第十録 「夕方の学校の世界」
佐乃咲雫はゼラードと一緒に廃校舎の廊下を走っていた。しかし、逃げた先は鏡の部屋だった。逃げ場が無くなり、万事休すかと思っていた。
しかし、私は今暗闇の中にいた。暗くて見えないが、意識ははっきりとしていた。私はその場で立ち上がり、辺りを手で確認すると、背後に壁があった。その壁を手で伝って歩いていく。すると、壁とは違う何かが手に当たる。凹凸のある何かがそこにあった。私は凸の部分に指を置き、少し力を込めて押し込んだ。カチッと音が鳴ったと同時に、暗闇だったこの部屋に光が照らされた。
「……!」
私は突然の光に目を瞑った。光に慣れてきた私は目をゆっくりと開けた。目の前には壁一面を覆う程の大きな鏡があった。私はその鏡の前で倒れている人を見て驚いた。鏡にもたれかかっているゼラードと、その隣で倒れていた七珠針南がそこにいた。今まで見つからなかった針南がそこにいた。私は針南の所へ駆け寄った。
「針南さん、針南さん……!」
「……?」
声を掛けると、針南はゆっくりと目を開けた。
「針南さん、良かった……!」
私は歓喜のあまり針南に抱きついてしまった。
「わわっ、雫さん!?」
「あぁ! ご、ごめん、嬉しくて、つい……」
私は動揺して抱擁を解いた。
「……私も嬉しいです。幻想世界で会うことができて……」
針南は隣を見た後、私に問いかけてきた。
「あの、どうしてゼラードさんがいるんですか……? ここって幻想世界ですよね……」
「私に言われても……」
「……ですよね」
私と針南が話をしていると、ゼラードが目を覚まして私達の方を見た。
「ふぁ〜ぁ……ん?」
ゼラードに一番最初に話し掛けたのは針南だった。
「あの、ゼラードさん。ここ幻想世界ですけど、体は大丈夫なんですか?」
「あー……うん、ここに来た時は死ぬかと思ったけど、なんとか生きてるみたい」
「もしかして、幻想世界は誰でも行けたりするのかな……」
針南がそう言うと、ゼラードは顎に手を乗せて考えた。
「……それは私にも判らない。ただ、幻想世界に来た時に何かしらの負担を感じるのは確かだと思う。針南さんや雫さんのように、幻想世界に行く事ができる体質を持っていると、その負担は掛からない。つまるところ、体質を持たない者は来たら駄目ってことだね」
「私、少し心配です……」
針南が眉を顰めてそう言った。
「うーん……。今は平気だけど、もしかしたらこの後体調を崩すかもしれないね……っと」
ゼラードはそう言いながら立ち上がった。
「ちょっと話の整理がしたい。針南さん、雫さん、良いかな……」
「はい、私も二人の事、知りたいです!」
「うん、大丈夫」
私達がこの世界の事で話を始めようとした時だった。部屋の扉が突然開いて誰かが入ってきた。
「ひゃ!? 人が沢山……って、あなたは──針南……さん?」
「もしかして、鈴音さん?」
この部屋を開けた人物はどこにでもいるような女子生徒だった。同時にどこかで見たことがあるような既視感を覚える。針南はこの人を知っているようだった。その女子生徒は部屋の外を一瞥すると中に入り、扉を閉めた。
「久しぶりですね、針南さん。何が何だか分からないんですが……」
「私もまだ分かっていないので、これから話し合う所でした……」
「私はこの話し合いに参加しても良いんですか? もし、駄目だったら外に出ますが……」
「ゼラードさん、大丈夫ですか?」
「あぁ。どうやら、針南さんと関係があるみたいだし」
「ありがとうございます! よ、よろしくお願いします!」
こうして鏡の部屋で私、針南、ゼラード、そして突然やって来た謎の女子生徒との話し合いが始まった。話し合いのまとめ役はゼラードに託された。
「とりあえず……まずは君の事と、針南さんとどんな関係があるか教えてくれるかな?」
「はい、私は岸花鈴音です。この学校の生徒です。針南さんとは一年前に会いました」
「一年前、か……。ふむ、じゃあ次、針南さんに訊きたい」
「……はい」
「針南さんは鈴音さんと会ったことがあるようだけど、会った時にいた世界はどんな感じだった?」
「幻想世界の中ではとても綺麗な世界でした。ただ、気になる事があって……」
