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フィクション世界の訪問者  作者: 時計座
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主人公の剣

 何もない世界にショータは立っていた。

 焼け払われたような荒野が地平線まで延々と続いている。風が吹けば砂が舞うだけで、揺れる草木一本ない。

 ただいたずらに太陽の熱を跳ね返すだけの大地。そこに、無数の獣の影があった。

 四つ足で立ち、逆立った体毛は灰色。狼型コンマの群れが、円を描くようにして中央へ敵意を向けていた。そこにいるのは、背中合わせで立つ二人の男。

 片方は背中に羽を生やし、牙と爪を備えた黒服の吸血鬼。獣人態になったカイだ。

 もう一人は丈の長い上着を羽織った、跳ねた白髪の男。翼の紋様が入った大剣を携えている。

 大剣の男が背中越しにカイへ何かを語りかけた。カイも返す。辺りは静まり返っているのに、なぜか会話はショータには一切聞こえてこない。

「おーい! カイ!」

 ショータが声を張り上げても、聞こえていないのか反応はない。男との会話だけが続く。

 二人が不敵に笑いあう。それが合図だったように、コンマたちが一斉に飛びかかった。

 数では圧倒的に不利である。しかし男の大剣の一振りは、何体ものコンマを一瞬で斬り伏せた。

 巻き上がる砂ぼこりと弾ける鮮血。血の雨を浴びながら、カイは鋭い爪を次々にコンマの喉元へ突き立てた。また血が吹き上がる。

 身体を真っ赤に染めながら、二人は楽しそうだった。絶え間なく襲いくる狼コンマが瞬く間に肉塊に変えられていく。荒野がコンマの死体で埋まりそうな勢いだった。

 ショータは思わず畏怖した。それと同時に、凄いとも思った。瞳はずっと男を捉えている。

「あいつ、もしかして――――」

 呟いたショータの真横を、跳ねられたコンマの首が飛んでいった。撒き散らしていった血が頬にかかる。

 ショータの足元には、コンマだったものがいくつも転がっていた。

 背後から遠吠えが上がり、ショータは振り返る。また無数のコンマたちが弾幕のように地を駆けていった。駆けていっては、大剣の前に力尽きる。

 斬り上げられた二体のコンマがショータの目の前に落ちた。

 ふとショータは気づいた。だんだん大剣の男がこちらへ近づいてきている。

 コンマを斬りながら徐々に、しかし確実にショータの方へ寄ってきている。

 血が浴びせられる。足元のコンマが増える。不思議と恐怖は感じていないが、逃げることもできない。

 一匹のコンマを斬り裂き、とうとう男がショータの前へ現れる。そう思ったのも束の間、大剣はすでに振り上げられていた。

「え、ちょっ――――」

 ここになって、ようやく狼狽え始めたがもう遅い。

 大剣がショータめがけて振り下ろされた――――。


 ☆ ☆ ☆


「あだっ!?」

 額に突然の痛みを受けて、ショータは目を覚ました。身体は毛布と一緒にベッドから落ちている。

 額を押さえながら起き上がり、辺りを見回す。木造の寝室には自分一人で、男もカイもコンマもいない。

「夢、か……」

 そうわかった瞬間、身体から力が抜けた。ベッドに背中を預け、座り込む。

「……でも、こっちは夢じゃないんだよなぁ」

 暗い寝室を眺めながらショータは溢す。

 こっちの世界に来て、まもなく一週間が経つ。その間、ショータは懸命に黒猫の捜索に力を注いできたが、あれ以来、姿を見つけられてはいない。

 おまけにカイには血を吸わせろと言われる毎日。一度だけ約束で吸わせたものの、それだけでは飽き足りなかったらしい。死にそうなほど貧血になるので、ショータとしては二度としたくない。

