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フィクション世界の訪問者  作者: 時計座
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侵攻

「あの…………どなたですか?」

 その一言は、感動に浸りかけていたショータとプサイの熱を一瞬にして冷ました。

 ロメを強く抱き締めていたプサイがゆっくりと身体を離す。震える瞳でロメを正面から見ると、かすかに乾いた笑いが混じった声で問いかける。

「……冗談、だよな? 私だよ、プサイ! 小さい頃からずっと一緒にいただろ?」

「ぷさい…………」

 ロメはおうむ返しのように姉の名を呟くと、目を伏せてかぶりを振った。

「ごめんなさい……」

「そんな……嘘だろ……ロメ、私だよ!」

 プサイがロメの肩を激しく揺する。がくんがくんと揺さぶられるロメを見て、ショータはプサイを止めに入った。

「やめてプサイ! ロメが可哀相だ……」

「っ、すまない……」

「ろめ……それが私の名前ですか?」

 虚ろな瞳で見上げてくる少女。その言葉にショータは息を詰まらせた。

「まさか……自分のことも覚えてないの?」

 ロメは申し訳なさそうに小さく首肯した。

「…………何もわからないんです。ここがどこで、自分が何者で、あなたたちが誰なのかも…………」

「記憶喪失、というやつか……」

 背後から嗄れた声がした。ファクラだ。彼はゆっくりした足取りでロメの前まで来ると、右手に持っていた木製の器を差し出した。その中には小さなおにぎりが一つ入っている。

「とりあえず食え。何日間も眠っていたんだろう。話はそれからだ」

 ロメは最初は差し出されたおにぎりを訝しげに眺めていたが、やがて自分が空腹であることに気づいたのだろう、器を受け取った。

「……いただきます」

 口を小さく開けておにぎりにかぶりつく。もしゃもしゃとそれを食べ進めるロメを、ショータとプサイはただ待った。

 やがて器を空にしたロメが小さな声で呟く。

「……ごちそうさまでした」

 うむ、と頷いたファクラが器を受け取る。ひとまずの栄養補給を終えたロメに、プサイはもう一度質問をする。

「なあロメ。本当に何も覚えてないのか?」

「……ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ。一番辛いのはロメだろうし……」

 ショータはロメの隣に腰かけると、できるだけ穏やかな音色で語りかけた。

「君の名前はロメ・アリエス。ノレス街出身の契約者で、契約獣は目の前にいるプサイ。君とプサイは姉妹のように仲がよかったんだよ」

「……あなたは?」

「僕はショータ・ナルセ。君の友達だよ。僕も契約者で、カイっていう契約獣がいるんだけど……あいつ気まぐれだから、今はどこか行ってる」

「契約者……契約獣……」

 ロメの細い左腕が頭を押さえる。

「何か思い出せそう?」

「いいえ……でも、契約獣は聞き覚えがあるような……」

「本当かロメ!」

 ぐっ、と急接近したプサイにロメがのけ反る。それからか細い声で答える。

「そ……そんな気がするってだけなので……まだ私もよくわかってないです……」

「……そうか……」

 しおらしくプサイが引く。家の中に静寂が訪れる。

 しばらくしてファクラが口を開いた。

「お前さんたち、これからどうするつもりだ?」

「どうって言われましても……」

 正直、ショータはそんなこと考えていられなかった。アスルガルドを追われ、ノレスでも危険な目に遭い、半強制的にマロック島に連れてこられ、挙げ句の果てにはロメが記憶を失くしてしまった。今後のことを考える余裕など、ショータにはなかった。

 しかしプサイは強い意思を持った瞳ではっきりと告げた。

「……ノレスに戻ろう」

「プサイ? 今なんて?」

「ノレスに戻るんだ。故郷に帰ればロメの記憶も戻るかもしれない」

「何言ってるんだプサイ!」

 ショータは思わず立ち上がっていた。それほどまでに、プサイの言うことは信じられなかった。

「ノレスに戻るなんて危険すぎる! ラザロがいるんだよ!? 正直この前だって命からがら逃げてきたっていうのに」

「でもロメの記憶を取り戻すにはノレスが一番いいはずなんだ! それに街にはラオたちも残してきてる。そっちも心配だ……」

「それは、僕も心配だけど……でもいくらなんでも危険────」

 と、ショータが喋っていたときだ。突然勢いよく家の扉が開け放たれ、若い男が息を切らして駆け込んできた。

「村長、大変です!」

 汗をぬぐうことも、村長の返事を待つこともせず、男は矢継ぎ早に告げる。

「サクリΦ(ファイ)スの船が島に向かってきています! しかも一つ二つじゃなく、大量に!」

「なんだって!」

 いち早く反応したのはショータだった。ファクラの家を飛び出し、浜辺に向けて駆ける。

 浜辺に到着すると見覚えのある背中があった。カイだ。海の方を眺め、不機嫌そうに舌打ちした。

「人間、見てみろ」

 カイに言われるがまま視線を海に向ける。遠方からいくつもの黒い船がこちらにやって来ているのがわかる。そしてどの船にもΦのマークが記された旗が掲げられている。紛うことなきサクリΦスの紋章だ。

