第六録 「群青の古術師」
七珠針南はレフォイア魔法学校に向かっていた。魔法研究所から徒歩で向かうには程好い距離だ。
レフォイア魔法学校はトグロ町の端に建っている。その広大な敷地内には本館、旧館、魔法研究場等の施設がある。
魔法の知識は座学である程度まで備わっているが、私が使う魔法は魔法陣も小さく威力も小さい。原因と思われるのは、私の体の中にある。私の心臓内部には幻想世界に転移する原因とされているコアという物がある。魔法研究所の上嶋蒼渡曰く、コアは私が持つ魔力を微量に吸収しているらしい。三年前まで行っていた定期健診で出た情報で、今はどうなっているか分かっていない。とにかく、魔法の威力が弱いのはコアが原因となっている事は間違いない。
前方から魔法学校の校門が見えてきた。校門を潜った時、足元から光が見えた。
「魔法陣……?」
校門を潜り抜けた直後、私の足元に一つの魔法陣が現れた。その魔法陣は黄色い光を放ち、見た事の無い術式が書かれていた。これは誰かが仕掛けた罠だろうか……なんて思う筈が無かった。間違いなく幻想世界への誘いだ。
「これ、離れない!」
私はその魔法陣から逃れるように走った。しかしその魔法陣はぴったりと付いて来た。再び幻想世界に転移される! 私は諦めて強く目を閉じ、転移されるのを待った。
「マジックブレイク!」
しかし、突然背後から声が聞こえた。声がした方に目を遣ると、そこには女性が立っており、一筋の光線を放っていた。その光線は地を這うようにこちら向かってきた。その光線が魔法陣に当たると、魔法陣はガラスの様に亀裂が入り消滅した。魔法陣が消えるのを見た後、再びその女性を見る。
群青色の髪と双眸。そして青い服装。魔法使いと言うよりは、軍人を彷彿とさせる服装だった。片手には大きな杖を持っていた。さっきの光線はそこから放たれたものだろう。
「大丈夫だった?」
「は、はい、大丈夫です。」
「今の魔法陣、今まで見た魔法陣とは何かが違う。だけど、転移魔法である事は確かだな……」
「あの、あなたは、もしかして……ジェスターさん?」
「いかにも。私はゼラード・ジェスターだ。ゼラードで構わないよ」
ゼラード・ジェスター。魔法界に於いてその名前を知らない者の方が少ない。『群青の古術師』と呼ばれている彼女は、数ある魔法の中でも解読が困難とされているリペイル百大魔法を16という年齢で30種類以上を解読し、その内20種類の発動に成功させた。魔法学界隈では、古代魔法の探究者とも呼ばれている。
因みに、魔法界には魔道階級というものがあり、魔法を使う人に必ず与えられる称号である。私は『術士』。これは魔法を発動できる程の階級で、魔道階級の中では一番下の階級である。一方、ゼラード・ジェスターは上から三番目の称号、『古代魔操師』と呼ばれる階級を持っている。自主的に魔法を生成でき、尚且つ解読が困難な古代魔法を操る事ができる程の魔法使いだ。その優れた功績もあり、現在は魔法協会の一員を担っている。そんな魔法界の超大物が目の前にいた。
「君は確か、七珠針南さんだったかな? 町の噂で聞いているよ。幻想世界という場所に行き、数々の記録をしていると言う……」
「は、はい! ……魔法協会の方がどうして、魔法学校に?」
「ま、まぁ、簡単に言うと、登校というか、帰宅というか……」
「登校……? 帰宅……?」
「あぁ、この学校の一室を拝借してね」
「えぇ!? でも、この学校に誰かが住んでるなんて話、今まで聞いた事が……」
学校内の噂話でもそのような話を聞いた事が無い。
「この学校内ではゼラードとして見つかる事が無いように行動してるからね。学校内で私の事を知ってる人は、学校長と恩師位かな……君が三人目だと思う」
「そ、そうなんですか」
「そんなことより、さっきの怪我は無かった?」
私はそう言われると、身体の周囲を見回したり、動かしてみたりした。特に痛むところは無かった。
「はい、大丈夫です。助けていただき、ありがとうございます!」
「ううん、当前の事をしただけだよ。だって、私の大切な生徒は守らないとね」
「私の、生徒……?」
私の生徒。この言い方だと、私がゼラードの生徒という事になる。私のクラス担任の先生はジェード・ゼラスターという男性教師の筈……。
ジェード・ゼラスター……。
──あれ?
