第三録 「封印を解く砂時計」
エレベーターが急停止した後、七珠針南と雪代霊音はエレベーターの扉を開けるボタンを押した。ゆっくりと開く扉の向こうには、上嶋蒼渡、雪代木霊、雪代御霊の三人の姿があった。無事に元の世界に帰ってくることができたようだ。
「おい、扉が……って、針南!」
「あ、霊音ちゃん!」
蒼渡に次いで木霊が私達の帰還に反応した。
「……蒼渡さん!」
「元の世界に帰ってきたんだ……!」
私と霊音は幻想世界から帰還できたことに安心した。私達はエレベーターから出ようとした。しかし、私と霊音はすぐ後ろに女の子の姿に近い黒い影がいる事をすっかり忘れていた。
「……わ!?」
「きゃ……!!」
黒い影から伸びてきた影の手が、私と霊音の足を掴む。
「おい、なんだあの影みたいなやつ!?」
蒼渡が驚愕する。
「私にもわかりません……。とても不気味な感じがします」
御霊は恐怖心を抱いていた。
「……っ、これ、離れない!」
「離して……!」
私と霊音は足に絡み付いた影を剥がそうと抵抗するが、影は足を離さない。
「何とかしないと……」
蒼渡が打つ手は無いかと思考する。
「出てきて、形代達!」
その時だった。突然、掛け声と共に私と霊音の間を何かが通過した。これは紙だろうか。黒い紙が一枚、二枚、三枚と次々と通っていく。
「針南ちゃん、霊音ちゃん! 今助けるから!」
掛け声の正体は木霊だった。木霊の両隣の空間が歪んでいて、そこから何枚もの黒い形代が飛び出していた。
「木霊!?」
「どうやら異世界の方が迷い込んじゃったみたい。でも大丈夫、私が元の場所に帰してあげる!」
木霊は召喚した形代は影に向かって飛翔していった。形代は群れる鳥の如く、影の周りを飛び回る。
「二人を解放して!」
木霊がそう言うと、形代達が青く発光する。すると、私達に掴んでいた影の手の力が弱まった。やがて、影の手は足から完全に離れた状態になった。
「針南さん! 霊音ちゃん! 今のうちに!」
「……はい!」
開放された私と霊音はエレベーターから出た。振り返って影のいる方に目を遣ると、伸びていた影の手が体の方へ戻っていくのが見えた。
木霊は影の身動きを取らせないように形代を操る。形代は糸の様なもので影を縛り付けた。影は激しくもがいていたが、諦めたのか全く抵抗しなくなった。木霊はその影に少しずつ近付いていく。
「あなたはどこから来たんですか?」
沢山の形代に縛られている影はピクリとも動かなかった。エレベーターの隅にもたれかかって座っている様に見えた。
「反応が無い……意識だけが元の世界に帰っちゃったかも。だとしたら、この体も消えるから、もう大丈夫……」
木霊がエレベーターから出ようとした。
「……!」
突然、影の口部から一本の細い腕が、ものすごい勢いで木霊の真横を通過した。不意を突かれた木霊は、咄嗟に近くに落ちていた形代を拾い上げる。
「針南! 危ないっ!」
蒼渡は私に向かって叫んだ。その腕は私に向かって真っ直ぐ進んでいた。
突然迫りくる影の手。私は意識では回避しないといけないと思っていたが、体は硬直していた。このままだと私は……。
「そうはさせないよ! 強制送還!」
木霊は先程拾い上げた形代を影の頭部に向かって勢い良く投げ飛ばした。その形代は一直線に飛んでいき、見事頭部の真ん中に突き刺さった。瞬間、影の体は青く発光して、砂の様に消えていった。私に向かっていた腕も、目の前で停止して砂の様に消えていった。
「……?」
すると、その影の手の中から何かが落ちた。私はそれを拾い上げて確認した。それは手の平サイズの砂時計だった。物質の分からない黒色の台座、そこに嵌め込まれたガラスの中には緑の蛍光色の砂が入っていた。そして砂時計の中間部分に横長に四角い白プレートが取り付けられていた。そこには『2154』と数字が並んでいた。最後の4が表記されている所は、4は下に下がっていて上部分しか見えず、その上から3の下部分が見えていた。
「針南、何を拾ったんだ?」
「これ……」
「これは、砂時計?」
「危なかった〜。まさか腕が飛び出してくるなんて、想定外だったよ〜」
蒼渡が砂時計について考えていると、エレベーター内の床に落ちていた形代の回収を終えた木霊が戻ってきた。
「木霊はもう少し注意深くなった方が良いと思います……」
御霊が木霊にそう忠告する。