 疲れからか呆れからか、勝手にため息が出た。

 そのとき、扉が開けられ一人の少女が入ってきた。

「どうしたショータ? すごい音がしたけど……」

 長い白髪の少女プサイに、ショータは誤魔化し笑いをする。

「あはは……なんでもないよ」

「……ベッドから落ちた?」

 ギクリ。ショータの笑いが固まる。

「やっぱりそうか。ショータも案外、抜けてるところあるんだね」

「……なんでわかったの?」

「わかるよそれくらい。毛布持って床に座ってれば誰でも」

 プサイは部屋のカーテンを開けると、そのまま窓も開けた。明け方の空から涼しい風が流れ込んでくる。ショータは毛布を身体に引き寄せた。

「さむっ。今何時?」

「五時前。もう起きてなよ。ロメもそろそろ起きてきて買い出しに……」

 あ、そうだ、とプサイが手のひらを叩いた。

「せっかくだから、ロメと買い出し行ってきなよ」

「え?」

 ショータが首を傾げる。

 プサイが一枚のメモを差し出してきた。食材の名前と個数がずらりと書いてある。

「金はロメが持ってるから。じゃ、よろしく」

 そう言ってプサイは部屋を出ていってしまう。ショータは肩をすくめた。

「……まいっか」

 部屋のタンス棚を開け、中から赤と黒のコートのような服を取り出す。ロメとプサイがショータに与えてくれたものだ。

 それに着替えて身を鏡に映す。案外似合うものだ、と改めて自画自賛する。

 この手の服を着ることも、数日で違和感はなくなった。それだけ、この世界に順応し始めたということだろうか。

 部屋の隅へ視線を向ける。ちんまりとした机の上に、ボロボロになった制服がきれいに畳んで置かれている。

「……よし」

 ショータはブレザーからボタンを一つ取って、コートの胸ポケットにしまいこんだ。


 ☆ ☆ ☆


「結構買いましたね」

 隣を歩くロメ・アリエスが、片手に持ったメモを見ながら呟いた。反対の手には、野菜や果物でいっぱいの袋を提げている。

「ごめんね。僕たちのせいで食費がかさむよね」

「お気になさらず。お金には余裕があるので」

 上品な笑顔を浮かべるロメ。ショータは彼女の懐の深さに感謝しながら、肉や魚で膨れた袋を抱え直した。

 それを見て、ロメが眉尻を下げる。

「……すみません。やっぱり重かったですか?」

 そんな彼女に、ショータは笑ってみせた。

「ううん、大丈夫。お世話になってる分、少しは働かないと」

「そんなこと、私もプサイも気にしないのに」

「気持ちだよ。それにこれ、思ったより重くないし」

 そう見栄を張ってはいるが、ショータの左腕は早くも悲鳴を上げつつある。ロメの死角でプルプルと震えているのだ。

 転生前からインドア人間だったショータは体力がない。こちらの世界へ来てからは黒猫探しで街へ出てはいるが、一週間やそこらでつくスタミナなどたかが知れている。

 腕の辛さを出さまいと平静を装うショータ。しかしその表情に余裕はなかった。

「……本当に大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫。大丈夫」

 疑いの視線から逃げるようにショータは顔を背ける。視界に入ってきたのはアスルガルド街の街並みだ。

 コブラ型コンマが暴れたのが一週間前。まだ傷跡は目立つが、それでも復興は進んでいるようだった。木材を担いで歩く人もちらほらといる。

「みんな朝早くから大変そうだね。ねえロメ?」

 隣へ声をかけるショータ。だが、返事をくれるはずの彼女は、いつの間にか隣から消えていた。

「……ロメ?」

 足を止め、辺りを見回す。後ろを振り返ると、ロメが二人の男に囲まれていた。

 ガラの悪い、いわゆる『ならず者』や『チンピラ』などと呼ばれる者たちだ。ニタニタ顔に挟まれたロメは困った表情を浮かべている。

 買い出しの袋を置き、すかさずショータが割って入った。

「すみません。僕の連れになにか用ですか?」

 左右の男をキッと睨み上げてショータは言う。男の片方がたちまち不機嫌になる。

「なんだよ、男連れかよ」

「まあ待て」

 もう片方の男はショータを見下ろし、口許を歪ませた。

「なあガキ」

 諭すような言い方で、男はショータの肩に手を乗せる。

「……金、置いてけよ」

「え」

 と同時に肩が引かれ、男の膝が突き上げられた。

 ショータは咄嗟に左手を挟み込む。直後、鋭い膝蹴りが左手越しに腹部を襲った。

「ショータ!?」

 ロメが叫ぶ。その肩をもう一人の男がガッチリつかんでいる。

 ショータはむせ上がりながらも男から距離を取った。そこで初めて膝をつく。

 ガードに使った左手がジンジン痺れていた。至近距離の膝蹴りの威力はバカにできない。

「チッ、一発で倒れろよ」

 男が拳を鳴らしながら歩んでくる。

 ショータは体勢を整えて立ち上がる。だが、喧嘩して勝てるほどの腕っぷしがショータにあるわけもない。かといって、生身の人間に魔法を使うわけにもいかない。周囲の通行人は誰も彼も見て見ぬふり。

 手詰まりだった。気づけば心臓の鼓動が早くなっている。

 どうするか。悩んでいる間にも、男はショータへ近づいてくる。射程距離に入ると、男は拳を振り上げた。

 ショータが痛みを覚悟する。刹那、拳は横から伸びた手に受け止められた。

「っ、なんだテメ――――」

 と言いかけた男の身体が宙に浮く。次の瞬間、素早い回し蹴りが彼を壁へ叩きつけた。

 一瞬の出来事だった。全く理解が追い付かないまま、ショータは横から現れたその人物を見やる。

 毅然とした立ち姿の、背の高い青年だった。肩まで伸びたブルーの髪と、首にかけている二重三重のネックレスが美しい。

 彼の透き通るようなブルーの瞳は、先ほど自らが蹴り飛ばしたならず者へ向いている。

 ロメを捕らえている男が顔色を変えた。

「お、おい! 大丈夫かよ!?」

「なにすんだこの野郎!!」

 相方の声も聞こえていないのか、逆上した男が青年へ殴りかかる。がしかし、容易く受け流され、再び蹴りを入れられて地面を転がる。もう一人の男もロメを手離し、青年へ掴みかかるが、彼も同じように蹴飛ばされる。

 青年の動きは優雅だった。ショータだけでなく、ロメも、道行く人さえも足を止めて彼に見入っている。

「くっ……そ、このやろうが!」

 男たちが懐に手を入れる。取り出したのは鈍く光るナイフ。それを見た観衆がざわつき始めた。

「調子乗んなよテメェ……」

 ナイフが青年へ向けられる。男たちの目にはハッキリわかるほどの殺意が込められていた。

 いくら武術に優れていようとも、徒手空拳と凶器では分が悪い。ショータがそんな心配をしたときだった。

「ダメだよ? こんな街中で喧嘩なんて」

 人混みの中から声がした。辺りがしんと静かになる。

 視線を一斉に集め、声の主が衆前に姿を現した。

 縦に黄色いラインが入った上着を羽織り、前髪に銀色のメッシュが入った少年――――というより、子供。間違いなくショータより年下だ。腰に携えた長い剣の先が地面すれすれを揺れている。

