第■話
「…………え」
突然の出来事に、ロメの理解は追いついていない様子だった。
国王の胸に滲む紅が、金の衣を徐々に染めていく。その紅に触れると、仏のごとく頬をほころばせた。
「うむ…………」
消えそうな言葉を最後に、国王が膝をつき倒れ伏した。
「国王さま…………?」
「国王!!!」
茫然とするロメと、半乱狂のゼル。彼は血に染まる国王を抱き上げると、激しく揺さぶった。
「国王!! スライオ国王!! しっかりしてください!!!」
反応はない。ただ眠るような安らかな顔が、されるがままに揺れている。
過呼吸にも近い呼吸を繰り返すゼルは、顔を上げて一点を見つめた。
立ち上る硝煙。黒光りする銃身をつかんでいるのは、アレア・クローバーの細い腕だった。
「テメェ…………国王になにしやがった…………」
消え入りそうなゼルの言葉に、アレアは反応しない。ただ銃を構え、無表情のまま突っ立っている。
ゼルの肩の震えが大きくなる。氷片の傷から血がドクドクと流れ出る。
「なにしやがった…………なにしやがったなにしやがったナニシヤガッタァァァ!!!!!」
血走った眼で襲いかかるゼル。しかしアレアは冷静にその肩を撃ち抜いた。
倒れもがき、それでもなお怒鳴り続ける。怒鳴れば怒鳴るほど、床が赤で染まっていく。
そんなゼルを見下し、アレアが口許を歪ませた。
「…………ジェルル」
奇妙な笑い声が漏れる。その声は可愛いと呼ぶにはあまりに恐ろしく、狂気を孕んでいた。
「ジェル、ジェルルルルルルル☆」
壊れたように笑い続けるアレア。いつしかその目は、愉悦に染まっていた。
「ロメ!!」
プサイが手すりを乗り越え、飛び降りた。魂の抜けているロメの肩をつかむ。
「ロメ大丈夫!? しっかりして!!」
「国王さまが……撃たれて……それで、それで……」
うわ言のように呟くロメ。顔面蒼白の彼女を、プサイは自分の胸元に抱き締めた。
ショータはただ、上から見ているしかできなかった。
「ロメ…………」
「ハハハハ……ミッションコンプリート…………」
シアールが力なく腕を動かした。アレアの視線がこちらへ向く。
「…………ジェルッ☆」
銃を投げ捨てる。彼女は驚異的な跳躍で二階へ飛び込んでくると、シアールを絞め上げていたカイの首を絞め上げた。
「アガッ……くっ、この女ァ!!」
カイが蹴り飛ばし、爪を振りかざす。軽いステップでかわしたアレアは、シアールの身体にピタリとくっついた。
「どうだったシアールちゃん? 作戦通り、ちゃーんと国王殺したよっ?」
「当然だ。僕が立てた作戦だからね、ミスのしようがないだろう」
「さっすがぁ!」
ベタベタとくっつく二人。その光景を見て、ショータが真実を察するのに時間はかからなかった。
「あんたが…………シアールの契約獣……!」
「ジェルル、あったりぃー」
彼女はおもむろにメイド服を脱ぎ捨てた。中には露出度の高い白いパーカーを着ていて、華奢な身体を艶かしくくねらせる。
「シアールちゃんの指示で、一年前からこのホテルに潜入してたんだぁっ」
「一年前から……!?」
「そっ! 国王が泊まるならこのホテルだろうから、そこで暗殺しようって。天才だよねぇシアールちゃんっ!!」
シアールに頬を擦り付けるアレア。シアールが得意げに微笑した。
「一年前に思い描いた通りの結末さ。膨大な数の敵襲、死に物狂いで逃げる国王、ようやく脱出というところで味方に裏切られ絶望の中で絶命…………最っ高に美しいじゃないか!!」
恍惚として話すシアールに、ショータは寒気が止まらなかった。それと同時に胸の奥底に澱む気持ち悪さが、沸騰しマグマのように迫り上がってくる。