「気になる事?」
針南は部屋の周囲を見渡した。
「私がいた世界に、この鏡の部屋があったんです……」
「……奇遇だね。私も雫さんと一緒にいたけど、この部屋があった」
それを聞いた針南が少し驚く。
「あの、雫さんとゼラードさんはどんな世界に行ってたんですか?」
「この学校……いや、世界全体が廃れていた世界だったよ」
一年前。世界全体が廃れている。私は繰り広げていた話し合いの内容を黙々と聞いていた。そして考えていた。私は過去に読んだ時空学の本を思い出した。
「未来の世界……」
「雫さん?」
「あぁ、いえ、その……現実的な話ではないですが……」
「話してみて。大丈夫、ここはそもそも現実的な世界じゃないから」
私は数少ない情報を元に考えた事を話す。
「そうですね。私達が今いる世界は時間と関係してるんじゃないかって」
「時間……そうか!」
「ゼラードさん、私、まだわからないんですが……」
「針南さんと同じくわかりません」
「ゼラードさん。あとはお願いできますか?。私は説明が下手なので……」
「うん、任された」
ゼラードがそういうと針南と鈴音に説明を始める。
「まずはどこから説明しようか。とりあえず今ここにいる世界を基準にしたらわかりやすいかな。大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
「……はい」
「鈴音さんはここの世界の人だから少し難しくなるかもしれないです」
「大丈夫です。お願いします」
ゼラードは話を続ける。
「うん。針南さんが行ったとされる世界は、きっとこの世界の一年前の世界だ」
「一年前、過去の世界?」
針南が何となく理解したようだ。
「そうなるね、じゃあ私と雫さんが行った世界は一体何なのか……」
「……未来の世界?」
鈴音が答える。
「その通り。私達が行った廃校はこの学校の未来の姿。廃校にもこの部屋があった」
「それって……」
「あぁ、私達は元々一つの世界の中にいた。ただ、違う時間軸にそれぞれ飛ばされた。針南は過去の世界、私と雫は未来の世界に飛ばされた。鈴音さんは普段の生活を過ごしていただけってことになる。……これでわかったかな?」
「と、とりあえず理解はできました」
ゼラードは説明を終えると、一息ついた。
「ふぅ、まぁこんなもんかな?」
「私の代わりに説明してくれてありがとうございます」
「私からも感謝だよ。雫さんの一言があっての答えだからね」
そう言われると少し照れる。
「さてと、この世界の絡繰が解った所でこれからどうするか……」
「そうですね……」
「うん……」
針南も無事に見つかって、この世界の謎が解けて、後は元の世界に帰るだけとなった。しかし、どうやって帰ることができるか。帰り方を考えた所でどうしようもない。それでも何か方法がないかを考えていた。
各々が元の世界に帰れる方法を考えている時だった。
「あ、あの……」
鈴音が私達に声を掛けた。
「鈴音さん、どうしたの?」
針南が返答した。
「あの、私の勝手ですいません。今、丁度探し物をしてて……」
「探し物?」
「はい、マフラーを探しているんです。学校内のどこかにあると思うんですが……」
「マフラー……」
「いきなりでごめんなさい……! マフラー探しを手伝ってほしいです。あのマフラーは大切な物なんです……」
「私は大丈夫ですけど……雫さん、ゼラードさん、一緒に手伝うことってできますか?」
針南は私とゼラードに提案した。私は無言でゼラードの方を見た。ゼラードは顎に手を当てて少し考えた。
「私は大丈夫だよ。雫さんもいいよね?」
「あ、うん……」
私は縦に頷いた。
「ありがとうございます!」
鈴音は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、そうと決まったら組み分けをしよう」
「組み分け?」
ゼラードが組み分けを提案する。針南は目を丸くした。
「流石に四人別々に分かれるのは心配だ。とはいえ四人固まって探すのも効率が悪くなる。ここは二組に分かれて探そう」
「わかりました」
「じゃ、針南さんと雫さん、お願いできるかな?」
「へ?」