「あれは……」

 後ろからプサイとロメもやって来た。船の大群を見つけて唖然とするプサイの後ろにロメが隠れている。

 やがて船が続々と砂浜に乗り上げてくる。乗り上げた船から次々に降りてくるのは黒装束たち。アスルガルドの民宿、グレードランプで相対した奴らと同じ装いの者たちだ。黒装束たちの手には剣や銃、火のついていない松明などが握られている。

 最後に上陸した船から、はじめて黒装束以外の人物が降りてきた。軍服に身を包んだ赤い長髪の派手な女と、長い前髪で片目を隠した赤パーカーの猫背の男。

 派手な女が島を見回し、さぞ痛快そうに叫んだ。

「地味な場所だな! こんなとこで暮らしたら死んじまうぞ!」

「そうか? 静かでいいと思うがな……」

 女とは対称的に、猫背の男は退屈そうに欠伸をした。

「お前は本当に静かな場所が好きだよな。もう少し派手なことしたらどうだ?」

「余計なお世話だ……」

 ふと、女の視線がこちらへ向く。ショータとカイは同時に臨戦態勢に入った。

 女は派手な笑みを浮かべて叫ぶ。

「お前たちが噂の新人か!」

「勝手に仲間にするな! 僕はお前たちの仲間になる気はない!」

 ショータも叫び返す。女は楽しそうに笑い声を上げた。

「いいねぇ! お前、嫌いじゃないぞ!」

「生憎だが、俺はお前が嫌いだ」

 カイが爪を光らせながら女を睨み付ける。それでもなお女は笑うのをやめない。

「いきがいいのが揃ってるな! お前もそう思うだろ、ゼータ」

 隣の猫背の男の肩に手を置きながら女が訊く。

 ゼータと呼ばれた猫背の男は心底どうでもよさそうに返事をした。

「やるなら早くしろコレアド。こっちは早く帰って寝たい」

「はいはい、わかったわかった。じゃあやりますか!」

 コレアドと呼ばれた女が右の袖を捲る。露になった手首には『ζ』と刻印がされた腕輪があり、それを左手で触れながら呪文を口ずさむ。

「トルボ!」

 次の瞬間、ショータたちの頭上に魔方陣が浮かぶ。バチバチと帯電するそれを見た途端、ショータはカイたち三人に向けて叫んでいた。

「逃げろ!」

 叫ぶと同時に自身も後方に跳んで回避する。一瞬前までショータがいた場所を落雷が貫き、砂浜に焦げ跡を残す。

 隣を見ればプサイがロメを抱えて跳んだようで、二人して砂浜に転がっていた。反対隣ではカイが立て膝で敵を睨んでいる。

 落雷は侵攻開始の合図だったのか、黒装束たちが一斉に動き出す。ショータはパラドックスを抜刀し、先頭をやってきた黒装束の剣を受け止めた。

「イレム!」

 再びコレアドの声が響く。炎魔法だ、とショータが認識すると同時、黒装束が持つ松明に炎が灯った。

「ひっ!?」

 背後でロメの悲鳴が上がる。彼女はプサイに抱きつき、小刻みに震え出す。

「ロメ!? どうした!?」

「わ、わかりません……でも、怖くて……」

「おいプサイ! そいつ下がらせとけ!」

 銃を向けてきた黒装束を爪で斬り伏せながらカイが乱暴に指示を出す。

 松明を掲げた黒装束たちは足並みを揃え、森に向かっているようだった。コレアドの声が高らかに響く。

「行けお前ら! 地味な島の森を派手に燃やしちまえ!」

「やめろ!」

 黒装束を蹴り飛ばし、ショータは腕輪に触れた。狙うは松明の火。

「ククア!」

 空中に水の弾丸をいくつも作り出し、発射する。そのまま進めば松明の火を消せたはずの弾丸は、しかし途中で割り込んだ雷によってかき消されてしまう。

 雷魔法だった。発動者はもちろん、コレアド。勝ち気な表情をショータに向けて声を張り上げる。

「ったく、邪魔すんなよな。お前の相手なら俺がしてやるから!」

 コレアドは腕輪に触れると駆け出した。

「イレム!!」

 右手を前にかざし、火球を作り出す。サッカーボールほどの大きさになったそれを打ち出してくる。

 ショータは咄嗟に腕輪に触れた。

「シドル!」

 目の前に盾を出現させ、火球から身を守る。しかし火球の勢いは凄まじく、熱がショータの両手にじりじりと伝わってくる。

「ククア……ッ!」

 頭上に魔方陣を出現させ、そこから大量の水を落とす。自らをも巻き込んだ大きな落水は目論見通り火球を打ち消した。

 こちらに駆けてくるコレアドが懐から剣を抜いた。ショータはずぶ濡れになった赤髪をかきあげ、パラドックスを構える。

「オラァ!」

 野蛮な声と共に剣が振り下ろされる。ショータはパラドックスを交差させてそれを受け止めた。

 剣と剣の接触点がぎりぎりと唸る。コレアドが徐々に剣に体重をかけてくる。少しでも力を抜けば押し切られてしまうだろう。ショータはよりいっそう、交差させるパラドックスに力を込めた。

