第八録 「廃校」
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「ここが、幻想世界? まさか来れるとは思わなかったよ……」
****は全身に掛かる負担を感じていた。周囲を見渡すと、そこは初めて感じる雰囲気を放つ世界が広がっていた。
***
「……ん」
私はゆっくりと目を覚ました。確か、針南と一緒に別の世界へ転移されたはず。ここも、針南さんが言う幻想世界なのだろうか。
佐乃咲雫はボロボロの机に突っ伏している状態で眠っている事に気付いた。ゆっくりと顔を上げると、一番最初に目に映ったのは窓だった。窓の外は強めの雨が降っていた。その雨音は大きく、雨粒が地面や外壁に叩きつけられる音が教室内にまで響いていた。雲は黒くどんよりとしていた。日光がその分厚い雲に遮られている事もあり、私がいる場所は外よりも更に暗い。今いる場所を見渡す。前方には真っ二つに裂けた黒板、周囲には横倒しになった机や椅子。そこは学校だった場所。もう何年も人々の手が加えられていないような空間。私は今、廃校にいた。
近くに七珠針南がいないことに気付いた。幻想世界で離れ離れにならないように繋いだ手は、悔しくも叶わなかった。もしかしたらこの廃校舎の何処かにいるかもしれない。そう思った私は座っていた席を立ち、建て付けの悪い教室の扉を力強く開けて廊下へ出た。廊下も教室と同様にとても荒れていて、至る所に崩落した壁の塗装や窓枠、塵芥と化した木屑等が散乱していた。歩く度にガラス等の細かい破片を踏み、バリバリと耳に響く音が鳴る。視界が暗いので、転ばないように気を付けて歩かないといけない。
「針南さーん!」
私は近くに針南がいないか叫んだ。
私の声が廊下中に響き渡る。しかし、針南もいなければ、人の気配すら感じなかった。気を失っていて返事が聞こえない、近くにいない、若しくはこの世界にいないのだろうか。三番目の可能性は望んでいなかった。
「探さないと……」
この廃校舎で針南を探す事が一番の目的だった。すぐ近くの教室を調べる事にした。隣の教室の扉を開けて室内を覗いた。
「いない、か」
針南の姿は無かった。針南をできるだけ早く見つけ出したいと思ったが、どの教室を確認しても針南の姿は無かった。そして、探し歩いているうちに廊下の突き当たりまで来た。
「……階段」
廊下の突き当りの右側に階段があった。上に行く階段と下に行く階段の二手に分かれていた。私は特に理由も無く下の階へ行く事にした。剥がれ落ちた壁の塗装部分が階段に散乱していた。一段降りる度に、パリパリと踏み割れる音がした。私はその音と共に下の階へ移動した。
ゴロゴロ……。
「ひっ……!」
窓の外が一瞬光った後、遠くから雷鳴が聞こえた。雷が苦手だった私は反射的に耳を塞いだ。
階段を降りたすぐ近くに部屋が一つがあった。その部屋の扉の上には文字らしきものが書かれていたが、読む事はできなかった。少し開いている扉の隙間から室内を覗くと、広い空間の中に先生が使用するような大きな机が沢山並んでいた。私は扉を開けて室内に入り、机を一つずつ調べることにした。
「ここは職員室、なのかな?」
机の配置を見て、私が通っていた学校で謂う職員室に似ていた。何か入っているかもしれないと思い、机の引き出しを一つずつ見ていくことにした。引き出しの中は空が多かったが、たまに藁半紙や鉛筆等が入っていることもあった。そうして引き出しを調べていると、初めて見る物が入っていた。
「これは……」
その引き出しの中に入っていたのは、小さな手帳だった。その大きさと見た目から生徒手帳だと推察した。私は生徒手帳を手に取って、中を開いてみた。
『……………………』
私の知らない文字で書かれていたので内容は解らなかった。私は元々あった引き出しの中に生徒手帳を戻した。私はこの世界の文字を理解することはできなかった。
私は職員室のような部屋を出て再び廊下を歩く。進んでいくと、正面と左右の三方向に道が分かれていた。正面には部屋の扉が、左右の道の先にはそれぞれ渡り廊下になっていて、どちらも別館へと続いていた。
