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外伝・記されていなかった物語  作者: 雨天紅雨
■沢村まい、潦兎仔、砂野ゆう、斎賀あすか
2/61

憧れの人と突発的な遭遇

 憧れを抱いた時、人はどうするだろうか。

 眩しすぎれば、敬遠するかもしれない。けれど、身近ではないにせよ、もしかしたら手の届くかもしれない憧れであるのならば、一歩を踏み出すかもしれない。その先にあるものを見れば、己の道の先にあるのだと認めれば、その背中を追うためにと思うだろうか。

 少なくとも沢村マイにとっては、違うものだからこその憧れであった。

 ともすれば否定的な見解にもなるそれは、つまるところ、ああはなれないという諦めに近いものだ。自分では決して、ああはなれない。だから妬むのではなく、羨むのではなく、素晴らしいと心を奪われる。

 だから、そうなりたいか? 否だ、なれないからの憧れ。故に、結論は単純で。

 ならば自分は、自分であるために、ただ自分となろう――そうやって、自分の道を歩むのだ。

 一方的なものだった。ほとんど偶然に発見して、実際に逢ったこともない人物の生きざまを、ただ綺麗だと思って、そうはなれないからこそ、負けていられないと奮起したこともある。それを友人に話せば、単純だなと、にべもなく言われたり。けれど落ち込んだ時には憧れを思い出し、活力にしていたのも事実だ。


 ――だとして?

 そんなマイが、憧れに出逢ったら?


 2056年、八月八日、時刻は十三時頃のことだ。

 夏のうだるような暑さは、日差しの強さよりもむしろ湿度の高さに辟易(へきえき)する。

「冷房で適温設定の自室から出る馬鹿はお前か。辟易するようなことをやる間抜けもお前だな」

 などと、友人は言っていたが、お前は家から出なさすぎる。そっちの方が問題だろうし、マイの仕事上、たまには外に出ての顔合わせも必要なのだ。まあ、本当にたまにであり、必要があるのかと問われれば、そうでもないので、問い詰められると困る。

 いやむしろ、外に出たくない友人からどうして問い詰められなくてはならないのかと考えれば、実に不思議なことだけれど、つまるところ〝外に出ない〟ことを証明する一環かと思えば、ため息の一つも出る。

 そんな友人だとて、学園に通っている以上は家を出ることもあるのだが、この夏場だというのに長袖を着ているし、その上、洋服に(かさ)なんぞを頭に乗せているのだから、場違いというか、ちぐはぐというか、お前は陽光になんの恨みがあるんだと逆に聞きたいくらいだ。

 ともかく――夏なんてのは、暑くて当然だと、シャツが汗で張り付くのにもいくぶんか慣れたマイは、腕時計に目を走らせる。待ち合わせの時間は刻一刻と近づいているが、あまり早く行っても仕方がない。時間を争う仕事ならば自宅にいる時の方が多いし、いうなれば近況報告みたいなものだ。

 けれど、だからといってそれほど猶予があるわけでもなく。


 ――憧れを見つけた。


 ぴたりと足が止まる、だがその瞬間にすれ違った。

 この時点でマイは半ばパニック状態だ。

 どうして? なんで? 今ここに? 路傍ですれ違う確率? 次に逢える可能性?今を逃した時の損失? 逃さないための手段? 方法?

 いくつもの疑問が頭を埋め尽くしながらも、けれど躰は振り返り、まだ二歩の距離を残した時点で。

「――あの!」

 声をかけていた。

「失礼、あの」

 周囲に、通行人がいなかったのが幸いだった。張り上げた声を誰も意識しておらず、届くのは小柄な彼女へ。もちろん周囲の状況なんぞマイにはわかっていないし、二言目からは落ち着いた声色になったのも、常識的な配慮が欠けていなかっただけだ。

 一見すれば少女とも思える小柄な彼女は、足を止めて振り返る。頭一つ以上は違うんじゃないかと思われるほどだが、見上げる視線は強く、ほぼ睨むようなものになっていた。


 ――それを、悪くないと思えたのは、どうしてか。


「あー?」

「突然すみません、あの、ええと――あ、(にわたずみ)さん、ですよね?」

 言えば、目がやや細められる。警戒の色? 否だ、それは探りの色。あるいは推し量っていると言うべきか。

「おー、そうだけど、なんだ」

 けれど、目に表れているからといって、口調や態度までは変わらない。

 だが。

 本人確認ができたところで、何を言えばいい?

