第二章 9『摩擦』
「自分が苦労して習得したスキルなんかを、名前を知られるだけでアッサリと習得されるだなんて、ちょっとした恐怖だった。だから言ってしまった。恐怖が形を伴って、人々の前に現れた。──それが『悪魔の子』」
今ラグが語ったことが事実だとしたら、あの子は、ライブは、どんな人生を歩んで来たのだろう。
──ズキン
「痛っ……」
先ほどより少し強い頭痛。
駄目だ。ここから先に踏み込んだら。
何が原因となっているのかわからない、そんな強迫観念が俺を襲う。
「クロネさん、別にそこまで重苦しい顔しなくても大丈夫ですよ。一応、この件に関しては片付いているはずなんで」
「へ?」
「こんの魔王……さっさと本題に入りやがれください」
「べ、ベリーたん──勇者、いろいろ口調がごっちゃ混ぜになってって顔が恐い恐い!」
また話が脱線しそうになり、思わず声を荒げる。
「お、おい! んなイチャイチャしてないで、話の続きを──」
「ああっ! クロネさん、言っちゃいけないこと言いましたね!? いくら妬いてるからって、言葉を選ぶくらいはしてもらわないと困ります! っつーか、怒ります!」
「良いところに目をつけるねクロネくん! そう、これは僕らの愛情表げ──」
「ふんっ!!」
「あいたぁ!?」
これもすっかりお馴染みになったベリーの蹴りによるラグの気絶。
どんなに沈痛な雰囲気でもお構いなしの二人に、ベリーの言う通りどこか嫉妬している自分がいてさらにブスッとしてしまう。
「──ふふっ」
そんな俺たちのやり取りに、細やかな笑みが一つ。
「あ……すまない。キミたちを見ていると、微笑ましくてつい」
そう言い、しかし浮かない表情のまま悲しさを伴う笑みを浮かべたのは、顔を包帯でグルグル巻きにしたマスターだった。
「ああ、いや……別に、笑ってくれて大丈夫。むしろ、こんな状況だってのに空気を読まずにすんません。……まあ、宿を借りてる時点で今さらだけど」
「それより、笑い方ライブさんそっくりですね。タイミングも」
言われてみれば確かに……ライブも、俺たちのやり取りを見て吹き出したんだっけ。
ライブも、どこか悲しさを漂わせてはいたけれど。
何かを憂いたような、そんな笑みはそっくりだ。
「話の腰を折ってしまったことも並びにお詫びしよう」
「いや、それは完全にコイツらの仕業だし」
「ラグの仕業です」
いや、お前もだろベリー。
「って、そんなことより、だ。さっきの話の続き……ラグは気絶しちまったし、ベリー知ってそうだから頼むよ」
「うわ、めんどくせー……コイツ起きないですかね」
言いながら気絶するラグを足蹴にするベリー。
それに無反応なことを確認すると、諦めたように息を吐き、
「はぁ……とりあえず、ネーマーにまつわる歴史には続きがある、ってところから行きましょうか。──『悪魔の子』だなんて呼ばれていたネーマーの人たちは、一度その呼び名を撤回されているんですよ。心優しい誰かと誰か、そしてまた誰かが集まってどんどん大きくなって……そして、ついに『悪魔の子』の看板は降ろされました」
「あ、じゃあ、さっきの片付いているってのは……」
「はい、今ではそこまで、ネーマーに対する差別はありませんよ」
話を聞く限り、ハッピーエンドに聞こえるのだが……それを聞くマスターの顔は暗く沈んでいた。
そんな空気を読んだベリーは、また言葉を続ける。
「でもまあ、それも表向きなもんです。やっぱりまだまだネーマーに対する無言の差別は続いていますし。……とはいえ、この街は少しそれが強すぎる気がしますけどね」
「……? どういうことだ? なんとなく、俺の知らない知識だからあまり口を挟まず聞いていたけど……そもそも、今の話がなんだってんだ? 何かこの状況に関係あるのか?」
「ぶっちゃけるとありませんよ、んなもん。……すみません、今の嘘です。ちょっとだけ関係ありますね。直接的にじゃなくて、間接的にでしょうけど。──これに関しては、私よりマスターの方が詳しいんじゃないんですか?」
片目を瞑り、まるで追い詰めるような視線をミイラのような男に向けるベリー。
「────」
向けられたマスターは、重苦しく沈黙を続け、続け、続け──そして、口を開いた。
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「あの子が……ライブがこの街に来たのは三年前だ。ふらっと立ち寄った街で、少し寝泊まりしたらすぐ出て行くつもりだったらしい。その間あの子は、何かを恐れるようにビクビクとし続け、私たち街の住人と関わることを避けているようだった」
