第二章 8『逃走』
「えーっと、ライブさんでしたっけ? 宿の中にいてください。できればあまり扉に近づかないで。裏口の方にも、もちろん正面の方にも」
そう少女に言い捨て、気品のなさそうな男たちを前に目を細める。
殺せ、と言うだけで攻撃を仕掛けてこないこの人たちは……この人たちは、人間だ。昨日の魔人なんかとは違う、守るべき者たち。
勇者である身からすれば、当然彼らに敵意を向けるはずがない。
しかし、
「……なんですかね、その下卑た笑みは」
「ケッ、下卑た笑いだってよ。違いねぇ。……なぁ、嬢ちゃん。中に亜麻色の髪の女の子はいなかったかぁい?」
「いたら、俺たちが呼んでたよーって言ってくんないかなぁ」
「バカお前。それじゃ恐がって出てこねーっての」
「ガハハハハ!!」
いわゆる、ゴロツキという人種だろうか。
素直に驚いた。こんな、こんな──
「──こんな古臭くてカビの生えた人たちが現存してるだなんて。ほぼ化石みたいなもんですよコレ。ラッキーじゃないですか私」
「──あぁ?」
「おい嬢ちゃん、てめえ──今、なんてった?」
私の方に返す言葉はない。
いやぁ、だって、もう言いたいことは言いましたし。
……あ、一つだけ。
「あなたたち、私に守られる気はありますか?」
「…………はぁ? 何言ってんだ」
「コイツ、俺らをバカにしてんじゃねえか?」
「ガキだしなぁ。仕方ねえよ。──仕方ねえが、そこまでオトナじゃねぇーんだわ俺たち」
「っつーことで、一回痛い目見てな?」
誰が言ったかすらわからないその一言を皮切りに、路地を埋め尽くすほどの人たちが一斉に口を開いた。
その口から発せられたのは詠唱。各々が魔法を発動するための準備を始める。
その中に、一人として魔法陣を展開している者はいない。
「──ふぅ」
私も、舐められたもんですねぇ……やっぱり、この見た目って一つのアドバンテージなんでしょうか。
幼体の頃ならさして気にすることもなかったが、成体になってもあまり背が伸びなかったのはちょっとしたコンプレックスだ。これじゃあただ、羽やら尻尾やらを隠すのが上手くなっただけ──
「──砕け! おらァ!!」
どうやら全員の詠唱が終わったようで。
起きた現象は、地面が抉れながら迫るショックウェーブ。
「属性は『土』……ですか。ふぅむ」
未だ余裕でいる私を前に、数人の顔が少し歪んだ。
避けないのか、逃げないのか。きっとそう思っているのだろう。いや、もしかしたらそうしてもらわなくては困るから焦っているのか。
どちらにせよ、
「女の子に手を上げるのが怖いのなら、上げなければいいのに」
足元に魔法陣を展開。その色は赤。
この程度の攻撃を防ぐのなら詠唱は要らない。軽く魔力を操作し、魔素に働きかける。
起きた現象は、巨大な火柱。私を守るように上がるそれに悲鳴が上がる。
「ビビってんじゃありませんよ。先に手を出したのはそっちですよ? ──女の子一人手に余るなら、最初から守られてろよバーカ」
大地が、燃える。
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「……おい、今なんつったよ、そこの隠れてる奴」
「それって、俺のことですかね……」
最後の無駄な足掻きとして、もしもの勘違いの可能性を確かめてみる。
が、
「当たり前だろぉがよ」
「ですよねぇー……」
結果はこの通り。
わかってましたよ。そりゃ自分から首突っ込んだんですから。
そして俺は、首を突っ込んだからには突っ込み通す。でなければ、【大罪の英霊】を前にして俺は、あそこまで戦い抜く──いや、逃げ抜く? ことなんてしなかった。
「ふざけたこと抜かしやがって。てめぇそもそもナニモンだ? 答えろ」
「だーかーらー、記憶を失くした通りすがりだっつってんだろ。人の話は聞いとけよ」
あくまでキツネの影に隠れながら、口先だけは大きく大きく。
その内心は、
──恐え恐え恐え恐え恐え! 見ろよあいつ金髪だぜ金髪! ほら見ろ俺。そんで目に焼き付けろ! アイツが、俺が喧嘩売った相手だよ! バカかお前。バカだな!