 予期していなかった出逢いであるし、言葉を用意していたわけでもなく、仮にあったとしても混乱していては選べない。

「えっと、そのですね、俺は――あの」

 混乱によくみられる状況だと、すぐに察した彼女は正面を向き、小さく苦笑を落とした。

「今思ってることを、はっきり言え」

「あ、はい。あなたのことが好きです。もっと知りたい――あ、俺のことも知って欲しい」

「――は?」

 半分口を開いて、ぽかんとした表情で硬直した彼女を見て、混乱が一気に消えて落ち着いてしまった。ああ、この人は、こんな顔もするんだなと、ごくごく当たり前のことを、ありがたいと思って――。

 冷静になってしまったが故に、今放った自分の言葉に気付き、今度は一気に熱が上がってきた。


 ――なに言ってんだ俺⁉


 赤くなった顔は隠せずとも、けれど口元だけは右手で隠し、なんとか悟られないようにした頃、彼女もまた腰に手を当てて、今度は間違いなく睨んできた。

「やるじゃねーか、おい」

「へ⁉」

「何年振りっつーか、初めてかもしれねーよ。三秒とはいえ、あたしが無防備になるなんてな……」

「え、っと……ほ、褒められてんの?」

「一応な。お前、名前は?」

「ご、ごめん! 俺は、沢村まい」

「そうか。悪いがあたしは仕事がまだ残ってる、お誘いはまた次の機会にな。わかったか?」

「は、はい……」

「よし」

 彼女は、そして。

「じゃーな、アリス・ザ・リッパー」

「――」

 最後にそんな一言を残し、すぐに姿を消した。

 追いつこうとも、追おうとも思えなかった絶妙な一言。一瞬の、いや、彼女の言葉に倣えば、三秒間の無防備状態に陥った言葉だった。

 どうして?

 何故?

 今度の疑問は混乱にならず、おそらくと前置した上で、事前情報であることは察することができた。初見ではわからなかったはずのものだ――そこは、混乱していたとはいえ、わかる。であるのならば、名乗りから繋げたのだ。

 つまり、沢村マイがATRであることを、知っていた。

 けれど沢村マイという人物は知らず、ATRという人物像も知らない。けれど、二つが同じである情報を得ていた――まあ、それほど難易度の高い調べものにはならないかと、苦笑。

 苦笑してから、落ち込んだ。

「いや俺マジで何言ってんだよおい……」

 しかも、仕事が残ってるからまたの機会に? 断り文句の王道じゃないか。

 陰鬱な気持ちを抱いたまま、けれど待ち合わせがあるのは事実。ゆっくりと深呼吸をしてから足を進めた。

 向かう先はフェンミーナモルタと呼ばれるイタリア料理店だ。イタリアというよりも、ピザとパスタをメインにしている料理店――ではあるが、敷居は高い。マイは打ち合わせなどでもよく使っているし、足を運ぶこともあるが、基本的には予約制であり、更に言えば座席は全て個室になっている。

 監視カメラこそついているものの――ついてない特別室もあるが――話し合いにはもってこいの料理店だ。

 入り口から足を踏み入れると、小さくはあるが、どこぞの会社の受付のような印象を受ける。全体的な色合いは白だ。

「いらっしゃいませ」

「アリスだけど、ラルさん来てる?」

「――はい、いらっしゃいます」

 信頼があるゆえに、いちいち本人確認などはしない。この信頼とは、使う側と店側のもので、お互いのものだ。逆に言えばそれを破る者に容赦がない。

 ウエイトレス姿の女性がすぐに出て来て、部屋まで案内をしてくれる。ちなみに店内には六つの部屋しかなく、これが予約制が前提になる理由でもあるが、採算が合うだけの予約数と、料理に見合う金額が店を成り立たせていると言えよう。

 ちなみにフレンチをメインにしているシェ・トオノもまた、似たような形式をとっている。ただし、あちらは個室だけではなく、テーブル席もきちんと用意されているため、客数そのものは多い。

 案内された部屋に行けば、既に料理が運ばれており、彼女は先に食べ始めていた。形式にのっとった会合ではないので、まったく問題にもならず、いつもこんな感じなので気にしない。扉が閉まれば、ウエイトレスは中に入って来ない――。

「お待たせしました、ラルさん」

「いつものこと。っていうか、私の方が時間を守れないもの」

 対面に腰を下ろして、一息。まずはとマイはグラスの水を飲んだ。

 ラル――正式には、大輪の白花(パストラルイノセンス)の名を持つ狩人である。

 何故?