 殺伐とした空気の中、我が物顔で歩く十二、三の子供。その光景に、大勢の観衆が再びざわめき出した。

「なぁ、あの子供もしかして……」

「間違いない。『銀色の閃光』だ」

 誰も彼も、少年のことを知っている様子だった。

 『銀色の閃光』。聞こえてきたその名前には、ショータにも覚えがあった。改めて少年の姿をまじまじと見つめてしまう。

 この場のほとんどの人間が少年に驚愕している。ロメだけがショータの隣でわかっていない顔をしていた。

「マスター、どこへ行かれていたのですか」

 青年が少年へ声をかける。

 マスターと呼ばれた少年は、特に悪びれる様子もなく言った。

「ごめんごめん。おいしそうな匂いがしたからついつい」

 幼顔に無邪気な笑顔が浮かぶ。少年の右手にはわたあめらしきものがあるが、食べかけなのかあと少量しかない。

「あ、ベータも食べる? レモン味」

「結構です」

 ベータという青年は無表情のまま告げる。少年は「つれないのー」と残りのわたあめを頬張った。

 端から見ればただの子供だ。しかし、その子供の登場にならず者たちは汗を垂らしている。

「お、おいどうすんだよ……『銀色の閃光』って言ったら――――」

「落ち着け。そんなもんただの噂だ。見てみろ、ただのガキじゃねぇか」

「でも、いくらなんでも人が――――」

 片方の男が弱気になりかけていた。そんな相方に、もう片方の男のイライラが募っていくのがわかる。

 彼らが口論をしているうちに、件の少年はわたあめをきれいに平らげていた。

「……さて」

 少年が男たちへ向き直る。その瞬間、スイッチが入ったように、彼の眼光がギラリと光った。

「ここはキッチンじゃないよ? そんな危ないもの、早くしまって」

 その目にあてられ、一瞬怯む男たち。しかしすぐに威勢を取り戻し、ナイフを少年へ差し向けた。

「このガキ! あんまりナメた口聞いてると――――」

 ビュン! と空気を裂く音がして、男の手からナイフが弾かれた。回転して宙を飛んだあと、少年の手に収まる。

「聞いてると……なに?」

 真顔で聞く少年に、唖然とする男たち。中間点にわたあめの棒が落ちる。

 少年はわたあめの棒を投げて、男の手からナイフを奪い取ったのだ。それが理解できたとき、怯えていた男は一目散に逃げ出した。

「お、おいっ! 待て!」

 残された男が呼び止めるが、もう姿は見えない。

 少年がナイフを構える。笑ったその瞳はナイフ以上に鋭利だった。

「や、やめろ……!」

 男は完全に畏怖している。少年がナイフを投げる素振りを見せた瞬間、情けない悲鳴を上げてどこかへと逃げてしまった。

 少年がナイフを下ろす。それと同時にワァッと観衆が沸いた。

 口々に少年を称え始める人々。しかし渦中の少年は一つ伸びをすると、周りを気にすることなく踵を返した。

「行くよベータ」

「かしこまりました」

 呼ばれた青年はロメとショータに一礼してから、少年の半歩後ろを歩いていく。

「あのお二方、何者なんでしょう……?」

 首を傾げるロメ。ショータは何も答えず、去っていく二人の背中を目で追っている。

 『銀色の閃光』の左手首に腕輪があるのを見逃しはしなかった。


 ☆ ☆ ☆


「そりゃランス・シルバーだね」

 自分が作った料理を口に運びながら、プサイはそう言った。

 食卓にはカイも含めた四人全員が座っている。ショータの向かいに座ったロメがフォークを止めた。

「ランス・シルバー?」

「別名『銀色の閃光』。目にも止まらぬ剣術で噂が広まっていった凄腕剣士だよ。契約者でもあるらしい」

 契約者。契約獣と契約を交わした人間のことをこの世界ではそう呼ぶ。ロメやショータも契約者だ。契約獣の数が限られているため、契約者は羨望や憧れの的になることも多い。

「では、一緒にいたベータという方が契約獣でしょうか」

 ロメがショータに訊いてくる。「たぶんね」と答えてサンドイッチをかじった。トマトの甘味が口の中に広がる。

 ランスとベータが登場した。すなわち、物語が二話へ進んだということだ。

 一話目にあたる出来事が起きたのがちょうど一週間前。思っていたよりスローリーな展開に、ショータは拍子抜けにも似た感覚を覚える。もっとも、ストーリーの進行が遅いことに特に不都合はないが。

「しっかし」

 プサイの手元でフォークと皿が音を立てた。目付きが鋭い。

「ロメに絡んだチンピラどもは許せないね。汚い手でロメに気安く触るなっていうの」

 ムカついたまま肉を頬張るプサイ。ロメが苦笑いする。

 ショータは途端に申し訳なくなった。

「ごめん、僕がしっかりしてればよかったんだけど……」

「いえ、ショータが謝ることでは。それに、私は大丈夫ですし……」

「いいやダメだ!」

 力強くプサイが言う。両手をテーブルに叩きつけ、立ち上がった。

「ロメはもっと危機感を持つべきだ。これからも同じような輩が現れないとも限らない」

「は、はい……?」

「どうして私がロメの契約獣になったか分かる?」

 ぐいと顔を寄せるプサイ。身体を引きながら「ええと……」とロメが困惑する。

「幼馴染みだから、ではないのですか?」

「それもある……でも一番の理由は」

 ビシィッと、ロメの顔にプサイが指を突きつけた。

「可愛い妹を世の中から守るためだ!」

 しばしの沈黙。指を指されたロメが恥ずかしさに赤くなるまで時間はかからなかった。

「……ただの過保護じゃねぇか」

 身も蓋もないカイのツッコミが沈黙を破る。ショータも思わず頷いてしまう。

 すると今度は、プサイの顔がトマトのように真っ赤になった。

「か、過保護じゃない! ただ、ロメは世間知らずなところも多いから心配が絶えないというか、なるべく一人にしたくないだけで!」

「それを過保護って言うんだよ」

 カイがフォークで指して言う。プサイの焦りが加速した。

「しし、しかし! 見ての通りロメは箱入り娘だ! いったいいつどこで誰に誘拐されるか……!」

 と、赤かったプサイの顔が今度はぞーっと青ざめる。付き合ってられるか、とカイが足を投げ出した。

「プサイ! 恥ずかしいからやめてください! 私は誘拐なんてされませんから!」

 プサイの肩をつかんでグイグイ揺らすロメ。ショータは苦笑いでその様子を見ていた。

 幼少期から共にいただけあって、ロメとプサイは非常に仲睦まじい。それは幼馴染みというより、プサイの言う通り姉妹に近い。この関係を『契約』とだけ表すのは、ショータには気が引けた。

 自然と目がカイへ向く。皿に盛られた料理をつまらなそうにフォークでいじっている。

 その背後に、夢で見た男の幻影が見えた。思わず目を見開く。

「……なんだ」

 カイが無愛想な顔をこちらへ向けた。後ろに見えていた幻影が陽炎(かげろう)のように消える。

 ショータはしばらく言葉を失った。カイが苛立たしげにフルーツを口へ放り込む。

「言いたいことがあるならさっさと言え」

「……ねぇ、カイ」

 ナイフとフォークを置き、問いかける。

「『アラン・マグナ』って名前に聞き覚えない?」

「ハァ?」

 フルーツを噛み砕きながら、カイが訝しげな顔をする。

「誰だそいつ?」

「あ、いや、知らないならいいんだ」

 ショータは目の前の皿に向き直り、食べかけだったサンドイッチを口の中へ押し込んだ。

 アラン・マグナ。『Contract』の主人公であり、カイの本来の契約者であり、ショータの夢に現れた白髪の男。ショータが主人公に成り代わってしまったせいか、彼は登場する気配すら見せない。

