プロローグ『引きこもり魔王』
辺りに散らばるゲームの山。
これらは魔界のあちこちから集められた電子ゲーム。
何がどう電子なのかは知らないが、とりあえず魔力をぶち込めば動くようで。
それは僕にとって、凄く都合が良い暇潰しの道具だった。
僕は魔王。既に数百年と生きた、元人間の少年、現魔族。
ただの少年だった僕は、ある日、唐突に家族を失った。
いや、家族だけじゃない。
僕が住んでいた村の住人、ほぼ全てが死んだ。
村を襲った、『魔波』と呼ばれる魔素の暴走による天災で。
魔素とはこの世界を形作る、いわば元素のようなモノで、魔力はここから生まれる。
本来魔法とは、その魔素に働きかけることで発動しているのだ。
まあ最近では、詠唱式魔法やら陣式魔法やら、様々な魔法が生まれているようだけど……それらだって基本は変わらない。
話が逸れた。
そんな魔素の暴走。それはつまり、世界の崩壊に他ならない。
村の周囲は荒れ果て、魔波をその身に浴びた人間はぐずぐずの死体になった。
そしてあろうことか、その身が魔族に変化した。
僕の家族も例外ではなく、ぐずぐずの死体になった後、ゾンビのように突然起き上がりその体型をまったくの別物、異質な存在へと変えてしまった。
そしてお父さんやお母さん、姉ちゃんや弟は僕を見てこう言った。
──ニンゲン、クウ。
まだ人間の形を保っていた僕は、逃げた。
家族であるはずの四人から、逃げたのだ。
いつしか彼らはその身を朽ち果てさせ、物言わぬ魔素へと還元されていった。
それを僕は、内に何か異物が生まれる感覚に苛まれながら、ただ泣き叫び、見ているしかなかった。
そして僕は、少年の形を保ったまま魔族になった。
他の人達とは違う変化の仕方に戸惑ったが、これがどういうことなのかはすぐに理解できた。
なぜなら、元は村人であった、ゾンビのような魔族達が一斉にひれ伏し、こう言ったからだ。
──ワレラガマオウヨ。
僕は魔王。
人間の中で唯一、魔波に耐え、己の力に変えた特異な存在。
家族は失い、その身は不老不死に悩まされる。
そんな日々を送って数百年。
すでに生きるのには飽きた。ゆえの暇潰し。
そんな暇潰しの中で、時折思い出す。
僕の家族を。村を。
明るく、青かった空を。
「魔王様ッ!」
部屋の扉が開け放たれ、ゲームに勤しむ僕の背中に声を掛ける者。彼は僕の側近のキマイラ。
長寿ではあるが、いずれは死ぬ。
誰も不老不死である僕の隣には立つことはできない。誰かと仲良くなろうものなら僕が傷付く。
ゆえに、側近であろうと滅多に近付けさせないようにしているのだけど。
「…………なに?」
その言いつけを破って部屋に踏み入れたということは、それなりに急ぎの要件なのだろう。
不機嫌になりながらも理解し、問うた。
「はっ、まずはご無礼をお許しいただくべく──」
「そういうの良いから、早く」
「申し訳ございません。──では本題を。どうやら、この世界──魔界に、勇者として覚醒した者がおるようでして」
「勇者……? それって、ゲームとかでよく魔王の敵になる人? それがどうしたの」
「勇者であれば、その目的は当然魔王様。しからば、まだ未熟な今の内に刈り取るのが賢明かと」
「…………それって、その勇者を殺すってこと?」
「左様で」
勇者……勇者か。
この数百年。勇者なんて現れたことなかったな。
こんな大事なイベント。見過ごす訳にはいかないけれど……。
「殺さなくて良いよ。ちゃんとここまで来てもらおう」
ゲーム好きな僕にとって、これほどまでに都合の良い暇潰しはない。
たまには、楽しませてもらいたいものだ。
キマイラは何か言いたげだったが、僕が軽く睨むとその居住まいを正し、礼をしたまま部屋をあとにした。
……さて、勇者か。どんな奴だろう。
ゲームみたいな、まるで聖人のようにクールな勇者?
それとも、漫画とかでよくあるコメディ要素多めのボケボケ勇者?
