第十二録 「霊道と花園の世界」
私の名前は七珠針南。幻想世界へ行くことができる体質を持っている。佐乃咲雫、ゼラード・ジェスターと共に行った幻想世界から帰還して今日で一週間が経つ。あの後、ゼラードは一日休暇を過ごして完全復活した。雫は帰還後から積極的に話しかけてくるようになった。今回の幻想世界で起きた事は、私にとって忘れることの無い一日になった。
***
「はぁ……」
今日は休日。私はベッドの上で鞄を抱えながら天井を眺めていた。鞄を抱える理由は幻想世界に転移された際に手帳を持っていきたいからだ。……最近、幻想世界に持っていく必要は無いのではないかと思っていたりする。私の癖なのか、無意識に鞄を持っていた。
現在、私はある不安に駆られていた。岸花鈴音がいた世界から帰ってきて一週間が経つが、それから現在に至るまで、私は幻想世界に行っていない。そろそろ転移されてもおかしくはないだろう。幻想世界に行くのは嫌いではないが、幻想世界に行かない日々が続くとかえって不安に感じてしまう。
ベッドの上で不安になっていると、雫が私の部屋に入ってきた。雫はデル=レートとは違う異世界出身の少女だ。雫も私と同様幻想世界に行くことができる少女であり、転移魔法を使って幻想世界を行き来できるそうだ。ところが、デル=レートにはまっすぐ戻ってくることができるが、幻想世界に行く時は行き先を正確に指定できないそうだ。加えて、魔力が無い世界には行くことができないそうだ。
雫は上嶋蒼渡の研究所で暮らすことになった。部屋は私の隣の空き部屋。この魔法研究所は空き部屋がやたらと多い。私が知る限りあと二、三部屋はあった気がする。
「雫さん。おはようございます」
私は体を起こして雫に挨拶した。
「ふぁ……おはよー」
雫は欠伸を一つして、眠たげにそう答えた。
「針南さん、今日もゼラードさんのところに行ってくる……」
「あ、わかりました! 特訓、頑張ってください!」
雫は軽く手を振って私の部屋から出ていった。
雫は先日の幻想世界から帰還した後、ゼラードの下で魔法の特訓をすることになった。事の発端はゼラードからの誘いだった。ゼラードは完全復活した翌日に魔法研究所を訪れて、雫さんに魔法の特訓を提案した。というのも、雫は元々いた世界で転移魔法以外の魔法が封印されてしまい、魔法が使えずにいた。そこでゼラードが雫に再び魔法を使えるようにすると提案した。ゼラード自身も異世界の魔法について気になるとの事だった。雫も魔法を再び使えるようになりたいという事でその提案に乗った。
雫がゼラードの下で特訓を始めてから今日で三日が経った。聞いた話によると、特訓初日で封印されていた魔法が使えるようになったらしい。そして、いくつか魔法を教えてもらっているそうだ。天才魔導師恐るべし。
そんな天才魔導師、ゼラードは以前私が拾ったバッジ経由で話しかけてくる事があった。バッジはゼラードと初めて会った時に廊下で拾ったものだ。このバッジはゼラードと会話することができる機能がある。昨日の夜にゼラードが話してきた内容は、異世界の魔法は面白いとのことだった。
そして、私は幻想世界へ転移されることも無く、平穏な日々を過ごしていた。
翌日、雫の特訓日が四日目になる日。目が覚めて窓を見ると、一つの黒い紙切れが張り付いていた。寝ぼけ眼で紙切れに見えたそれは、雪代木霊の式神だった。これはギルドステーションからのものだろう。
私はしばらくひらひらしているのを眺めて、少し窓を開けた。すると式神がその隙間から入ってきて私の方を見つめる。すると式神から木霊の声が聞こえてきた。
『針南ちゃん! おはよー!』
「おはようございます。今日も元気ですね……」
『えへー! ありがと! 霊音ちゃんがギルドステーションに来てほしいって事を伝えに来ました!』
「霊音ちゃん?」
『うん。多分、幻想世界のことだと思うよ!』
「わかりました。今から向かいますね!」
『了解です! お待ちしてます! 式神ちゃん、帰ってきていいよ!』
木霊がそう言うと、式神はひらひらと宙を舞う。先程開けた窓の隙間を抜けて空高く飛んでいった。
今日の予定ができたので、私はベッドから降りて、身支度をする。準備が終わり、私は家を後にしてギルドステーションへと足を運んだ。