「……カイ」
「ああ……お前に言われるまでもない!」
腕輪のχの刻印が輝き出す。シンクロしてカイの身体も煌めき、一瞬にしてその姿を変える。
「あいつらをブッ殺す……!!」
漆黒の翼を広げ、赤みを増した目を向ける。
シアールはわざとらしくため息をついた。
「これだから野蛮人って言われるんだよ……」
シアールの足の腕輪の刻印――――ξの文字が黄金色に浮かび上がる。それを見たアレアが嬉しそうに跳び跳ねた。
「ジェルルルルル……☆」
笑い声と共に身体が輝きに包まれ、彼女のシルエットを変えていく。その影が明らかに人間のものと離別したとき、光が弾け粒子となって消えた。
「ジェルル……」
笑声を漏らす。口許を覆ったのは華奢な腕ではなく、半透明の桃色の触手だった。
腕は消え、肩からはジェル状の触手が数本生えている。宙にうねうねと漂う様は非常にグロテスクだ。桃色だった髪は白に変色している。
「一年ぶりのこの姿……ゾクゾクするぅ……!」
触手をくねらせ、享楽に顔を歪める。福笑いよりも歪みきったその表情は、今にも溶解して頭蓋骨が露になりそうである。
「それがテメェの、本当の姿か……!」
「そうっ! 従業員『アレア・クローバー』はもうおしまい……久しぶりに『契約獣クシー』として、シアールちゃんの役に立てるぅぅぅ!!!」
狂った絶叫と共に触手が伸びてくる。咄嗟にカイが爪で斬り落とした。触手の断面から体液が駄々漏れる。
「チッ……キモいんだよ!!」
落ちた触手の先端を蹴り飛ばし、カイが肉薄する。ショータもパラドックスを構え駆け出した。
しかし刃が届くより早く、触手が再生する。グチュリという気持ち悪い音を立てて、カイの爪をくわえこんだ。
「っ、なん……!」
「誰がキモいってぇ?」
しなった触手でショータが弾かれる。思った以上に重かったその一撃に、ショータの身体が壁に叩きつけられた。
「ゴホッ、ゴホッ! このっ……!」
再び斬りかかる。が、触手にパラドックスをはたき落とされ、逆に首を絞め上げられてしまう。
「ぐっ……がぁぁぁ……!!」
身体がつり上げられていく。自分の体重で首が絞まる。
「チッ……このクラゲ野郎がぁ!!」
カイの威勢のいい声が響いた。翼を広げ飛び上がると、ショータを絞める触手を狙い爪を振りかざす。
「野郎だなんて傷ついちゃうなぁ? 私も女の子なのに」
だがしかし、他の触手がカイを捕獲する。自慢の爪も、粘着質の液体に取り込まれればなまくらだ。そのまま触手をカイの首に絡みつける。
「がっ! あぐっ……ぁぁぁ……!!」
ギュウギュウと絞めつける触手。苦しむ姿を見上げるクシーの表情は生き生きしていた。
「ああ~、この感じも懐かしい……じっくり気管支を潰すこの感触……!!」
「この、変態…………!!」
「ありがとう!」
ニコッと笑い、ものすごい力で絞め上げられる。意識が吹き飛びそうになった。
「うぁ…………! こ、の……!!」
バリッ。触手が帯電したかと思うと、次の瞬間身体を電流が駆け抜けていった。
「があああああああっっ!!!」
「ジェルルル☆ もっといく?」
にやつくクシー。触手が大きく震え、電圧が跳ね上がる。
「あああああああああああっっっ!!!」
「ジェルジェルルル!! どう!? カイカンでしょ!?」
狂った瞳で見上げてくるクシー。再び震え帯電した触手に、前触れなくクロスボウの矢が突き刺さった。
「ジェル?」
クシーの笑いが止まる。触手が凍てつき始めた。同時に電流も止まる。
「イレム!」
階下から聞こえてきた呪文。次に飛来した炎の矢は、氷の触手を打ち砕いた。