「いいないいな! 嫌いじゃないぞお前! 名前は!?」

「……ショータ!」

「そうか、ショータか! 剣術も魔法も悪くない! だが……」

 突然、コレアドの右膝が跳ね上がった。膝は吸い込まれるようにショータの腹を蹴り、身体がくの字に曲がってしまう。

 うずくまったショータをコレアドが蹴り飛ばす。ショータはごろごろと砂の上を転がった。

「派手さが足りないな! そんなんじゃサクリΦスでやっていくことなんてできない!」

「やっていく気もないっての……!」

 ショータは無我夢中で砂を掴み、コレアドの顔面めがけて投げつけた。コレアドが身体を捻って砂をかわした隙を見逃さず、ショータは立ち上がり、コレアドに突撃した。

「やああああ!!」

 雄叫びと共にパラドックスを突き出す。が、コレアドはそれを読んでいたかのようにショータの右腕を捕らえると、そのまま波打ち際に投げ飛ばした。

 濡れていた身体が塩水でさらに重くなる。ショータはコレアドを睨みながら立ち上がり、口の中に入った海水を吐き捨てた。

「筋はいいがまだまだ未熟だな! そうだ、俺の弟子になれ! それがいい! 決まりだショーマ!」

「断る! それと僕の名前はショータだ!」

「そうか、ショータか! ……だが残念だな。お前がサクリΦスと道を共にしないと言うなら、俺はこの地味な島ごとお前を消さなければならない」

 ちら、とコレアドが視線を横に向ける。松明を持った黒装束の集団が、森の入り口まで迫っていた。

「待て、やめろ!!」

 ショータの声もむなしく、集団は森に近づいていく。彼らを追いかけようと動いたショータを拒むように、コレアドが目の前に立ちはだかった。

「キョータはそこで見ていろ、派手に島が燃えるさまを!」

 また名前を間違えられたがそんなことどうでもいい。どうにかしてコレアドを突破し、松明の集団を止めなければ。でなければマロック島が奴らの手によって蹂躙されてしまう。

「そこをどけ!!」

 パラドックスを構えて突進する。しかしその単調な攻撃は簡単に剣で受け流されてしまう。

 まだだ。パラドックスは二刀の短剣。一つがダメでももう一つがある。ショータは左手の剣を力一杯コレアドへ向けて突き出した。

「甘い!」

 コレアドの剣がパラドックスの切っ先を受け止める。一瞬動きが止まったショータの顔面にコレアドの掌底突きが炸裂する。

「うっ……!」

 鼻から血をこぼしながらショータは後退する。視界がぐらりと揺れた。よろけて片膝をつく。

 いけない。このままでは森が、島が燃やされてしまう。ショータは気力を振り絞り立ち上がろうとするが、平衡感覚がうまく機能しない。

「やめろ……!」

 そう呟くことしかショータはできなかった。集団の先頭が森の入り口に差しかかる。

 そのときだ。大きな海鳴りが轟いたのは。

 振り返れば海が隆起していた。水が渦を巻いて天へと巻き上がり、そして蛇のようにうねり、松明を掲げる黒装束の集団へと迫った。

 集団は突然の出来事に一瞬反応が遅れた。その一瞬のうちに渦が彼らを飲み込み、松明の炎はたちまち消えた。

「……やっとお出ましか!」

 コレアドがギラついた笑みを渦に向ける。空中で霧散したそれの中から現れたのは、額に宝石を携えた銀髪の契約獣、イオタ。

「……性懲りもなく、またか」

 イオタはゆっくりと森の入り口に降り立った。辺りに転がる黒装束たちを一瞥し、はぁ、とため息を吐く。

「なぜこうも争いばかり起きるのか……」

「会いたかったぜ、イオタ!」

 コレアドが両手を広げる。イオタは目を細めてコレアドを見返した。

「……野蛮なやつよのぅ」

「派手と言ってくれ! おいお前ら!」

 コレアドの声に、カイと戦っていた黒装束たちが反応する。

「イオタを殺せ! 全員でかかれ!!」

「おう!!」

 黒装束の一人が雄叫びを上げた。それに鼓舞されたかのように、次々と黒装束がイオタへ迫る。

 ショータは反射的に叫んでいた。

「イオタ!」

「案ずるな!」

 先頭の黒装束の剣をかわしながらイオタが叫び返してくる。

「こやつらは余に任せよ! そなたはその女を頼む!」