***
ギルドステーションに入ると相変わらず冒険者達で賑わっていた。私の目の前に木霊と霊音がいた。
最初に声を発したのは霊音だった。
「お久しぶり! 針南ちゃん!」
「お久しぶりです……」
実はこうして会うのは久しぶりだ。日々の学校生活や幻想世界に転移されたりと、会いに行けるタイミングが無かった。久しぶりに再会できて嬉しかった。
「針南ちゃん。幻想世界のことが聞きたいな!」
これがいつものやり取りだった。霊音は私の手帳を基に幻想世界の情報を記録している。
「じゃあ、私は仕事に戻るので! 針南ちゃんと霊音ちゃん、いつもの部屋なら開けてあるからね! ゆっくりしてってね!」
「はい、ありがとうございます!」
木霊はカウンターの方へと向かった。今日はいつもより冒険者さんの数が多く見える。式神だけでは追いつかないのだろう。
いつもの部屋とは私と霊音が幻想世界について話し合う部屋。普通のスタッフルームである。私と霊音はスタッフルームへ向かうため、エレベーターのある部屋へとやってきた。
「このエレベータを見る度に思い出しますね……」
エレベーターを見て呟いた。
「うん、私が初めて針南ちゃんと会った場所……と言ってもいいのかな?」
このエレベーターは幻想世界に転移した場所だった。転移体質が封印されていた時期、特殊な方法で幻想世界に転移した。エレベーターから電車内に入り、そこで歯眼族のシャルナと出会った。彼女は元気にしているだろうか。
上ボタンを押してエレベーターが来るのを待つ。甲高い音が一つ聞こえた後に扉が開き、中へ入る。『2』のボタンを押して扉が閉まる。ゆっくりと上がっていく感覚が足元から伝わる。
「最近の幻想世界はどう?」
「最近の幻想世界、いつもと変わらない感じかな……」
「私も幻想世界にはたまに行くんだけど、ここ良いなって思う世界は無いなぁ。関心無いまま帰ってきちゃう事もあるね」
お互い幻想世界に対しての驚きが薄くなった気がする。幻想世界に転移して、散策して、ある程度世界を見たら自分の世界に帰る方法を探る。帰る方法も解らないまま散策していると、気付けば帰還している。この一連の流れが頭の中で確立しそうになっている。幻想世界が余りにも不明瞭な空間、故に幻想世界の考察が合っているか、間違っているかすらも解らないままである。そうして今も幻想世界と向き合っている。
『二階です』
アナウンスと共にゆっくりと扉が開く。私達はエレベーターを出てスタッフルームへと向かおうと足を踏み出した。
「……?」
しかし、扉の向こうに広がっていた風景を見て硬直した。扉の先の風景が思っていた場所ではないと一瞬で理解した。
「え……」
「嘘……」
少しの沈黙の後、幻想世界に転移したと理解した。
「針南さんの体質ってやっぱり凄いね」
「私に言われても……」
私達はエレベーターから降りる。それを見計らったかのようにエレベーターの扉が閉まった。
そこは襖に挟まれた一本の廊下だった。廊下は奥へと続いていて、先は暗くて見えない。
「針南ちゃん、どうする?」
「進むしかないんでしょうか……襖も気になります」
今できる事は、廊下を進むか襖を開けるかの二択だけだった。
「うーん。試しにこの襖、開けてみる?」
霊音がそう言いながらすぐ隣にある襖に手をかけようとした。
その時、突然襖が大きく開いた。
「わ!?」
霊音は開いた襖の中に吸い込まれる。
「霊音ちゃん!?」
私は手を掴もうと手を伸ばしたが届かなかった。
「霊音ちゃん! ……え?」
襖が勢いよく閉まった。すると、襖の中心に青色の呪印のようなものが浮かび上がる。隣も、その隣も、全ての襖にその呪印が浮かび上がった。
「……開かない」
私は襖を開けようとした。しかし、襖はびくともしなかった。この呪印によって開かなくなったのだろうか。
「霊音ちゃん! 聞こえますか!」
声を掛けても返事が来ることは無かった。
「……どうしよう」
私は廊下の奥の暗がりを見た。青色の呪印が奥まで続いていた。暗闇の中に浮かぶ呪印を見て、廊下が奥まで続いている事が判った。
「行くしか、ないのかな……」