それともそれとも、負け犬的雰囲気をまといながらやる時はやる、そんな勇者?
想像がとどまるところを知らない。
数百年に一度のイベントだろう。心踊らずにいられるか。
僕はまた、ゲームを始めた。
珍しく、鼻歌交じりに。
ーーーーーーーーーーーー
一年が経った。勇者はまだ来ない。
一年なんて、数百年に比べたら……と思っていたのだけど、すっかり興が削がれてしまった。
すでに足元には数十のゲームが散らばっている。これらはこの一年だけでクリアしたタイトルだ。
────コンコン
部屋の扉をノックされる。おそらくキマイラだろう。
そういえば、キマイラの顔を見たのは一年前のあの日が最後か。
それからは以前のように言いつけを守り、ノックをして要件を伝えるにとどまっている。
今日はなんだろう。
『魔王様、アレが届いております』
くぐもった声が扉の向こうから聞こえる。
アレ? アレってなんだったかな……。
『まだ未プレイのジャンルのゲームでございます』
ああ! アレか!
「扉開けて良いよ、持って来てくれ!」
逸る気持ちを抑えられない。
プレイしたことのないジャンルに対するワクワクが止まらない。
キマイラがもったいぶるように、ゆっくりと扉を開ける。
普段ならイラっとするのだけど、今日はそんなことはなかった。
「こちらでございます」
箱に詰められたたくさんのゲーム。
それらのパッケージは全て、何人かの女の子がポーズを取っているようなイラストだった。
どんなゲームなんだろう。
──ギャルゲーやエロゲーってジャンルは。
ーーーーーーーーーーーー
それからまた二年経った。
「魔王様ッ!」
キマイラが珍しく慌てるように、僕の部屋の扉を開け放った。
それを背中で受けながら、低い声で「……なに?」とだけ問う。
目は画面に向かい続けている。
「勇者が仲間を連れて、城に攻め込んで来ました──ッ」
勇者? 勇者ってなんだっけ。
…………ああ、たしか三年前、僕を倒すために覚醒したとか冒険してるとか言ってた奴か。
なんだ、今頃来たのか。
もう興味なんてすっかり無いのに。
「……キマイラ達でやっつけちゃって」
「──御意」
そしてキマイラは部屋を出て行った。
勇者、ね。
そんなもの、今の僕にはどうだっていい。
そんなことより──
「はあ、エロい女の子に××××とか△△△△とかされたいなあ……」
桃色の妄想が、止まらない。
このエロゲーってジャンルのゲーム。ヤバい。
名前の通りエロいシーンとか多々あるのはもちろんなんだけど……それだけじゃない。
泣ける。
ストーリーがものごっつヤバい。何度涙を流したことか。
この数百年。涙なんて家族のことを想う以外で流したことはなかったのに、やられてしまった。その魅力に。
そんな良ストーリーにエロシーンまであるんだから破壊力がパねえっす。誰だエロゲー開発した人。崇めたい。僕魔王だけど。
この二年でありとあらゆるエロゲーをクリアして来た。徹底的にやり込み、隠しルートなんかも暴いて全CGゲットは当たり前。
そんな生活に身を置いていたから、当然脳内も桃色に満たされるわけで。
「どうせなら勇者も女の子だったらなあ……そしたらやる気出しちゃうのに。主に下半身の、だけど。ぐひひ」
そしてまた、僕はエロゲーに没頭する。
「ま、魔王様ッ! 大変で──ひぃ!?」
良いところだったのに、キマイラが部屋に入って来た。だから睨みつけた。そしたら縮み上がった。
はあ……。
「で、なに」
「──あ、はい! 申し訳ありません……! 憲兵達が、勇者一行にやられてしまい──」
「……………………」
改めて、勇者に興味が湧いた。
「──どういうこと?」
「それが……勇者、途轍もない力を持っていて……魔族がことごとく討ち倒され……その姿はまるで鬼神。そのくせ勇者は涙を流すモノだから、憲兵達は勇者を『矛盾なる慈悲』と呼び、戦意を喪失──」
「もういいよ……」
とにかく勇者は、途轍もなく強いらしい。
