状況を脱して
――平然と、嘘を織り交ぜる大人だった。
その言葉は見栄と保身。であればその嘘が通ったところで、虚影と堕落が待っているだけとわからぬ愚者は、ただただそれを貫いた。けれどそれが、どれほど巧妙だったところで壁に当たれば四面楚歌。助けてくれと声を上げたところで、偽りを振りまいたのは己自身、実のない者の声は届かない。
そこに鏡があったのならば、より明確に、自分が笑っていたのがわかっただろう。
自業自得、因果応報。
そしてああ、紛うことなき私利私欲。
――目上の者には敬意を払えと、強要する大人だった。
必要以上の圧迫悪政。己を敬意を払われて当然の人間と信じて疑わず、であればこそ疑心暗鬼を嫌う。信じる者のみを傍におき、常に裏切りを考察するそれを、果たして疑心暗鬼と何が違うと矛盾を呈したところで、己が身こそ唯一と思い込んだ愚者を相手に通じるはずもなく、であればこそ孤立は免れない。徹頭徹尾、最初から最後まで独りだった。それを自覚させてやれば、かくして、はりぼての古城はがらがらと簡単に崩れる。
そこに鏡があったのならば、より明確に、自分が笑っていなかったのがわかったはず。
自業自得、因果応報。
そしてああ、紛うことなき私利私欲。
ただ彼は、嘘と偽りとの虚飾の一つとして扱われることを嫌った。
そして彼は、はりぼての古城の一人として扱われることを嫌った。
二人が――中学生になったばかりの二人が、まさか大人を嵌め落とす謀ができるはずもないと侮ったのは誰か。否、現実として二人に才能があったわけではない。
ゆっくりと、じっくりと、時間をかけたのだ。
そして〝身内〟という条件が、細い糸の綱渡りを成功させた。
「だから、ここで手打ちだ」
そう、笑いながら彼は言って。
「ああその通り、縁切りだ」
彼もまた、笑わずにそう言った。
二人が陥れた人物の被害者は、それなりにいる。特に被害を被った三社の重鎮に対し、にべもなく、二人は告げる。
「結局のところ、嘘吐きの息子は嘘吐きで――」
「偽善の息子も偽善である、そんな幻想をお前たちは捨てきれない」
「だからこそ、お互いにここからはもう、知らぬ存ぜぬの他人になった方がいい。俺はお前らを知らないし、あんたたちも知らない」
「俺らはそれぞれ一千万の資金を得て、市井に消えるってわけだ。監視をつけるのは止めた方がいいぜ、それが既に干渉だ。お互いに犠牲者なら、忘れた方がいいだろ?」
冷静に考えれば、大人である彼らにはわかったはずだ。
二人がやった奇跡にも似た綱渡り。児戯に等しいと言うには結果が伴ってしまったが、それこそ子供の悪戯のような手管。同じことが二度や三度と繰り返されるものでもなく――そして、その被害者が、もう次にはいないという事実。
だからこそ、彼らも忘れることができたのだ。
かくして、彼らは自由の身となる。だが空を舞う鳥はエサを求めて飛び回り、身を休めるための止まり木を見つけるよう、自由であればこそ、必要なものは山積する。
故に子供は庇護下を得る。
自由を得て七日後、二人が足を向けたのは、名古屋にあるビルの一つだった。
結局――全てを忘れて一人で生きることを、彼らは選択しなかった。しかし、共犯者である過去は過去、それはそれと棚上げし、お互いを友人であると認め、手を貸すのでも借りるのでもなく、一緒に歩むのでも離別するのでもなく、学び舎を同じくするただの友達であろうと、そう決めたのだ。
「うわ、俺軍人とか初めて間近で見た。すげー圧迫感、なにこれ」
「俺だって同じだ」
にやにやと笑う男と、笑わずに吐き捨てる男は、受付で挨拶を済ませてから、指定の部屋までエレベータで移動する。
「お前さ、ここ数日を振り返って、どっちが〝マシ〟だと思う?」
「今」
「――だよなあ。生きることの困難さ、諸般の手続きとかすげーあるけど、その方がよっぽど、生きる実感があるぜ」
「同感だな。偽りの部品よりはマシだ」
「虚影の礎より、よっぽどな」
そうして、彼らは扉を叩いた。礼儀など知らない、何故ならば彼らは軍人ではないからだ。
待っていたのは、老人と呼ぶにはまだ若い風貌を持つ、けれど青年と呼ぶには老いた男だった。
「おう、来たか」
今どき、デジタルではなく紙媒体の書類をいくつか手元で移動させながら、座ってろと言い放つ。
「お前らの事情は全部知ってる。で、晴れて俺がお前らの保護者だ。そんな俺から伝えることは一つ、好きに生きろ。ガキはただそれだけでいい。俺の詳細が知りたいならまた後で、じっくり腰を据えて調べてみろ。今はアキラって名前だけ覚えておきゃいい」
ノックが聞こえたので、二人は左右に別れる。顔を見せた女性は笑顔と共に珈琲をテーブルに三つおくと、小さく頭を下げてから去った。
「飲んでけ、悪くはねえよ。戦地じゃないしな。で? これからどうするんだ? なんか希望はあるか」
「面倒なく生きていきたい」
「面倒じゃない仕事なんて、面倒な仕事の前触れだろ。馬鹿言ってないで、てめえで面倒を減らすために、面倒をやれ。お前は?」