床に叩きつけられるショータ。気道を空気が通るのをハッキリと感じた。
一階を見ると、ロメが真っ赤な目でクロスボウを構えていた。
「今です! ショータ!!」
「あ、ああ!!」
腕輪に触れ、駆け出すと同時にパラドックスを拾い上げる。
「イアス!! イレム!!」
それぞれを炎と氷の剣に変え、クシーへ差し迫った。触手の再生はされない。
パラドックスを振り上げ、そのとろけた表情めがけて振り下ろす――――。
「――――クロープス」
瞬間。ショータとクシーの間、なにもない空間が爆ぜた。ショータはもちろん、触手に捕らえられていたカイまでもが壁際まで飛ばされる。
煙が晴れたとき、そこにいたのは無傷のシアールと、触手がすべて吹き飛んだクシーだった。
「クシー。いつまで遊んでるつもりだった?」
ぶっきらぼうに聞くシアール。クシーは「んー」と可愛げに宙を見つめた。
「いつまででも、かな? 死にそうになったところでちょっと休憩入れて、また絞めつけて……」
「帰るよ」
踵を返すシアール。不満げな顔一つせずにクシーがついていく。
「逃が……すかよ……!」
満身創痍のカイが立ち上がる。呼吸は酸素を求めて強く深いものになっていた。
「テメェらをブッ殺すのは俺だ……勝手に逃げんな!!」
二人は振り返らない。背中を向けたまま、シアールが指を動かした。
「クシー」
「はぁいっ」
クシーの触手が復活する。先端を尖らせると、それをカイへ突き刺した。
「っっ!!?」
「カイッ!?」
カイが膝をついて倒れる。何事かと思う暇もなく、次はショータが刺される。途端、全身がビリビリとしびれ始めた。
「な……!?」
すぐにバランス感覚がなくなり、立っていられなくなる。頭もボーッとし出し、視界が白くぼやけ始める。
「あ、もしかして、人間のショータちゃんにはちょっと刺激が強すぎたかな?」
間近で覗きこんでくるクシー。そのしたり顔を殴ろうとしても、斬ろうとしても、腕はもはや言うことを聞かない。
動けないのをいいことに、クシーはショータの頬をつついてくる。
「ごめんね? ついつい毒の量間違えちゃったかも。でも死ぬことはないと思うから、たぶん」
じゃーね、と手を振りながらクシーが去っていく。
「ま…………て…………」
離れていく二人の背中を、ただ眺めることしかできない。もう身体は完全に動かなくなっていた。
「ショータ!! カイ!!」
ロメの声が呼ぶ。もやのかかる視界の奥に、ロメらしき人影が見えた。となりにはプサイと思しき人影も。
二人が大慌てで駆け寄ってくる光景を最後に、ショータの意識は沼へ沈んだ。
☆ ☆ ☆
暗い夜空にポツンと浮かぶ満月を、厚い雲が覆い隠す。
深夜三時過ぎにも関わらず、民宿グレードランプの周囲は野次馬でごった返していた。
皆一様に、あちこちから煙を上げるグレードランプを見上げている。何があったのかと興味心旺盛な住人たちが押し合いへしあい、それを騎士団員が懸命に捌いている。
その雑踏から少し離れた位置、建物の陰に立つ人影があった。黒衣と包帯。クラウドである。
「――――国王が死んで、ロメが生き残った……」
吐息の後、手を顎に添える。包帯の奥の視線は灰色の地面をなぞる。
「不都合な干渉はなかったはず。にもかかわらず、原作とは異なった展開……」
視線が上を向く。ちょうど厚い雲が晴れ、満月が顔を見せた。
「とうとう歪みが本格的になってきた、ってことなんですかねぇ……君もそう思うでしょ?」
クラウドは足元へ問いかける。いつの間にかそこでは、三日月模様の黒猫がくつろいでいた。