 そんな矢先に見た今朝の夢。カイならなにか知っているかもと考えたショータだったが、結果は空振りに終わった。

「二人は知らない?」

 一応ロメとプサイにも訊ねてみる。が、どちらも首を横に振るだけだった。

「その方がどうかしたのですか?」

 ロメが聞いてくる。今度はショータが首を振る。

「ううん。知らないならいいんだ、ほんとに」

 その返事に、ロメとプサイは不思議そうに首を捻った。

 そのとき、玄関からノックの音がした。

「はーい」

 と、扉に一番近かったショータが玄関へ向かう。

 玄関を開けると、そこには一人の少女が立っていた。

 紫色のポンチョに身を包み、オレンジ色のバッグを肩にかけたショートカットの女の子。

「……あれ?」

 少女はまぶたを二回ほどパチパチとする。それから、家の外装を見直した。

「えっと……ロメ(ねぇ)いる?」

 探るように聞いてくる少女。それと同時に、図ったようなタイミングでロメがリビングから出てきた。

「お客様ですか?」

 ロメは少女の顔を見ると「あっ」と声を弾ませ、小走りしてくる。

「ミオ! お久しぶりです!」

「ロメ姉、久しぶり」

 互いに笑顔を見せる二人。しかし少女――――ミオの方は、心なしかショータを気にしているように見える。

「ロメ姉……彼氏できたの?」

 とミオが口にした瞬間、ロメが慌てて否定した。

「ち、違います! ショータはそういうのじゃないです!」

 その通りなのだが、必死になって否定されるとショータも内心傷つく。

「んー、まあそっか。プサイ姉が彼氏なんて許すはずないもんね」

 あっさり納得するミオ。ショータの傷心など気づかず、ロメは一人でホッとする。

「ショータ(にぃ)……だっけ」

 ミオがショータを見上げてくる。それから視線は身体の線をなぞり、左手首の腕輪で止まる。

「ショータ兄も契約者なんだ」

「まあ、一応ね」

「そっか……だったら二人にお願いした方がいいのかな……」

 下を向いて一人言を溢すミオ。ロメがその顔を覗き込んだ。

「どうしたんですか?」

 ミオが顔を上げる。その目は真剣だった。

「ロメ姉。ボクの頼み、聞いてくれるかな」

 妙に不似合いな『ボク』という一人称がショータの耳に残った。


 ☆ ☆ ☆


 壁にずらりと並んだ武器類を見て、ショータは絶句した。

 剣、槍、刀、弓、斧……どれも独特の存在感を放っており、素人が簡単に触れていいものではない。

「さすがミオの店だねぇ」

 店内を眺め回しながらプサイが感嘆する。

 躊躇いもなくカイがクロスボウを手に取った。

「まるで武器庫だな」

「武器庫じゃないよ。これでも一応鍛冶屋だから」

 ミオが訂正を入れるが、本人も武器庫の自覚はあるらしい。「ま、どっちでもいいけど」と投げやりな台詞を吐いた。

 街の一角にある鍛冶屋『スペクター』。ミオ・スペクターが店主を務めるこの店は、鍛冶屋という感じがあまりしない。奥に小さな鍛冶場はあるものの、店の大半は武器置き場と化している。会計場すらないのだから、これでは武器庫と言われても仕方がない。

「それで、頼みってなんですか?」

 ロメが訊ねる。ミオが目を伏せた。

「……実は、泥棒に入られたみたいなんだ」

「泥棒?」

 ミオが店の奥の壁を指差す。そこには大剣の類がピアノの鍵盤のようにびっしり並んでいる。

 その中に、一ヶ所だけ歯抜けがあった。

「朝店を開けたら、剣が二本なくなってたんだ」

 ミオの視線が短剣が並ぶ壁へ移る。確かにそこにも歯抜けはあった。

 大剣と短剣が一本ずつ。計二本の盗難らしい。

 ミオはオレンジ色のバッグからカタログを取り出した。

「盗られたのはこれと」

 ミオが赤い短剣を指し示した後、ページをめくる。

「これ」

 次のページでミオが指した大剣に、ショータは瞠目した。

 夢の中でアラン・マグナが使っていたものと全く同じ大剣だったのだ。刀身に細やかな翼の紋様が入っているところまで寸分違わない。

 大剣の下に『ギルト』と書いてある。それが剣の名前らしい。

「私たちは、犯人を捕まえて、武器を取り返せばいいわけですね?」

「うん。取り返してくれたら、お礼に武器一つあげるよ」

「それはありがたい話だね」

 お礼に反応したプサイが、カタログを手に取った。

「契約者って立場上、ロメとショータもそろそろ武器を揃えた方がいいから」

「ハッ、武器ねぇ」

 さっきから勝手に店の武器をいじっていたカイが、ショータを見て鼻で笑った。

「こいつにそんな大層なもんが扱えるとは思えねぇけどな」

「使いやすい武器もある。なんだったら、ボクがオーダーメイドで作ってもいい」

 ミオが言うと、カイは小さな棚の上に腰かけた。

「なら盾でも作ってやれ。こいつにはそれで十分だろ」

「……いや」

 ショータはプサイの手からカタログを取り上げると、盗まれた大剣、ギルトを指差した。

「僕はこれが欲しい」

「ギルトが?」

 ミオが驚いた顔をする。ショータは強く頷いた。

「この剣、僕に必要な気がするんだ」

 ショータは真剣な眼差しでミオを見る。そのときだった。

「あーずるいなー」

 突然、わざとらしい声が鍛冶屋にこだました。

 驚いてそちらを見る。店の入り口にランス・シルバーが立っていた。

「その大剣、僕がずっと前から気になってたやつなんだけどなぁ」

 彼はリンゴ飴のようなものをなめながら、ショータたちへ歩み寄ってくる。

「いらっしゃいランス。生憎だけど、その剣は盗まれちゃって」

「うん、聞いてたよ。許せないよねーその泥棒たち」

 ガリッとリンゴ飴がかじられる。赤い破片を口につけ、ランスがいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「でさ、いいこと思いついちゃったんだよね」