 それだけ言い残すと、イオタは森の中へと消えていった。それを追って黒装束たちも森へ入っていく。

 その様子を見て、コレアドが高笑いを上げた。

「さすが最古の契約獣! あの数を一人で相手にするなんてな!」

「笑っていられる余裕があるのかよ?」

 カイがコレアドに投げかける。

「これで数の有利はなくなった。あとはお前をぶっ潰せばこっちの勝ちだ」

「ずいぶん自信があるんだな! お前、名前は?」

 チッ、とカイが舌打ちをする。

「なんだこいつ、うぜぇな……」

「同感だよ。でも油断ならない相手なのも確かだ……」

 少なくともサシではショータに勝ち目はなかった。もとからショータは運動は得意な方ではないが、それでもこの世界に来て様々な戦闘を経験してきた。だというのにわずかにも勝ち筋が掴めないのだから、相手は相当の手練れと見るべきであろう。

 剣を肩に担ぎながらコレアドがこぼす。

「なんだよ、教えてくれないのかよ……ノリが悪いな」

「コレアドが一人で突っ走ってるだけだろ。俺はそのテンションについていけない」

 そう呟きながらコレアドの前に立ったのはゼータという猫背の男だった。

 彼のその猫背を叩きながらコレアドが笑う。

「おっ! ようやくやる気になったか、ゼータ!」

「さすがに二対一は厳しいでしょ。手を貸してあげる」

 ゼータが一歩前に出る。それと同時にコレアドの右手首にある腕輪が黄金色の輝きを放ち、ゼータの身体も同色の光に包まれた。

 光の中でゼータの姿が変化する。両腕は巨大な鋏に変わり、足は分裂し計六本に増える。

 光が消えたとき、そこにいたのは猫背の男ではなく、蟹のような姿をした異形だった。

 カイが眉間に皺を寄せる。

「うわっ、なんだこいつ。気持ち悪っ」

「気持ち悪いとは失礼だね。俺は結構この姿気に入ってるのに」

「鏡見てから言いやがれ!」

 爪を研いでカイが突進する。ゼータに向けてその鋭利な爪を振り下ろすが、巨大な鋏がそれを受け止める。

「チッ……固えな」

 吐き捨てるとカイは敵から距離を取った。そこにショータは駆け寄り、腕輪を掲げる。

「カイ、僕らも!」

「ああ!」

 腕輪に刻まれたχの字から黄金色の光がもれる。カイの身体も同時に輝き、その姿を変える。

 爪が伸び、背中に漆黒の翼を携えた吸血鬼。獣人態となったカイは羽ばたき、滑空してゼータに爪を振り下ろした。

 鋏と爪が再びぶつかる。ただ受け止められた先程とは違い、今度ははっきりと火花が散った。

「くっ……!」

「砕け散れぇ!」

 カイの言葉通りにはいかなかったものの、ゼータの身体は立ったまま砂浜を後ろに滑っていった。よく見れば鋏にヒビが入っている。

「やってくれる……」

「まだまだこんなもんじゃねぇぞ」

 ショータとゼータが衝突を繰り返す。それを見ながらショータは腕輪に触れて駆け出した。

「トルボ!」

 パラドックスに雷をまとわせ、ゼータへ迫る。カイの攻撃を防いで隙ができた人蟹に向けて、帯電する短剣を突き出す。

 しかし切っ先がゼータに届くことはなかった。その寸前、横から割り込んだ剣がパラドックスを受け止めたのだ。

「おいおい、俺を無視するなよ!」

 コレアドが剣を跳ね上げ、パラドックスを弾き上げる。得物を片方失ったショータに向けて、コレアドが呪文を口にした。

「イレム!」

「くっ……シドル!」

 火球の出現と盾の出現はほとんど同時だった。現れるとともに拮抗を開始し、多量の熱がショータをじりじりと焼く。

「いやぁぁっ!」

 背後で悲鳴が聞こえた。視線だけを向けると、ロメがうずくまって頭を押さえていた。プサイが彼女の肩を抱く。

「ロメ、どうした!?」

「わからない……でも、炎が怖いんです……」

「まさか……小さい頃のトラウマか……!?」

 プサイがロメを強く抱く。「大丈夫だ」と言い聞かせ、震える妹の身体を押さえる。

 ショータの脳裏にロメの父親──リヴァルスとの会話が甦る。ロメは幼い頃に山火事に遭い、それ以来炎が苦手だった。だというのにアスルガルドの火災には勇敢に立ち向かっていた。