「勿論だよ、お姉ちゃん。それよりも、針南ちゃん、怪我は無い?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「いやいや、お互い様だよ! 私達からもありがとう! 霊音を助けてくれて」
私は木霊に無事だった事を伝えると、木霊は安堵した表情で感謝を述べた。
「お姉ちゃん! ただいま!」
「おかえり! 霊音ちゃん!」
御霊は霊音と再会を交わした。
「なぁ御霊。この子が……」
蒼渡は改めて御霊に訊いた。
「はい。雪代霊音。三姉妹の三女です」
蒼渡が霊音を見ると、霊音は蒼渡の所へ歩み寄る。
「貴方が上嶋蒼渡さん? 初めまして、私は雪代霊音です! これから、よろしくお願いします!」
「あ、ああ……よろしく」
霊音は蒼渡の全身をじっくりと見た。
「針南ちゃんから色々聞いてたんですけど、蒼渡さん……思ったより若い方でびっくりしました」
「……ん? 今なんて?」
霊音の口から出た言葉に違和感を覚えた蒼渡は、もう一度霊音に訊いた。
「……思ったより若いんだね」
霊音はさっきより少し砕けた表現でそう言った。蒼渡の聞き間違いでは無かった。
「思ったよりって……。因みに、何歳だと思ってたんだ?」
「う~ん、30歳位!」
「いや、俺まだ17だから!」
「えぇ!? 蒼渡さん……まだこ、高等学生なんですか!?」
御霊が驚いた。
「魔鉱石研究の事もあって今は学校には行けてないんだけどな」
「すいません……。てっきり20歳位なのかと……」
「おいおい、俺は10代までに魔鉱石の研究で結果を残したいんだ。勝手に20歳にしないでくれ」
「研究バカ……?」
木霊は小声でそう言ったが、蒼渡はそれを聞き逃さなかった。
「おい木霊。それは言うな」
「だって本当の事じゃん!」
「うっ……否定はできないが……他に言葉は無かったのか?」
「う~ん……無い!」
「お前なぁ……」
蒼渡は呆れて返す言葉も出なくなった。
「ところで、針南ちゃんのそれ、何持ってるの?」
木霊は私が持っていた物が気になり訊いてきた。
「さっきの影が落とした物なんですけど……」
私が砂時計を見せると、皆の視線が砂時計に集まった。
「これは、砂時計?」
「砂時計ですね……」
「あと215……4? 3?」
「何でしょう、これ……」
このプレートの数字列には何の意味が有るのだろうか。
「蒼渡さん、何か分かる?」
「俺に言われても……針南、その砂時計、ちょっと貸してくれ」
私は砂時計を蒼渡に渡した。蒼渡が砂時計をじっくり見ながら考える。しかし、直ぐに私の所に砂時計が戻ってきた。
「すまん、全く分からん!」
「蒼渡さんでも分かりませんか……」
「う〜ん、霊音は何か分かっちゃったりする?」
「私も分からないよ、あはは……」
「そっかー……」
ここにいる全員が砂時計について考えたが、分かる人はいなかった。
「とりあえず、砂時計は針南が持っててくれ。さっき影から出てきた腕、お前に向かって飛んできたんだろ? 針南と何か関係があると思う」
さっきの影の正体は分からないままだった。だが、あの影は私を狙っているように感じだ。この砂時計だって、こちらに向かってきた影から落ちたものだ。これも、私と何か関係があるのだろう。
「うん、わかった。じゃあこれは私が持ってるね……」
私はこの謎の砂時計を鞄の中に入れた。
「あれ、もうこんな時間……」
ふと御霊が壁に掛かっていた時計を見ると6時を指していた。
「七時か……って、七時!?」
「どうしたの?」
蒼渡の慌てた様子に木霊が尋ねた。
「やっべぇ、早く帰らないと……魔鉱石が!」
「研究のことですか?」
「あぁ、俺と針南は帰る! じゃあな! 針南、掴まってろよ!」
「わっ!」
私は突然お姫様抱っこされて驚く。私は走る蒼渡から落ちないように服を強く掴んだ。
「今日は本当にありがとうございました! 研究、がんばってください!」
「じゃーねー!」
「針南ちゃん! またねー!」
***
魔法研究所に帰ってきた蒼渡は、私を下ろすと直ぐに研究室へと駆け込んでいった。
『間に合え! ……っしゃあ、危ねぇ! 間に合った~!』
ドアの向こうから叫ぶ声が聞こえる。どうやら間に合ったらしい。暫くして安堵した表情を作った蒼渡が研究室から出てきた。
「ふぅ、危ねぇ危ねぇ……。あぁ、ごめんな針南」
「はい、大丈夫です……」
走った反動で荒くなった呼吸を落ち着かせた蒼渡は壁に掛かっている時計を見た。
「……飯の時間だな、何がいい?」
