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11月のショコラケーキ

作者: 椎名詩音

 こんなにも、胸がドキドキすることが今までにあっただろうか?

 十七歳、高校二年生。安寧な日々を過ごしていた私にとって、とてつもなく大きな悩みの一つだった。




 私こと、文月美冬は東京の中心地よりやや外れた場所にある中堅の高校に通う、華も恥じらう乙女だ。女子高……という訳でもなく、ただただ平凡な共学校に通う、どこにでもいるピチピチの女子高生である。世間的には中だるみの二年生なんて言われている学年だがどっこい、実際確かにたるんでいる訳で。下級生のような初々しさもなく、上級生のような受験による慌しさもなく、色づく秋の紅葉を背景に、金曜三限の放課、青春を謳歌しているのでした。

「……くっさ」

「――なななななんですって!?」

 私は勢いよく椅子から立ち上がり、暴言を放った我が親友に食って掛かった。

「違うわよ、銀杏の」

 落ち着けと言わんばかりに、親友である北沢智美は両手で私を宥める。当然だ、考えてみればくさいと言われて思い当たる節もなかった。

「悪いわね。つい、条件反射で……」

「どんなパブロフよ……」

 私は立ち上がって、開いていた窓を閉める。うん、紅葉がどうのって、所詮は都会の紅葉。名称だけが小奇麗な銀杏並木は木枯らしに乗せて、この季節独特のかほりを教室内に運んでくるのだった。

「あぁ……なんか、メランコリックな感じ。白馬の王子様ぁ、私をどこかへ連れ去って……」

「何よ、智美。アンニュイそうな声出して?」

私の対面の席に腰掛けた智美は黒絹のような髪の毛を私の机に投げ出し、突っ伏して誘拐犯の来訪を待ち望んでいた。

「だって、もう十一月よ? 定期試験も楽しいイベントもなけりゃ、刺激が欲しくもなるわよ」

「むぅ…………言わんとしていることは分かる」

 つい先日、中間テストなる学生の敵が終わり、結果に一喜一憂もあったが、それも過去のこと。……憂ばかりだった気もするが、学生たるものは前を見て生きていけばいいと一人で納得したのだった。

私達の学校では、受験生を慮ってか、楽しいイベントは春を中心に行われている。だから、秋にある行事はほとんどなく、定期試験を終えた現在、学校全体の雰囲気が緩くほんわかムードなのである。受験生はピリピリしているが。

「そうねぇ、逆に白馬の王子様でも探せばいいじゃない。浮いた噂の一つでもないの?」

「……えー、パスパス。自分から動く元気もないし」

 気怠るそうに智美は、髪をかきあげた。

勿体無い。その一言に尽きる。同性の私から見ても智美はいい線いっていると思うのだが。結構、智美に好意を寄せている男子の噂は聞くのだが、本人のこの雰囲気が敬遠材料の一つになっているようだ。

「……逆にアンタはどうなのよ? 浮いた噂の一つや二つでも暴露して私を楽しませてみなさいよ」

「……何で智美の享楽のために私が身を切らなきゃならないのよ」

 私が、溜め息がちにそう言うと、ちがいないねぇ、などと智美は言いながら突っ伏してしまった。今更ながらに思うが、私はどうしてこんなのと親友なんだろう?