ゼラードは自分勝手に組み分けした。私は驚いてゼラードの方を見た。ゼラードは無言で頷いた。次に、私は針南の方を見た。
「雫さん、よろしくお願いします!」
「あ……うん」
「じゃあ私は鈴音さんとね。鈴音さん、よろしくね」
「はい! よろしくお願いします……!」
マフラー探しを始めようと、私達は鏡の部屋を出ようとした。
「あー……でも、待って。鈴音さんは大丈夫なんだけど、私達怪しまれない?」
「そうですね……」
怪しまれるのも仕方がない。校舎内の一室から知らない人がぞろぞろと出てくるのを見た人は、不審に思うに違いない。
「あはは……。職員室に行って許可を下ろしてもらうしかありませんね……。案内しますので、付いてきてください」
鏡の部屋を出て、更にもう一つの扉を開けて廊下へ出る。生徒の姿は無く安心した。窓から差すオレンジ色の光が、現在の時間帯が夕方である事を教えてくれた。校舎内を見回すと、雰囲気は違えどあの時の廃校舎とよく似ていた。
鈴音の先導を頼りに、私達は職員室の前へとやって来た。
「ここが職員室です、少し待っててください」
鈴音が職員室の中へと入り先生を呼び出す。先生はこちらへやって来て、私達の方を見た。私達はとりあえずリアクションを取る。先生は軽く会釈をすると、職員室の扉をゆっくりと閉めた。
少し時間が経過して、鈴音が職員室から出てきた。その際、四つ折りにした紙をポケットの中に入れていた。そして、鈴音は手で丸をつくった。どうやら許可が下りたようで私達は安心した。
「じゃあ、これから各自で探索しよう。集合場所はどこがいいか……」
ゼラードは集合場所を考える。
「んー……さっきの鏡の部屋にしておく?」
「大丈夫です!」
「……大丈夫」
「私も賛成です!」
「よし。じゃあ私と鈴音はこっちから探すから、針南さんと雫さんは反対側からお願いするよ」
「はい!」
私達は鈴音のマフラーを探すため二手に分かれた。
***
私はゼラード・ジェスター。デルレートという世界で魔法使いとして活動している。そんな私は今、デル=レートを離れ、幻想世界と呼ばれる未知の場所に来ている。デル=レートの世界観とはまた違った景観で、とても新鮮味を感じている。
職員室がある館を出て、渡り廊下を経由して教室が並ぶ館に移動した。現在、私はこの世界の人間である岸花鈴音と廊下を歩いている。鈴音が大事にしているマフラーを探す為に、針南と雫とは別々に分かれて探索を始めた。
「改めて私の紹介をするね。私はゼラード・ジェスター。よろしくね」
「よろしくお願いします……! 私は岸花鈴音です」
鈴音は少し緊張しているように見えた。
「まぁ、そんなに緊張しなくてもいいよ!」
「は、はい! ありがとうございます! あの、ゼラードさんとお呼びすればいいですか?」
「うん」
「ありがとうございます。ゼラードさん、早速質問、良いですか?」
「なんだい?」
「針南さんとはどういう関係なんですか?」
「先生と生徒の関係、私は針南さんの担任だよ」
「先生だったんですか!?」
鈴音は驚いた表情で私の方を見た。まぁ、今着ている服は外出先で訳有って着る事を余儀なくされていたこともあり、先生らしさは皆無だ。デル=レートに帰ったら着替えよう。
「ところで鈴音さん、今どこに向かってるの?」
鈴音にどこへ向かっているか訊く。
「あ、私の教室に向かってます」
鈴音はすぐ隣の教室のクラス表札を見た。すると、鈴音が突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「私の教室、行き過ぎました……」
「あはは……」
目的の部屋に向かう時にぼーっとていたり、会話が弾んだりしている時、目的の部屋に気付かずに通り過ぎてしまう事がある。わかる。私も過去に似たような事をした記憶がある。
私達は鈴音の教室へと引き返した。教室を三部屋通過して、目的地である鈴音の教室の前までやって来た。
「ここです! ごめんなさい! 私が気付かなかったから……」
「ううん、全然大丈夫だよ」
鈴音はホッと胸を撫で下ろす。
「では、入りましょう」