私は頭の中で文字を入れ替えてみる。まさかと思い訊いてみる。
「あの、もしかして私の担任の先生……ジェード・ゼラスター先生って……」
「私だよ?」
「……えぇ!?」
私も時々感じていました。ジェード先生の名前を見たり聞いたりする度に、あの大魔導師の名前が脳裏を過るのを。名前が似ているどころか、その大魔導師本人でした。
「この学校では変身魔法を使って、ジェード・ゼラスターとして講師をしてるんだ」
「は、はぁ……」
私が驚いていると、校門の外から続々と生徒がやって来る。その中には私と同じクラスの生徒も姿もあった。
「あ! ジェード先生!おはようございます!」
同じクラスの生徒がゼラードに挨拶した。
「あぁ、おはよう!」
ゼラードが手を振ると、生徒は会釈をして校舎へと向かっていった。
あれ? 今、ジェード先生って……。
「光を使った認識変化魔法。今、私の姿は針南さんにしか見えていない。この魔法を使っている間、他の人は私をジェード先生として認識するんだ」
「あの、どうして本当の姿を隠しているんですか?」
私がそう質問すると、ゼラードは少し考えてから答えた。
「それは……まぁ、大騒ぎになるのを避けるためかな。目立つのが苦手って言えば良いのかな? ……あとは、針南さんの事で気になることがあったから、お近付きとしてね」
「え……? そ、そうなんですか?」
「おっと、そろそろ時間が……では私は行くとするよ。それでは、また後で」
そう言うと、彼女は校舎の方に歩いていった。その姿は明らかに目立っていたが、この光景は私にしか見えていないのだろう。私もその背を追う様に校舎へと向かった。
***
私はいつもの教室に入る。一番後ろの窓際。私はその席を使っている。私は早めに学校に行く方だ。そのこともあり、教室内には数人程しかいない。
壁に掛けられている時計を見ると、ホームルームまでの時間が有った。ホームルームが始まるまでの時間は、外を眺めているか、教科書を読むか、ぼーっとしているかのいずれかだった。学校内で友達と呼べる生徒がいない。幻想世界に転移される事もあり、私自身も友達を作ろうと思わなかった。かと言えば、少し寂しさを感じてしまう。
私は外の風景を眺めていると、同じクラスの女子生徒が私の所へやって来た。その女子生徒は余り良い性格では無い印象だった。
「ねぇ、あんた朝、ジェード先生と話ししてたよねぇ? 何の話ししてたの?」
私はこういう感じの人が余り好みでは無かった。私はゼラードと話していた内容をその生徒に話した。
「幻想世界? ……はぁ~、またあんたの夢語りですかぁ? マジ子供だわ~。そんな事でジェード先生を汚さないでよね。わかった?」
その生徒はジェード先生が好みの男性らしく、授業以外で先生と対話する人に突っかかっている。私はこの生徒の事が好きでは無い。
「はい。わかりました」
私がそう答えると、彼女はふんと鼻を鳴らしながら自分の席に戻っていった。一息吐いて、再び窓の外を眺めた。
ジェード先生の正体が、大魔導師であるゼラード・ジェスターだったという事をあの生徒に言おうとしたが、そう言えば対立は避けられないだろう。対立関係にはしたくない。それに、仮に言ったとしても、きっと信じないだろう。それに、ゼラードもこの事は口外してほしくは無いだろう。もし、ゼラード本人の口から公表したら、皆はどんな反応をするんだろうという疑問が浮かんだ。
時計の針を見ると、ホームルームの時間を刺していた。私が時計を確認したのと同時に、ジェード先生がやって来た。
「はーいお前ら席につけよー。えー、連絡事項が一つあって……。この後、臨時集会があるので、ホームルームが終わったら各自、集会場に行くように。以上」
ジェード先生がそれだけ言って教室から出ていった。その瞬間、先生は私の方を見た気がした。私はそのことが気になりつつ、教室を出て集会場へと向かう。臨時集会は余り無いため、内容について考えていた。そうして斜め下を向いて廊下を歩いていると、床に何かが落ちている事に気付いた。
「……?」
これはバッジだろうか。私はそのバッジを拾い上げた。見た事の無いバッジだった。
「痛っ……!」
バッジを眺めていると、持っていた手に静電気の様な痛みを感じた。すると、何処からともなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『この声はバッジに触れた人にしか聞こえません。なので、返答は心の声でお願いします。歩きながらで結構です。少しお話をしましょう。あ、そのバッジはポケットの中に入れてください』
その声は数十分程前に校門で聞いた声だった。
(ゼラードさん……?)
