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15. 秘書のハジメテ

 初のアポイント変更交渉先はなんと経理課。私が行きたかった、そして小泉さんが現在いらっしゃる所ではないですか。

 ううう…何となく嫌な予感がするので、できることなら電話をしたくない。

 でもそんなことは言っていられません。お仕事なんですから。それに、経理課長が直接アポイントを取りに来ていらっしゃいますから、課長席に直接連絡出来ますし。もしご不在でも、課長席の電話ならばベテランのメンバーが取ってくださる確率が高そうですし。

「経理課長席です」

 内線番号を押して2コールもしないうちに、この三日間で最も沢山聞いた声の持ち主が出て来られました。

 うん。

 新人の電話取りは定石ですものね。3コール以内にお電話を取られていますし、お見事です。…ということは、とりあえず経理課長はご不在、なのですね?

「総務課の柏木です」

「お待ちください」

 用件を伝える間も与えられず保留音に切り替わり、その保留音も間もなく途切れました。

「お電話代わりました。経理課長の楢崎です」

 やや慌てた口調で、私と同い年くらいの男性が名乗られます。

 アレ? 

 不在だったのでは、という疑問はとりあえず横に置いておいて、直属の上司になっていたかもしれない方の声に緊張しながら、私は渾身で申し訳なさを声に乗せて詫びつつ、事の顛末を伝えました。

「支店長のご意向ならば、致し方ありません。その時間帯の前後に空いている枠はありますか?」

「15時から30分間の枠なら、お取りできます」

「ではその枠へ変更をお願いします。ご連絡ありがとうございました」

「こちらこそ、ご了承頂きありがとうございます。それでは失礼致します」

 受話器を下ろし、初交渉が穏便に終わった事に安堵します。

 えーっと。

 初交渉の前のアレは一体何だったのでしょう。

 経理課長が横着をして、自席の電話を新入りに取らせていたのでしょうか? でも、通常の内線ならともかく、在席している管理職専用の内線まで取らせたりするのでしょうか? 元秘書であった小泉さんが、そのような凡ミスをなさるとも思えません。

 とりあえず開いてあったスケジュール帳の日付をもう一度確認し、経理課長の希望時間枠に面会用件を書き込むと、息を潜めて聞いていたであろう周囲の空気が緩みました。

 …新入りだから仕方の無い事ですが、一挙手一投足まで見張られているのはかなり気詰まりです。

「もしかして、小泉さんが出てきた?」

「あっ、ハイ」

 どうして分かったのだろう、と不思議に思いながら声を掛けてきた斜め後ろの席の方を振り返ると、ほぼ全員が私の発言に注目している事に気付きました。

 ええっと、何でしょう、この圧。

 そのうちの一人がポツリと「早速飛ばしてんな」と悪態をついて、総務課員の大多数から射抜くような非難の視線またはブーイングのような低い唸り声を浴びています。その勢いに、えっ、もしかして今のコメントは私に対するものだったんですか、と壮絶に凹みましたが、敢えて自分のことだとは気付いていないフリをすることにしました。うう、まだ背後の席の方達の名前が覚え切れていない状態ですが、彼の名前だけは比較的早く覚えられそうですよ。

「もしかしたら小泉さんは経理課の秘書になられたのでしょうか? 営業課にも秘書の方がいらっしゃいますものね」

「経理課に秘書はいません。小泉さんは経理課の一職員として配属されました」

 斜め後ろの席の方に代わって、午前中に丁寧に教えて下さった方…確か川本さん、が静かに否定されました。

 せっかく装った能天気を真顔で否定されてしまって、立つ瀬がありません。でもこのくらいで負けてはいられません。

「そうなんですね。そういえば経理課には私と同様、今月から新入社員が来ているんですよね」

 総務課ですから新入社員情報は把握されているはず。ここから話題の転換を…。

「経理課に入る新入社員の代わりに、小泉さんが異動になったんです」

 間髪入れずの応酬に、容赦が無いなぁ、やっぱり年増相手だからかしら? もし私が30代だったらもう少しソフトに説明してもらえたのかなぁ…と思いながら、せめてこちらはソフトにお返ししようとして、言われた言葉をもう一度脳内で反芻しました。

「…え?」

 どういう事でしょうか。営業と経理、どちらも別の方々に決まってしまったから私は総務に決めざるを得なくなったはず。

「柏木さん。どうせお耳に入ってしまうでしょうから、早いうちにお知らせします。小泉さんにとって、経理課への異動は予想外のことだったんです。順当に行けば小泉さんは堂本の後任として、副支店長秘書になるはずでした。それが、一週間前に急に経理課へ異動するようにとの辞令が出て、あまりにも突然の事で僕達も驚いているんです」

 経理課の採用は無し…って、結構な人数の応募者がいらっしゃったはずですけど…?

 募集要項では人員補充ということで求人が出ていたはずです。社内で人員の調整がつかなかったから、求人が出ていたのですよね?

 面接したけれど、適した人材が見つからなかったのなら、求人が取り下げられることはないはず。

 ですが、この会社の求人は面接試験が終わった時点で総務・営業・経理全ての募集が取り下げられていました。

 若干名って言葉、求人ゼロの時にも使われるんでしたっけ?

 一週間前と言えば、私が採用連絡を受けた頃です。その時にはもう、経理課の採用者ゼロが確定していたってことですか?

 いえ、それよりも契約社員の配属先変更辞令が異動の一週間前に突然出るって何? 堂本秘書の異動の話も、どうなってしまったんですか?

 頭の中でぐるぐると渦巻く疑問に若干気分が悪くなりながら、私は「そうなんですか」とだけ答えるしかありませんでした。そして各々の仕事に戻る同僚達に促されるようにして、彼等に背を向けます。

 背後に感じる嘲笑のようなものの中に確かに存在する、僅かながらもハッキリとした敵意。たった三日で私に悪意を持った方は一人や二人ではなさそうです。

 私、これからこの部署でちゃんとやっていけるんでしょうか…という不安に襲われましたが、それでも安易に肩を落としてはいけない、と姿勢を正しました。

 最低でも一年は、ここでやっていくんです。敵前逃亡は性に合わないですし、次の就職活動だって簡単にはいかないことだらけに決まっています。会社側から三行半(みくだりはん)を突き付けられるまで、取り敢えず挑戦していくしかないじゃないですか。

 不幸中の幸いだったのは、このお仕事が受付を兼ねていて、いつまでも同じ感情にどっぷりと浸っていられないこと。

 不定期に訪れる来客のお陰で、私は目の前の出来事に集中せざるを得ませんでした。そして、例え作り笑いでも笑顔で落ち込み続けることは至難の業だということを、身をもって知ることになったのです。

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