私は食事を考える時間が長い。しかし、数週間前に蒼渡と外食した際に出会った食べ物があった。その独特な名前や味は今でも覚えていた。そのお店の主が言うには、トグロ町からずっと遠い国の料理だとか。
「……お蕎麦?」
「蕎麦か。よし、じゃあ買い出しに行ってくるよ」
「はい、お願いします」
蒼渡はそう言うと玄関の壁に掛かっていた買い物袋を取り、家を出て行った。
私は自分の部屋へと向かう。元々倉庫に使う予定だった部屋を蒼渡が綺麗に掃除して、生活する為に必要な家具も色々置いてくれた。全体的に白を強調とした部屋だ。
私は部屋の隅っこにあるベッドに横になると、さっきの砂時計の事を思い出し、鞄から砂時計を取り出して再びベッドに横になった。
改めて砂時計を眺めてみる。全体的に黒く、透明なガラスの中には緑色の砂が絶えず落ち続けている。
「……あれ?」
私はあることに気付いた。本来、砂時計は横に倒した状態になると、砂の移動が止まるが、この砂時計は本体が横になった状態でも、砂は重力に逆らって上部から下部へと流れ続けていた。
私は不思議に思い、上部から下部に向けて落ち続ける砂時計をひっくり返してみる。普通なら下に溜まっていた砂が落ちていく筈だった。しかし、ひっくり返しても、砂は下から上に向かって移動していた。明らかに重力を無視していた。加えて、砂の動きを見ていると、上層の砂が細い管を通り、下層へと流れていくが、上層と下層、共に砂の嵩に変化が見られない。
砂時計を動かしていると、ベッドに横になっていた事もあり、睡魔に襲われる。瞼が徐々に下がっていき、そのまま目を閉じた。
***
ここは夢の中だろうか。周囲を見渡しても暗闇しかない。私はその中にポツンと立っていた。私は方向も分からず歩いていた。暗闇の所為か、本当に歩いているかどうかも分からなかった。
暫く歩いていると、前方からうっすらと何かが見えてきたと同時に、音が聞こえてきた。一定の間隔で鳴る音の方へ歩いていく。そして、薄らと見えていた物の全体像が明らかになった。それは見上げる程に巨大な砂時計だった。それは私が持っていたあの砂時計と酷似していた。その背後には、砂時計を遥かに上回る程の大きな時計盤が浮き上がっていた。先程から耳に入る音の正体はその時計盤の秒針が時を刻む音だった。
私はその砂時計を見て、何かの衝動に駆られたのだろうか。その砂時計に触れたいと思った。私が砂時計に触れようと一歩進んだ瞬間、視界が歪みだした。
「………」
「……お……きろ」
「おーい、起きろー」
私はゆっくりと目を開けた。蒼渡は眠っていた私を起こしに来たようだ。
「針南。飯、できたぞ」
「ぇ、ぁ……ぅん……」
寝ぼけた声で返事する。私は体を起こしてリビングの方へと向かった。洗面所で手を洗い、食卓に着く。食卓には私と蒼渡の蕎麦が置かれていた。
「いただきます」
私と蒼渡が蕎麦を食べる。異国の食べ物というもの、やはり不思議な味と食感だ。
「なぁ、針南」
「……?」
「針南が寝てた時にお前が手に持ってた砂時計……」
砂時計という言葉を聞いて、砂が下から上に移動している映像が頭の中に浮かび上がった。
「あの砂、どうなってるんだろうな……」
蒼渡もあの砂の奇妙な動きに気付いたのだろう。
「私にも、分からないです」
「まぁ、とりあえず分かる事は、砂時計を逆さまにしても、砂の動きを変えることはできない。プレートにある四桁目の数字も4から3に下がっていってるように見えるんだ。あの数字は一体を表してるんだろう」
「……」
私は蕎麦を食べながら蒼渡の話を聞いていた。頭の中で考えようとしたが、気付いた時には蕎麦の味に夢中になっていた。
「ごちそうさまでした」
お互いの食事も終わり、二人で手を合わせた。
「私、ちょっとやることあるから部屋にいます」
「おぅ」
私は蒼渡にそう伝えると、自分の部屋へと向かった。
私は自分の部屋に入ると、掛けてあった肩がけの鞄から日記帳とリューネルから貰った羽根ペンを取り出す。椅子に座り、勉強机に日記帳を広げて、貰ったばかりの羽根ペンで文字を書いていく。今日行った幻想世界の事を綴る。数十分程で一通り書き終え、日記帳を閉じた。
時計を確認すると、8時50分を指していた。お風呂に入って寝よう。私は浴室に行く前に研究室に行った。
「蒼渡さん」
「ん、なんだ?」
「お風呂、使います」
「はいよ」
蒼渡は相変わらず研究に没頭していた。私は研究に集中している蒼渡の姿を一瞥して浴室に向かった。