「とりあえず楽しく」
「お前も馬鹿か。辛い時がなけりゃ比較して楽しくもならねえよ。仕事に娯楽を求めるなら、娯楽を仕事にしろ。晴れて詰まらん仕事のできあがりだ」
まあいいと、やはり作業を続けたままアキラは言う。
「保護者、後見人、まあなんとでも。一人だといちいち面倒な社会だと気付き始めた頃合いだろ。文句はあるか?」
「ありがたくて涙が出るね。なあおい」
「まったくだ」
「そのクソ面倒を俺が片づけるって現実も見ておけよ、ガキども。生き方に注文はつけないが、いくつかできそうな仕事を回してやる」
「詳細は?」
笑いながら問えば、やはり返事は見向きもせず。笑わない少年は珈琲を手に取り、片方をもう一人へと渡す。
「お前はとりあえず爵位を取れ。好きだろう?」
「あー……」
「で、そっちのは部屋から出ずに電話連絡だけで、上手くやりゃできる仕事だ。面倒がなくていいだろう?」
「……まあ、ある程度は」
だろうよと言ってようやく、手を止めたアキラは立ち上がって、応接用のソファに腰を下ろし珈琲を手に、遅く。
二人の顔を見た。
「さて――質問は?」
「対応が澱みねえんだけど、この人。あー、んじゃ、どうして俺らを拾ったんだ?」
「ああ、軍とは関係ないから気にするな。これから関係するかもしれないがな。つまりは前例がある。右も左もわかってねえ、世間知らずのガキを拾うのは俺の趣味だ。前回と違って、まだ常識を知ってるぶん、お前らの方が楽でいい」
「俺らが〝協力〟を求めた連中と関係は」
「関係はない。……繋がりはあるけどな。その差異がどの程度のものなのか、証明が?」
「違いがあるとでも?」
「同じじゃないかそれ」
「後になって結果を知った以上、それが過去のものであるのならば、俺には関係がないことだ。お前らを見つけて拾ったのは、先の通り俺の趣味。情報を揃えたら、そいつらとの繋がりを俺が持っていた。――どこに同じ部分がある?」
「マジで容赦ねえな、この人……」
「連中はお前らのことを忘れてる。だから打診もしなかったし、そもそもする必要もないだろ。俺が拾うと決めた以上、後押しする情報なんかあってもなくても同じことだ」
「拒否する情報の有無は」
「それこそ、必要ない。何故なら、意味がないからだ。お前らが俺を拒絶しない以上はな」
「あんたは軍人なんだよな?」
「厳密に言うのなら違うが、似たようなものだ。正式に言えば米軍特殊任務遂行組織、責任者大佐だ。簡単には、米軍に間借りしている、軍とは別組織の責任者で、軍の仕事を請け負ってもいる――と、こうなる。そっちのお前は、心当たりがあるだろう?」
言われ、笑う男は頭を搔く。
「あーいや、噂程度には。今の〝顧客〟にも、それっぽい人がいて、詳しくは調べられないって現実だけは」
「だろうな。その小遣い稼ぎの仕事を、飯を食っていけるようにするんだな。ほかに質問は?」
少年たちはお互いに顔を見合わせ、けれど、続く言葉はなかった。
「結構」
珈琲を飲み干したアキラは、またデスクに向かうと、いくつかのものを手に取ってから、またソファに座る。
「各自、三つずつ口座を用意した。一つは仕事、一つは私用、もう一つは状況によって使い分けろ。契約してる〝窓口〟が別だから、カードも色が違うしわかりやすい。それぞれ百万ずつ入れてある。返す気があるなら出世払いだ。利子はつけねえよ」
何事にも活動資金は必要だと、そう言われてしまっては返す言葉がない。
そもそも、彼らはそこにも困っていたのだ。何しろ自分の口座など持っていないし、作れやしない。陥れたのが身内である以上、名義は彼らのものであるが、死人の名義など刻一刻と失われるまでのカウントダウンを続ける、手元に置いても意味のないものだ。それをどう
にかしようとは思うものの、やはり、正攻法ではどうにもならない。
そして、ああ、世の中とは。
それさえどうにかできれば、つまり金さえ動かせれば、どうにかなるものなのだ。
「〝慎重〟なお前らに、博打をするなと忠告する必要もないだろう。直通の連絡先は入れておいた、使わないで済むことを祈る。ピックアップした仕事や、学業以外でやるべきことの指針は、そっちの書類に記してあるから目を通しておけ。そんなに悪い話じゃない。〝とりあえず〟で初めても、見返りはあるはずだ」
そこまで言って、一息。
「あとは受け取って帰れ。俺からは以上だ」
なんとまあ、端的なものだろうか。端的? いや、要点だけ、本題だけといった様子。けれど――その方が、良い。
信用も信頼もおけないのは、二人も良くわかっている。であればこその対応と思えば、これ以上ないほど、非の打ちどころがない、対等な扱いだ。それこそ感謝で涙が出る。
「――ああ」
だがそれでもと、鋭い言葉をアキラは放つのだ。
「新しい人生なんてありゃしない。どう足掻いても地続きだ、忘れるな」
その通り。
だがそれを痛感するのに一年もかかるようでは、まったく、彼らもまだまだ子供だったと、そういうことだ。