「いいこと?」

 聞き返すミオ。うんと頷いて、ランスはリンゴ飴でショータを指した。

「僕と君で、どっちが先に泥棒を捕まえられるか勝負するんだ。それで、勝った方が剣をもらう。いいアイディアでしょ?」

「勝負……?」

「嫌ならいいよ? 不戦勝ってことで、僕が剣もらうから」

 一人で話を進めるランス。その瞳の端に、ショータを挑発するような怪しい輝きがあった。

 その輝きを切り裂くように、青い短剣が矢のように飛来する。首だけ動かし、ランスはそれを紙一重でかわした。

 他人事ながら、ショータは背筋がゾッとした。短剣が飛んできた方向を見る。棚の上のカイが、殺意をたっぷり孕んで生き生きとした目をランスへ向けていた。

「ずいぶん生意気なガキじゃねぇか」

「カイ! あんた、剣を投げるなんて――――!」

 と、咎めるプサイをランスが手で制した。彼はカイの座る棚の下まで行くと、挑戦的な笑みを見せた。

「ずいぶん凶暴な契約獣なんだね」

「よく言われるな」

「でもそういうの、嫌いじゃないよ」

 そう言い、食べかけのリンゴ飴をカイの眼前に差し出す。

 不適に笑んだ後、カイはリンゴ飴をわし掴んだ。

「いいぜ、その勝負乗ってやるよ」

「カイ!?」

 勝手に承諾したカイに、ショータは驚きを隠せない。

「なんでそんな……!?」

「どっち道、やるしかねぇだろ」

 ショータは少し不審感を覚えた。やるしかないなんて台詞、カイらしくない。

 ランスが機嫌よさそうに踵を返した。

「じゃあ早速、勝負開始だね」

 引き留める間もなく、早々と外へ出ていくランス。

 一瞬静かになる店内。ミオが短剣を拾いながらごちた。

「というか、ボクはそんな勝負承認してないんだけど」

「武器をやるって言い出したのはテメェだろうが」

 吐き捨てるように言い残し、カイが出ていこうとする。その背中をショータが呼び止める。

「カイ、どういうつもり?」

 カイの足が止まる。顔だけがこちらへ向いた。

「……たまには契約者様に仕えてみようと思ってな」

 どう見ても嘘だった。カイは人のために何かをするような男ではない。

 なにか裏がある。カイのつり上がった口角がそれを物語っていた。

 訝しげな表情でプサイがカイを睨む。

「……あんた、なに企んでんの?」

「さぁな」

 カイが適当に受け流す。リンゴ飴が遠くに投げ捨てられる。

「さっさと行くぞ。武器を揃えたいんだろ?」

 不気味な舌なめずりをして、カイが店から出ていく。

 ショータとプサイが視線を交わした。

 やるしかない。プサイの目はそう語っている。

 床に落とされたリンゴ飴を、もったいなさそうにロメが拾っていた。


 ☆ ☆ ☆


「本当にこっちであってるんですか?」

 深い森の中を歩きながらロメが呟いた。彼女の手の中では地図がくるくる上下を変えている。

 プサイが横から手を出して、地図の向きを正す。

「あってるはずだよ。あいつが間違えてさえいなければ」

 プサイの厳しい視線が前方に送られる。前を歩くカイが不満げに振り返った。

「文句があるなら帰れ」

「あんた置いて帰れるわけないでしょ」

 さながら犬と猿のよう。そんな二人を見て、ショータは思わずため息を溢した。

 泥棒の足取りは案外簡単につかめた。大剣などというかさばるものを持っていれば人目につきやすかったのだろう。わずかな聞き込みで十分な情報が手に入った。その泥棒たちが町外れにある森へ入っていくところを、近所の住人が目撃していた。