私は正面の部屋に入ることにした。扉を開けると小部屋があり、更にもう一つ扉があった。その扉を開けると、真っ暗な部屋が現れた。扉を開けたことで、薄らと部屋の様子を見ることができた。その部屋の奥には壁一つを覆う程の大きな鏡があった。鏡の表面は埃や蜘蛛の巣で覆われていた。その所為で鏡に映った私の姿はぼやけていた。
「ぅ、気持ち悪い……」
その鏡を見た途端、恐怖心に襲われる。私は反射的にその部屋から離れた。まるで誰かに見られているような感じがした。
私は逃げるように廊下へと戻ってきた。背後を見ると、扉の向こうで鏡が薄らと見えていた。私は扉を閉めなかったことを悔やむと、左方の別館へと続く渡り廊下へと走った。背後が怖くて足を止める事ができなかった。渡り廊下の先は左右に分かれていたので、直ぐ様右に曲がった。
「ぶっ!?」
右に曲がった瞬間、何かにぶつかった。柔らかい感触だったので、壁では無かった。私はぶつかったものの正体を見た。同時に、外から光と共に落雷の轟音が響き渡った。その光は私が見上げていたものを照らした。そこには群青色の帽子を被った人がいた。
「きゃあああああ!」
「うわあああああ!」
私は目の前にいた人と共に絶叫した。私は驚きの余り目の前が真っ暗になり、意識が途絶えた。
***
「……。…………!」
私を起こす声が聞こえる。誰だろう。針南ではない誰かの声だ。私はゆっくりと目を開けた。そこには、先程遭遇した群青色の帽子を被った人がいた。先程の絶叫の反動だろうか、驚く力も出なかった。
「目が覚めたみたいだね。それにしても、さっきの落雷は本当に凄かったね」
その人は先程の落雷の事を話していた。
後頭部の感触で気付いたが、私はその人の膝の上に頭を乗せていた。私は体を動かそうとしたが、疲労が溜まっていたのか、力が出なかった。
「あの……」
私はその人に話しかけた。
「……?」
「あなたは……」
「私はゼラード・ジェスターだよ。魔法協会の役員をしていたり、あとは、魔法学校の先生をしてたり。その魔法学校では七咲針南さんの担任の先生だよ」
その言葉に私は飛び起きた。
「針南さん!?」
針南の担任。ということは、この人は針南の事を知っている。針南と同じ世界の人だろうか。私は疲れを忘れたかのように立ち上がった。
「もう大丈夫? かなり疲れてた感じだけど……」
「はい、大丈夫です。私は佐乃咲雫です。針南さんとは……知り合いです」
「あの時針南さんと一緒にいた……。それより、なんだか私に聞きたい事がありそうだね」
ゼラードは私の心の中でも読んでいるのだろうか。確かに聞きたいことはあった。
「はい。針南さんの居場所を探しているんです。何か手がかりがあったりしませんか?」
「……すまない。まだ針南の居場所は解っていない。私もこの館内で探していたけど、針南さんは見つかっていない」
「そうですか……」
「でも、話し相手はできたね」
「……え?」
話し相手、私の事だろうか。
「手がかりが一切無い状態で人探しをしてると、段々気が遠くなってくるんだよね。エルも出てこないし……」
私は唐突に出てきたエルという人物に頭を悩ませていた。ゼラードは続けて話す。
「この館には気になるものは無かったね。まだ探していない館あるから、一緒にそこを探そう」
一人で探すより、二人で探した方が効率も上がるし、何よりこの世界で初めて人と出会った。私は少し安心した。
「はい、わかりました。じゃあ行きましょう!」
「そうだね。この世界に来てから体が重く感じるから、早く元の世界に戻って綺麗な空気を吸いたいよ」
私は突然出会ったゼラードと共に、大きな鏡があった館を通過して、まだ行っていない方の館へと続く渡り廊下へと向かった。渡り廊下に向かう際、先程の鏡があった不気味な部屋を横切った。どうしてもその部屋が気になり、その部屋を一瞥した。扉が閉まっていた。私は扉を閉めた覚えは無い。見るんじゃなかったと後悔して、未踏の別館へと移動した。
***
新しい館へとやってきたが、雰囲気は何一つ変わらない。私とゼラードはその館を散策しながら会話をしていた。私は先程の会話で気になった部分があったので訊いてみた。
「ゼラードさん、行ったこともないのに何でもう一つ館があることが分かったんですか?」
「そういえばそうだな……なんでだろ……」
ゼラード自身も分からないようだ。まるでこの館の事を知っているかのように喋っていたが、この世界に来たのはこれが初めてだそうだ。当然この学校の事は何も知らない筈だった。