 なんて、溜め息がちに智美には返答したが、実は現在、それほど退屈な時を過ごしている訳ではないのだった。

「何してんだ、二人とも?」

 ――来た。

 図らずとも、心臓が高鳴る。

「また、智美のねえさんは退屈だって騒いでるのか?」

「……余計なお世話よ、バカ浩之」

 ――私の。

 黒髪で、力強い声の。

「何だよ、相変わらず気怠るそうな雰囲気……お前は元気か、美冬?」

「……一年の内、三百六十四日は元気よ」

「…………後の一日は何があるんだ?」

――退屈でない日常の原因。

何故か気になるドキドキの原因。

「……全く、お前らが元気ないと俺は悲しいぞ? あぁ、とても悲しい」

 ヤレヤレと通販番組の米国人みたいな仕草で、彼は言う。彼の名前は、巻坂浩之。所謂クラスメートというやつだ。

「……この寒さでも元気な男子連中と一緒にしないで頂戴。ていうか、アンタいいもの着てるじゃない、貸しなさいよ」

 浩之が手の届く範囲に来ると、まるでハエトリグサのように浩之のセーターを脱がしに掛かる智美。先程までの雰囲気はどこへいったのかやたらとアグレシッブだ。

「お、おい、止めろ。流石にこれ脱いだら寒いって、コラ。美冬、見てないで止めろっ」

「……セーター、伸びるよ?」

「た、確かに……! 分かった、分かった、脱ぐから、貸すから!」

 ……文節単位でしか喋れない。東南系の人かっての。

 結局、浩之は着ていたセーターを剥ぎ取られワイシャツ一枚になっていた。智美は智美でセーターの上に剥ぎ取ったセーターを羽織って満足そうにしている。

「……ったく、絶対智美の前世は山賊か何かだな」

 その発想には、若干賛同。

「あら、私の前世は中世のお姫様よ。だから、白馬の王子様のご来訪をお待ち申し上げているんじゃない」

「今時、白馬の王子様って……」

 浩之が痛い子を見る目で智美を見るが、智美はどこ吹く風。

「アンタはそうねぇ……下僕としてなら雇ってあげてもいいわよ?」

「いや、何様だっての……流石に寒いな、学ランでも着るか」

 すごすごと、学ランを取りに自席へと戻っていく浩之。何だか可哀想な力関係だ。

「前から思ってたけど……智美って凄いわね」

「ふっふっふ、これが、日々を有意義に過ごす術よ」

 あっけらかんと笑う智美に私は開いた口が塞がらなかった。

「それにしても、アンタ浩之に対して何か冷たくない? 前からそんなだったっけ?」

「……前から、こんな感じよ。別に冷たくしている訳じゃないって」

「ふーん……そっか」

 あまり興味なさそうに呟く智美。我が親友ながら鋭いとこには鋭い。何時頃からだっただろう、浩之と面と向かって喋れなくなったのは。

「……借りといて何だけど、流石に二枚も着ると暑いわね。美冬、アンタにあげるわ」

「へ、わっ……何よ、いらないんだったら返してきなさいよ」

「嫌よ、立ち上がるの面倒だもん」

剥ぎ取ったセーターを頭から被せてくる智美。……まるで、容疑者のようになってしまった。持ち主である浩之も学ランを取りに行ったまま、男子の輪に戻ってしまって、セーターを取りに戻ってくる気配もない。仕方なしに所在のないセーターを肩の上から羽織ることにした。

 四限目、科目数学。

 いかにも理系デス、なんて顔をした教師が壇上で『微分、積分、いい気分!』なんて下らないネタを披露しているのを横目に、私は考え事をしていた。……本当に何時からだろう。浩之とまともに喋れなくなったのは。

 元々、智美と彼とはよく遊びに行くメンバーであって、夏休みも海や、キャンプに級友プラス数人で出かけていた。そのときは別段とくに意識もしなく、むしろ仲良く喋っていたのだが……。

 多分、原因はキャンプの夜。キャンプの定番、手持ち花火。みんな楽しそうな悲鳴をあげて駆け回っている中、子供のようにはしゃいでいた浩之。

 あのときの、彼の横顔を見てから。別に好きだとか、恋をした、とかそういうのじゃない。ただ……ただ、なんとなく、喋りにくいだけ。後、胸の鼓動が早くなるだけ。

 あぁ……面倒ね全く、なんて独りごちて黒板に向き直る。おぅ、意味不明。何か良く分からない言語が黒板を乱舞している。数学のはず……よね?