私は呪印を辿るように薄暗い廊下を歩く事にした。
***
「……ここは?」
霊音は辺りを見回した。四方が襖で囲まれた質素な畳部屋。部屋の中心に正方形の畳、それを囲む四畳。
「針南ちゃんのところに戻らなきゃ……」
霊音は背後を向く。そこにも襖があったが、それは自身を吸い込んだ襖だと思われる。これによって霊音と針南は分断されてしまった。霊音はその襖を手に掛けて思い切り開けた。力を入れることなく開いた。
「……同じ部屋?」
廊下から入ってきた襖であれば、それを開ければそこには廊下がある筈だった。しかし、襖の向こうは廊下では無かった。同じ形状の畳部屋が広がっていた。霊音はその畳部屋に入ると、残りの三つある襖から一つを選んで開ける。その先もまた畳部屋だった。次々と襖を開けても全て畳部屋に通じていた。
「同じ部屋ばっかりで迷っちゃったな。それなら……」
同じ部屋ばかりが続いて迷ってしまった霊音は無作為に襖を開けていく事にした。何も考えずにひたすら襖を開け進んでいく。そして、ついに変化が訪れた。
「達磨?」
次に入った畳部屋。その部屋の中心に達磨が置いてあった。
「なにこれ……」
堂々と居座っている達磨は、今にも動き出しそうだ。指先で突いてみたが何も起こらなかった。
「せっかく何かあると思ったのに……」
そろそろ畳部屋の風景に飽きてきた。霊音は達磨を気にしながらも次の襖を開ける。依然変わらない畳部屋が広がっていた。
「……?」
と思いきや、霊音は畳に落ちていた物を見つけてそれを拾い上げた。
「これは紐? でも紐にしては硬い……」
それは細くて茶色い紐だった。手触りで紐の硬度を確かめる。これは藁だろうか。霊音は紐を弄りながら次の襖を開けた。
「……」
「……」
襖を開けた瞬間、目の前に一人の女性が立っていた。霊音と女性は暫く目と目を合わせていた。その女性の目からは白い歯が生えていた。
「……え」
「……あ」
「うわあああああああ!?」
「きゃあああぁぁぁぁぁって、あれ? ……も、もしかして霊音さん、ですか?」
「……あれ? この声は……シャルナちゃん!?」
霊音は改めてその女性の顔を見た。目に歯が生えている。この特徴的な風貌は間違い無い。過去に針南と行った幻想世界で出会った歯眼族の少女、シャルナ・レドラスだった。
「なんでこんな所に……?」
「えっと、ここはオーナーさんのご自宅ですが……」
「オーナーさんって写真を撮ってくれたお兄さん……だっけ?」
「はい、そうです」
あまりにも想定外の事態に驚いた。この世界はオーナーの家宅。最初は疑ったものの以前出会った事がある人物から言われると信じざるを得ない。
この世界の情報を思わぬ形で得ることができた。シャルナとの再会を喜びたいところだが、霊音にはまだ理解ができていない所があった。
「シャルナさん、この部屋どうなってるの? ずっと同じ部屋ばかりで迷っちゃって……」
この無限に続く畳部屋の事だった。
「この部屋はオーナーさんの自室に行くために通る部屋です。その自室に行くにはシンボルを見つける必要が有って…… 確か、達磨が置いてある部屋なんですけど……」
「達磨? それなら隣の部屋にあるよ!」
「本当ですか? 丁度私も探してたんです!」
探してたということは、おそらくシャルナも迷っていたのだろうか。
「達磨のあった部屋、まだ覚えてるから案内するよ!」
「はい!案内宜しくお願いします!」
私とシャルナは達磨のある畳部屋へと移動した。達磨があった部屋を出てすぐっだったので、まだ覚えていられた。もし部屋を出てから何十室も移動していたら、覚えていなかったらだろう。
「すぐ近くまで来ていたんですね……!」
「この達磨って何かあったりするの?」
「達磨はたしか……関係が無かったはずです」
「え?」
明らかに何かありそうな達磨。ただの置物だとはっきり言われた。
「あ、でも目印として置いてあったはずです! とはいえ、ここに来るまで結構時間がかかりますが……」
この部屋までの道標が一番必要だろう。
「えっと確か……」
シャルナが部屋の壁に手を当てている。何かを探しているようだ。
「……ありました!」
カチッ
何かを押した音が聞こえた。直後だった。
プシュー!