 まさか、とショータは一つの可能性に行き着いた。火球から身を守りながら懸命に後ろに声を飛ばす。

「プサイ! もしかしたらロメが記憶をなくした原因は、炎かもしれない!」

「炎が……?」

「ロメはここ最近、ずっと炎に晒されてきた。なのに逃げることもせずに戦い続けた! 平気そうに見えたけどきっと限界が近かったんだ! そんなときにラザロの攻撃をくらって……」

「それで記憶が……」

「今のロメは炎への恐怖心だけが剥き出しにされた状態なんだ!」

 弾かれて宙を待っていたパラドックスを掴み、ショータは呪文を口ずさむ。

「ククア!」

 盾を消し、水をまとった短剣で火球を斬り裂く。そのまま駆け出し、コレアドへ攻撃を仕掛けようとしたときだ。

 素早い横移動でゼータがコレアドとショータの間に割り込んだ。水をまとった斬撃は鋏で受け止められる。

「俺は水には強いんだよ」

 呟いたゼータに攻撃を弾かれる。反対の短剣でもう一撃繰り出すも、それも難なく弾かれてしまう。

「どけ人間!」

 カイが苛立った様子で上空から爪を振るう。鋏にヒビを入れたカイの攻撃なら……と思われたが、ゼータは六本の足を器用に動かしてカイに背中を向けた。そこにあるのは甲羅。

 爪が甲羅に弾かれる。カイの顔が驚愕に染まった。

「なっ……!?」

「俺の甲羅、割れるものなら割ってみな」

 真横に振るわれた鋏がカイとショータを薙ぎ払う。砂浜を転がった二人を嘲笑うかのように、コレアドが「どうだ!」と声をあげた。

「こいつの防御力は並じゃねぇんだ! 俺まで手がとどかないだろ?」

「チッ……ムカつくなあいつ」

「攻防自在ってわけか……厄介だね。どうする?」

「上から突破する!」

 立ち上がりカイが羽ばたく。敵の頭上を取り、コレアドに狙いを定めて爪を振り下ろすも、今度は剣で受け止められる。

「悪くない攻撃だ! だが、一人だけじゃ無理があるな!」

「さらば、吸血鬼の契約獣」

 ゼータが鋏を大きく開け、コレアドと拮抗するカイに少しずつ近づいていく。あの鋏で挟まれたら一溜りもないだろう。

「トルボ!!」

 パラドックスに雷を宿し、ショータは駆け出した。あの鋏を切り落とすために。しかしその動きを読まれていたのか、ゼータがショータの方を向く。

 鋏と剣が対峙する。もう止まれない。このまま相討ち覚悟の突撃を決めるしかショータに選択肢はなかった────隣を白い影が駆け抜けるまでは。

 突然の特攻にゼータは鋏を閉じて防御体制に入った。そこへ飛び蹴りを入れる白い影──プサイ。

「吹っ飛べえええええ!!」

 プサイが雄叫びを上げる。力一杯蹴り抜かれた右足がゼータの身体を浮かせ、そして波打ち際まで吹き飛ばす。

 プサイの身体も砂浜に落ちる。一瞬だけ痛そうにしながらも、プサイはショータに叫びかけた。

「今だ、行けショータ!!」

 ゼータという盾はいなくなった。コレアドを叩くなら今しかない。絶好の機を逃すまいと、ショータはよりいっそう走る脚に力を込めた。

 帯電するパラドックスを振り絞る。コレアドはカイの攻撃を受け止めるので精一杯の様子。今この女を倒せば、島は救われる。

「終わりだコレアドォォォォ!」

 コレアドめがけてパラドックスを振り下ろす────その瞬間、右手を触手に捕らえられた。

「なっ!?」

 驚いた一瞬で左手も拘束される。続けて聞こえる、不快な笑い声。

「ジェルル……☆」

 次の瞬間、新たな二本の触手がカイを拘束する。

「くそっ……クラゲ野郎!!」

「だからその呼び方やめてってば~。私にはクシーっていう可愛い名前があるんだから!」

 砂浜に現れた白髪の人ならざる者、契約獣ξ(クシー)。クシーはショータとカイを引き寄せると楽しそうに笑みを浮かべた。

「これでいいんだよね、シアールちゃん!」

「ああ、よくやったクシー」

「シアール……!!」

 ショータは現れた軍服の青年に嫌悪の視線を向けた。自分たちをここにつれてきた張本人であり、サクリΦスの幹部、シアール・ダイヤモンド。

