17. 秘書の管見
分かりたくないです!
今、さらっと聞き捨てならない事をたくさん仰いましたが。
引き継ぎ期間が実は3ヶ月あったとか。
今の支店長が6月に異動になるかもとか。
だとしてもその3ヶ月間が耐えられなかったとか。
ということは、私は最短3ヶ月以内にお払い箱になる可能性があるのですよね? もし株主総会後に役員の大々的な異動があれば、もし新しく着任された支店長が私のことを「要らない」と仰れば、そうなるってことですよね?
一年毎の契約更新だから最低一年間の雇用を保証されているところが契約社員の唯一良いところじゃないですか。職種変更でも契約更新して貰えるならまだマシですけど、お情けで来年の3月まで総務課の片隅に置いてもらうにしろ、ミラクルが起きて経理課に異動させてもらうにしろ、初日からつけられた悪いイメージを払拭する機会に恵まれなさそうな点では、どちらにしても四面楚歌。貧乏籤にも程があるので、出来ることなら両方とも謹んでご辞退申し上げたいところです。
そして支店長がこのまま残留されたとしても、秘書として向こう5年間、更新し続けることは絶望的なのですね。副支店長秘書になる道は既に閉ざされていますものね。
だけど堂本秘書が3ヶ月後に異動になられるところを、残留となったお陰で今私は就職出来ていて、小泉さんと秘書同士でやり取りすることも避けられているのですよね。そうだとすると、この状況はもしかすると一番マシ…いえ、むしろラッキーな状態と言えるのでしょうか?
あの時、堂本秘書が言いかけて遮られた言葉…期待している、というのは私の働き如何に因って、堂本秘書の異動のタイミングが変わってくる、と言うこと?
責任重大過ぎませんか? スケジュール管理の域を超え…いや、それも含めたスケジュール管理なのですか?
そこまでは深読みし過ぎだとしても、しかしこれって、会社側には面接時に告知しておく義務があるんじゃないでしょうか。秘書職を指定してきた上に、最悪の場合は試用期間分だけの採用とするような捨て駒同然な使われ方は、いくら何でも道理に反しすぎています。
全く経験のない職種に最低一年間は身を捧げる覚悟で、こちらは入社を決めたのですよ。
「ミーティング中すみません、支店長が戻られました。小泉秘書をお呼びです」
川上さんが呼びに来られて、暴走していた私の妄想はぶつりと断ち切られ、その場で「ミーティング」はお開きになりました。
「打ち合わせするから、部屋に来て」
私が席まで戻るやいなや、支店長はそう告げられてさっさと自室に入られました。私は慌ててスケジュール帳とマニュアル作成用に用意したA5のノート、そしてメモ帳を掻き集めてから支店長室の開け放たれているドアをノックします。
「失礼します」
「どうぞ」
促されて入室すると、デスクの前にある打ち合わせ用のテーブルに支店長がいらっしゃいます。想像していたよりも本格的な打ち合わせかもしれない、と思い、私は一応尋ねました。
「コーヒーを淹れてきましょうか?」
「柏木さんが飲みたいのなら、そうしなさい。私は要らないから」
あら?
私、もしかして初めて「さん」付けで呼ばれましたか? それって、人目が無いところでは砕けた態度で接してくださるということでしょうか。
いえ、今は呼び方に思いを馳せている場合ではないですね。
「私も飲まなくても大丈夫です。ドアは如何いたしますか?」
「開けておいて」
「かしこまりました。失礼致します」
支店長に倣ってテーブルを挟んだ対面の椅子に座ると、私はスケジュール帳の今日のページを開き、支店長がご覧になりやすいように向きを変えてテーブルに置きます。
「さて」
支店長はそう仰るとスケジュール帳を引き寄せ、ぱらぱらと頁を捲られます。その動作が、全くスケジュール帳に対する興味がないことを有り体に示していて、私の心臓は急にばくばくと打ち始めました。
スケジュール確認が本題ではない…ということは、何かの苦言でしょうか。それとも叱責? ドアが開放されているのは、怒声を抑える為の抑止的措置とか。でも私的には静かに怒られるより、大声で怒鳴られる方がずっと気が楽なのですが。この支店の最高責任者に、一切の感情を挟まず理路整然と怒りを表現されるなんてあまりにも怖過ぎます。
先輩秘書に対する私の言動が期待外れであったであろうことは私自身が良く分かっています。30代の未熟さは看過出来ても、流石に40代のそれは見過ごせないですよね。解雇ですか? それとも、辞表を提出するようにこの場で勧告されるのでしょうか。ああそれで、私のことを「秘書」ではなく「さん」付けでわざわざ呼んだのですね。ほぼ初対面に近いのに、少し心を開いてくれたのかも、なんてあり得ないですよね。その逆でした。小泉さんよりも、私はその役職に相応しくない…いいえ、それ以前にこの会社の社員に相応しくないと判断されたのですね。ついさっき過った能天気すぎる夢想に、我ながら呆れます。
新しい支店長ではなく今の支店長の下で3ヶ月どころか一週間すら持たなかったなんて、母に何と説明すれば良いのでしょう。今まで試用期間中にこちらから辞退した経験もありますが、それでも1ヶ月は頑張りましたよ? でも、ここまで重要なポジションではありませんでしたから、「使う側」としては可及的速やかに見切って対処したいところなのかも知れません。
「経理課の件は調整できた?」
「はい。同日15時から30分間の時間枠への変更でご了承頂きました」
「今後も出来そう?」
「精一杯、頑張らせていただきたく思います」
「そう。じゃあ頑張ってね」
「はい。ありがとうございます…?」
何となく「お開き」な雰囲気になって、私は首を傾げます。
「お疲れさまでした」
席を立ってご自分のデスクに戻られる支店長からダメ押しをされて、私は狐に摘まれたような気持ちで支店長室を後にしました。
打ち合わせ、って何だったんでしょう。明日9時の報告でも十分な内容でしたよね。それとも明日の朝のご都合が悪くなる予定でもおありなのでしょうか。
ふと顔を上げると、課長を除く総務課員全員が心配そうな表情で私を見ています。
ええと。こういう時、私はどういう表情をすれば…そう、ポーカーフェイスでした。賭け事はからきし駄目ですけれど、ポーカーフェイスは秘書として働く上で習得しなければならない必須スキルです。むしろ冷たい人間だと思われるくらいで丁度良いのです。多分。それに、どうせ碌でもないイメージがついてしまっているのですから、今更ここで冷たい人間像が定着したって、痛くも痒くもありません。
…ああ、泣きたい。