クラウドは屈むと、黒猫を抱き上げる。
「明日から鳴瀬翔多は、自分の知らない未知の世界で生きていくことになる。その事についてどう思う?」
「…………みゅー」
黒猫はクラウドの腕を抜け出すと、壁を駆け上って屋上の縁へたどり着く。そこで月でも見るのかと思いきや、クラウドを一瞥だけして消えてしまった。
「ほんと、気まぐれな人……いや、猫か」
肩をすくめたクラウド。そのとき群衆がざわめいたのを、視界の端で捉えた。
「…………さてさて、どうなることやら」
月明かりに照らされたクラウドの口許が、わずかに口角を上げる。
悲鳴と混乱が溢れ返るグレードランプを後に、クラウドは細い路地へと姿を消した。
☆ ☆ ☆
五感がくすぐったさを覚える。小さな呻き声を上げてまぶたを開くと、天井が広がっていた。
見慣れない部屋だった。ロメの家の自室と比べて狭く、そしてわずかに暗い。窓際ではカーテンが佇んで、ただ光を遮っている。
「あ、気づきましたか!?」
左から声がした。ベッドの脇、小さな椅子にロメが腰かけていた。
「大丈夫ですか? どこか痛むとかありませんか?」
身を乗り出して訊いてくるロメ。
ショータはゆっくりと身体を起こし、まだぼんやりする頭でもう一度部屋を見回した。
「ここは……?」
「ミオの家です。鍛冶屋スペクターの二階」
「ミオの……?」
そのとき、誰かが階段を上がってくる足音がした。扉が開いて姿を見せたのは、噂をしていたミオ・スペクターだった。
「あ、起きたんだショータ兄。よかった……みんな心配してたんだよ?」
ミオは手に持つお盆を机の上に置いた。サンドイッチが二つ乗っている。
「一日以上起きないから。ロメ姉なんて夜も付きっきりで看病してるし」
「ちょ、ちょっとミオ!?」
ロメの顔が赤く色づく。それに構わず、ミオはショータの腕を指差した。
「それだって、ロメ姉が巻いたんだよ」
そこではじめて、ショータは自分の腕に包帯が巻かれていたことに気づいた。巻き方はぎこちない。きつく巻かれているかと思えば、所々緩かったりもする。
「……不器用でわるかったですね」
口を尖らせ、ロメはそっぽを向いてしまった。ミオは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、サンドイッチを取った。
「あ、ショータ兄も食べる? 本当はボクとロメ姉の朝ごはんなんだけど」
差し出されるサンドイッチ。ショータは黙ったまま、ただそれを見つめた。
「……ショータ兄?」
「…………国王様は」
落とした言葉に、二人の顔色が顕著に暗くなる。視線を低空飛行させて押し黙る。それだけで察するには十分だった。
「…………すみません。私が勝手に動いたばかりに……」
ロメの肩が小さく震えていた。ショータはその肩にそっと手をのせ、首を振った。
「ロメのせいじゃない。僕だってシアールばかりに夢中になって、契約獣の存在に気づけなかった……!」
ジェルル、というクシーの笑い声が脳内で反芻する。
気づけば手に力が入っていた。咄嗟にロメから離す。
「ごめん……」
「……いえ」
会話が失われる。どんよりした空気の中、窓の外から騒々しい物音が聞こえてきた。金属の擦れる音と、軍勢の駆け足。
重い空気がピリリと張り詰める。ロメは身構え、ミオはカーテンをわずかだけ開けて外を眺めた。
「やつらを探せ! 国王を殺した憎き暗殺者を、なんとしてでも引きずり出せ!!」
殺意と憎悪を剥き出しにした野太い声に続き、それを上回る鬨の声が響く。
ショータも慎重に外を見やる。少し離れた大通りを、重装備をした騎士が何人も徘徊していた。