隠し切れていない感情が足の震えとして表れる。おい、止まれ、ちょ、止まれって!
「ハッ、威勢だけかよ? んな風に隠れやがって……いや、その威勢すら紛い物か。足震えてんじゃねぇか」
「余計なお世話だ! べ、別に、今さらながら喧嘩売る相手を間違えたとか思ってねえから!」
思ってます。
そんな俺に何を思ったか、オムバスと呼ばれた金髪の青年はため息をつき、
「はぁ……やぁめたやめた。一旦出直す。気が削がれた……おい、ラースさん、明日までだ。明日までに『悪魔』をどうにかしねえっつーなら──その時ゃ、宿諸共ブッ壊してブッ潰して、そんでアンタも殺す」
殺す、と言う前に一度俺の方を見たのは意趣返しか。
兎にも角にも、オムバスの「一旦お前らも帰れ」という一言に従い、街の住人たちがその場を去って行く。
一瞬、その視線がマスターを捉え──非難するような目を向けた。そのことに気付かないわけがないマスターは、しかし何も言い返すことをしなかった。
「お。終わった?」
「……白──ラグ。起きたのか」
「今白髪って言おうとしたよね。ねえ」
へたれる俺を見下ろすのは、扉を開けて出てきたラグだった。
「ライブと、ベリーは?」
「勇者は無問題でしょ。勇者だし。だからそっちは見て来てない。んで、ライブだっけ? あの子なら──」
その顔はあっけらかんとしていて、何も問題は無かったと如実に語っている。
つまり、あの子は無事。そのことに安堵し、
「逃げたよ。街の外へ」
その安堵を、崩された。
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「罪悪感に押し潰されそうになり、痛い痛いって喚いて、その先に辿り着いたのが優しさだ。これがただの逃走でなくて、なんなんだろうね?」
「じ、実際、この街から逃げるんだから……間違っては、いないわよ」
「そういう意味じゃないんだよ……お前が何から逃げてるのか自覚ある? ないだろう。別にそのこと自体はなんにも間違いじゃない──が、何から逃げているのか、その対象を街のみんなに挿げ替えるのは間違いだ。お前の都合の良い解釈はホントにクソ。冗談にもなりゃしない」
僕の言葉に圧倒されて、言葉を返せる余裕はなさそうだった。
まあ、当たり前かな。唐突に、どこの誰かもわからない僕にここまでボロクソに言われて、わけ知り顔で頷ける人がいるなら見てみたい。
けどまあ、自業自得だと思うけどね。この宿に僕を……僕たちを招き入れたのはこの子だ。それはつまり、自分の問題に立ち入らせる許可を与えたということで──これは流石に言いすぎか。ただの善意だったのだろうし。
だが、それが僕らを関わらせるきっかけとなったのは事実だ。
「ついでにもう一つ教えてやるよ」
だから遠慮はしない。
「お前が何から逃げているのか、それはね──自分だよ」
あーあ、我ながらクサいクサい。ゲームとかに影響されすぎたかな。
でも間違っているとは思わない。
「その上で聞くけど──ホントに、この街を出るなんてできるの?」
それに対し少女は、震えながら、目尻に涙を浮かべながら、
「──出て、行く。ここには、もう、いられない……から」
それでも、言い切った。
なら僕にできることはただ一つ。それを手伝うことだ。
ここまで勝手なこと言っといて見放すなんてことはさすがにしない。
だって、僕は魔王。ちょっと意味は違うけど──悪いことをする奴の、味方だから。
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正面とは違い、裏口の方はアッサリと片付いたという。
「ちょっと脅したら尻尾巻いて逃げて行きましたよ」
「あの火柱か……」
「あ、見えてました?」
場所は宿の中。重苦しい空気の中、勇者の溌剌とした声がやけに響く。
「それで、」と前置きをし、問う。
「ライブが逃げた、って、どういうこと? ラグ」
「いや、そのまんまの意味だけど」
素知らぬ顔で返す白髪の少年に、少しばかり腹が立った……が、それはベリーによって押しとどめられる。
「クソ魔王がムカつくのは同意ですけど、そんなのはいつでもぶん殴れますから。話の続きを」
「ヒュゥ、勇者は優しいね」
「……逃げたって、どこにですか」
「街の外」
ダメだ、埒が明かない。
そもそも、この状況はなんなんだ? いきなり街の住人たちが襲ってくる、その理由がわからない。
『悪魔』と口にしていたが、それはなんのことだ?