「それと、もう一ついいですか?」
「うん」
「ゼラードさんがここにいるってことは、幻想世界に行ける体質を持ってるって事ですか?。針南さんが、体質が無いと幻想世界に行けないって言ってたから……」
幻想世界に行くことができる体質がなければ行くことができない。という事は、ゼラードも幻想世界に行く体質を持っているという事になるが。
「私、体質は持って無いと思うけどねぇ。自分の体は調べた事が無いから判らないけど」
「え? じゃあ、もし体質が無かったら、どうやってこの世界に来たんですか?」
「凄い魔力を感じて、その方へ向かったら君達がいたんだ。助けようとして君達の所に突っ込んだんだけど、気付いたらこの世界にいたんだ」
話を聞いた感じだと、針南が言っていた事と異なる点があった。つまり、今ゼラードは偶然幻想世界にいるという事になる。ゼラード自身、体質を持っているかどうかは不明。ここにいるという事は体質を持っているのだろうか、それとも、本当に偶然なのか。そもそも幻想世界に行ける体質もまだ仮説でしかない。幻想世界という場所自体が謎に満ちた場所である。
「ゼラードさんは一体何者なんですか……」
「んー。私の世界では大魔導師って呼ばれてるかな?。まぁ、この世界で目が覚めた時は凄く体調が悪くて死ぬかと思ったけどね。君達が常日頃から遭遇している幻想世界という場所は、私には合わないみたい。……この教室にもいなかったね。次の教室を見てみよう」
質疑応答を繰り返しながら、次々と教室を散策していた。依然として針南は見つかっていない。私とゼラードはまだ見ていない教室の扉を開けた。
「おっと、これは……」
「文字、でしょうか?」
黒板に白い文字でうっすらと何かが書いてあった。どういった内容が書かれているか気になったが、やはり読み取る事はできなかった。
「いつ頃に書かれたものなんだろう」
ゼラードが一人で推測していた。
「針南さーん!」
私は名前を呼んだ。やはり返答は無い。
ゼラードは私の方を見た。
「ここにも居なかったね。さてと、さっきは質問を受けたから、今度は私が雫さんに質問する番だね」
「……え?」
私に質問?
「うーん、これは針南さんが話してた事から考えた質問かな?」
「針南さん?」
「雫さんは“学校”に行ってたりする?」
「……」
学校。私は……。
「……行ってます」
と回答した。
するとゼラードは微笑んだ。
「はは、多分嘘かな?」
その微笑みは蔑みの意味ではなかった。最初から私の本当の回答を解っていた。
私は学校に行っていない。
「学校には行きたくない、です」
「どうして? 学ぶの楽しいのに……」
ゼラードが心配そうに訊いてきた。
「あそこは、私の居場所じゃなかったから……」
「居場所じゃない……か。ごめんね、いきなりこんな質問して……」
「いえ、大丈夫です」
私は心の底から学校を嫌っていた。憎んでいた。
「話、聞かせてくれないかな。大丈夫、私は君の過去を嘲笑ったりはしないから」
その言葉を聞いた時、暗かった世界に一筋の光が差し込むような感覚を覚える。初めて会った人なのに。いや、初めて会ったからこそ、全てを話したくなった。
「細かい日にちは忘れちゃったけど、私がまだ学校に行ってた時……」
私は自身の過去をゼラードに話した。
***
私がまだ学校に通っていた頃。当時の私は成績も良く、多種多様の魔法を操る事ができた。しかし、私が別の場所へ移動する転移魔法を取得してからだった。クラス内の生徒の半数が私を陥れようと企てた。その日から、嫌がらせの毎日が始まった。そして、日に日に嫌がらせの規模も大きくなっていった。
ある日、拘束魔法をかけられ、身動きが取れないまま魔法の実験台にされた。そこで一人の生徒が普通の人が使ってはいけない封印の魔法を私にかけた。封印魔法は誤発して、私がこれまでに使う事ができた魔法が封印された。一番最後に取得した転移魔法だけが封印から免れた。私は当時の仕打ちに耐えられなくなった。
私は先生に自分のことを伝えた。しかし、先生は信じてくれなかった。それどころか冗談扱いで流されてしまった。私は裏切られた気持ちになった。
