10. 秘書の疑念
こんな大手企業の契約社員枠なんて、結婚相手探しの婚活活動と思われても仕方がありません。意地悪な見方をする人なら、年甲斐もなく男漁りか、と陰口を叩いても不思議ではないでしょう。
まぁ、ここの社員の大半がそうお思いであることに間違いはないでしょうが。
40女の男漁り…確かに痛々しすぎます。
この手の偏見と侮辱にはすっかり慣れてしまったので、私にとっては大したダメージではないのですが…未婚の30代だったら十分傷つくでしょう。
成程、彼女はこの状況を逆手に取ってそう出てきましたか。
でも20代の頃からセクハラ面接を潜り抜けたキャリアを舐めてもらっては困ります。年長者というものは、惰性で年を取っているようでいて、伊達に年を取っていないものなのですよ。
「いいえ。契約社員です。正社員で入れたら良かったのですが」
「受付秘書で応募されたんですか? 前も秘書の仕事を?」
おお。結構ぐいぐい来ますね。
「経理と営業事務を志望したのですが、この部署になりました。秘書の仕事は初めてです。秘書検定は持っていましたが」
「秘書には応募しなかったんですか?」
念を押すように尋ねられて違和感を感じたものの、「年甲斐もなく図々しい」と吹聴されては困るので、ここはしっかりと否定します。
「そういう職種は20代の方の為のものだと思っていたので、応募しようとも思っていませんでした。ところで、小泉さんは今度、経理に行かれるんですよね。正社員の方は異動があって大変ですね」
「…私も契約社員です」
え?
話の流れを変えようと振った話題から思わぬ情報を得て、私は我が耳を疑いました。小泉さんはどこか勝ち誇ったような雰囲気を漂わせながら続けます。
「私は正社員試験を受けるつもりですから、異動の話を受けました」
今の言い方、ものすごくトゲがありましたね。確かに、私が正社員になれる可能性は皆無ですけれども。
しかし…ということは。
この会社の契約…一年毎更新で更新上限五年、入社後三年以内に正社員登用試験に合格しなければ契約期間満了でさようなら若しくは無期雇用転換を申請して昇給ナシのまま働き続けるか、悩ましいところではありました。加えて私の場合、まず五年も継続してもらえるかどうかという問題があります。
仮に無期雇用転換のチャンスが頂けたとしても、業務量は増加していくのに給料だけは据え置きだなんて、罰ゲームではないですか。
その上、正社員登用試験の為に異動を強いられるなんて、とんだブラックです。
そもそも、契約社員の異動って契約違反じゃないですか? 一年毎更新なので、ただでさえキャリアを積むのが大変なのに。
しかし彼女の適性がこの仕事に合っていなさそうなのも事実です。
この異動は温情なのでしょうか? それとも…。
午前中の引き継ぎは、昨日に比べたらずっと穏やかに終わりました。
昼休憩になった途端「私はお弁当ですので」と、さっさと何処かへ消えてしまった小泉さんの後から、御大の支店長が出てこられたのが昨日と大きく違う点です。
「小泉さんは?」
「お昼に行かれました」
「…ふうん。じゃあ、私も行ってくるね」
「行ってらっしゃいませ」
そういえば午前中、ほとんど出てこられなかったけれどどんなスケジュールだったのかしら。
小泉さんが独占していた支店長のスケジュール帳を見てみると、午前中は在室、午後は会議となっています。
会議…ということは、午後の引き継ぎはまた昨日の早口大会再開となるのでしょうか。
昨日、殴り書きで酷使した指がまだ痛むのですが。
「柏木秘書」
「は…はいっ」
急に話しかけられて驚いていると、松坂課長代理がにこやかに微笑まれていらっしゃいます。
「お昼はどうするの?」
「サンドイッチを買って来ました。この席で午前中に習ったことをお浚いしようと思いまして」
「それは熱心だねぇ。ここで留守番してくれるのは有り難いよ。じゃあ僕は外で食べてくるから。よろしくね」
「はい。行ってらっしゃいませ」
正直、誰にもお昼に誘って貰えないのは心許なく、かと言って小泉さんと一緒なのは気詰まりなので、それならば一人の方が断然いいのですが…完全にアウェイな雰囲気にも実は凹んでいます。
一応秘書という遠巻きに眺められる客寄せパンダ的存在なので、私の引き継ぎの様子を覗きに来る方は実はかなりいらっしゃいました。若い秘書を期待してやって来たのに想像を裏切った年増の存在にがっくりと肩を落として帰られた殿方が実は多数。
小泉さんも、あんな対応をなさらなければ高嶺の花と言えなくもない容姿なのでファンも一定数はいらっしゃったはずです。
改めて、人事はどうして私を秘書なんかに採用したのでしょう…。