「しっかし……」

 森を見渡し、ショータは怪訝な顔をする。

「この森、ちょっと広すぎない?」

「仕方ないよ。ヒュート森林はこの辺で一番大きい森だから。最近じゃ『自然の迷路』なんて呼ばれるくらいだし」

 プサイの言葉に、ショータはますます納得できない。

 このヒュート森林は、もっと小さかったはずだ。本来なら、地図を見ながら三時間も歩くわけもなく、ましてや『自然の迷路』なんて異名つくはずもない。

 これまでも、小説との小さな違いは多々あった。しかし塵も積もれば山となる。一つ気づくごとに、違和感は掛け算のように大きく膨らんでいく。

 ショータが悶々と頭を悩ませていると、カイが不意に足を止めた。

「カイ?」

「隠れてないで出てきたらどうだ?」

 殺気立った声を上げるカイ。次の瞬間、頭上から人影が降ってきた。

 着地と同時に舞い上がる枯葉。立ち上がったその人物を見て、ショータとロメは「あっ」と声を漏らした。ランスの契約獣、ベータである。

「お待ちしておりました」

 ベータは恭しく頭を垂れた。カイが懐疑の視線を向けた。

「誰だお前」

「お初にお目にかかります。ベータと申します。ランス・シルバー様の契約獣をしております」

 もう一度頭を下げるベータ。頭を上げると、ロメとショータを見た。

「お二人には朝方お会いしたのを覚えています」

「あのときはありがとうございます。助かりました」

 ロメもお辞儀をする。ベータの執事のような強かなお辞儀ではなく、お嬢様のような優雅なものだ。

「で、その契約獣が俺たちになんの用だ?」

 カイがベータを睨み言う。ベータの目付きが変わった。

「単刀直入に申し上げます。お引き取りください」

「ハァ?」

「この森林の奥地にはひどく凶暴なコンマが生息しております。皆様に警告をと、マスターからコマンドを受けています」

「凶暴……か」

 プサイがちらりとカイを覗く。

「……なんだ」

「なんでもない。先を急ごう」

 プサイは目線を戻すと、何事もなかったかのように歩き出した。

「お待ちください」

 すれ違い様、ベータが呼び止める。

「この先には凶暴なコンマがいると申し上げたはずです」

「だから?」

「……は?」

 ベータが唖然とする。その隣をカイが通り過ぎた。

「凶暴な契約獣もここにいる。それでイーブンだろ」

「私たちは今、泥棒捕まえる競争してるの。おいそれと帰るわけにはいかないから」

 さっさと歩いていってしまう二人。取り残されるベータに対し、ロメがすまなそうに苦笑いを浮かべた。

「すみません。プサイは少々負けず嫌いなところがありまして……」

「構いません。無理に止めるな、というコマンドも受けております」

 ロメが一礼してから走り出す。ショータもそれを真似てから、急ぎ足でロメを追った。

 しばらく進むと、いっそう緑が濃くなった。木漏れ日も徐々に減り、それに比例してだんだん肌寒くなっていく。ショータは無意識にコートのボタンを閉めていた。

「……人間の匂いだ」

 ふとカイが呟いた。ショータが目を丸くする。

「分かるの?」

「ああ。こっちだ!」

 出し抜けに真横の草むらを突っ切るカイ。ショータたちも慌ててその後を追う。

 背の高い草が身体のあちこちをくすぐる。一生懸命に掻き分けていくと、ほどなくして草むらは終わった。

「いました!」

 ロメが叫ぶ。彼女が睨む先に、武器を持った二人の男がいた。

 男たちは突然現れたショータたちに驚愕している。

「な……なんだお前ら!?」

 男の一人が吼える。それとほぼ同時に、ロメも「ああっ!」と男たちを指差した。

「あっ、朝のチンピラの方々!」

「なんだって!?」

 プサイの顔色と目の色と声色が変わる。ロメが慌てて口をつぐんだ。

「あ、いや、ごめんなさい。人違いでした。その方々ではありませ―――」

「あーっ! 朝のガキども!」

 チンピラたちもロメとショータを指差してくる。ロメは声にならない声でうなだれた。

「なんでばらしちゃうんですかぁぁ……」

「へぇー? 私の可愛い妹に手出したのはあんたたちか」

 ポキポキ指を鳴らしながら、プサイが鬼の形相でチンピラへ迫っていく。その威圧感だけでチンピラどもが震え上がった。

 怒髪天のプサイにロメが必死でしがみつく。

「ダメですプサイ! 暴力はいけません!」

「大丈夫、あいつらの関節ちょっと増やすだけだから」

「ちっとも大丈夫じゃないです! 暴力の域越えてますから!」

 引きずられながらも踏ん張るロメ。その隙に、チンピラは逃走を図っていた。

「っ、逃がすか!」

 ショータが先回りして行く手を塞ぐ。威嚇でナイフを振り上げると、彼らは情けないほど呆気なく尻餅をついた。

 大剣と赤い短剣が手放され、地に落ちる。鍛冶屋スペクターから盗み出されたものに間違いなかった。

 ショータは安堵の息をつく。

「これで一件落着だね」

「ああ、よくやった」

 偉そうにカイが言う。ショータが不満をぶつけようとしたそのときだった。

 カイはチンピラの胸ぐらをつかみ上げると、その顔面に拳を叩き込んだ。

「カイ!?」

「なんだ人間?」

 カイは拳に付着した真っ赤な血を舐める。ショータは勘づいた。

「まさか、このために……!?」

「ああ。こいつらは悪い人間なんだろ? だったら……」

 チンピラを立たせ、今度は爪で斬りかかるカイ。爪が赤く染まった。

「いくら吸っても文句は言われねぇよなぁ」

「そんなわけあるか! やめろ!」

 カイへつかみかかったショータは、しかし容易く受け流されて土の上を転がる。

 爪に滴る血液を舐め、カイが渋い顔をした。

「微妙だな。次は……」

「ヒイッ!」

 カイに睨まれたもう一人のチンピラが戦慄く。ショータはとっさに腕輪に触れた。

「イアスッ!!」

 氷の粒をカイへ射出する。悔しくも全て斬り落とされたが、注意を引くには十分だった。

「僕には、君を止める義務がある」

 ショータはナイフを構え、カイと静かに対峙する。風が草木を揺らすさざめきが広がる。

 次第にそのさざめきが大きくなる。風の音に加え、蚊が羽ばたくような不快な音が大音量で響いている。

「なにかいる……!」

 木々の間を高速で飛び回る黒い影。飛び出してきた影を、ショータは反射的にナイフで受け流した。

 それは蜂だった。黒いボディと薄い六枚の羽、おしりについた鋭い針。ただひとつ普通の蜂と確実に違うのは、人間を優に超える大きさということだ。

「蜂型コンマ……ッ!」

 コンマはブブブと耳障りな音を立てて滞空している。その複眼は、獲物を狙う猛獣の目に似ていた。

「ハッ、俺たちを食おうってか?」

 小バカにしながら、カイがショータの横に立つ。

「いくぞ人間」

「……わかった」

 ショータは渋々腕輪を掲げる。腕輪の『χ(カイ)』の刻印とカイの身体が輝き始め、カイの姿が変わっていく。

 鋭い爪と漆黒の羽。獣人態へと変身を遂げたカイは、矢庭にコンマへ殴りかかった。簡単に吹き飛ぶコンマ。

「あ? こいつ弱ぇぞ」

 拍子抜けしたように告げるカイ。体勢を直して羽ばたいたコンマを追い、カイも飛び上がる。

 空中戦でもカイが圧倒的だった。

「あれが凶暴なコンマなんでしょうか?」

 カイに成すがままにされているコンマを見て、ロメが不思議そうに呟いた。

 確かに一般人なら太刀打ちできないだろうが、あの程度ならわざわざ警告を受けるほどのものでもないように思える。カイが強すぎるのか、それとも。

 コンマが地上に叩きつけられる。舞い上がる砂埃。

「フンッ、雑魚だったな」

 トドメを差すべく、カイが爪を光らせて歩み寄る。しかしコンマは滞空すると、辺りにうるさい咆哮を響かせた。

 それを合図に、森がざわめき出す。

「……なんだ?」

 三百六十度、全ての角度から怪しげな音がする。それが虫の羽音だと気づいた瞬間、無数の蜂コンマがショータたちに襲いかかってきた。

「うわっ!?」

 思わず避けた先にも蜂がいる。ショータはナイフを振るい、数体のコンマを斬り裂いた。

 最初に現れたコンマより一回り小さいが、それでも人間ほどの大きさはある。そんなものが、森を埋め尽くさんばかりの軍勢になっている。まるで、女王蜂のピンチに駆けつけた働き蜂だ。