 シアールはショータとコレアドを交互に見るとわざとらしくため息を吐いた。

「ダメじゃないか、仲間割れなんてしちゃ」

「だから仲間じゃない! 何度言えば分かるんだ!」

 シアールはショータの言葉を無視してコレアドの方を向く。

「コレアドも。新人には優しくしないと」

 コレアドが途端に嫌な顔をする。

「ギアール……!!」

「シアールだ。いい加減、人の名前はちゃんと覚えてほしいね」

「どっちでもいい。それよりこれは貸しじゃないからな! お前がいなくてもなんとかなった!」

「はいはい、強情張らなくてもいいって。素直にこの僕に感謝しなよ」

「冗談じゃない!! 誰がお前なんかに!」

 やいのやいのとサクリΦスが言い合う。ショータはその隙に脱出するべく、左腕を懸命に動かした。

「ダメだよショータちゃん。逃げようとしちゃ。お仕置きされたい?」

「好きにしろ! お前たちに媚びるよりよっぽどましだ!」

「じゃあ遠慮なく☆」

 ぐっ、とクシーが触手に力を込める。ショータは痛みを覚悟したが、それが襲ってくることはなかった。

「がぁぁぁぁっ!?」

 代わりに聞こえてきたのはカイの悶絶の声。クシーはあろうことかショータではなく、カイを締め付ける触手に力を込めたのだ。

「やめろクシー!」

「えー? 媚びるよりよっぽどましなんじゃなかったの?」

「やるなら僕にしろ! カイは関係ないだろ!」

「ジェルルッ、どうしよっかなー?」

 クシーは愉快そうに口元を歪める。その様がショータには悪魔に見えて、言い様のない不快感が胸の奥から沸き上がってくるのを感じた。

「じゃーあー? 二人仲良く痺れてみる?」

 クシーの触手がバチバチと帯電する。ショータの頬を冷や汗が伝る。

「ジェルルルッ、いっくよー!」

 クシーが楽しげに声を張り上げたそのとき、遠方で爆発の音が轟いた。

 クシーの動きが止まる。いや、クシーだけではない。シアールも、コレアドもゼータも、ショータやカイだって何事かと辺りを探っている。

 やがて森から小鳥たちが逃げるように飛び去っていった。続けて倒れる巨大な樹木。

「退避! 退避!!」

 そう叫びながら黒装束の一人が森から飛び出してくる。続けて他の黒装束たちも蜘蛛の子を散らしたようにこちらに逃げ走ってきた。

「どうした!? 何があった!?」

 コレアドが叫ぶ。彼女にすがるように飛びついた一人の黒装束が震える声で言う。

「ばけ、化け物です……!」

「化け物だと?」

 コレアドが聞き返したとき、森の中から響く爆発音。それに悲鳴を上げた黒装束が波打ち際まで逃げていく。

 森の中からゆっくりと歩いて現れたのはイオタだった。その目つきは険しく、表情は怒りの色に染まったいる。これまでにない威圧感がイオタから発せられていた。

「どこまで愚行を重ねれば気が済むのだ……!」

「撃て、撃てぇ!」

 黒装束の誰かが叫んだ声に合わせ、彼らが持つ銃が鉛弾を発射する。しかしイオタは両手を前に突き出すと、それらの弾を素手で掴んで止めてみせた。

 手の平を開き、鉛弾を砂浜に落とすイオタ。その動作が畏怖を与えたのか、黒装束たちは波打ち際の逃げられるところまで撤退した。

 その様を見てコレアドは大きなため息を吐いた。

「なっさけない……ゼータ、あいつを捕らえるんだ!」

「わかった」

 ゼータがイオタへ向けて駆け出す。それを見たシアールも自らの契約獣に指示を出した。

「クシー、君も行け」

「はーい!!」

 クシーは触手で捕らえていたショータとカイを離すと、嬉々としてイオタに駆けていった。

 大きな鋏と半透明の触手が振るわれる。イオタはそれをバックステップで回避すると、手の平をそっと前へ差し出した。

「ククア」

 イオタの前に青色の魔方陣が出現し、そこから大量の水が大砲のように吐き出される。クシーとゼータはその荒波に飲まれ、契約者たちのもとまで押し戻された。

「一度ならず二度までも襲撃してくるとは……許せん」

 イオタは差し出した右手を少しだけ上向け、次の呪文を口にする。

