第五録 「一時帰宅」
七珠針南と佐乃咲雫は月の天秤のある丘の中にいた。丘の中にはトンネルがあり、トンネルの奥から光が漏れていた。私達はその光の先へと向かった。進んでいくと、光の中に包まれていく。白い空間の中に私と雫だけが見える状態だった。
「うぁ! ……あれ?」
先に歩いていた雫が何かにぶつかり、歩いていた足を止めた。雫が慌てながら引き返してきた。
「いきなり目の前に壁が……。ねぇ、ここ触ってみてよ!」
雫が片手で頭を押さえながら、もう片手で前方に指をさした。指さした先には何もない。
「ここって……。本当だ、壁がある……」
前方に手を伸ばすと、目には見えないが確かに壁がそこにあった。
「わ、これは……」
すると、私が触れた所から茶色の壁が見えてきた。光の空間が霧の様に消えていった。私達は先程の世界とは違う雰囲気の場所にいた。
後ろを振り向くとそこも壁だった。私達は廊下にいた。
「ここはどんな世界なんだろう?私初めて来たよ」
雫は周囲を見回しながらそう言った。
「ここは……」
私にとってこの場所は見覚えしかなかった。私達が触れていた壁の正体は、紛れもなく私の部屋の扉だった。余りにも唐突だったが、私は元の世界に帰ってきたらしい。
突然元の世界に帰って来る事は珍しくない。しかし、何の前触れもなく元の世界に帰ってくると、先程までの幻想世界の余韻があまり感じない。どちらかというと、夢を見ていた様な感覚に似ていた。
私は自分の部屋の扉を開けた。
「もしかしてここ知ってる場所?」
「……」
隣にいる雫はどうしよう。トンネルでの会話を思い出す。雫は転移魔法でいつでも異世界に行くことができる。自分の意志で世界を移動できる事に少し羨ましく思った。
そんな事よりも、今の状況を雫にどう説明すれば良いだろう。どこから説明しようと考えた。
「……ここはトグロ町です。私が住んでる世界にある町です」
とりあえず、今いる場所が私が住む町であるという事を説明した。
「ぇえ!? ここが針南さんの町!?」
「う、うん」
「へぇ〜! じゃあ、帰って来れたんだね!」
「はい。 ……でも、雫さんは大丈夫ですか? 転移魔法で別の世界に行けるって聞いたばかりですけど……」
「うん、大丈夫! 私の事は心配しなくてもいいよ!」
「わかりました」
私は自分の部屋に入る。
「私も中に入っていい?」
「え、ぁ、はい、大丈夫です」
「では、お邪魔します」
初めて人を自分の部屋に招いた。雫は私の部屋をじっくりと見まわす。自分の部屋を見られて少し恥ずかしかった。
「あ、日記……書かなきゃ」
「日記……あぁ、さっきの世界の事か」
私は壁に掛かっていた鞄の中から日記帳と羽ペンを取り出して机に向かった。
「あれ、砂時計は……?」
幻想世界に転移される前、机の上には壊れて砂が散乱した砂時計があった。しかし、今の机の上にその姿は無かった。机の上を摩ってみても、砂一つ無くなっていた。
「砂時計?」
「あ、うん。でも、大丈夫……だと思う」
「そっか」
砂時計の事も気になるが、今は記録する方を優先した。日記帳を広げて、さっきまでいた世界の事を記す。数分後、私は日記帳に夕焼けの世界の情報を全て書いて日記帳を閉じた。
するとドアを数回ノックする音が聞こえた。
「おーい、いるかって……ん?」
入ってきたのは魔法研究家であり私を養ってくれている上嶋蒼渡だった。
「あ……お邪魔してます」
蒼渡は見知らぬ人をじっと見た後、私の方を見た。
「なるほど」
「あ、あの、これは、その……!」
私はどう説明すればいいか分からずにあたふたする。
「あれだろ、隣にいる君、ここの国の人じゃないだろ?」
国どころか住んでる世界も違うんですが……。
「は、はい。どうして分かるんですか?」
「目を見ればわかるだろう」
蒼渡はそう答えた。
「目?」
確かに雫の目は私や蒼渡とは少し違う。
「ふぁーぁ……。針南、さてはお前また幻想世界に行けるようになったんだろ?」
「どうして分かったんですか?」
「まぁ、最初は驚いたよ。針南の部屋の前に黒い大穴が開いてたから、何となく察したよ。少ししたらその穴は跡形もなく消えてったけどな」
「消えた?」
「穴が小さくなってそのまま消えた。部屋に入ったら針南がいなかったからその時点で察した。おまけに机の上に砂時計が壊れてたのを見て確信したよ」
