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14. 秘書の同僚

「お疲れ様です。支店長のスケジュールを確認して頂きたいのですが」

 今まで何度かいらしたことのある男性が、笑顔で話しかけてこられました。

 でもお話しするのは今日が初めてです。何故なら、この方の依頼の時は特に、小泉さんが私の存在をガン無視なさっていたからです。…そう言えば、私のことを紹介してほしいと何度も水を向けてきた彼の意向もガン無視されていましたっけ。

 この方は確か副支店長の補佐役で…ええと。

 私は手元のメモを確認します。

「営業課の堂本秘書、でしたよね。副支店長からのご依頼ですか?」

「僕の名前、もう覚えてくれたんですかっ!」

 褒めてもらった時のレトリバーのように、彼は目をキラキラさせて身を乗り出してきました。

 近い近い近い。

 本来、私は人の名前を覚えるのがとても苦手なのです。顔と名前を一致させるのは更に苦手。彼の名前がすぐに出てきたのは、午前中に引き継ぎをして下さった先輩方がアポ取りによく来られる方々の所属と名前をリストアップして下さっていたから、ということと、もし私が営業課に配属されていたら同僚として一緒に働いていたのだなぁ…営業課の補佐的業務だったら、これまでの経験が役に立ったのにと、ぼんやりと夢想していたからです。

 それに、堂本さんのお名前はリストの一番上にありましたから何度も視界に入って覚えてしまいました。

「堂本秘書、ではなく堂本、と呼び捨てにして下さっても結構です! 昨日も一昨日も紹介してもらえなかったから、いつ自己紹介を兼ねたご挨拶をしようかとタイミングを見計らっていたんですよ〜。でも僕の名前を知ってくれていたなんて、感激だなぁ。さすが噂通り、優秀な人だけあるなぁ〜。改めまして、営業課の堂本です。営業全般の責任者でいらっしゃる副支店長の秘書を務めさせていただいています。柏木秘書はこの会社に来る前にも、秘書のお仕事を?」

「いえ…部長職の方の雑務的な業務をした経験はありますが、秘書とはっきり言えるほどでは…」

「それなのに、我が社の秘書に抜擢されたのですね!」

 そうだった。

 明るく言い放った彼の言葉に、私はハッとします。

 自分の立ち位置を自覚しなくては。

 謙遜は適切に行えば美徳ですが、過ぎると嫌味に、更には発言者本人やその周囲まで貶めることに繋がります。

 もしかしなくても、昨日までの私の発言は小泉さんに真正面から喧嘩を売っていたようなものだったのでは。

 その事に気付いた途端、脇の下から嫌な汗がぶわっと噴き出しました。いくら自分の事でいっぱいいっぱいになっていたとはいえ、小泉さんの神経を逆撫でした上に火に油を注ぐような発言を繰り返していたのですから、誰一人として仲裁に入らなかったのは至極当然な事で。

 でも…、それよりももっと気にしなければならない発言が先程ありました。

 噂通りの優秀な人、って、いつの間にそんな噂に? 昨日までの私のやられっ放しっぷり、皆さん(しっか)り視聴されていらっしゃいましたよね?

「みんな、期待しているんですよ。なにせ…」

「副支店長はいつが良いって?」

 ピッシャーン、と雷に打たれたかのように、堂本秘書が直立不動になられました。私も驚いたのですが、音もなく支店長が堂本秘書の背後にいらっしゃったのです。

 いつからそこにいらしてたんでしょう。堂本秘書は上背のある、比較的がっしり目の体格の方なので私の視界は完全に遮られてしまい、支店長がお部屋から出られた事すら気付けませんでした。ですが、今このタイミングでその事に気付けてむしろラッキーです。恰幅の良い方に視界を遮られ、他に誰もいないと思い込んで極秘事項を口にするような事があってはなりません。目の前の相手に気を取られすぎないよう、常に周囲に気を配っておかないといけませんね。受付って、想像していたよりもずっと奥の深いお仕事です。

「おおおおおお…お疲れ様です」

 頭の中で今後の対策をシミュレーションしていると、支店長が私と堂本秘書の間にすいっと割り込み、スケジュール帳を渡すよう私に手で合図なさいました。

「いつ」

 私がそれを渡すと、開いたスケジュール帳に目を落としつつ、堂本秘書に対面で尋ねられます。なんだか試験官が面接者を採点するような構図で、私はその様子につい先日の自分の姿を重ねてしまいます。

「あ、明後日の午後のご都合の良い時に」

「何時がいいの?」

「支店長のご都合の…」

「何時?」

「出来ましたら、午後一番に!」

「いいよ。柏木秘書、この日の13時にアポ入れている課の担当者に連絡して、お詫びした上で再設定してもらって。私の都合で変更させているから、なるべくその課の都合を最優先に。これでいいな、()()?」

「ハイッ!」

 直立不動のところを更に姿勢正しくあろうと(りき)んだせいか、堂本秘書の体が揺れます。

「他に用事は?」

「ございませんッ!」

 最敬礼後、脱兎の如く去って行く背中をぽかんと見送り、そして私は支店長に視線を戻しました。

 超体育会系のやり取りが目の前で繰り広げられる直前、堂本秘書が言いかけたことを遮る為に出て来られたかのようなタイミング。

 彼は何か、総務(ここ)にいる人達にとってマズいことを口にしようとした…?

「柏木秘書」

「はい」

「先程指示した件、よろしく」

「承りました」

 私の返答に軽く頷いて見せると、支店長は自室に戻られてしまいました。

 その途端、背後で緊張が解けたかのような溜息が一斉に漏れます。

 え? 何何何何?

「堂本め。命知らずな奴」

 えええ? どうしたの?

 発言した松坂課長代理を縋るように見つめると、にっこりと微笑みながら近付いて来られているところです。

「柏木秘書、気を付けて。総務(うち)営業(あいつら)は仲が悪いんです。総務課員(コイツら)から聞いていなかった?」

 周囲の課員を軽く睨み付けると、課長代理は再び説明してくださいました。

「伝統みたいなものでね。昔からずっと。これからもそうだと思うよ」

 それで小泉さんは堂本秘書にあのような態度を取られていたのでしょうか。でも。

「堂本秘書はとても感じが良かったですが…」

「ここの社員で、支店長秘書に対して感じが悪い奴なんているわけないでしょ。いたら僕に言い付けてね。お仕置きしておくから」

 それならば小泉さん…は、人事発令上、形式的には今週末まで総務課(ここ)の秘書でしたね。ええ、お仕置きなんて無理ですよね。

 それに、仲が悪い原因は総務課や営業課にあるのではなく、支店長と副支店長という対立構図の中にあるのだろうなぁ…。

 伝統、と茶化しているくらいなのでお二人の仲を取り持つのは私の役目ではないだろうけど、でもせめて秘書同士、堂本秘書は現役の先輩にも当たる事だし、仲良くやっていきたいと思っていた矢先だったのに…。

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