「ララム」

 サクリΦスの頭上に三日月模様の魔方陣がいくつも浮かび、そこから黄金色の太い光線が落下して砂浜ごと敵を穿つ。いくつもの悲鳴が重なり、大爆発が起こる。

 爆炎が消えたとき、そこにはボロボロになった侵略者たちがいた。コレアドやシアールも、黒装束たちも、契約獣たちでさえ傷つき、砂浜に倒れ伏している。

 ザク、ザクと、イオタが砂を踏みながら彼らに歩み寄っていく。一番手前で倒れているクシーの十メートルほど手前で立ち止まると、みたび右手をかざし、呪文を口ずさむ。

「トルボ」

 イオタの肩から腕に小さな雷が迸り、手の平へと伝う。そこで雷はイオタの手を離れ、前へ前へと進もうとする。それがだんだんと矢の形を成していった。

 その時点でクシーは身の危険を察知したのだろう。振り返り駆け始める。しかし雷の矢はすでにクシーをロックオンしている。

 半秒後、音もなくイオタの手から雷の矢が発射された。それはまっすぐにクシーの背中に迫り────。

「こんなところで、死ねない!」

 叫んだクシーは触手を伸ばした。矢を受け止めようとしたのではない。近くに倒れるゼータに触手を絡ませると、自分のそばまで引き寄せた。

「おい、何をする──!」

「ごめんね☆」

 舌を出してウインクするクシー。ゼータの身体を引っ張り、矢の動線上に差し込む。次の瞬間────。

「うっ」

 ドスッ、と鈍い音がして、雷の矢がゼータの左胸に突き刺さった。二つの鋏と六本の足がだらんとぶら下がる。

「ゼータ!」

 コレアドが両目を見開く。彼女の右手首にはめられていたζの腕輪が砕け、二つに割れて砂の上に落ちた。

 クシーは力なくうなだれるゼータの身体を、ゴミを捨てるかのように放り投げた。その所業に、さすがのイオタも言葉を失っているらしかった。

「仕方ない、撤退だ!」

 シアールが右手を大きく後ろへ煽る。黒装束たちはたちまち散らばり、黒船へ戻っていく。撤退指示を出したシアール、やけに上機嫌なクシー、そして最後に何度も後ろを振り返っていたコレアドが乗船すると、船は強引に海へとその巨体を動かしていく。

「待て!」

 ショータは立ち上がって駆け出したが、もうすでに全ての船が沖に出ていた。ここから奴らを捕まえる方法をショータは持ち合わせていない。

「逃がさん……!」

 ショータの隣に並び立ったのはイオタだった。両手を前にかざし、何かをつかむように手を握る。

 変化を見せたのは海だった。ある一点が隆起し、形を巨大な手へと変える。さながら海手(かいしゅ)とでも呼ぶべきそれは、左にあった黒船を、まるで虫を殺すかのように叩き潰した。遠方から上がったかすかな悲鳴が青い空に消えていく。

 その隙に他の船はみるみる小さくなっていく。イオタはそれを眺め、不服そうに息を吐いた。

「逃げられたか……」

 いやいや、船一隻沈めたじゃん、と言える空気ではなかった。その横顔は怒りと悔しさが入り交じった色をしていた。

 イオタは振り返り、砂浜に転がる異形に目を向けた。左胸から鮮やかな赤い液体を流し、虚ろな瞳で天の雲を見つめているのは蟹型契約獣ゼータだ。いや、正確にはゼータだったもの(・・・・・・・・)

 イオタはそれに近づくと、ふっと目を細めた。

「利用され、身代わりにされ……哀れとしか言えんな」

「…………死んだんですか?」

 プサイの後ろからこっそりこちらを覗いていたロメがそんなことを訊いた。

「だな」

 ゼータの亡骸を見下ろしていたカイが呟いた。

「味方を間違えたな化け蟹。もっとまともなやつと契約してりゃ、こうはならなかっただろうによ」

 カイの言うことも一理ある、とショータは思った。サクリΦスなんかと契約さえしなければ、この島に来ることも、クシーに身代わりにされることもなかっただろう。

 ショータはしゃがみこみ、砂浜に転がる割れた腕輪を拾い上げた。ちょうどζの刻字から真っ二つになったようで、今となってはもうその字は読めない。しばし考え込んでから、ぽつりとこぼす。