「あれは……」
「アスルガルド騎士団。昨日からずっとあんな感じで、兄たちを探してる」
「僕たちを!?」
つい声が大きくなった。窓の外を確認する。騎士団は相変わらずあちこちを血眼になって探し回っていた。
「どうしてそんな……!?」
潜み声で訊く。「おそらく……」と溢したのはロメだった。
「ゼルさんではないかと。私たちを反逆者だと思っているようで……」
「反逆者……!?」
――――国王の頭上にシャンデリアを落としてしまったショータ。ゼルの仇を見るような目が克明に脳裏に蘇る。
「違う……あれは事故だ! いや、むしろシアールの計算のうちってことも……」
「分かっています。ですが、問答無用で騎士団を動かした方が、私たちの言い分を聞いてくれると思いますか?」
「それは……」
言葉に詰まる。とてもそうは思えないからだ。
クシーへ怒鳴りかかったときのゼルは、誰が見てもまともではなかった。外れてはいけないタガが壊れた。そんな感じだ。
騎士団の雄叫びが轟く。まだ近くにいるらしい。
「じゃあ、どうすれば……!」
もどかしさを拳にのせてベッドに叩きつける。
カーテンを閉め、ミオが神妙な面持ちを見せた。
「……うちで匿いながら、冤罪を晴らす方法を見つける。それしかないと思う」
「無理だね」
否定の声に振り向く。部屋に入ってきたのはプサイだった。
「プサイ姉……?」
「無理って、どういうことですか……!?」
食ってかかる勢いでロメが問う。プサイはロメの肩を押さえて座らせると、次はその栗色の髪の上に手のひらを乗せた。
「ここを嗅ぎ付けられるのも時間の問題ってこと。そう長くはいられない」
「そんな……っ」
悲しげなロメの眼がプサイを見上げる。
プサイはベッドの端に腰を下ろした。
「今夜にでもスペクターを出るよ。長居は危険だからね」
「待ってよプサイ! 出るったって、どこに行くの? あてはあるの?」
「ノレス街」
即答だった。その答えにロメが瞠目する。
「……まさか」
「そのまさか」
短く答え、プサイはショータへ視線を戻した。
「ノレス街にあるアリエス家。そこに行くよ」
「プサイ!!」
ロメが声を荒らげた。
「本気ですか!? 本気で屋敷に戻るつもりですか!?」
その表情はわずかに紅潮し、怒りも見てとれる。
詰め寄るロメに、プサイは口元で人差し指を立てた。
「……そこ以外に、どこに逃げるっていうのさ」
「ですが……っ!」
「それに、今はワガママ言える状況じゃないんだよ」
落ち着き払った口調で告げる。鋭い眼差しに、ロメは口をつぐまざるを得なかったようだ。
「ねえプサイ……アリエス家っていうのは……」
「……ノレス街のほぼ全域を統べる貴族の家。それで――――」
「……私とプサイの生家です」
ポツリとロメが呟いた。膝の上で握られた拳が震えていた。
「三年前に飛び出して以来、帰っていませんが……」
「ロメ…………」
心苦しげな表情に、ショータまで胸が締め付けられる。そのときだった。
一階から激しく扉を叩く音が響いた。全員の肩が強張る。
「アスルガルド騎士団である!! ミオ・スペクター! 姿を現せ!」
聞き覚えのあるがなり声だった。騎士団長ユーレットに違いない。
窓の外を見下ろし、ミオが苦い顔をする。
「お休みの看板、出しといたはずなんだけどな……」
踵を返し、部屋を出て階段を下る。
「ミオ! どうするつもりですか?」
「呼ばれたなら出なくっちゃ。……彼らはボクがなんとかするから」
それだけ言い残し、ミオは一階へと姿を消した。
「……今すぐ発つよ」