 脳が理解を放棄してフリーズし始めると、案の定睡魔が私を苛む。多分、このセーターのせいだ。二枚重ねにより通常より暖かいため、簡単に睡魔に身を売ってしまいそうになる。

 いや、ただでさえ、意味不明の授業なんだから……眠ったらヤバイ。そう思って、羽織ったセーターを握り締め耐えるが、割と無駄な努力。そういえば、このセーター……浩之のだっけ……何だか、こうしていると……浩之が近くにいるような…………。

「……暖かそうね、セーター」

「――っぎゃあぁああぁぁ!」

 ベシンッ。

 振り向いた智美の頭に無意識にチョップを入れていた。意味不明な叫び付きで。

「……いった……な、何すんのよ……」

「ご、ごめん……つい……」

頭を抱えながら、こちらを睨む智美に謝る。

「何、考え事でもしてたの? まさか恋煩い?」

「ち、違っ、何よそのにやけた顔は!?」

 にやにやとチェシャキャットのような笑顔で、私を見る智美。誠に鬱陶しい。鬱陶しい上に授業中だ。周囲の視線は私達に釘付け。その上、目の端に映る数学教師は可哀想に神経質な感じでおろおろと慌てている。

「……ふーん」

「な、何よ……?」

「いんや、別に……」

 興味をなくしたように智美は、黒板に向き直る。周囲の視線も散開し、数学教師もホッとしたように授業を再開した。全く、智美のせいでいらない恥までかいたじゃない。

 恋煩い、ねぇ……。

 何事もなかったかのように再開した授業を尻目にまた考え込む。柄にもなく、私は智美に言われたことを反芻した。浩之に恋している、なんて全くピンとこない話だ。確かに、浩之を見ているとドキドキはするが、ただそれだけだ。どこかの少女漫画のように告白したい、だとか、恋人になりたい、なんて思わない。それどころか、ドキドキが激しくなるのであまり同席して欲しくない気さえするのだ。とりあえず、彼が視界に入ると落ち着かない。でも、彼が女の子と話しているのを見ると、胸が痛い気もするのよねぇ、などと考えている内に授業終了のチャイムが鳴っていた。

「……アンタ、ノート真っ白だけど授業ちゃんと聞いてたの?」

 智美が振り返りつつ私の机に開かれた真っ白なノートを見て呆れたように言った。

「むぅ……アレ、本当に数学の授業だったの?」

「……やれやれね」

 呆れたように溜息を吐く智美。いいもん、理数系の智美には分からない悩みだもん。

「……アンタ、最近ボーッとしてるときあるけど、大丈夫? 何かあるなら相談に乗るけど」

「……悩み…………ねぇ」

 どうしたものか。誰かに相談することはいいことだろう。相談することで自分なりに整理できるかもしれないし、解決できるかもしれない。普段こんな雰囲気の智美だけど、悩みなんかは親身になってくれる所謂姉御肌な性格だし。

