったサクリΦスの仲間。世の中はそういう目で君たちを見るだろう」
それは事実だった。実際、アスルガルドを追われた理由もそれだ。
「だったら、このまま僕たちの仲間になる方が賢明だと思わないか?」
「そんなわけ……!」
「それに、今の君たちに必要なのは戦力と休息じゃないのかい? ゆっくり休める場はあるのかな?」
「それは……」
右側の触手で運ばれているロメとプサイを見た。傷だらけの彼女たちをしばらく休ませなければいけないのは間違いなかった。
だがアリエス家に戻るという選択肢はない。ラザロが強引な手を使ってきた以上、最悪の場合、家に突撃してくる可能性もある。そうなればリーラやリヴァルスにも迷惑がかかる。
ショータは閉口した。身体に巻きつく触手の気持ち悪い感覚の中、諦めて唇を噛む。
「……二人を守ってくれるんだな?」
「もちろん」
「……わかった。ロメとプサイが回復するまで、お前たちのところに身を寄せる」
「交渉成立だ。クシー」
「はーい!」
クシーが速度を上げた。路を外れ、東に大きく旋回する。
「どこに向かっているんだ?」
「港だよ。そこから船でマロック島へ向かう」
「マロック島? お前たちのアジトでもあるのか?」
「あんな辺境の地にあるわけないだろう。ちょっと野暮用があるだけさ」
そう告げると、シアールはクシーの先を行くように加速した。これ以上話すつもりはないらしい。
ショータは視線を落とし、触手を絡めて自分たちを運んでいるクシーを見た。
「……ありがとうは言わないぞ。お前たちは国王を殺したんだ」
「うん。自分でもいい働きしたと思ってる!」
「絶対に許さない。お前たちはいつか僕が必ず倒す。覚えておけ」
「わかった、覚えとくね。ジェルルッ☆」
まともに取り合ってなどいない。その態度がまた苛立たしい。
怒りと復讐心を込めた短剣を鞘に収める。なされるがままになった自分に嫌気がさして、ショータは自分の太ももを強く殴った。
少しずつ、潮の匂いが強くなってきていた。