「なんですかこれは!?」

 跳び跳ねて蜂をかわすロメ。プサイも蜂を蹴り落としながら、苛々しげに叫ぶ。

「きりがないぞ!!」

「チッ!」

 大きな舌打ちをして、カイが女王蜂コンマへ爪を振りかざす。が、働き蜂コンマが盾となり、身を挺して女王蜂コンマを護った。

「なっ!?」

 カイが驚愕したその一瞬の隙をつき、新たな働き蜂コンマがカイを吹き飛ばす。

「チッ、雑魚どもが……!」

 一匹一匹はさほど強くないが、如何せん数が多い。四方八方をコンマが埋め尽くす。ショータたちは瞬く間に窮地に立たされていった。

 うるさい羽音がエコーする。耳を塞ぎたくなる不快感の中、ショータは呻くような声を捉えた。

 声の主を必死に探す。コンマの大群の向こうに、チンピラが腰を抜かして倒れていた。その脇にはアランの大剣、ギルトも見えた。

「っ、あれだ!」

 ショータは条件反射のように駆け出し、コンマの大群に突っ込む。

「トルボ!」

 魔方陣から雷を撃ち出し、郡列に穴を開ける。そこを駆け抜け、チンピラに迫っていたコンマを斬り伏せた。

「早く逃げて!」

 チンピラに怒鳴りつけ、両手でギルトを持ち上げる。かなりの重量に、少し足がふらついた。

「う、うおおおああああ!!」

 雄叫びと共にギルトを振るう。目に浮かぶのは、狼型コンマを斬り伏せるアランの姿。しかしショータの遅く大振りな一太刀は、コンマにいとも容易く避けられてしまった。

「まだっ……まだぁぁぁ!!」

 気合いで二太刀、三太刀と剣を振り回す。しかし出鱈目な太刀筋はコンマ一匹撃破できず、カウンターをくらってしまう。

 アランの姿がはっきり映れば映るほど、ショータの剣捌きは雑になっていく。苛立てば苛立つほど、狙いが甘くなる。

「何やってんだ人間!」

 カイの怒号が飛ぶ。そちらに気を取られたその一瞬で、コンマの集団攻撃が始まった。

 袖が、裾が切り裂かれ血が滲む。大剣を盾にしても、ダメージは確実に蓄積していった。

「くっ……そう……!」

 片ひざをつく。反撃の隙もない猛攻に、ショータは一か八か、盾にしていた大剣を力一杯振りかざす。

 会心の一撃は空を斬り、大地を抉った。

「しまっ……!?」

 次の瞬間から、コンマの攻撃が急激に激しくなる。蜂の大群が隙だらけの人間を笑うようになぶる。ショータはギルトを手離し、とうとう地に伏してしまった。

 ショータを嘲笑うかのように、羽音がいっそうけたたましく響く。

 ゆっくりと女王蜂コンマが前に出る。おしりの針を鋭く尖らせると、ショータへ狙いを定めた。

「ショータ!!」

「人間ッ!!」

 プサイとカイが叫声を上げる。アランのビジョンが霞む。

 ショータが死を覚悟したそのとき、見覚えのある姿が女王蜂コンマへ飛びかかった。

「よっ、と」

 コンマに両足を乗せた彼は、膝のバネを利用して大きく弾き飛ばした。女王蜂コンマが他のコンマを巻き込みながら大木に打ち付けられる。

「ランス……!?」

「まったく。剣に振り回される剣士なんて笑われるよ?」

 わざとらしい呆れ顔を見せながら、ランス・シルバーはこれまたわざとらしく肩をすくめた。

「慣れない武器は身を滅ぼしかねません。お気をつけください」

 気づけばベータもいる。二人の足元にはコンマの死骸がゴロゴロと転がっていた。

 コンマたちの羽音がより攻撃的な羽音に変わる。突如として現れた彼に明らかな警戒心を見せている。

「しかし皆様、ご無事なのは何よりです」

「悠長なこと言いやがって。本当にそいつがご無事に見えんのか?」

 カイがいちゃもんをつける。事実、ショータは傷だらけだ。

 しかしベータは、爪痕刻まれて伸びている血まみれチンピラを示して言った。

「あの泥棒に比べれば、ショータ様もまだご無事な方かと」

「チッ……ああそうかよ」

 カイはそっぽを向き、周囲のコンマを乱雑に斬り裂いていく。

「ねぇ、ルール変更しようよ」

 唐突にランスが言い出す。体勢を立て直した女王蜂コンマを指差し、続ける。

「泥棒あんなだしさ、やっぱりあいつを倒した方の勝ちでいいよね」

「えっ、そんな勝手な――――」

 とショータが止める前に、ランスは腰に携えた剣を抜く。

 非常に鋭利で、リーチのある長剣だ。刃はわずかな木漏れ日も反射させて眩しく銀色に輝く。

 ランスは長剣の切っ先を真っ直ぐ女王蜂コンマへ向ける。

「目標、あのコンマ!」

「お供します」

 隣にベータが並び立つ。ランスが左手首の腕輪を掲げた。

 腕輪の『β(ベータ)』の文字が輝き出し、呼応してベータの身体もまばゆい光を放つ。網膜に刺さる光は、薄暗い森をたちまち照らし上げた。

 やがて光が粒子となって消える。露になったベータの姿に、ショータは思わず息を呑んだ。

 紫色の瞳と、長く伸びたパープルのポニーテール。額には、自らの種族を知らしめるかのように一本の小さな角が生えている。

「……一角獣型か」

「ご名答です、カイ様」

 深々と礼をしてから、紫の瞳でコンマの群れを見据える。

 並々ならぬ何かを感じ取ったのだろう。働き蜂コンマは女王蜂コンマを護るように、その身で厚い壁を作っている。

「ベータ、あれに穴開けて」

「承知いたしました」

 応えると、ベータは地を蹴ってコンマの壁へ突撃していった。

 どっしり構えるコンマたち。ベータは中心へ右足を蹴り込むと、豪快に回し蹴りへ切り替えた。

 刹那、パズルのピースが飛び散るようコンマの壁が分解される。予期せぬ出来事に女王蜂コンマが慌てふためき、森の奥へ逃げていく。

 その逃げた先に、ランスが待ち構えていた。

「ビ~ンゴ!」

 枝の上から笑顔でコンマを見下ろしている。まるで子供のような、無邪気な笑顔だ。

 女王蜂コンマは急ブレーキ、逃走方向を変える。

「逃がさないよ?」

 枝から飛び降りたランスは木を蹴り、電光石火のごとく宙を駆ける。一秒も経たぬうちに、女王蜂コンマの前へ先回りを終えた。

「つっかまーえた!」

 空中でランスの長剣がギラリと光る。女王蜂コンマが裏返った鳴き声を上げた。

 悲鳴を聞きつけた働き蜂コンマが一斉に針を向ける。次の瞬間、女王蜂コンマも含めた全ての針が粉砕されていた。直後、コンマたちが爆風と化す。

「……これで僕の勝ちだね」

 銀色の前髪を爆風になびかせながら、地面に両足をつけたランスが笑った。

 ショータもロメもプサイも、一瞬の出来事に言葉を失っていた。

「……ハンッ、なるほどな」

 ただ一人、カイだけが納得できたように宙を見ている。

 コンマたちが散った場所。そこからランスへ真っ直ぐ伸びる銀色の閃光が、軌跡としてはっきり残っていた。


 ☆ ☆ ☆