だけど妙だな……多分、今感じている、魔族のものでも人間のものでも無い魔力を放つ、こいつが勇者だと思うのだが……そこまで魔力が高いようには感じないんだけど。
何か特異な部分があるのかな。たしかにこの魔力、何か不気味さを感じるし。
まるで、光と闇の魔力を無理やり混ぜちゃった──みたいな。
「とにかく、無理はしないでいいよ。どうせここまで来ても僕が倒しちゃうし。やられそうになったらどうにかして逃げて」
「そんなことはできません! 魔王様を置いて逃げるなど──」
「命令だ。無駄に命散らすなよ」
「……、──わかりました」
キマイラは部屋の外へ出て行った。
多分、ただの勘だけど、キマイラとはもう会えない。
キマイラの目は、既に覚悟を決めてしまっていた。
……また一人、僕の側から消える。
それがわかっていても僕は、重い腰を上げることは、しなかった。
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今、キマイラの魔力が消え、その存在は魔素へと還元された。
つまり、この部屋に勇者が辿り着いたということ。
僕は久方ぶりにゲームの電源を切り、立ち上がる。
──少し、怒っちゃったかな。
我ながら理不尽だとは思う。
だけど、怒りというのはいつだって理不尽に振るわれるものじゃないか。
つまり、この理不尽に湧き上がる怒りこそ、正しい。
扉が開け放たれた。
そこにいたのは三人の男。
一人は爽やかイケメン。さぞ華やかな道を歩んで来たのだろう。その表情は凛々しい。
一人は無骨で屈強そうなデカい男。頑強な壁として役立ってきたのだろう。身体のあちこちには傷が目立つ。
一人はローブで身を包み、得体の知れない雰囲気を放つ、頬に傷のある男。腰に下げられた刀は少しだけ抜かれ、それを見ると刃が逆について──待て、お前はここにいちゃいけない気がする。
「……誰が、勇者だ?」
「──多分、私のことです」
そんな三人に遅れ、部屋に入ってきた最後の一人は女だった。
腰あたりまで伸びた怪しくなびく紅い髪。まるで血のような真紅に染まるソレに思わず見惚れ、次にその肢体に目を奪われる。
すらりと伸びた腕と脚。キュッと締まったソレに合わせるように慎ましやかな胸。
そして、さほど高くない背に似合う、幼さを残した顔。瞳はどこまでも見通せそうな緋色で、全体的に焔を思わせるその存在を見て、思わず叫んだ。
「──ロリ最ッ高ォ!」
「は、うぇえ!?」
ガッツポーズをしながら叫ぶ僕に同意といった感じで頷く、勇者一行の男三人。なんだ、お前ら下心丸出しじゃないか。
やべえ、ヤバいよ。このロリ欲しい。
…………。
っと、思わず叫んでしまったが、よく見たら──
「ロリなのはもちろんだが……お前、魔族じゃんか」
「…………それが何か?」
勇者の眼つきが鋭くなる。
どうやら魔族の分際で、魔王である僕に楯突くつもりらしい。
知らないのだろう。きっと。
僕の持つスキル──《魔王》の、その力を。
僕はそれを発動するために──詠唱を始めた。
「──我は王。そなたらは隷属すべし」
ふっ──これで勇者は僕のモノ……。
「…………なんですかねこの魔王。突然恥ずかしいセリフ言い出しましたけど」
「あ、あれ? なんで効いてない!?」
《魔王》──魔族を支配するスキル。
それはどんな魔族でも例外はなく、僕に従うはず──なの、だが。
ええい、ならば!
「──其の眼は真実を見通す」
これで──
「さあ、勇者よ。僕とともに余生を過ごしましょう」
「何言ってるか全然わかんないんですけど。蹴って良いですか?」
「ぐへぇあ!」
許可する間もなく蹴られた。
お、おかしい。今のは魔王スキルの一つ、美顔効果を発動させる詠唱。今のスキルを食らった者が僕を見れば、その溢れ出る魅力に皆惚れるはずなのに──
「…………まさか」
効かない、のか?
どんな魔王のスキルも?
「ほへぇ、この勇者の力、初めて役に立ちましたよ」
感心したように言う勇者。その言葉に、戦慄する。
勇者の力……? 魔王の力全てを跳ね除ける、そんなデタラメな力があるというのか……?