「…………」
「旅に必要なものを買い揃え、出発するための準備をするあの子に、ふと気になって聞いてみたんだ。『そんなに小さいのに、なぜ旅を続けるのか』と。今考えてみれば残酷な質問だった……あの子には、安心して留まれるような場所なんて、なかったというのに」
「ネーマーに対する、無言の差別……」
「あの子はこう答えた。『生きるため』だと。今でも鮮明に覚えている……あの子の、諦観の混じった、暗い笑みを。あの子に何があったのか。それを知る術は無かったが、それでも何かがあったのだろうことは予想がつく。だから、私たち街の住人は出来得る限りを尽くしあの子に接した。
でも、長くは続かなかった」
「何が……?」
「ネーマーだとバレた……とかじゃないですか?」
「…………。……ああ、その通りだ。ふとしたキッカケで、とある人の名前を知ってしまった。できるだけ人の名前を聞かないように、あの子は気をつけていたのに。そして……まだ幼かったあの子は、無意識のうちに、習得したスキルを発動してしまったんだ。そのスキルは《獣魂》。クロネくん……だったかな。あの金髪の子を覚えているかい?」
「えっと……オムバスだったっけ」
「合っているよ。……《獣魂》は、オムバスのスキルなんだ」
「ん……? 待ってください。《獣魂》って、人間が習得できるスキルでしたっけ? ネーマーのような特性を持つ人ならともかく、その、オムバスさん、でしたっけ。その人はどうやってそのスキルを?」
「じゃあ、まずはそこを少し。実を言うと……オムバスは元々、『暗森林』にいたんだ。この街に来る途中、大きな森を見なかったかい?」
「ああ……あのでっかい森」
「かつてはあそこに住んでいたんだ、オムバスは。野生の獣達に混じって、それこそ野生の獣のような生活をしていた。だからかもしれない、オムバスに、《獣魂》というスキルが発現したのは」
「……にわかには信じられませんね。でも確かに、スキルが発現する条件なんてかなり曖昧で雑な気もしますし」
「その後いろいろあってオムバスはこの街に来ることになるんだけど……その話は今は割愛させてもらう。さて、話を本題に戻そうか。そんなルーツのあるオムバスのスキルを、あの子は習得してしまった。それだけならまだ良かったかもしれないが……発動してしまった。ネーマーとしての力を抑えた生活をして来たからか、それとも熟練度が足りなかったのか、原因はわからない……しかし、問題はそこではなくて」
「そのオムバスって人に、スキルを発動したところを見られたってことか。……いや、別にオムバスじゃなくてもいいのか。誰かが、本来オムバス以外の人間には使えないはずのスキルを使う女の子なんていたら、真っ先にネーマーの線を疑う。そうして、ライブがネーマーだってことがバレた」
「さらに、ただでさえ『悪魔の子』として忌み嫌われていたネーマーに、自分の過去に関係のあるスキルを習得された……奪われたと考えたオムバスさんの怒りは相当なものだった。こんなとこですかね?」
「……キミたちは察しが良いね。まったくもってその通りだ。そうして街のみんなの反感を買った少女は、これ以上事を大きくする前に街を去ろうとした。だけど──そこでまた、スキルが発動してしまい、暴走してしまった。本来は野生の獣が持っているスキルだ。それをオムバスのように野生を生きて来たわけでもない女の子が持つには、あまりにも危険なものだったんだね。……暴れながら、涙を流すあの子は、見ていられなかった」
「……その後は?」
「どうにかして止める事はできた。……だが、街のみんなに深い怨恨を残したのは事実だ。特にオムバス。彼の怒りは収まるところを知らなかった。一度あの子を殺そうともした。……それもどうにかして、止めたけど。その後、ようやく落ち着いたあの子は再度この街を後にしようとした。その際に見送りに出たのは……一人だけだった。その一人にあの子はこう言ったそうだ。
『わたし、ネーマーなの』
……と」
「…………」
「それを聞いた一人は、何をしたと思う?」
「……さすがに、わかりませんね」
「……だろうね。簡単に言えば──街の住人たちに頼み込んで、ここにあの子を住まわせてくれるよう頼んだ──ってところ。いろいろあったけど、今日まであの子がこの街にいたことを考えれば、結果がどうだったのかは察してもらえるかと思う」
「その一人って……凄えな。そこまで嫌われてたライブを受け入れるようお願いして、しかもそのお願いを通すなんて。凄え人徳だ」
