128話
「……ごめん、肋骨、折れてない?」
5分位してから、腕の力が緩んで、俯き加減で針生が離れた。
「うん、軋んだだけだから大丈夫」
「うわ、ごめん、全然舞戸さんの肋骨の事考えてなかった……」
そりゃ普通は人の肋骨の心配しないよ、それが正常だよ。
針生は袖で顔を乱暴に拭うと、幾分すっきりした顔でへらり、と笑った。
「ん。もう大丈夫。なんかごめん」
「いや、構わんよ。私のでよければ胸くらいいつでも貸すよ」
そんなに豊かじゃねえけどなっ!
「……それ、うーん、あー……俺が言える立場じゃないかあ……うん、ごめん、なんでもない」
……うん?うん。そうかね?まあ君はまな板だしな。うん。
「とりあえず寝汗かいてるみたいだから綺麗にしておこうね」
ハタキを出してぽふぽふやって『お掃除』する。私もぽふぽふやればこれで証拠隠滅完了だ。うん。私のエプロンは濡れてないよ。
「ん、ありがと」
少し、針生は目を閉じて何かを決めるような素振りを見せて、それからこっちを見て言った。
「舞戸さん、俺の記憶、消せない?」
……そう、ね。それが最善だっていうのは分かるんだ。
けども、それをできるかっていうと、また別の話で。更に、大きな問題もいくつかある。
「できるかは分からないけど、とりあえず見てみる?」
「うん。できなさそうだったらできないでもいいから」
よし、じゃあ見るだけ見てみよう。
……そういう意識で『共有』したこと無かったからなあ、どうなるかは分からないけど。
例の如く頭突きして『共有』する。
そして例の如く、謎空間に突入である。
……しかし、なんというか、ちょっと今、針生が混乱してるというか、落ち着いてないというか、そういうのがなんとなく分かるね。
情報群がごたまぜで、整理できてない。
整理できてない記憶とかを断片断片で見る限り……うん、そりゃ、ああなるよ。
私にとっては所詮、他人事だから、怒りが真っ先に湧いてくるけれど……これ、本人にしてみたら、怒ることすら、できない、よなあ……。
その証拠に、あっちに絡まりこっちに絡まりしながら、べったりと、ねっとりと、嫌なものが大きく存在しているのだ。
……絡まってるのをちょっと掴んで外そうとしたら、触れた途端に色々流れ込んできて、手を離さざるを得なかった。
それに圧倒されて、情けない事にそのまま離脱。
「……どう、だった?」
目を開けると、不安げな針生の目が目の前にあった。
……逃げ帰ってきました、なんて言えるか!
「ちょっとMP切れかけたんで戻ってきた。回復したらもっかい行ってくるよ」
ポケットからミント抽出液を出して飲む。うん、少し気合も入る。
気合入れ直したらもう一回『共有』だ。
謎空間に再び突入。
そして、さっき手を触れた、例の記憶を観察してみる。
……これは、根深い。
絡まる先を辿って見てみれば、その記憶はすぐ、感情と感覚に直結していて、それが伝播してきちゃうんだろう、というのが分かった。
……ということは、だ。これ、絡まってるのが解けたら、この記憶自体が消えなくても、少なくとも、触れた途端に……っていう事は、無くなるんじゃないだろうか。
よし、これは一回離脱して、針生に聞いてみよう。
ということで、2度目の離脱である。
「ただいま。ちょっと見てきたから相談」
さて、記憶の内容自体に触れるのは余りに無神経だし、どう説明するかな、と頭の中で整理しながら言葉を組み立てる。
「多分、記憶自体を消す、っていうのは余りにリスキーだと思うんだ」
「そっか。うん、ごめん、なんか」
「だから、記憶と、それに付随する感情とか感覚とかのリンクを切る、っていう形になると思う。絡まってるから、解いてくるよ。それでも辛いようだったらまた考える、っていうので、いい?」
「……できるの?」
「多分。でも、それにリスクがあるかもしれないし、何かおかしくなるかもしれないから、相談、って事だったんだけど、どう?」
何がどうしてああなってるのか未だに分からないけど、仮にも記憶を弄るということだ。
そのあたり、私は詳しくないし、そもそもああいう風に記憶が可視化されて、しかも弄れる、なんて、そもそもあり得る話じゃないんだから、正に前人未到。リスクは不明。解決するかも不明。
そんな賭け、多分、本来するべきじゃないんだとは思うんだ。
「うん。それでいい。お願い」
……でも、それをしなきゃならないほどに、こいつは苦しいみたいだから、やるのも、1つの選択だと思う。
「OK。じゃあ、やってみる」
あれに触れるのだから、気合入れすぎって事も無いだろう。
……よし。『共有』!