「ありがとランス。ロメ姉たちもお疲れさま」

 鍛冶屋スペクター。およそ半日ぶりに戻ってきた剣に、ミオは嬉しげに頬を緩めた。

 長テーブルの上に置かれた大剣ギルトと、赤い短剣。それを横目で見ながら、プサイが仏頂面を浮かべている。

「……くやしい。コンマさえいなければ」

「だから警告したでしょ。コンマいるから帰れば? って」

 自慢げな顔のランスに言われ、プサイが紅潮する。

「それはそれで、結局はあんたが泥棒捕まえてたでしょ!」

「まあまあ、落ち着いてくださいプサイ」

 ロメがなだめに入る。その手は菱形のクロスボウを大事そうに握っている。

「いいじゃないですか。ミオのご厚意で、こうして武器はもらえたのですし」

「ちっともよくない! 私は勝負事には勝ちたい質なんだ」

「好きなだけ吠えてろ、ニワトリが」

「ハァ!?」

 カイの余計な一言に、プサイの怒りが沸点に達する。

「私はニワトリじゃない! 白鳥型の契約獣だ!」

「知るか」

「このっ……!」

 プサイがカイにつかみかかり、ロメが必死に制止する。その騒がしさの横で、ショータは一人、大剣に指を触れた。翼の紋様に沿って刀身をなぞる。

「それ欲しいの?」

 机を挟んでランスが訊いてくる。ショータはなにも答えず、顔を伏せた。

「欲しいならあげるよ」

「えっ」

 ショータが顔を上げる。ランスは懐から飴を取り出すと、それを口に入れて背中を向けた。

「なんだかもう執着なくなったし。帰るよベータ」

「はい」

 店の入り口へ向かう二人。その途中、「あ、そうだ」と思い出したようにランスが振り返った。

「君が何したかったのかは知らないけどさ、武器って別に英雄の証でもなんでもないからね。自分がそれを使えるかどうか、大事なのはそれだけだから」

 それだけ言い残し、ランスたちは店から出ていった。その背中を、ショータは呆然と眺める。

「英雄の証じゃ、ない……」

 ランスの言葉を反芻しながら、今一度大剣を眺める。鋭い刃に鈍く映る影は、アランではなくショータだ。

「よかったじゃないですかショータ!」

 心底嬉しそうにロメが言う。

「これ、欲しかったんですよね?」

「うん、まあ……」

 ショータは歯切れの悪い返事を返す。プサイが首を傾げた。

「嬉しくないのか?」

「いや……そうじゃないんだけど」

 そう言って、ショータは両手で柄を軽く握った。それだけで、大剣の重量がリアルに思い出される。

「……僕も、いいや」

 大剣から手を離す。両隣のロメとプサイが目を見開いた。

「えっ、いらないんですか!?」

「うん。見てたでしょ、今日のあれ。僕にこれは使えないよ」

「ま、お前にしては賢い選択だろ」

 机の端に腰かけて、カイがショータを見下ろした。

「お前は俺の契約者だ。下手なもん手にして、簡単に死なれちゃ困るんだよ」

「下手じゃないものならいいの?」

 そう聞くと、カイはいつものように鼻で笑う。

「盾か、せいぜいナイフだな」

 足で赤い短剣を寄越すカイ。プサイが睨んでも、平気な顔をしている。

 ショータは赤い短剣を手に取った。刃の部分に『R』と掘ってある。

「アール……?」

「レッドの意味だよ」

 言いながら、ミオが青い短剣を差し出してくる。カイがランスへ投げたものだ。

 よく見るとこちらにも、刃の部分に『B』とある。ブルーのBだろう。

 二つの短剣が対になっていることは想像に難しくなかった。

「これはダガーナイフって武器。商品名は『パラドックス』。ショータ兄なら使いこなせると思うんだけど」

「パラドックス……」

 ショータはBの短剣も手に取り、少し離れてから軽く腕を振る。

「どうかな?」

 ミオが聞いてくる。ショータは満足げに笑んでから、その短剣でカイへ斬りかかった。

「ショータ!?」

 ロメの声かプサイの声か。

 ショータが振り下ろした二つの刃は、カイの両手の爪で受け止められた。

「……なんのつもりだ」

 赤い目を光らせてカイが問う。

「今回のことで分かったんだ。いつでも君を止められるようにしておかないといけないって」

「ハッ、なるほどなぁ。おかげで両手が塞がってる。だが」

 カイが靴の裏をショータの腹部にあてがる。

「俺を止めたいならもっと強くなるか、お前の血を寄越せ」

「強くなるさ」

 ショータは即答し、パラドックスを下ろす。

「これが僕の、契約者としてのあり方だ」

「……あーそうかよ」

 カイが机に寝転がる。ミオが微笑んだ。

「決まりだね」

 そう言ってミオは、引き取り手のいなくなった大剣ギルトを、小さな身体で抱えあげた。

「よいしょ、っと……」

「おーい! 大変だ!」

 そのとき、入り口が大きく開かれ、商人らしき男性が飛び込んできた。ミオの肩が跳ね、鈍い音を立ててギルトが落下する。

「あービックリした~。おじさんどうしたの?」

「どうしたもこうしたもねぇよ! 一大事だよ一大事!」

「一大事?」

 ショータが聞くと、興奮冷めやらない様子の男性は何度も頷いた。

「そうだよそう! 今度な、あの国王様がアスルガルドに来るんだってよ!」

「ええっ! 本当ですか!?」

 目を輝かせるロメ。男性がまたたくさん頷いた。

「嘘ついてどうする! ほら、この前コンマ騒ぎがあって、アスルガルド街も大変だろ? 多分それ関係だよ!」

「それ関係で喜んでいいの、おじさん?」

「いいんだよミオちゃん! 国王様だって、街を元気づけるために来てくれるんだから!」

 喜びが伝染するように、ロメもプサイも跳び跳ねる。ミオも笑顔になる。カイはいつものように無愛想なまま興味なさそうにしている。

 その光景を見て、ショータは一人、愕然としていた。

「国王が……来る?」

 状況を飲み込めず震える瞳は、ある人物の方を向く。

 ロメ・アリエスだ。『Contract』のヒロインであり、現在のショータの一番の友達である彼女は、第八話で命を落とす運命にある。

 その第八話が、国王が街にやって来る話なのだ。

「そんな……どうして……」

 先週が第一話で、今日が第二話。第三話も第四話も五も六も七も飛ばして、いきなり第八話。

 転生前、ショータがロメを退場させたことで行き詰まってしまった八話目。もっとずっと先に思っていた問題の最新話が、すぐそこに迫っている。

 嫌な汗がたらりと、頬を滑り落ちた。

「……どうした人間?」

 カイが呼び掛けるが、ショータの耳には聞こえていない。

 国王に喜ぶロメの姿だけが、ショータの渇いた瞳に映っていた。

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