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7. 秘書の試練

「え…ええ? 明後日ですか?」

 狼狽する私に、小泉さんは明らかに不機嫌な表情で面倒臭そうに言いました。

「木曜日は私用で休みます。異動が決まる前から申請していた休みなので、今更変更出来ません。私の経理課への実質的な着任日は今週の金曜日に決まりましたから、あなたに引き継げる期間は三日間です。ちゃんと覚えて下さいね」

 今、経理課って言われました?

 それよりもこの人、本当に秘書が…いいえ、それ以前に、ここまでの仏頂面と冷たいもの言いで受付事務が勤まっていたのでしょうか。甚だ疑問です。

 と、突っ込みどころはそこだけではなくて。

 まだ昼前とはいえ、もう実質三日を切っているじゃないですか。

 …ということは、たったの二日半?

 どんなに昔の記憶力が良かったとしても、そこは悲しき四十代。短時間に膨大な量の情報を覚えきる自信なんて当然ありません。

 それに、初めての業種で初めて耳にする単語だらけです。

 業界用語に対して説明を求めると、彼女は舌打ちすれすれの音を出して私を睨み付け、

「いちいち話を遮らないで。質問は後でまとめてしてください。それから、さっきみたいな下らない質問も受け付けませんから、質問すべき内容を自分の頭でよく考えてから質問してください。同じことを何回も言わせないで下さいね。ただでさえ、時間が無いんだから」

 と言うと説明の口調を更に早め、メモを取ろうにも全く追い付けなくなるという始末でした。


 …疲れた。

 怒濤の一日が終わり、私は電車のシートにぐったりと体を沈めます。

 座ることができて良かった。

 これが今日の出来事の中で、一番ラッキーなことかも。

 ここが公共の場でなければ、乾いた声ではははと笑っているところです。

 あれから昼休憩になると「私は友人との約束があるので」と当然のように置き去りにされ、独りぼっちで最寄りの喫茶店でランチを取ることになりました。(その方が私も気楽だったので良かったのですが。)

 午後の業務が開始するなり一方的で有無を言わせない早口な説明が再開し、メモが追い付かないならせめて話に集中するしかない、と聞く方に力を入れようとすると「メモを取らなくてもいいんですか? 何度も説明しませんよ。それとも全部暗記するつもりですか」と冷たく言われ、再びペンを持つと一層高速な早口説明。

 昼休憩中に引き継ぎ方針を決められたのでしょうか。完全に嫌がらせを楽しまれているご様子です。

 まとめて資格を取る時に、こういった場合も想定して(するほうが稀でしょうが)速記技能検定も取らなかったことが心から悔やまれます。

 幸い今日の説明は出張旅費精算についてだったので、今までの経験が役に立ち、内容について困ることはありませんでした。

 その説明の間にもアポイント取りの人達が入れ替わり立ち替わりされましたが、訳も分からず反射的に頭を下げ続ける私のことを彼女は紹介するつもりなど一切無く、時々、訪問者の方が気を遣って「この方が次の…?」と水を向けてくださって初めて、私は透明人間ではなかったのだ、と安心する始末。

 同僚にあたる人達からは遠巻きに見つめられるだけで一言も声をかけて貰えず、心の拠り所だった課長代理は午後ずっと会議で不在。

 静かな職場でしたから、私が明らかに無能だとアピールしている彼女の声が執務室の隅々まで響き渡っていました。(決して大袈裟な表現ではなく。)

 今まで働いてきた職場ではもっと酷い扱いを受けていたことがありましたから、これくらいで泣いたりパワハラだと騒いだりはしませんけれども…これがあと二日も続くだなんて。

 ああ。でもラッキーかも、と思えることがもうひとつありました。

 もし私が経理課で採用されていたら、彼女と一緒に働くことになっていたということですよね。

 それはちょっと困ります。

 私より一回り近く若いはずなのに、あんなにイライラしている人と一緒に働くなんて先が思いやられるというか何と言うか…。受付の時ぐらいは愛想良くなるのかと思っていましたが全くそんなことはなく、相手側から「秘書だからって調子に乗るなよ」という心の声が聞こえてくるようでしたし。

 何年秘書をされていたかは分かりませんが、そして私も秘書の業務がまだ全然分かっていませんが、彼女が一会社員として不適切な態度を取っていることは明らかです。

 そんな人との縁が、あとたった二日で切れるのはある意味ラッキーです。

 うん、とりあえず二日耐えれば、たぶんしばらく今より不愉快な思いをすることは無いような気がします。

 あんな尊大な態度を取っていても、周りは彼女に対する柔らかな態度を崩していませんでしたし…ということは、「その上」を余程恐れている、ということでしょうか。

 そこに思い至ると、急に疲れが倍増しました。

 あんなに態度の悪い彼女を容認していた上司って、一体どんな人なんでしょう?

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