……さて。このどす黒くて粘ついて絡まるコレを、どうやって解くのか。
片栗粉あればまぶすんだけどね、そういうの無いもんね。……ハタキ一本あれば済む気もするんだけど、残念なことにこの謎空間、持ち込めるのは私の身一つなようであり、少なくとも今はハタキ持ってないのよね。
となれば、しょうがない。素手で引っ付かんで解いていくしかないよね。
よし。えい。
……今まで『共有』で感じたものは、情報の氾濫、記憶の氾濫だった。
これは真逆の苦しみを伴う……感情と感覚の氾濫だ。
怖い、苦しい、痛い……そういうのが氾濫して思わず手を離す。駄目だ、ちょっとこれは、これは……酷い。
命(仮)零した時みたいな、純粋な痛みと恐怖だったらまだいいんだ。あれなら私、耐えられる。
……もっと、粘ついて、苦くて、えぐくて、どうしようもないんだ、これは。
ねばねばの影にある記憶も、苦くて、えぐすぎる。
もろに触れるには苦しすぎるから、これは、針生のものであって、私のものじゃないから、私が苦しい訳ではないから、と、自分に言い聞かせてもう一度挑戦するも、今度は……それに触れる直前で何かに阻まれて、触れることができない。
……『共有』、だから、か。他人事じゃあ済ませられない、ってことか。
変な所で融通の利かないスキルだ。どうしようもなく。
もう一度、この絡まる記憶をよく観察して、絡まった感情や感覚の近く、引っぺがすまでに手で触れている時間が短くて済みそうな場所を探す。
探したら、意を決して、今度こそ。
……針生は耐えた。今も耐えている。こいつにできて私にはできないなんて認めるものか。
掴む。
かなり、時間が経った気がする。
なんとか、絡まったものを解いて、別々にした。
別々にしたら、さっきまでどす黒くて粘ついてた記憶は、固まって、触れても苦しく無くなった。
……これで、なんともなってなかったら、流石に凹むぞ。
顔がぐっしゃぐしゃになってるのを手で拭う。人間、泣くことでストレスを解消してるらしいから、まあ、しょうがないのかな。
……流石に疲れた。離脱したら寝よう。
離脱して、妙に視界が安定しないので擦ってみたら、なんか濡れてた。
……こっちでも私は泣いてたらしい。うん、流石に、我ながら、緩すぎない?
「……舞戸さん」
……あ、針生もか。
「ごめん、俺、そうだよね、『共有』とかさ、つまり舞戸さんもしんどいってことじゃん、ほんとにごめん」
とりあえずその顔をどうにかしなさい。いや、私もか。
お互いこのままだとなんかあれなので、ハタキではたいて綺麗にした。
「調子、どうよ。やれることはやったぞ。やってきたぞ」
「うん、分かるよ。……遠く、なった。整理できた、っていうか……思い出しても、ああ、そんなこともあったね、位で済むかんじ。純粋に、記憶、になった、っていうか」
そっか。じゃあ、純粋にトラウマの整理ができた、って、考えていいんだろうか。
かなり突貫工事してしまったように思うんだけれど。
「何か、異常とか、ない?大丈夫?」
「うん、さっきまで凄くしんどかったけど、今は平気。すごくすっきりした。異常も特にないよ、多分」
今、異常が出てないってだけで、後々出てこないとも限らないんだけど、とりあえずは、うまく、いったのかな?
……しかし、安心したら凄く眠い。あ、駄目だ。めっちゃ眠い。あ、駄目だこれ。マジで駄目だこれ。あー……。
「……舞戸さん、大丈夫?」
あ、こんな所に布団が。
……なんか苦しいんで起きたら、針生が私のお腹を枕にして寝てた。
……寝相の悪さが復活してるってことは、魘されずに寝てる、ってことかな。
時計を見てみたらもう朝でした。……うん、多分、ぐっすり、って、ことだよね?
針生を起こさないように辺りを見回してみたら、ちょっと離れた所に布団を敷いて、皆さんも寝ている模様。
あ、報告せずに私寝落ちしたのか。申し訳ない。
それは置いておいて、昨日は晩御飯も抜いちゃったし、流石にお腹が減った。朝ごはん作りたいんだけど……あんまり、針生が気持ちよさそうに寝てるもんだから、退くのもなんか悪い気がする、というのを言い訳に、二度寝を決め込んだ。おやすみなさーい。
お腹の重さが無くなったので起きたら、丁度針生も起きた所だった。
「おはよ」
「おはよ。ごめん、俺舞戸さん枕にしてたみたいだわ」
「うん、ぐっすり眠れたみたいで何よりです。……食欲ある?」
「うん。滅茶苦茶腹減った」
おお、それはようござんした。
皆さんはまだ寝てるみたいなのでそーっと部屋を出て、朝ごはんの支度をすることにしましょうかね。
支度してたら皆さん起きてきた。
「おはよう。……針生、もう大丈夫なのか」
「うん。舞戸さんに整理してもらった。今は思い出しても、あーそんなことあったねー、位」
針生はざっと、昨夜の事を説明した。……所々説明しなかったのは、まあ、説明しにくいだろうし、別に気にしない。私も黙っておこう。
皆さん食欲も戻ってきたらしいので、朝ごはんにこぎつけた。
一食抜かしてるし、肉体的に凄まじい疲労があって然るべき針生とかもいるので、消化のいいように朝粥にしました。
「ところで、捕虜の食事ってどうしようか」
昨日の夜ご飯もそういえばあげてないな。
「餓死させようぜ!」
鳥海、ノリノリである。
「それは駄目。霊薬もまだできてないんだし」
実際、死なれても面倒なので、捕虜は生かさず殺さず、の方針でいくことになるね。
いっそ『眠り繭』にしちゃうのも手か。
「あいつらには聞かないといけないこともあるからな。……まず、命(物理)との関係だろう」
あ。そうか。……命を外に出してしまった彼らは、死なない、と。そういう触れ込みでは無かったのかな?
「それから、『奈落の灰』と、他の元凶についても聞きたいですね」
そうね。しってる可能性は結構高い気がする。
「他の生徒とか教室についてももし知ってたら聞きださないとねー」
……ふむ。
「じゃあ、朝ごはんが終わったら楽しい尋問タイムですね」
「ね」
……ごはん時の、しかも朝の会話としてはかなり、物騒であるなあ。