「……まぁ、言いたくないなら無理にとは言わないけど。だったら、私の相談に乗ってくれるかしら?」

「智美の? 悩みなんかあったの?」

「滅茶苦茶失礼な奴ね……毎日腐るほど 悩んでるわよ。まぁ、いいから聞いて頂戴。私の悩みっていうより、相談されて悩んでるって感じだから」

「……? うん、まぁ、全然いいけど」

 妙なことに智美の相談を受けることになってしまった。まぁ、いいや。私の話は、私自身で整理出来てから話すことにしよう。

 四限が終わったので、お昼休み。私と智美はそのまま差し向かいに座って各々のお弁当を広げながら話すことにした。

「……まぁ、下らないっちゃ、下らない話なんだけどね」

 ミートボールをお箸で摘みあげながら智美は話し始めた。私としては、その不安定なミートボールを置くなり、食べるなりして欲しいものだが。

「……何か、今まで凄く仲が良かった友達が、急に冷たくなったって悩んでる奴がいるのよ」

「へぇ……冷たくなったねぇ」

 まるで、私と浩之の話みたい。

「しかも、ケンカとかじゃなく、本当に突然らしいの。その子は頑張って話しかけてるんだけど、多分まだ悩んでると思うわ」

 ぶん、ぶん、とお箸を振ります智美。お行儀が悪い上に、お箸の先のミートボールがとても気になる。

「ふぅん……全然原因が分からないわね」

「ちなみに、女と男のお話ね」

 パクッとやっとこさミートボールを口にしてくれた智美。これで、私も一安心。それにしても女と男のお話か……。

「なら、話は簡単じゃない。その少年が女の子を意識し始めちゃって素直になれないだけじゃない?」

「……原因はね」

 ふぅ、と智美は溜め息を吐いて今度は卵焼きを口にした。

「へ、原因が分からなくて悩んでたんじゃないの?」

「そんなことは、この魅惑のカウンセラー智美様の悩みなんかじゃないわよ。異性がくっつきゃ、桃色吐息って相場が決まってるのよ」

「は、はぁ……そうですか」

 何で、この人は一々言うことが親父くさいんだろう?

「私の目下の悩みはねぇ、その桃色吐息に気付いていない鈍チン共にどうやって伝えるかってことよ」

 いざこざに介入するのはカウンセラー失格なのよ、なんてぶつくさ言いながらサラダを頬張る智美。この人は一体何を目指しているんだろうか?

「私が原因を究明して『こうしなさい!』って言うのは簡単だけど、それじゃ、当人たちのためにならないじゃない。今回、私が解決しちゃったら、次に悩んだとき解決できない。って言うんじゃ困るでしょ?」

「へぇ……結構考えてるのね」

 少し、驚いた。姉御肌もここまでいけば立派なものだろう。

「……悩みを聞いたからにはね。全力で支援するのが義理人情ってもんでしょう」

「………………」

 こういうこと言わなければ頼れる姉御で終わるのに。

「……まぁ、件の二人に関しましては、少々荒療治が必要かもね」

 ここで、五限の予鈴。智美の相談とやらは、相槌を打つだけで、結局本人が解決してしまった。何というか流石だ。ちなみに、私の肩に掛けられていた浩之のセーターは、智美が回収し、通りがかりの浩之に、放り投げるという悪魔のような所業だった。

 五限、六限と食後の気怠い雰囲気の中、授業は淡々と進んでいった。ちなみに私の前方に座っている智美は、時折頭を抱えながら、何かを必死に書いているようだ。多分、先程の荒療治についてのシナリオを書いているのだろう。思いついたらとことんまでやってしまう智美の癖だが、授業は大丈夫なのだろうか?

 終業のチャイムが鳴り、一日が終わる。

「智美、帰ろー」

 五、六限が物理とグラマーだったので、頭が非常に糖分を欲しているのだ。行きつけの喫茶店で絶品のショコラケーキでも食べないとやってらんない。

「……あ、美冬。今日は一緒に帰れないや。ちょっと野暮用が」

「野暮用? そんなにかかるの?」

「うーん……分かんない。だから、先に帰ってて」

「そう? 分かった、またね」

 私は親友に別れを告げ、帰りの途に着いた。野暮用って一体何なんだろう?