『針南さんですね。私の目線に気付いてくれてたみたいで良かったです』
あの目線には意味があったようだ。
『では早速本題に。これから始まる臨時集会は私が起こしたものです』
(え? そうなんですか?でも、どうして……)
『その臨時集会でジェードが私である事を暴露しようと思いました』
(えぇ!? ……でも、目立つのは苦手って)
余りにも突然な事で、驚きが隠せなくなる。
『ホームルームの為に教室へ向かっている時、針南さんの声が聞こえてきたんです。本人の口から公表すると生徒がどのような反応をするのか。私も面白そうだなと思い、つい……』
(それって私の心を読んだって事ですよね!?)
私は驚きの表情が止まらない。その不信な行動に一部の生徒が見ていた。私は咳払いをして何とか誤魔化した。
『今、教師の方々にも臨時集会の事を伝え終えた所です。では集会場でお会いしましょう。ゼラード・ジェスターとして』
(あ! まだ聞きたい事が……!)
雑音が聞こえた後、何も聞こえなくなった。私はポケットからバッジを取り出し、もう一度眺めてみた。再び声が聞こえてくるという事は無かった。私はバッジをポケットの中に戻して、集会場へと足早に向かった。
***
集会場は闘技場に似た形の施設で、話をする先生は生徒達に囲まれた状態で話す事になる。
私は一番前の方の席に座った。集会は基本的に座席の指定は無い。座席指定が無い集会は、前の席に座る生徒は余りいない。できるだけ後ろに座って寝てる人もいる。集会は生徒によって印象が違うようだ。
集会に全校生徒と職員を集める事は余り無い。集会場に集まる事と言えば、式典行事や教員生徒全体への連絡、或いは何かしらの大きなイベント位だろう。
徐々に人が集まってきて、やがてレフォイア魔法学校の教員と生徒が集結した。
一人の男性が中心部に向かって歩いていた。その姿は紛れもなくジェード先生だった。
ジェード先生は中心部にたどり着くと、魔法陣を展開する。すると、巨大なスクリーンが四つ映し出される。この集会場は広いので、後ろで座る人は中心部から遠くて見る事ができない。その為の配慮だ。
そして、いよいよジェード先生の暴露が始まった。
『今回、集まっていただいたのは他でもありません。講師である僕、ジェード・ゼラスターについて、お伝えしないといけないことがあります』
生徒達が騒めく。
『私は先生や生徒達に、一つ大きな隠し事をしていました。それを今からお伝えしたいと思います』
すると、辺りに白い霧が立ち込める。やがてその霧は集会場全体を包み込んだ。騒めき声がさらに大きくなった。唐突の出来事にパニックになるのも無理はない。私も内容こそ知っているものの、同じ気持ちだった。
突然、強風が吹き始めた。風に吹かれる生徒達が身構える。いくらなんでもこれはやりすぎだと思った。
『僕、ジェード・ゼラスターは……!』
男性の声から女性の声に変わる。この声はゼラードさんの声だ。
『レフォイア魔法学校高等学生、ゼラード・ジェスターです!』
ゼラードさんがそう叫ぶと白い煙がタイミング良く一気に晴れ上がった。先ほどまでジェード先生が立っていた所にゼラードが立っていた。その様子はまるで、劇場に現れたスターの様だった。
生徒達のざわめきが頂点に達した。
「ゼラードジェスターって……え!? あの!?」