「砂時計! 砂時計はどうなったの?」
消えた砂時計の行方を蒼渡に聞く。
「あぁ、壊れてたし、緑色だった砂も普通の砂になってたから、掃除しといた」
「そう、なんだ」
「それで、針南はこの後どうするんだ? 確か今日は学校無かったよな」
「私は、ギルドステーションに行きます」
「そうか。気をつけてな……」
「ギ、ギルドステーション? ギルドって、冒険者ギルド?」
私と蒼渡の話を聞いていた雫がギルドステーションという聞き慣れない言葉に困惑していた。
「あぁ……君は針南の後に付いて行くといいかもな。……まぁ、針南に付いて行くと、いつ幻想世界に転移されるか分からないけどな」
蒼渡はそう言うと欠伸をしながら部屋の扉を出る。
「蒼渡さん?」
「俺は疲れたから寝るよ……」
「蒼渡さん、もしかして、寝てない?」
「ああ、そうだけど?」
寝ていない理由は研究だろう。蒼渡の徹夜癖は6年前から何も変わっていない。蒼渡の顔をよく見ると、目の下に少し隈ができていた。
「ゆっくり休んでね……」
「あぁ、そうするよ、おあふみ……」
蒼渡は欠伸まじりにそう答えて自分の部屋に入っていこうとした。
「あ、そうだ」
蒼渡は何かを思い出し、私の方を見た。
「針南、今日誕生日だろ、おめでと」
「ぇ……! あ、ありがとうございます……!」
蒼渡はそう言い、自分の部屋に向かった。
突然誕生日を祝われた私は高揚感が湧き上がった。
「今日誕生日だったの!? おめでとう!」
隣にいた雫も祝ってくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「う~ん、針南さんはこれからギルド……ステーションだっけ。そこに行くんだよね。私もついてって良いかな? 純粋に気になるし……」
「はい、大丈夫です!」
私と雫は家を出てギルドステーションへと向かった。その道中でまた幻想世界に転移されるのではないかと心構えしていたが、転移される事無くギルドステーションに到着した。
「あれ……お休み?」
ギルドステーションが休みになる事は滅多に無い。しかし、入り口に休業の張り紙が貼られていた。
「あ! 針南さん! お久しぶりですね。大体半年振りですか?」
ギルドステーションを運営している雪代御霊がやってきた。
転移体質を封印されていた間は魔法学校に通っていたので、ギルドステーションに行く事も無かった。最後に来たのは大体半年ほど前。魔法学校の授業の中で行ったきりだった。
「あ、御霊さん! お久しぶりです!」
「そちらの方は……」
「あ、えっと、この方は……」
「私は佐乃咲雫です。宜しくお願いします!」
「初めまして! こちらこそよろしくお願いします!」
「今日、ギルドステーションはお休みなんですか?」
私は御霊に今日のギルドステーションについて訊いた。
「今日は世界中の冒険者が休む日になっているので集会所は全てお休みになっています」
「え? 世界中?」
世界の各地では争いも少なくはない筈だ。なのに今日に限って休戦というのは信じがたい話だった。
「今日は全世界の各地方の代表者達が決めた世界不戦の日なんです。全国のギルドも休業するようにという決まりがあります」
「面白い文化だね」
雫は興味津々だった。どうやら雫の世界にはこのような日は無いらしい。私もこの日の事は、今初めて知った。
「あの、御霊さん。幻想世界の記録を見せたいんですけど、霊音ちゃんはいますか?」
「あぁ、ごめんなさい。今霊音ちゃんは木霊と出かけてるんです」
「あ、そうですか……じゃあ、また今度来ます」
「すいません。霊音に伝えておきますので、その時はまたよろしくお願いします」
私達は御霊と別れて、そのまま帰宅した。帰宅後も何もする事が無く自分の部屋で過ごしていた。
「んー」
クッションに座っていた雫が何かを考えているのか、小さく唸り声を上げている。
「どうしたの?」
「どうしよう……いや、でも……んー」
「……?」
雫は私の声も聞こえない程に夢中で何かを考えていた。
私は日記帳の過去ページを開いて、過去に行った幻想世界の事を読み返していく。そうして時間を潰しているうちに夕方になっていた。明日は学校がある日だったので、準備をする事にした。
「……んぁ? 針南さん?」
立ち上がった際に雫が反応した。
「明日学校なので、準備を……」
「学校……」
「……?」