新しい魔法を唱えようとしても不発で終わる。魔法が使えなくなった私は成績も付けられなくなった。以降、嫌がらせは無くなったが、結局、誰一人として助けてくれた人はいなかった。
もう、どうでもよくなった。私はその世界にいる必要が無いように思った。その世界の先生や生徒、両親まで、何もかも信じられなくなった。私は遺書を書き残し、その世界を捨てる事にした。唯一使えた転移魔法で別の世界へと転移した。私が生まれた世界では、私は死んだことになった。
***
思い出す度に胸が痛くなる。
「……」
ゼラードは真剣に話を聞いていた。
私は話を終えると、しばらく下を向いて黙り込んでしまった。
ゼラードが私の方へ歩み寄る。すると、ゼラードは優しく抱擁してきた。暖かい感触。私は言葉も出なかった。
「……」
ゼラードも無言だった。しかし、私を優しく抱擁しているだけなのに、心の奥に溜まった辛さや憎しみの感情が浄化されていくように感じた。何かが込み上げてくるのを感じた。
気付けば私は泣いていた。静かに泣いていた。ゼラードは一人だった私に手を差し伸べてくれた。魔力では感じられない、別の力を感じた。
「ありがとう……ございます」
「うん、大丈夫……」
ゼラードは私が泣き止むまで抱擁し続けた。
***
私が泣き止むと、ゼラードは私を解放した。
「どうかな、思い切って話をした後の気分は……」
「……はい、とても気持ちが楽になりました」
「そっか、良かった」
心がとても軽くなっていた。この人に話をして良かった。
「……さてと。話も一段落したところで針南さん探しの続きを始めようか。今の目的は、針南を見つけて元の世界に帰ることだからね」
「……はい!」
私達は教室を出た。窓の外を見ると、依然雲はどんよりとしていたが、先程まで鳴っていた雷はもう聞こえていなかった。
「う〜ん。暗すぎて分らないなぁ。この世界の雲はどうして、こんなにどんよりしてるんだろう……」
ゼラードがこの世界に対して文句を言っていた。
私達は次の教室へと向かおうとした。
「まって。あそこ、何かいる……」
「え?」
それに一早く気付いたのはゼラードだった。
「何かってなんですか?」
「うん。多分向こうも私達の事に気付いたと思う」
ゼラードはじっと何かを見つめていた。
「だから、何がですか?」
ゼラードは前方の廊下の突き当たりに向かって指を差した。
「あれ」
「あれって……ひっ!?」
廊下の突き当たりに人影があった。それは、ゆっくりとこちらへやってくる。少しずつ容姿が見えてくる。ボロボロになった制服。スカートを履いているという事は、女性だろうか。
「雫さん。今私が思ってることが解る?」
「た、戦うんですか?」
私がそう言った瞬間。
「へ?」
ゼラードが私をお姫様抱っこしたと思うと、全力で逃走した。
「多分戦っても無駄、逃げるよ!」
「えぇ!?」
追いかけて来る人はふらふらと、しかし確実にこちらへと向かっていた。
来た道を戻る。渡り廊下を走り。渡った先の十字路を左に曲がる。しかし、その先は鏡の部屋だった。つまり行き止まりだ。
「その先は行き止まりです!」
「そうか、なら。……っ!」
ゼラードは私の意見に従い、引き返そうとした。
「え……?」
「参ったね……」
出口を塞ぐ様に、ボロボロの女性が立っていた。近くで見ると、茶髪の女子高生だと判った。制服は所々破れていて、その隙間から見えた肌からは血が流れていた。そして、光の無い目からは涙が流れていた。
「タ……スケテ……。イタイ……」
そう呟きながら此方へゆっくりと歩み寄って来る。
「ゼラードさん……」
「この世界では魔法が使えない。だから戦えない……」
「そんな……」
ゼラードは後退りしながら奥の部屋に入った。そこには大きな鏡があった。
「打つ手無しか……」
ゼラードは私を下ろして、両手を広げ、私をかばう態勢になった。
「私が相手をする! 雫さんは後ろに居て!」
「わ、私も戦います!」
私は両手で握りこぶしを作った。
「気持ちはありがたいけど、多分無理だとおもう。雫さんでも、私でも……。それでも、君を守る事位はできると思うんだ」
「ゼラード……さん」
私達はもう助からないのだろうか。目の前で立ち止まった彼女は光のない目で、私達を見ていた。
私は心の中で祈った。
助けて……!
その時、何かが割れる音がした。