「!?」
突然、部屋全体が白い煙に包まれる。霊音は幽体なので煙を吸う心配はないが、シャルナは煙を吸い込んでいるだろう。
「シャルナちゃん! 大丈夫!? この煙、毒とか入ってたりしない!?」
「ケホッ……大丈夫です! この煙は無害なので安心してください!」
シャルナが大丈夫そうで安堵した。煙は少しずつ晴れていき、薄らと部屋の間取りが見えてきた。
(……?)
部屋の間取りが畳部屋とは異なっている事に気付いた。やがて部屋全体が明らかになった。これは書斎だろうか。箪笥には古めかしい書物がずらりと並んでいる。壁には電車が写っている写真が幾つもかけられていた。窓からはオレンジ色の光が射し込み、和やかな雰囲気を感じる。
「ここは……」
「わぁ! 本当に帰ってこれました……!」
「帰ってこれた?」
「はい、オーナーさんが達磨が置かれている部屋の壁にあるスイッチを押すと自室に行けるって言ってました! 煙に包まれると自室に辿り着く! 面白い仕掛けですよね!」
シャルナは目を輝かせていた。
「あ、あぁ……」
霊音はよくわからない声が出た。
一体どういう仕掛けなのかと尋ねたら、きっと解らないと答えてくるに違いないだろう。
そんなことを考えていた時だった。室内にある窓全てに上からカーテンが閉じられていく。光は遮られ、部屋の中が少し暗くなった。
「え?」
「何でしょう……」
先程まで和やかな雰囲気だった書斎が一変、微量の恐怖感を醸し出す部屋となる。ふと針南の姿が脳裏を過った。
***
霊音と離れ離れになってからどれ位歩いただろうか。同じ光景が永遠に続き、そろそろ飽きてきた。
コン……
コン……
コン……
「?」
私は後ろを向いた。背後から音が聞こえてくる。襖が閉まる時に聞こえる音が連続して聞こえてくる。その音は段々大きくなると同時に、音の間隔が狭まっていた。
コン……コン……コン……
「……!」
嫌な予感がした。そう思った時には既に廊下を走っていた。その音は私の目に見えるところまで来ていた。後ろを見ると、暗闇からこの音の正体が見えてきた。沢山の襖が閉まっていくのが見えた。今まで歩いて来た廊下が襖によって遮断されていく。
「はぁ……はぁ……」
私は迫りくる恐怖に煽られながら走る。背後の襖の閉まる速度は尋常ではない。体力に自信が無い私は全力で走ることが難しくなっていた。襖との差が少しずつ縮まっていく。
(何か……何かないの!?)
私は廊下の奥に目を凝らした。すると、暗闇の向こうから薄らと光る何かが現れた。現れたと思えば、その何かの所をすぐに通過した。一瞬しか見ることができなかったが、それが何なのかはその一瞬でも理解できた。
(……花?)
それは薄青く光る一輪の花だった。どうして廊下に花が生えているのだろうと思っていたが、暗闇の向こうから見えてきた薄青い光に意識が向いた。
「……! 出口!?」
私は力を振り絞り、光の先へと飛び込んだ。
「あうっ!!」
勢いよく飛び込んだ先は思ったより地面が下にあり、片足を付いたものの体勢が取れないまま前に転んでしまった。同時に背後から聞こえていた襖の閉まる音は聞こえなくなった。その方を見ると、先程まで全力疾走していたであろう廊下は襖によって遮られていた。閉じられた襖には青色の呪印が浮かび上がった。もう廊下に戻ることはできないようだ。
「はぁ……はぁ……」
全力で走った反動がやって来る。私は息が整うまで休憩した。
***
「いてて……ここは?」
息が整った所でゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡した。
「綺麗な場所……」
円形の大きな部屋。そこには廊下を走っている時に見かけた青色の花園が広がっていた。よく見ると床は畳だった。この花々は畳の隙間から生えていた。そして、何より気になったのが、その花園の中心部分にはぽっかりと黒い空間があった。私はその黒い空間の近くまで歩み寄る。
「これは、穴?」
黒い空間の正体は人一人入れる程の大きさの穴だった。その穴からは風を感じる。ここから何処かに繋がる場所があるのだろうか。
私は再び辺りを見渡した。この穴以外に気になる所は無かった。
「ここ以外に行く所が無いの……?」
私は生まれてきてから何回落下しただろうか。幻想世界は私に落下する事を強いているのだろうか。
何度回りも見ても、行くところはここしかないようだ。私は深呼吸を一つして、心の準備をした。
「……行くしかない」
私は意を決して穴の中へ飛び込んだ。