 実際、マイはこうした人脈を多く持っている。ならば関係はと問われれば、どちらかといえばマイの顧客だ、と答えるだろう。ラルは事件を解決する、いわゆる刑事に限りなく近い立ち位置の狩人だ。現場百回なんてことを、面倒もなく行う姿には尊敬もするが、しかし、刑事よりも幅広い行動が可能なのは、狩人という職業を知っていれば明らかだろう。

 そして、であるが故に。

「なあに、ちょっと落ち込んでる?」

「ラルさん、それ違う」

 さて料理に手を伸ばそう、そんな段階で問われたが、あっさり否定したマイは。

「――めっちゃ落ち込んでる」

「え、なに、珍しいじゃない」

「いやマジで俺もどうかしてるんじゃないかって思うんだけど、ついすれ違った憧れの人にナンパじみたことをして、仕事があるんで失礼ってな具合で。あー俺なにやってんだろ……ってラルさん、なんですかその眼は」

「あんたも学生らしいことするんだなあって」

 そう言われれば、親子くらいには年齢が離れている相手だった。

「ちょっと待ってラルさん。……学生らしいか、これ」

「失恋のショックを慰められるほどの付き合いじゃないわねえ」

「そうじゃないですよ⁉」

 否定するものの、まあ、半分はそうかもなと思えてしまったので、誤魔化すようにしてパスタを小皿にとって、食べ始める。

「ま、詳しく傷を抉るのはやめておくかな」

「優しすぎて涙が出そう。でもちょっと考えたから言ってるんですよねそれ。ありがとうございマス」

「拗ねないの。――それで?」

「ん、ああ、こっちは順調。特にトラブルもないかな――さっきまでは、ねえもう、うん、ああ……」

「飯が不味くなるから、変な顔をしないの」

「だね。現状維持ってのは性に合わないから、いろいろと錯誤してる段階ではあるけど、それもいつものこと。仕事はそんな抱えてないし、ラルさんも頼みがあるなら聞きますよ」

「私も今は落ち着いているから大丈夫よ。たまに突発的な依頼もあるけれど、そこはそれ、たまには娘の面倒も見てやらないとね」

「俺には真似できない生き方だよ」

 その通り、いつだって誰かの真似なんて難しい。

 どれほど真に迫ろうと、迫るだけで誰かにはなれない。だからこそ憧れを抱き、マイは己の道を胸を張って行こうと決めたのだ。

「学園の方は?」

「そっちこそ問題は何も。俺もあいつも、学園では遊ぼうって決めてるからね。本業を忘れた振りして、楽しくやってる」

「でもあんた、浮くでしょ」

「まあね。実際、野郎連中はともかく、それなりに怖がられてるんだよね、俺。特に中学の頃からの知り合い関係は余計に、俺のことを知ってるから。ラルさんはそういうの、どうだったんですか?」

「私は無縁だったわねえ。狩人なんて、魔術師がほとんどだもの」

「まあ、狩人でまともな連中って、見たことないけど。まともじゃないのが〝当たり前〟ってのもね」

「……なあに、私が変人だって言うわけ?」

「似たようなものでしょう、俺みたいな一般人から見れば」

「どこが一般人なのよ」

「えっと、感性とかですかね?」

「小癪な……」

 屍体を見ても平然としているような感性は、さすがにマイが持ちえないものだ。それどころか、あっさりと条件さえ揃えば屍体を作るような人種である。

 合法的殺人者――なんて、かつては揶揄された職業だ。もっとも、非合法でも見つからなければ問題ない、というのが基本なのだけれど。

 ただ、殺人はともかくとして、バレなければ大丈夫というのは、マイの仕事にも通じる部分だけれど。

 だからまあ、マイ自身もまた、半分くらいはそちら側なのかもしれない。

「あー」

「あんた、本当にいろいろ考え込むタイプよねえ」

「そうだけど」

「失敗した現実があるのに、もっと良い方法があったんじゃないかと考えて、いくつかのパターンを作っておくのは、次の失敗をしない意味では、まあ当然ね。けれど、過去は決して変わらないし、次があるとも限らない」

「だから落ち込んでるんですよ⁉」

「じゃあもっと良い対応があった?」

「う、ぬ……」

 あっただろう。

 あったはずだ。

 けれど、あの状況でそれが取れたかどうか、その質問を続けられた時に、マイは黙るしかないのである。故に、ここで黙る。

「相手の言葉が社交辞令じゃなかったことを祈りなさい」

「ラルさんは何かに祈ることが?」

「ない。冗談以外ではね」

「ですよね! 祈ったってしょうがないでしょ! あーもう!」

「……まあ、過去に戻るような魔導書もあるけれどね」

「――なにそれ。絶対使いたくないんだけど」

「ある一定期間を延延(えんえん)と続けるような術式が強制発動する魔導書よ。もちろん、ある程度の条件はあるけれど……二日くらいの時間をループするの。魔導書の目的は、人間の活動、その情報収集。現実には何も変わらないわね」

「俺が関わらないことを祈ります」

「誰に?」

「えっと、なんかこう、――なにか! なにかに!」

「そのなにかが、失敗もどうにかしてくれるなら、そうなさい」

 慈悲もない言葉に、ついにマイは頭を抱えた。

 わかっているが、そういう現実を突きつけないで欲しい。




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