プサイが告げた。ロメもショータも、それに反論する気はなかった。
サンドイッチを口に詰め込み、音を立てないよう階段を駆け下りる。店への扉からは騎士団の怒鳴り声と、負けじと叫ぶミオの高声が絶えず漏れてくる。
その扉とは反対方向、奥へ伸びた廊下の先に裏口があった。簡易的な錠を震える手で解くと、ショータはゆっくりと扉を開いた。
裏口は人通りのない裏路地に面していた。閑散とした日陰に、血塗れになった騎士が数人倒れている。その中心にカイが立っていた。
「ようやくお目覚めか」
ショータの顔を見るなり、カイはそう言ってきた。
「ずいぶんと呑気に寝るもんだな」
「カイ、これは……っ!?」
「襲ってきたから返り討ちにした。ただそれだけだ」
口許の血を拭い、路地を歩き出すカイ。慌ててそれを追う。
「殺してないよね……?」
「さあな」
爪に残る血痕を舐める。
「万一死のうが、セイトウボウエイとかいうやつだろ」
「それがあんたに適用されればいいけどね」
無愛想にプサイが告げる。カイが足を止めた。
「……どうした? へそでも曲げた?」
「ほざけ!」
カイが爪を振り上げる。長剣と切り結び、火花が散った。
「っ、テメェ……!」
「おー、おみごとー!」
ふざけた調子で剣を薙ぐランス。カイはそれを弾くと、蹴りを入れて距離を取った。
「……ハッ、なんだ? 不意討ちが趣味なのかテメェは」
「ううん? そんなことしなくても僕の方が強いし」
「私たちを捕らえにきたの?」
ロメを庇いながらプサイが問いかけた。膝を曲げ、いつでも戦闘を始められるようにしている。ショータもパラドックスを抜刀した。
「んー……別に捕まえる気なんてないよ?」
「は?」
「僕にそんな義務はまだないしね」
身の丈に合わない長剣を鞘に収めるランス。しかしそれでも警戒を解くわけにはいかない。電光石火の早業をもつランスは当然のこと、左右や背後にも注意を向ける。
「あー、ベータなら野暮用で別行動中。だから後ろから襲われるかもなんて心配はいらないよー」
読心したかのように答えてくるランス。なおのこと警戒心が増す。
「……なんの用」
強気にプサイが問う。ランスは端にあった木箱に座り、足をぶらぶらさせた。
「ご用ってほどじゃないけど……もしかしたらもう会えないかなって思って。捕まったらきっとすぐ処刑されちゃうじゃん?」
「お別れでも言いにきたってわけ?」
ちがうちがう、とランスが手を振るう。木箱の上に仰臥し、だらんと首をこちらへ向けた。重力に従い前髪が垂れる。
「僕、ちょっと気になっちゃったんだよね。本当に君たちが国王殺っちゃったのかなって」
「……っ! 信じてくださるんですか?」
「信じないよ?」
あっさり答えた。「え」とロメから声が漏れる。
「僕は疑問を持っただけ。信じるも信じないも、なにも知らないんだもん」
逆さまのランスの顔は、当然でしょ? と訴えていた。
プサイが苛立たしげに地団駄を踏む。
「味方でもない敵でもない……じゃあ何しに来たの?」
「ケーコク」
ランスが後転の要領で地面に立つ。服を軽くはたくと、背中を向けたまま口を開いた。
「もしサクリΦスとやりあおうとか思ってるなら、やめた方がいいよ」
「どうして」
ショータが聞く。振り向いたランスの表情、そこに幼さはなかった。
「君たちじゃ勝てないからだよ。この前だって、結局上級魔法に押し負けたんじゃないの?」
「っ、それは……」
「逃げるなら逃げるでいいよ。遠いところで、静かに暮らせばいいと思う。サクリΦスも滅多なことじゃ出会わないだろうしね」
「フンッ……随分適当なこと言うんだな?」