学校と聞いて雫はまた黙り込んだ。何か心当たりでもあるのだろうか。雫は浮かない顔をしていた。
私が準備を終えたのと同時に雫が立ち上がった。
「針南さん、私、一回自分の世界に帰るよ……また、戻ってくると思うから……」
「え……」
私にそう言い、一人ですたすたと私の部屋を出て行った。私は理由を訊こうとしたが、雫は訊く暇も与えてくれなかった。部屋の中で一人になった。この部屋ではいつも一人だったが、初めて寂しさを感じた。
結局、モヤモヤした気持ちのまま夕食を作る。蒼渡はまだ寝ていたので、一人分の夕食を作った。夕食を食べて、お風呂に入り、ベッドの中に潜った。
私は雫と別れて以降、ずっと雫の事を考えていた。こういうのは一度眠った方が良いのかもしれない。学校と聞いた時の雫はどうして浮かない顔をしていたのだろう。最後にそう思い、意識はゆっくりと夢の中へと吸い込まれた。
***
根城にしている世界に帰った雫は、改装した空き家の一室にいた。友人もいなければ親も存在しない、完全に無縁の世界。
「七珠針南、さん……」
夕焼けの世界で出会った少女。私と同じく世界を移動することができる少女。ただ、彼女の世界移動は私の転移魔法と明らかに違う所があった。
あの世界でトンネルを抜けた時、気付いた時には既に別の世界に移動していた。あの時、魔法の力が一切感じられなかった。
「不思議な人……」
産まれて初めて私と似ている人と出会った。私は七珠針南という異世界に住んでいる人の事が気になっていた。
「これから……どうしよう……」
私はこれからの事を考えながら、数ヶ月整備されていないであろう天井を眺めていた。
***
「ここは、あんな悩みやこんな悩み。そんな悩みの種を取り除く占いの館でございます。貴女のお悩みを聞きましょう」
「え?」
これは夢だろうか。夢にしては意識がはっきりしている。これが所謂明晰夢なのだろうか。幻想世界かと思ったが、雰囲気が少し違う様に感じた。
紫色のカーテンに囲まれた中で私は今椅子に座っている。そして私の目の前には机、その向こうに白いフードを被った青い瞳の少女がいた。
「詳しく説明した方がよろしいですか?」
突然の事で、彼女が最初に話していた事を聞き逃していた。
「は、はい、お願いします……」
「ここは悩みを残したまま眠ってしまった方の悩みを解決するために夢の中で活動をしています、占いの館『明晰』です。そして私はその『明晰』の主人、滝川瑠璃です。今回はあなた様の悩み事を解……ちょっとすいません」
説明していた途中、受話器の音が鳴り響く。瑠璃は隅に置いてあった黒電話を手に取り応答する。
「はい。占いの館『明……」
『瑠璃ちゃん! 今どこにいるの?』
瑠璃よりも声のトーンが高い女性の声が電話越しに聞こえてきた。
「明晰だけど……」
『明晰って……』
「お客様の夢の中」
『夢の中……あ、もしかして今占ってた?』
「今から占うところ」
『あーそっかぁ……いきなり電話かけてごめんね?じゃあ、また後で電話するね?』
「大丈夫、ありがとう」
瑠璃は通話相手が電話を切れるのを確認して、受話器を元の位置に戻した。そして、再び私の体面にある椅子に座った。
「申し訳ありません。ちょっと知人から電話がかかってきまして……」
「あ、いえ、大丈夫です(音漏れしていて会話の内容が全部聞こえてたなんて言えない……!)」
「まぁ、とにかく貴女の夢の中をお借りして、貴女の悩みを私の占いで解決させようという事です」
「そういうことだったんですね……でも、どうして、私が悩んでる事を……」
私が今見ているのは夢で間違いないらしい。目の前にいる滝川瑠璃という少女は、人の夢の中に入る事ができるようだ。ただ、それより気になった事がある。確かに、私は悩みを持っていた。この世界には悩みを抱えた人々が沢山いるだろう。その中からどうして私を選んだのか。
「私は悩みを抱えた人を探す占いをします。その占いでは、この世界で悩み事を抱えた人を無作為に一人選んでくれます。後はその人の夢の中に行くだけです。今回は貴女になりました」
何となく把握したが、まだ詳しく聞きたかった。
「えっと」
「詳しい事は内緒です」
「わ、分かりました」
詳しい部分は秘密のようだ。怪しさは感じなかったが、これ以上の詮索は止めておこう。
「じゃあ、早速。貴女の悩みを教えてください」