 一人でケーキを食べに行くのも少々寂しいので真っ直ぐ帰宅することにする。そういえば、数学が分からなくなってきてるから少し勉強するか、と考えたところで、歩みを止めた。道路の端に寄って鞄の中を探してみるが、どうやら数学の教科書を忘れてきたらしい。普段だったら明日でいいや、と思うのだが、残念なことに今日は金曜日。加えて、月曜日の一限が数学なのである。

「参ったなぁ……」

しばし、道端で熟考。しかし、面倒でも取りにいかないと後々もっと面倒なことになると考え、取りに戻ることにした。偉いぞ自分、と誰も褒めてくれないので褒めながら来た道を戻っていった。

 銀杏並木に差し掛かる。帰宅生徒群の第一陣は捌けたようで、第二陣の部活組が帰るまでには少々間があるため、銀杏並木を歩く生徒はまばらだった。長いストレートが続く。

 そういえば、野暮用とやらが終わってたら智美と帰るかな、なんて考えながらてくてく歩みを進めると、前方に見知った親友の姿が現れた。

「あ、智美。野暮用は…………」

 銀杏並木を歩く、その姿に声を掛けるが続きの台詞が言えなかった。智美の隣を歩く人を見てしまったから。

 いつものように気怠そうに歩く智美と、その隣を歩く浩之の姿。

「……………………」

 話しかけることなんて出来なかった。心臓が、チクリチクリと痛み出す。

 私はサッと顔を伏せて走る。何故か二人に会ってはいけない気がした。百八十度反転なんてきまりが悪くて絶対に出来ない。だったら、このまま全力疾走で駆け抜けてやる。私は、何も見ていない。

 心臓が、痛い。

走ってるから、全力で駆け抜けているから、息があがる。嫌などきどきも、心肺機能のせいだ、と思い込む。

心臓が、痛い。

「……あれ、美冬?」

「……お、本当だ」

「………………………っ!」

気付かない振りをして、全力のまま、彼女らの横を、走り抜けた。背後では、まだ、私を呼ぶ声が、聞こえる。絶対、振り向かない。

 心臓が、痛い。

振り向いたら、何かが、そこで崩れてしまいそうだから。崩れた後、立ち上がることが、出来なくなりそうだから。

心臓が……胸の奥が、痛い。

走って上気している私の頬を、込み上げて、我慢できなくなった涙が一筋伝わった。

「……う、グス……うぅっ……」

 一筋が、二筋に。二筋が三つに四つに。涙が後から後から、際限なく流れ出した。

 そのまま校門から校舎に飛び込み、一直線に教室まで駆け上る。三階の教室まで不思議と息は切れなかった。感情とは裏腹に丁寧にピッタリとドアを閉め、自分の机に歩み寄り席につく。

「うぅっ……グスッ……」

 座った途端に涙が堰をきったように流れ出た。何で泣くんだろう。何で私は泣いているのだろう。二人が歩いているのを見て、智美と浩之が楽しそうに歩いているのを見て。どうして涙を流すことがあるんだろう? やっぱり、このどきどきは……

――ガラリ。

「…………っ!」

 伏せっていた肩が、教室のドアが開く音に驚いて跳ねる。

「ハァハァ……お、お前、走るの速過ぎ……」

 開口一番、教室に飛び込んできた人物は私に向かってそう言った。声の主は今、世界で一番会いたくない相手。

「…………………………」

 何も言わずに、そのままの状態でいる。こんな泣いている顔なんか見せたくない。

「何だよ……無視すんな……って、何お前、泣いてんの?」

「……泣いてなんて…………いないわよ、グスッ」

 あんまりといえばあんまりな浩之の物言いに、私は猛烈に腹が立って、顔だけ上げて言い返す。なんてデリカシーのない男なんだろう。

「何泣いてんだよ……何かあったのか?」

 おろおろと狼狽えながらも、近寄ってくる浩之。何かあったの、じゃない。原因はお前だ、って言ってやりたかった。

「……こっち来ないでよ。早く智美と一緒に帰りなさいよ」

「いや、その智美が、『……アンタ、早く追いかけなさいっ』って俺を蹴り飛ばすもんだから……」

「智美が……?」

 グスッ、と鼻をすすって聞き返す。何、一体どういうこと?

「いや、何かよく分かんないんだけど、『……悩むの飽きた。当人同士の悩みは、当人同士で解決しなさい。私は帰って寝る』って。俺にも何が何やら……」

「当人同士の悩み……?」

 ……何を言っているんだろう智美は?