「…………。そのことに恩を感じたのか、あの子はこの街の為になることを率先してやり続けた。ネーマーとしての力を余すことなく使い、やがて少しずつ、少しずつこの街に溶け込んでいった。そろそろ安心だと、私も……思っていた。しかし……」
「……ああ、なんとなく、わかってきたかも」
「怨恨が完全に無くなったわけじゃない。そんな中途半端な時に、昨日の魔人騒ぎ。自分の近しい人が亡くなったりして、行き場のない怒りを誰にぶつけるかと言えば……『悪魔の子』であるライブさん、なんでしょうね」
「……それが、今回の事の顛末だろう」
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一気に語り終え、乾いた喉を潤すように紅茶を流し込むマスター。
その顔はさっきより、少しだけ暗い陰を増していた。
「すまないね。関係のないキミたちにこんな話をしてしまって」
「いえ、私が促したんですし……それに、ここまで来て無関係っていうのも。攻撃されたりしましたし」
「……みんなの非礼は私が浴びよう。彼らも昨日の今日で気が立っているんだ。……許して欲しい」
「あなたに謝られても正直……はぁ。気にしないでください。いきなり武器を向けられるのは慣れてるんで」
言いつつ、謝られることに慣れていないのか気まずそうに目を逸らす赤毛の少女。
その目は床で寝転がっているラグに向けられていた。
「……で、今の話を聞いて、何か思うところは? ラグ」
「え、ソイツ起きてんの?」
「コイツ、厄介なことに気絶してもすぐに起きるんですよ。……ほら」
「……バレてたか」
むくりと身体を起こし、そう呟く白髪の少年、ラグ。
「ライブさんを、どこに逃がしたのか教えてもらいましょうか?」
「どこに……ね。それを聞いてどうすんのさ、ベリーたんは」
「……決まってます。ネーマーってだけで傷つけられるなんて、あまつさえ街を出て行かなきゃいけないなんて間違ってる。その間違いを──」
「正すって? それこそ間違いだよ勇者。それは驕りでしかない。……勇者だから、拒絶されることを知らないんだ」
その言葉を聞いた時、何かがズキッと、胸を貫いた。
いつものような、何かを思い出そうとする時に走る頭痛じゃない。その痛みは何か、喪失感を抉るような痛み。
拒絶されることを、知っているかのような痛み。
「何を……」
「ねえベリー。キミは……お前はどうしたい? 勇者としてのお前じゃなくて──悪魔としての、スクブスとしての、お前は」
「…………」
二人の間に何か、見えない何かがある。
その何かを俺が見ることはできなくて、当人たちだけがそれを見ることができて。
コイツらに昔、何があったのかはわからない。そもそも、コイツらってなんなのか。どうして今ここに、俺と共にいるのか。
「──草原。そこに転移させてきた」
不意に、ラグがそう呟いた。
「今頃、どこか別の街に向かって動き出してるかもね。なにせ、何も持たずに出て行ったから。……まあ、あの子が持ち合わせているスキルは尋常じゃないから、死ぬことはないだろうけど」
「……なぜ、言う気に?」
「いや、別にベリーたんが可哀想だから、とかじゃないよ? ベリーたんは可愛い、だから。……まあ、冗談はさて置き」
言いつつ、ラグはその目をとある方向へ向ける。
「──おっかなーい、お父さんがいるから、かな」
そこにいたのは──
「────」
──憤怒をたたえた、マスターだった。
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生まれ持った、獅子の鬣のような金髪を撫でつける。
風が吹く草原にいる理由は簡単。
「どこに逃げようったって、そうは行かねぇぞ──『悪魔』」
ポツリと呟くオムバスの鼻に届くのは、この三年間で随分と馴染みになった少女の匂い。
──忌々しい、ネーマーの匂いだ。
街の周辺を見張っていたら案の定、少女の匂いが街の外から漂ってきた。
どうやって街の見張りを掻い潜ったのかはわからない。が、この街の案内人をしていた少女のことだ。どこに抜け道があるとか知っていても不思議はない。
「てめぇは逃がさねぇ……斬り刻んで噛み砕いて引き裂いて──殺してやる」
スキル《獣魂》を発動。
爪が太く長く、鋭くなり、口から覗く牙も獣のそれになる。小さな身体はそのままに、金色に輝く髪が伸びる。
瞳孔が開き、全身に野生を纏う。
獅子のように四つ足になり、風のように走り出した。
オムバスにとっての故郷である、『暗森林』に向かって。