鈴音が教室の扉を開けて中に入る。私は後に続いて教室へ入る。教室の中は私と鈴音以外誰もいなかった。静寂とした教室だったが、夕日に照らされた教室は、ほんのりとオレンジ色に染まる。私はその風景に少し見惚れていた。
「あ!」
その声で我に返った私は鈴音の方を見た。鈴音は一点を見つめていた。私は鈴音の目先にある物に目を向けた。
「あ、マフラー」
私達は椅子に掛けられていた赤色のマフラーを見つけた。鈴音はその椅子の所に歩み寄り、マフラーを手に取った。
「ありました……。自分の席なのに……」
「あっさり見つかって良かったね」
「はい……。手伝ってもらう必要もありませんでしたね……。すいません、私の確認不足でした……」
鈴音は申し訳なさそうにしていた。
「そんな事はないよ」
「え?」
「誰だって物忘れをしてしまう時はあるよ。こうして見つけることができただけで、私は安心したよ」
「……ありがとうございます」
鈴音は安堵すると、マフラーを首に巻いた。
さて、無事マフラーも見つかった事だし、二つ目の計画に移るとしよう。
「鈴音さん。今から針南さんと雫さんの所に合流しようと思ってるんだけど、ちょっと考えがあるんだ」
「……?」
私は鈴音に二つ目の計画の旨を伝えた。とは言っても、針南と雫の様子を少し離れた位置から見守るだけなんだけど。
「なるほど……わかりました!」
「じゃあ、早速行こうか」
「はい!」
私と鈴音は針南と雫の所へ向かった。
***
夕日に照らされた校舎内には静かな空間が広がっていた。やはりこの校舎はあの新校舎の世界と酷似していた。
私、七咲針南は佐野咲雫と共に鈴音のマフラーを探していたが、それとは別に、雫に話し掛けるタイミングを伺っていた。
次の教室を探索しようと廊下を歩いていた。今が一番のタイミングだと思い、雫に話しかけようとした。
「……あの」
「針南さん」
「……!」
雫が私に話し掛けてきた。雫から話しかけられる事を想定していなかった私は戸惑った。
「……何、ですか?」
雫は目線を斜め下にずらしながら話し始めた。
「あの時、何も言わずにいきなり帰っちゃって、その……ごめんなさい。びっくりさせちゃったよね……」
「あ……いえ、私は全然気にしていないので……大丈夫です」
雫は私の方を何度か見ていた。
「あの……針南さん。私の話……学校の話、聞いてほしいな」
「……はい」
私が縦に頷くと、雫は自身が学校で体験した事を話してくれた。
……。
その話を聞いた私は体が震えて恐怖を感じた。私は胸が痛む話に対して怯えた表情を作っていた。
「針南さん、私はもう大丈夫だから……」
「……!」
私は深呼吸を一つして心を落ち着かせた。息を整えてから話し掛ける。
「本当に、大丈夫なんですか……?」
「……うん、大丈夫。今私はここにいる。針南さんと出会って、少し変わったんだ」
気持ちの整理が追いついていなかった。混乱した感情の中、私は話そうと思っていた内容を話し始めた。
「あの、その、雫ちゃん。私も謝りたい事が合って……。雫ちゃんがいなくなった後、雫ちゃんの事しか考えてなくて……その……」
途中まで話したところで言葉が見つからなくなった。私の頭の中はバラバラになったパズルのようにぐちゃぐちゃになっていた。
すると雫はゆっくりと近付いてきた。
「……」
「……!」
次の言葉を探そうとした時、雫がとった行動で私の思考が停止した。突然、雫は私を優しく抱擁してきた。身長は同じ位かと思っていたが、雫の方が少し背が高く、私は包み込まれる形になっていた。
暖かい。言葉や文章が乱雑になっていた頭の中が真っ白になっていく。雫は優しい声で私に話しかけてきた。
「落ち着いて、私は大丈夫だよ。針南さん、私の事をそこまで考えてくれてたんだ。……ありがとう。針南さんとは、これからも一緒にいたいって思ったよ」
「……っ、私は……私は」
私は真っ白な頭の中に残った言葉を発しようとするも、上手く話せなかった。
「針南さんの言いたい事は……多分、私の言いたい事と同じだと思う」
「……!」
「針南さん。私と"友達"になろうよ」
その言葉を聞いた瞬間、心の底から何かが湧き上がる。目頭が熱くなり、抑えきれずに零れていく。
「もう、友達だよ……!」
私はそう答えて泣いた。