黙って聞いていたカイはランスに近づくと、彼の額に自分の額をぶち当てた。ランスはよろけない。
「俺がそんな大人しい生き方すると思うか?」
「全然? 暴れて、そして真っ先に死んじゃいそう」
「冗談ならもう少しうまく言え」
額を離すと、カイは銀髪を掻き上げた。指に残っていた血が掠れ気味に付着する。
「俺は死ぬつもりはない。少なくとも、気に入らねぇやつらをぶっ潰すまではな」
「……気に入らないやつら、ねぇ」
ランスが左手で長剣を撫でる。カタリ、と小さく揺れた。
「……ま、いいけどね。止めはしないけどさー」
と呟いたランスに子供らしさが戻る。彼がポケットからキャンディーをごっそり取り出した、そのときだった。
「いたぞ!!」
背後の声に振り返れば路地の奥、数人の騎士団が剣を構えて駆けてきていた。
ショータは舌打ちしながら腕輪に触る。その手をランスがつかんで止めた。
「見てて?」
そう言うと、ランスは大量のキャンディーを宙へばらまいた。
「レガ」
その呪文でキャンディーが爆発する。花火のようにきれいな炎を撒き散らし、騎士団の進行を妨害した。
「行きなよ。これ、引き止めちゃったお詫び」
手のひらに一杯のキャンディーを渡される。背筋がゾッとした。
「これ爆発しないよね……!?」
「しないと思うよ……たぶん」
「たぶん!?」
「ショータ! 行きますよ!」
ロメに手を引かれ走り出す。後ろを見れば、ランスが手を振っていた。
「ランス……大丈夫かな?」
「なにがですか?」
こぼれゆくキャンディーをポケットに詰め込む。
「僕らを庇ったことで、ランスまで反逆者扱いされたりしたら……」
「あいつが勝手にやったことだろ。心配する意味があるか?」
身も蓋もないことをカイが言う。ショータはわずかに憮然とした。
「あるよ! 今だって助けてくれたし……」
「ハッ。心理学者のように、裏切られても知らないぞ」
「カイ!」
プサイが咎める。カイは無言で走る足を早めた。
カイの言うことはあながち間違っていない。それはショータがその身で痛感している。
シアールとクシーの裏切りに――――奴らの潜伏に気づけなかったのが最大の失態だった。本気で剣を振るっていたつもりでも、結局はシアールの手のひらの上で踊らされているにすぎなかったのだ。
国王は殺された。しかし反面、ロメは死ななかった。
脳内ビジョンに映るのは、国王が殺される少し前。二階からの俯瞰の景。
「……ねぇ、ロメ」
走りながら隣へ問いかける。
「国王様に駆け寄ろうとしたとき、立ち止まって僕の方を振り返ったよね……なんで?」
「なんで、と聞かれましても……」
ロメは困った表情を浮かべ、後悔の色を滲ませた。
「……自分でもよく分からないんです。誰かに呼ばれたわけでもないのに、どうしてか振り返ってしまって……」
「そっか……」
あそこでロメが振り返らなければ、小説の通り、国王を庇ってロメが死んでいたかもしれない。なのに現実はそうはいかず、死者と生者が入れ替わっている。第八話の結末が変わったのだ。
言い表しができない。喜びとも驚きとも、哀しみとも不安とも混乱とも説明がつかない感情がショータの中で蠢いている。そもそも、これは感情なのだろうか?
ヒュート森林が近づいてきた。二話目以降は登場するはずはなかった、本当ならもっともっと小さい森。
「……今日中に抜けられるといいな」
プサイがこぼす。日はまだ十分高い位置にあった。
唾を飲み込む。今は何話なのだろう。どうでもいいことが頭を過る。
雑に巻かれた包帯の下、なんともなかった腕の怪我が、わずかに痛みはじめた。