「ジェード先生って女性だった!?」
「馬鹿ちげぇよ! これは変身魔法か何か、なのか?」
「いきなりすぎて頭が追い付かないぞ……」
生徒一同が大騒ぎになる。それもそうだろう。目の前に魔法界の天才が盛大な登場と共に姿を現したのだから。一方、私は終始落ち着いていた。まぁ、事前に聞いていたから。そもそも、こうなったのも全部私の所為なのだろうか。私は少し自責の念に駆られていた。
ゼラードが色々な方向を向いては手を振っていた。
その時だった。
突然、空からゼラードが立っている所に向かって勢いよく何かが降ってきた。集会場の床に亀裂が走ると共に、砂煙が立ち込める。映像魔法も消えてしまった。
大騒ぎに悲鳴が混じる。もはや阿鼻叫喚の有様だった。
砂煙が晴れて中心部を見た。そこには空から降ってきたものがいた。
「あれは……」
その姿を見た私に緊張感が走った。他の生徒達も私と同じように、その姿を見ていた。先程まで阿鼻叫喚だった集会場に静寂が訪れた。
その影の体はどんな光も受け付けないだろう。その角と翼を見れば誰もがドラゴンだと理解するだろう。世界で最も黒い龍にして影の象徴。黒影龍エルデュートがそこにいた。エルデュートは目前にいるゼラードを見ていた。
「見つけだぞ! これで我の勝ちだ!」
エルデュートはゼラードに向かってそう言い放った。勝ちとは一体何の事だろうか。
「ぇえ!? ちょ、もう来たの!? 早くない!?」
ゼラードもこの事態は予測していないらしく、驚いていた。私たちは一体何を見せられているのだろう。
ゼラードとエルデュートは何やら話をしているようだ。映像魔法が無いので、何の話をしているのかは分からなかった。
***
「ちょ、なんで抜け出せたの!?」
「いや、影に対して檻は意味ないだろう……」
「ちゃんと魔法が発動できてなかったのか……これは失敗。分かったよ、今回は私の負けでいいよ……だけど」
「……だけど?」
「あと二回私を捕まえる事ができたらエルの勝ちにしよう」
「は?」
「タイミングが悪いよ。周りを見て、人が沢山いるんだから。その姿だとまた狙われちゃうよ? ……だから今から第二回戦にしよう、ね!」
「……なんだと!? おい、待たんかぁ!」
***
突然、ゼラードさんが光を纏いながら生徒達が座っている座席の通路に向かって飛んで来た。ゼラードは進行方向にある壁に魔法陣を一つ展開すると、その魔法陣めがけて突き進んだ。ゼラードは壁を透過した。これは透明化の魔法だろう。
一方、エルデュートは頭上に黒紫色の魔法陣を展開し、その魔法陣を貫いた。するとエルデュートの体は一本の黒い筋となり物凄い速さで天高く飛んでいった。
ゼラードがいなくなった今、この集会を仕切る者がいなくなってしまった。この取り残された生徒職員一同は困惑していた。すると、一人の職員が龍によって亀裂が走っている部分の隣に立ち、再び映像魔法を展開した。
『あー……と、とりあえず、各自解散……という事で、生徒達は、各教室へと戻ってください』
職員がそう言うと、一泊おいて生徒達は自分の教室へと戻っていく。私は集会場の中心部を見ると、そこには教員達が修復魔法を使って中心部を直していた。
私は印象に深く刻まれた臨時集会を頭の中で思い出しながら教室へと足を運んだ。