「……ノレスに戻ろう」

「え?」

 プサイが訊き返した。ショータは立ち上がり、身体をプサイの方へ向けてもう一度言う。

「ノレスに戻ろうプサイ。ラオたちが心配だ」

「いいのか? さっきは危険だからって反対してたのに……」

「記憶を失くす前のロメなら、きっと自分より友達を優先する。それにあの子たちが記憶のトリガーになるかもしれない」

「私の……記憶……」

 プサイの後ろでロメがぽつりと呟いた。それからキッ、と顔を上向けると、瞳の奥に強い意思を宿らせた。

「私、行ってみたいです。何があるのか分からないけど……私は私を知りたい」

「ロメ……」

 華奢なロメの身体をプサイが優しく包み込む。

 カイがショータの肩に肘を置いた。

「あの街に戻るんだな」

「うん……」

「ハッ、心配すんな。ラザロとかいう男なら俺がぶっ潰してやる」

「心強いよ、カイ」

 その日、ショータははじめて自分の契約獣に向けて微笑んだ。カイもまた、牙を見せてショータに笑いかけた。一瞬だけ、二人の心が繋がったような気がした。


 ☆ ☆ ☆


 それからショータたちは島を出る準備を始めた。

 来島する際の船はシアールが乗って逃げてしまった。さすがに泳いでノレスまで帰るのは現実的ではないので、ショータたち──主にショータとプサイが頭を悩ませた結果、木製の簡易的な船を作ることにした。つまるところはイカダである

 先程の戦闘で倒れた樹木の本数は優に二桁を超えているので、資材集めにはまったく困らなかった。自然が破壊されたような気もしなくもないが、無駄になるよりよっぽどいいだろう。

 その日は夕暮れまで木材の加工、組み立てに勤しみ────これもやはり主にショータとプサイがだが────そしてもう一晩ファクラの家にお世話になった。翌朝イカダの仕上げをし、昼頃に海に浮かべてみると安定した波乗りを見せた。

「これでノレスまで帰れるな」

 出来上がりに満足した様子でプサイが言う。真っ先にイカダに飛び乗ると、その上で跳んでみせた。

「耐久性も十分だ。おいでロメ」

「は、はい」

 ロメはおっかなびっくりイカダに片足を乗せた。そして足元が案外丈夫であることを確認したのか、思いきって両足を乗せる。波に揺れるイカダに少々ふらつきはしたものの、すぐにバランスを取り戻した。

 続けてカイも乗る。ショータも最後に乗り込むと砂浜を振り返った。ファクラをはじめとしたサレー村の村民たちが見送りに来ているのだ。

「皆さん、お世話になりました!」

 イカダの上でショータは頭を下げた。隣ではプサイとロメも同様にしている。

「気をつけて帰りなさい」

 一歩前に出てファクラが言う。ショータは強く頷くと、姿が見えない最古の契約獣を頭に思い浮かべた。

「イオタさんにもよろしくお伝えください。何度も助けられたので」

「わかった。次お目にかかれたら伝えておこう」

「よろしくお願いします」

「ショータ、そろそろ」

 イカダに備え付けたオールを手に取りながらプサイが告げる。ショータも反対側のオールを取りながら、砂浜へ声を張り上げた。

「それでは皆さん、お元気で!」


 ☆ ☆ ☆


 なぜこの世界には天気予報というものがないのか、ショータは本気で恨めしく思った。

 マロック島を出てから凡そ六時間。順風満帆かに思えた航海は思わぬ壁にぶつかり、平和な時間を終えた。

 嵐である。鉛色の雲に覆われた空は時おり稲光を覗かせ、冷たい雨は強風に流され真横からショータたちの身体を叩く。波も高くなり、イカダは激しく揺れる。

「おい! どうすんだよこれ!」

 苛立たしげにカイが怒鳴る。さしもの吸血鬼も自然災害には手も足も出ないらしい。ロメに覆い被さるようにして姿勢を低くしている。

 必死にオールを漕ぎながらショータはカイに怒鳴り返す。

「このままじゃイカダがもたない! っていうかそれ以前にノレスの方角を見失った!」

「バカが! 本当にどうすんだよ!!」

「何もしてないカイにバカ呼ばわりされたくないんだけど!」

「バカにバカと言って何が悪い!」

「喧嘩してる場合じゃないでしょ!」

 と、プサイが二人の応酬に割って入ったとき、近くで大きな雷が鳴った。それを合図にしたかのように、真横で──すでに前後左右の感覚もないが──ひときわ大きな波が上がった。

「やべっ……!」

 とこぼしたのは恐らくショータだろう。次の瞬間、波はイカダを飲み込み、激しい水飛沫を上げた。

 誰も悲鳴を上げる隙さえなく、嵐の海に引きずり込まれた。

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