そんな俺の様子を察したのか、ベリー、マスターが言いづらそうに、でも何かを言おうとしている。
またも微妙な空気に陥った宿のロビー。その空気を割ったのはラグだった。
「クロネくんさ、あの子がネーマーだってのはわかる?」
「ん? あ、あぁ、まあ」
「じゃあさ」
一拍挟み、もったいぶるようにするその態度にいい加減限界だった。
「なんだよ、言うならハッキリと──!」
「ネーマーが昔、『悪魔の子』って言われていたのは、知ってる?」
「──は?」
「そもそも、ネーマーって名前からして少しおかしいんだよ。セイレーン語としては特に違和感はないんだけど……英語にすると『Namer』。『Name』って名詞に『er』は付かないぜ?」
「え、エイゴ? 何を言って──つッ!」
随分と懐かしいような頭痛に思わず顔をしかめる。
「……ラグ。クロネさんにそんな話してもわかりませんよ。この人記憶ないんですから」
「お、やっと僕の名前を呼んでくれたね勇者。じゃあ僕もベリーたんって呼んじゃおう。……とまあ、それはさて置き。じゃあ名前の由来とかはいいか。お次はその特性の、性質について」
昨夜の講義のような態度に、まるで現状を楽しんでいるかのように見えて再度怒りが湧いた。しかし、話の方が気になるため堪える。
「ネーマーってのは、まあ、特性の一つなんだけど。少し特殊なのが生まれ持った特性ってとこだね。後天性のネーマーは存在しない。でもまあ、そんなのはこの際どうだって良いんだ。問題はその性質。クロネくん、ネーマーの能力ってわかる?」
「えと……確か、相手の名前を知ることで、相手の持つ特殊な何かを習得できる……だっけか」
「概ね正解。言葉で聞くだけだとかなーり便利な能力。でもまあ、実際には習得できるものに限りがあるし、熟練度の問題もある。絶対的に便利ってわけじゃない。……けど、間違った情報が広まったことがあった。昔に」
「────」
「昔の人は、当時ネーマーの能力について詳しく解明されていなかった為に、勘違いしてしまったのさ。──自分の努力を盗まれる。それがネーマーの能力だとね」
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透き通るような蒼い空──と言えば聞こえは良いが、少女はその空が好きではなかった。
まるで、青い絵の具でベッタリと塗りたくったような、そんな粗末な空を好きになれる理由は、どこにもなかったのだ。
「わたしが、歪んでるだけなの……?」
かつておじさんは──ラースは言った。「空が綺麗だ」と。
少女は──ライブはそうは思えなかった。
こんな子どもの描いた汚い絵のような空の、どこが綺麗なのか。
どれだけラースのことを好きになろうと、どれだけラースのことを肯定的に見れるようになっても、それだけは絶対にわからなかった。
カサ、カサ、と音を立てながら草原を歩く。
ライブがいるのは広い草原。ライブは知る由もないが、そこはクロネが目を覚ました場所だった。
ラグの力を借りここまで来ることができたが、この先どうするか、その答えは出ていない。
目を凝らせば、今日まで住んでいた街が遠目に見える。つい昨日、魔人に襲われ燃えていた街が、今は元通りの姿をしていることに暗い喪失感を覚える。
──街が元通りになっても、死んだ人たちは、元通りにはならない。
死んだ彼らは誰のせいで死んだのか。
言うまでもなく、ライブのせいだ。
事実は関係ない。街の住人たちがそう思っている。それが現実だ。
この世は事実ではなく現実が優先される。そんなことはとうの昔に気付いている。なのに忘れていた。
せめて、その償いを。
そう思い街を出た。その選択に後悔はない。
後悔は、ない。
「……悩んでたってどうにもならないわよ、わたし。とにかく、今後の方向性だけでも決めなくちゃ」
グルリと見渡せば、背の高い草原と深い森が見えた。どちらもかなり距離がある。歩いて行くのは少々大変そうだ。
だが、それも普通の人間の話。
ライブは普通の人間ではなかった。
「わたしは……『悪魔の子』」
昔、習得したスキル《疾走》を駆使し、走り出す。
風のように、一歩踏むごとに街との距離を離し、
深い、森へと──