私は雫の事を思い出した。悩んでいるのは……。
「最近知り合った方がいるんですけど、その方が、気になっていて……」
「なるほどです。細かい所は訊かないでおきましょう。それでは早速占っていきましょう。今から三つの箱を用意します。貴女には、この中から直感で一つを選んで、それを開けてください」
瑠璃がそう言うと机の上に箱を横に三つ並べた。
「では、どうぞ」
私は少し悩んだが、左の箱を開けた。そこには白い紐の先に青色の綺麗な宝石が付いた道具があった。
「ペンデュラムですね、了解しました。まずは動作の確認を行いますので、一度、ペンデュラムを私の所へ。……では確認します。私は女性ですか?」
瑠璃は紐の先端を親指と人差し指でつまみ上げた。その後、ペンデュラムに向かって質問した。すると、ペンデュラムは時計回りに動いた。宝石が勝手に動き出す姿はとても不思議だった。
「今は昼ですか?」
瑠璃は再び質問した。ペンデュラムはその言葉に反応し、今度は反時計回りに動いた。
「……はい、正常通りに動いていますので、今から本題に入ります。このペンデュラムは貴女が持ってください。そして、今から私が問いかける質問に答えてください。そうすればペンデュラムは貴女の心境を表してくれます」
「は、はい」
私は瑠璃から受け取ったペンデュラムを持つ。
「それではいきます。『貴女は今住んでいる世界についてどう思いますか?』」
「……正直、あんまり面白くない……です」
ペンデュラムは動かなかった。瑠璃は質問を続けた。
「それでは、貴女は最近知り合った方がいると聞きました。『貴女はその方の過去を知りたいと思いますか?』」
「……!」
雫は学校の話題になった時、なぜ浮かない顔になったのだろう。過去に何かあったとしか思えない。私は気になって仕方が無かった。雫の事をもっと知りたい。答えは一つしか無かった。
「知りたいです。雫ちゃんの過去を……!」
突然、ペンデュラムが割れた。割れた宝石の欠片は紐から離れて机の上に落ちていった。
「あぁ! ご、ごめんなさい! でも、どうして?」
「珍しいパターンですね。宝石が割れる。過去にも数件ありましたが。どうやら貴女が持つその気持ちには、とても強い力が込められていたようですね」
瑠璃は小さな箒を取り出すと、机の上に散らばっていた宝石を一つに纏めた。そして彼女は言った。
「その悩みを解決するには一つしかないです。伝えたい事を伝える事です。思い切ってその方に話し掛けてみてはいかがでしょうか?」
「伝えたい事……」
「貴女は心の中で思った事を心の中に留めたままにしているかもしれません。ですが、発言力とか、行動力といった、第三者が見ることができる行為は、運命や関係性を大きく変える強い力を持っています」
「……」
「これから先、色々な決断が貴女に降りかかるでしょう。勇気を養う事が重要です」
「勇気……」
「とはいえ、いきなり大きく進むのでは無く、小さく進んでみてはどうですか? ちょっとずつ進めば、効果は大きくなります。とにかく経験を積む事が大切です。それを踏まえて、私から勇気を支える力を持つお呪いをしましょう」
「お呪いですか?」
「はい。手をこちらに出して下さい」
私は瑠璃の方へ手を出す。すると瑠璃は私の手を握り、握手する形になった。握手をしたと同時に、その手の中に何かがあるのを感じた。そして瑠璃はこう唱えた。
「汝に勇気を支える力を授けましょう」
そう唱えると、手の中にある何かが光り出し、手の隙間から光が漏れていた。温もりが全身に伝わるのを感じた。やがて光は消え、瑠璃はその何かを私の手の中に残したまま手を離した。手の中にあった物の正体を見た。それは紫色に薄く光るペンダントだった。
「それは私と相方で作ったアメジストとラピスラズリのペンダントです。勇気の支えになれば幸いです」
「あ、ありがとうございます……!」
「これで占いは終了となります。お疲れ様でした」
「はい、ありがとうございました!」
視界がゆっくりとぼやけていった。あの光が全身に伝わってから、心が透き通るような感覚になっていた。翌朝、目が覚めると私の首にペンダントが掛かっていた。
雫と再会した時、思い切って話してみようと思った。
私は朝食を食べて制服に着替える。通学用の鞄を持って家を出た。
「いってきます」
私はレフォイア魔法学校へと向かった。