服を脱ぎ、浴室に入った。シャワーを浴びると私の髪はサラッとなるが、髪を乾かすと癖っ毛が元通りになる。私自身は気にしていなかった。
寝間着に着替えた私は再び研究室に行った。
「蒼渡さん、私はもう寝ますね」
「あいよーお疲れー」
依然変わらず研究に没頭していた。いつ眠るんだろうと思いながら私は自分の部屋に行った。
私はベッドの中に入り、眠りについた。
***
翌朝、目覚まし時計の音と共に目が覚めた。
その日、私は学校に行く日だった。制服に着替えている時、机の上に置いてある砂時計を見た。『2153』、四桁目の数が1減っていた。
その後も砂時計の数字が徐々に減っている事以外何事もなく時は流れていった。幻想世界に転移されることも無く、平穏な時間だけが経過していった。
***
砂時計を拾ってから2年後、蒼渡は絶対に加工ができないと言われていた魔鉱石であるロゼルト鉱石の加工に成功し、ロゼルタイトという結晶体として世間に公表し、一躍有名になった。その日から蒼渡は忙しくなり、幻想世界についての研究に手が付けられなくなっていた。その一方、私は平穏な生活を続けていた。私は霊音に日記の事や、蒼渡の言っていた幻想世界について話した。それ以降、異世界ではなく幻想世界と呼ぶことにした。
***
砂時計を拾ってから3年後、ギルドステーションに行った時、霊音が幻想世界を調査する人々を幻想記録士と命名し、職業協会に登録申請をした。私が近年幻想世界に行っていないことを伝えると、霊音がポカーンとしていた。結局、申請は通らず、幻想記録士という肩書きはお蔵入りになった。
***
砂時計を拾ってから4年後、私は小等学生として最後の年を過ごす。修学旅行でレスティル王宮遺跡に行った。私には余り心に響かなかった。この時には砂時計の存在も忘れていた。
***
そうして何事も無い日々を過ごしているうちに、6年もの月日が経っていた。6年という時間は長いように感じて、感覚的にはとても短く感じた。
明日、私は13歳の誕生日を迎える。やる事を全て終わらせた私はベッドに入り眠りに就いた。
***
私は暗闇の中にいた。この光景を私はどこかで見た事があるような気がした。私は方向も分からないまま歩いていく。
すると、目の前からうっすらと何かが見えてきた。一定間隔で聞こえてくる音の方に向かって歩いて行く。見えてきたのは大きな砂時計だった。その砂時計は黒い塗装が所々剥がれ落ち、そこからは木の断面が露わになっていた。ガラスはひび割れていて、そこから砂が噴出していた。上層に溜まっていた砂は殆ど残っていない。砂時計の背後にあった時計盤も、秒針は動いているものの、長針や短針は変な方向に捻じ曲がっていていた。
砂時計に付いていたプレートには『0001』と書いてあった。
私はこの場所を思い出せずにいた。忘れていた物事が、喉まで来ているのに思い出せない。この夢を見たのは何時だったか。必死に思考を巡らせていた最中に目眩が起きた。
私は目覚まし時計を押した。朝の光が目を刺激する。
今日は私の13歳の誕生日だ。私は布団から起き上がり目を軽く擦った。
その時だった。机の上で何かが割れる音がした。机の上を見ると、そこには崩壊した砂時計があった。割れたガラスの中から緑色の砂が机に散乱していた。
「これは、確か……」
その砂時計を見た瞬間、6年前に起きた事の記憶がじわじわと甦っていく。この砂時計の存在理由も、結局分からないまま6年が経ってしまった。
私はその崩れた砂時計の中から一枚の白いプレートを手に取った。
『0000』
元々2154だった数字列は、全桁が0になっていた。
「……」
全桁が0になったプレートを見た瞬間、砂時計だった残骸から得体の知れない薄気味悪さを感じた。私の胸の奥で何かが広がっていくのを感じた。
私は砂時計から逃げる様に、自分の部屋から出た。部屋から出ると、そこはいつもの廊下──
──の筈だった。
「……!? きゃああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
扉を開けて、廊下に出ようと最初の一歩目を踏み込もうとしたが、踏み込む感覚が無かった。扉を開けた先にあったもの。そこには人一人が入れそうな程の落とし穴の様な暗闇が広がっていた。気づいた時には既に暗闇の中に吸い込まれていた。そのまま、深い闇の中へと落下した。
***
気を失っていた私は、目を覚まして辺りを見渡した。そこはオレンジ色の空がずっと遠くまで広がる、夕暮れ時の世界だった。