「まぁ、それはどうでもいいんだが……お前はどうしたんだよ?」

 その疑問は最もだろう。全力疾走していた女がそのまま教室で泣いていたら、何もなかったじゃ、済まない。

「何でもないわよ……」

「何でもない訳あるか。あんだけ走って泣いてて、何もなかったら俺は精神科を紹介するね」

 ほら、やっぱり。ていうか、察しろよ、バカ。

「…………いや、その」

「何か悩んでるんだったら、俺でよければ相談に乗るぞ?」

 グッと浩之は半身乗り出して言う。聞くまでは帰らない、浩之の目がそう語っている。

「あ、あー……」

「あー?」

「……あー……あ、秋だから……?」

「……………………」

 無言、後、

「――……プッ、アッハッハッハッ!」

 大爆笑。

「アッハッハッ! あ、あ、秋、秋だから、アッハッハハッ! お前は、秋だと走って泣くのかよ!」

 私、赤面。

 ボケるにももう少し何かあっただろうに。

「ヒィー……しかも疑問系って。全く、腕持ってんなぁ」

 ヒィヒィ言いながら、浩之は笑っている。正直、そこまで笑われると対処に困る。

「ハァハァ、あぁ、笑った。こんなに笑ったのは久し振りだわ」

「……ちょっと、笑いすぎだっての」

「スマンスマン。ていうか、お前がボケたんだろうが。ったく、分かったよ、言えないなら聞かないさ」

 ポフポフと私の頭を軽く叩きながら浩之は言った。

「悩みに押し潰される前に、俺でもいい、智美でもいい、他の誰でもいいから絶対に相談すること。それだけは約束な」

 ニッと笑いながらそう続けた。

「う、うん……ゴメン」

 私の顔はさっきとは違う理由でまた赤面。ちくしょう、反則だろそれは。

「謝らなくていいよ。俺も久し振りに美冬と話せて良かったし。最近、お前何か冷たかっただろ?」

「へ!? そ、そ、そんなことないよっ!?」

 図星をさされ、声が裏返ってしまう。みょ、妙なことだけは鋭いんだから……!

「そうか? まぁ、いいや。追いかけさせてくれた智美には感謝だな」

「へっ、蹴られたクセに……」

『……まぁ、下らないっちゃ、下らない話なんだけどね』

 ――あ。

『ちなみに女と男のお話ね』

 ――……なるほど。

「ん? どうした、美冬?」

「…………いや、別に。お節介焼きっていうか、何ていうか」

「?」

 浩之が首を傾げるが、分からんでよい、という風に背中を押す。

 セーターの件も、悩み相談も。事によっては……。全く、気怠げな雰囲気のクセに余計なとこだけは気が回るんだから。

 ……ありがとう、智美。

「んー、何か腹減ったなぁ、美冬何か食って……」

「浩之、アンタ、甘い物食べたくない? 食べたいわよね? じゃ、行きましょ」

 ちょっとだけ勇気を出して。半歩だけ前に踏み出して。私は素直に彼を誘ってみた。

「え、ちょ、俺の意見は?」

「甘い、甘すぎるっ。今から食べるショコラケーキのように甘い。たまには苦いとこでも見せなさいよ!」

「ハァ? わ、分かった、分かったから、引っ張るなっ!」

 茜色に染まる教室の中から浩之を引っ張り出して、向かうは行きつけの喫茶店。青春はショコラケーキのようだ。苦味もあるけど、甘みもある。

 ありがとう、智美。

 もう一度、親友に心の中でお礼を言う。気怠げでお節介焼きな私の親友。今度は、お礼も兼ねて智美と浩之とで三人で行こう。そんなことを考えながら浩之と連れ立って歩く。

 銀杏並木を照らす茜色の優しい光が私たちを淡く包んでいた。


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