「んじゃ、サクッとやっちゃいましょうか。どうやら大したことなさそうだし」
そして勇者は何か魔法を放った。
ふん、魔法なんか僕に効かない。魔王スキルに、魔法無効化があるから──
ちゅどーん
痛かった。
痛い、痛い痛い痛い熱い熱い焼ける死ぬ痛い。
なんで、魔法無効化も効かないなんて。
勝てっこない。
そんな、それじゃあこのロリ勇者を手に入れられないじゃないか。
そんな、そんな──
「ロリと××××とか△△△△するのが夢だったのにぃー!」
────────。
空間が停止した。
あー、やっべ。思わず妄想垂れ流しちゃったよ。
まあこれくらい男の子なら当たり前だし。
でもマズいなあ。勇者は女の子。それもロリ。キレて僕を殺しかねないなあ。
ああ、終わりか。終わりなのか。
不老不死であることは保険にならない。
この勇者なら、そんなモノさえ打ち破りかねない。
数百年の命も、終わりか。
お父さん、お母さん。姉ちゃん、弟。
今行く──かもしれない、な。
なんて、全てを諦め掛けていた時。
「──な」
な?
「な、ななな、なな、ななななななななななななな何をッ! 何を言って! なぁ〜〜〜〜!」
…………んん?
何か様子がおかしい。
…………もしかして。
「…………○○○○」
「ひぃっ!」
怖気立ったように身を抱く勇者。
「△△△を×××して■■■■すると──」
「いやぁああああああああ!」
確信した。
この勇者。見たところ悪魔スクブス──サキュバスのようだが。
この手の話が苦手なんだな?
まったく、淫魔のクセして意外な弱点を持っている。
だがこれは好都合。
ここからは僕のターンだッ!
そこから先は何が何やらだった。
僕が淫語を叫びまくり、その度に勇者が震え、顔を真っ赤に染め、羞恥に立っていられなくなる。
それを呆れ顔で見ている男三人。
これが、RPGなどでよくある勇者vs魔王だと、誰が思うのだろうか。
──さて、そろそろ良いか。
僕は口を閉じ、呆れ果て油断していた男三人を魔法で殺した。
「な──ッ!」
勇者の顔が一瞬で青ざめる。
次いで、早口に詠唱を唱える。
「──全ては無に帰せ──怨嗟の乖離よ」
その詠唱を引き金に、見えないように展開していた魔法陣に組み込まれた術式が発動。その効果は、魔法陣内にいるスキル、アビリティ全ての無効化。
おそらく勇者の力というのは、アビリティの一種であろう。
ならば、それを無効化させてしまえば良いだけのこと。
半永久型付加アビリティだったのだろう。あっさりと勇者をまとっていた忌々しい壁は取り払われた。
そして僕は、二つの呪いをかける。
──一つは僕から逃れられないように。
──一つは世界に諦めがつくように。
「──永久に眠れ──千里を共に」
そして、あっさりと、勇者vs魔王の戦いは幕を閉じた。
魔王の勝ちで。
「ふぅ……つっかれた。さーて、勇者をいただいちゃおうかなー」
未だ呆然と我を失っている勇者の元へ近づき、どう性的に食べてやろうか考えていたら──
その身体が、淡く透け始めた。
「は?」
そしてそのまま勇者の身体は──消えた。
慌てて僕は、勇者にかけた呪いの一つ──絶対監視を発動させる。これはどこにいても僕にその姿を視認されるというもの。
──そこに広がっていたのは、見たことのない世界だった。
そう、まるで異世界とでも言うべき。
「……は、はは。異世界に行くとか、デタラメじゃないか、勇者」
いくら僕でも、異世界に行く手段は持ち合わせていない。
だが、こうして視ることはできる。
「ふは、あはは……いいさ。待っててやる。どこに逃げても勇者、お前のことは僕が視ているぞ。逃げられない、永遠を彷徨え──」
そうして僕は、また引きこもりを始めた。
あれだけ騒がしかった城はすっかり静かになり、僕がプレイするゲームの音だけが鳴り響く。
こうして、魔王と勇者の数百年が幕を開けた。