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12. 秘書の後悔

 そう。敵意と悪意を隠そうともせずそう宣言すると、小泉さんは出勤時の荷物を抱え、さっさと総務課を後にしてしまったのです。

 来週からの異動ということで双方課長の了承が得られているのに、どうして自己判断で異動日を前倒し出来ると考えたのでしょうか。あの課長ですら、驚きを隠せない様子です。

 しかしそこを指摘したところで詮無いこともまた事実で。

 何より、事務系トップであろう総務課長が彼女を引き留めようともせず、それどころか慌てて経理課へ電話し「こちらの引き継ぎが完了したので、今から小泉がそちらに向かう」とか仰って小泉さんの身勝手な振る舞いのフォローをされていますから。

 このままいきなり経理課に小泉さんを乗り込ませる訳にもいきませんものね。小泉さんもそれを見越していたのでしょうか。だとしても、総務課長への当てつけとしか捉えられないその態度、相当怖いもの知らずだなぁ…。曲がりなりにも社員登用制度に応募するのであれば、その方の承認も必要になってくるのですよ?

 彼女はそれをものともしないほどの有力な縁故の持ち主なのか、それとも総務課側に余程の瑕疵でもあるのか。

 彼女の豪胆さに驚きと呆れはするものの、ここ二日間の彼女の言動から、引き継ぎ最終日である今日に総仕上げの嫌がらせとして「全く引き継ぎをしない作戦」に出られてしまうかもしれないことは予測していました。ただ、それは本来の業務とは全く関係ない雑務を延々とやらされ続ける、などの方法で実行されるものとばかり思っていたので…まさか、朝イチでこんなやけっぱちな行動に出てしまわれるとは…。


 こうして一週間の予定だった引き継ぎ期間は実質たった一日半に短縮されて、受付に一人残された私は着任三日目にして独り立ちすることになりました。

 小泉さんのピンヒールの音が消えると、引き継ぎの様子をさりげなく野次馬しに来られていた他部署の方々や、引き継ぎ中は貝のように口を閉ざして助け舟というものを一切出そうともしなかった、総務課の同僚に当たる人達が「おはようございます」と急に集まって来られました。一挙にフレンドリーさが醸し出されたその態度の豹変ぶりに驚きつつも、緊張感でピリピリしていた空気が緩んで歓迎ムードになったことに心底ホッとします。

 しかし同時に、彼女の異動に関して尋ねるの()()はタブーだという空気だけは決して相殺されることなく残っていて、物凄く気になります。単なる邪推かもしれませんが、この賑やかさは私にその疑念を発言させないためのものでしょうか。

 一体、小泉さんと総務課の間に何があったのでしょうか。総務から経理への異動はキャリアパスとしては決して悪くないので、彼女が仕事で何か重大な粗相をしたせいで異動になったとは考えにくいです。

 それに…。

「柏木秘書。今日のスケジュールは?」

 徐に部屋から出て来られた支店長に声を掛けられて私は思わず姿勢を正し、話し掛けていた同僚たちがささっと自席に戻りました。

 …ソウデスヨネ。

 そちらのお部屋から、こちらの様子なんて丸分かりですよね。

 支店長がお部屋に在席されている時とそうでない時の小泉さんの態度も全く違っていましたしね。それに、ご不在中の引き継ぎの様子…昨日の私の反撃やその他諸々についても、総務課員経由でとっくにお耳に入れられていらっしゃいますでしょうしね。

 あの悪夢のような引き継ぎの間、小泉さんは泳がされていた…そして周囲は私の出方を観察していた、という見解で間違いないような気がします。

 でも、なぜこんな風に私が試されなくてはならないのでしょうか。私に秘書職をゴリ押ししてきたのは会社(そちら)側ではないですか。

「はい、ただいま伺います」

「いい。私がそっちに行く」

 私の返答を制止した支店長が受付カウンターの私の席まで来られると、背後で空気がザワつきました。

 え? 私、何かやらかしてますか?

 もしかして、上司を自席まで来させやがってアイツ、とかいう反感の空気ですか?

 いや、私、本来そこまで動作が鈍い方ではないんです。今はまだ相手の動きが読めないので、どうしても遅れを取りがちなだけなんです。

 そう振り向きざま大声で叫んで弁解したいところなんですけれど、目の前のお仕えするべき方に背中を向けるわけにもいきません。

 慌ててスケジュール帳を開いて今日の日付を探していると、支店長にスケジュール帳ごと取り上げられてしまいました。

 そんなに動作鈍いですか。私。

 ずーん、と落ち込む私には目もくれず、支店長はパラパラとスケジュール帳を捲っていらっしゃいます。

「…ふぅん、分かった」

 そう言ってスケジュール帳を私に返されると、支店長は自室に戻られてしまいました。

 あれ?

「柏木、来い」

 呆然としているといつの間にか背後にいらした課長が有無を言わさずスケジュール帳を私から取り上げ、つかつかと支店長室に向かわれました。

「何してる、早く」

「はっ…はい!」

 訳も分からず返事だけして、私も慌てて課長の後を追います。

 さっきの非礼? のお詫びに行くのでしょうか。でも私、小泉さんからそのあたりについて何の説明も受けていません。それに、一体何が悪かったのか微塵も分かっていませんから、そんな状態で心からの謝罪なんて無理ですし不誠実にも程がありませんか?

 …はっ。もしかしたら、これこそが小泉さんからの最大にして最後の嫌がらせなのでしょうか。でも何故、私は彼女からここまでの仕打ちを受けなければならないのでしょう…。

 ぐるぐると考えを巡らせながら課長の後に続いて支店長室に入室する頃には、心なしか目が潤んできていました。

 年を取ったからと言って、全ての物事に対して解決の術を持っている訳ではありません。

 経験値を積んでいるからと言って、全ての不安から解放される訳でもないのです。

 だからこそ、いっそ、加齢と共に勘違い炸裂で怖いもの無しの性格になれたらどんなに楽か、と心から思います。

 あああ。やはり秘書職なんて、若さ故の根拠無き自信に溢れた時に挑戦しておくべきもので、自己肯定感がグラグラしている不惑の年代がダメ元で手を出して良い職種などではなかったのです。

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