第二章 3『復活』
「死ん、だ……?」
理解の範疇を軽く超えていったその発言に、脳が思考するのをストップした。
震える手足の先。
頭では理解していたはず。なのに、身体はそれを拒絶する。
わかっていた。あんな状況で、あの子が生き残っているはずがない。
あの子は、跡形もなく、死んだのだと。誰に言われるまでもなく理解していた。
だけど俺の中の全てがそれを否定しようと躍起になり、それができなかったから全てを先送りにした。
だからここまで、俺の精神は保っていられた。
その内に、覚悟を決めようと、そう思っていた。
だがそんなのは叶わず、あっさりと覚悟とやらも崩され、いざ現実を突きつけられた俺は弱かった。
あの子は死んだ。
俺のせいで。
その二文が脳内をグルグルと回り、ない交ぜになり、脳みそを掻き乱していく。文字通り、掻き回すように。
その感覚に嘔吐感を覚える。胃の底からせり上がってくる何かを押さえつけるように口元に手を当てるが、それも虚しく吐き出してしまう。
眩暈がし、自らが出した吐瀉物が青やら緑やらとその色を変えていく。まるでマーブル模様のように。
俺のせいで。
何かが俺を嘲笑う。
ピエロのような笑い声が聞こえる。響く。
俺の心臓を、叩く。
俺のせいで。
ガラガラと崩れ去る音と共に、全身から力が抜け、吐瀉物の上に倒れこむ。ビシャッという音を鳴らし、同時に胸の辺りに気味の悪い張り付き。それが染み込んでくるのを直に、肌で感じ怖気だつ。
対極的に、汗でぐっしょりと濡れた背中は吹く風によって乾かされていく。涼しさより冷たさを伴った風に、軽く気が飛びかける。
俺の、せいで──!
それが思い上がりなのもわかっている。
俺が何をしたところで、もしかしたらこの結末は訪れたのかもしれない。
だけど、やっぱりどう考えても、引き金は俺が引いた。
俺の……せい、で──
いったい何が俺をここまで、あの子に縋らせるのか。
たかだか出会って数時間の仲だ。確かに、ここで目が覚めてからは一番長く接したかもしれない。
だけど、俺の中の常識では、たった数時間前に出会った相手のことなんて意にも介さないのが普通だ。
もしかしたら既に、そんな常識は上塗りされているのかもしれない。
ああ、もう駄目だ。
限界だ。
「あ──ァああああああああ!!!!」
慟哭。
そして、
「それはちょっと、意地が悪いってもんですよ」
響いた。
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虚空に漂い始めた赤いそれは魔素。
全てを形作る原始の存在。
時に人に恩恵をもたらし、時に世界に仇をなす。
その存在は本来、視覚情報として捉えることはできない。見えないほどに小さいとか、そういう次元でなく。
それこそ、存在する次元が違うのだ。
何ものにも手出しされぬ不可侵の存在。それが魔素。
実際に世界に影響を及ぼすためには、魔力によって異なる次元を繋ぐことが必要。
──つまり。
視認できるということは、その存在が、内包し切れないほどの魔力を抱え次元を超えているということ。
火の粉のように光と熱を放ちながら、ポツポツと現れその数を増し、
それらが連なり一つの形を形成する。
手を取り合うように惹かれ合い、時に反発し、ゆっくりと、時間をかけながら。
白とも黒とも、はたまた赤とも判別のつかぬ光を放ち、その内に影を作る。
その光景に息を飲むのは二人。
一人は無理解からくる呆然と、感動と。
一人は見慣れたそれを、その上で見惚れる。
最後、光が弾けた。
中より現れたのは、何度も何度も目にした紅い、炎のような、鬣のような髪をした少女。
「ふぅ……」
艶かしさを伴った吐息に、辺り一面を飛び交う魔素が踊り出す。
──全てが再生されていく。
大きな穴を穿たれた広場。
燃えた瓦礫。
吐瀉物がこびりついたり、背中に穴が空いたりしたクロネのジャージ。
そしてこの街。
少女の吐息一つで、今夜の戦闘の跡が、全て、無かったことにされた。
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「すげえ……」
なんの思惑も思索もなく、ただ単に、純粋に、感動が音として洩れた。
赤い少女が生き返ったとか、そういうのはもうどこかへ吹き飛んだ。
ただその美しさに見惚れ、見惚れ、見惚れ、そして見惚れた。
しばしの間時間を忘れ、全神経をその美しさに委ねた。
「なんでも……元通りかよ」
「なんでもじゃありませんよ」
こうして声を交わすのも随分久しぶりな気がする。
実際には一時間経ったか経たないか、その程度だろうに。
「死んだ人たちを生き返らせることはできませんので。……この力は、結局ただの仮初です」
赤い少女は生き返ったことへの感慨もなく、そう呟き俯いた。
「えぇ〜……仮初とか言っちゃうんだ? もっと僕の力を褒めてくれても良いんだよ?」
「…………なんであんたがいるんです? おいコラ」
「ちょ、ちょい。言葉遣い荒くなってる」
「元からこんなんですよクソ魔王」
赤と白の口論に、ふと疑問を抱き。
だがしかし、それを口にするのははばかられた。
なぜか。それは少女たちが、やけに親しげに言葉を交わすことに起因する。
──嫉妬、しているのだろうか?
「これはどっちかっていうと勇者としての力ですし……っつーか、そもそも自分に呪いかけた相手に対して曲がりなりにも敬語で相手してやってることを喜びなさいっつーの」
「はい。めちゃくちゃ喜んでますむしろそういうツンはご褒美でしてごふぁ!!」
「死ね。頼むから死んでください」
あ、白髪が吹っ飛ばされた。
「ふぅ。……あ、クロネさん」
「え、あ、うぇ?」
突然声をかけられて思わず声が詰まり上ずる。
頬が引きつり、何か不気味な感じになってるのが自分でもわかる。
いったい何をそこまで動揺しているのか俺は。
次に少女がどんな言葉を口にするのか気になって仕方がないし、口にしないでほしいとも思う。
そんな臆病から俺は顔を逸らす。
まるで、好きな子と顔を合わせられない思春期の男子みたいだな──なんて思いつつ、どこかでそれが間違っていない気がして。
チラと赤い少女の方を見てみれば──
「……変な人ですね、まったく」
薄く、微笑みを浮かべる少女がいて。
ああ、もう駄目だ。
なんてチョロいのかと自分でも思う。
俺は笑顔を向けられるだけで惚れるような男だったのか……そんなことを考えたって記憶は蘇らない。過去の俺が誰か好きな人がいたのかも知らないし、関係ないとも思う。
俺は。今ここにいる俺は。
この子を、好きになってしまったようで。
我ながら本当にチョロい。チョロすぎるチョロインだ。いやヒロインではないんですけど俺。
「……よだれ垂らしちゃってるよクロネくん?」
「うぉわぇああ!?」
いつの間にか背後にいた白髪の声に思いっきり飛び上がってしまった。
あー!! 心臓飛び出すと思ったー!!
「あーら何をそんなに驚いてるのかしら。やーねー、勇者に惚れちゃったのカシラー」
「んなっ、ちょま、はぇ!? ほ、惚れって、アホな」
「うっわ、わかりやす……ウゼー。超ウゼー」
んなこと嫌味ったらしく言われても……。
んで、当の赤い少女は──
「……へぇ〜、クロネさん、私に惚れちゃったんですか」
「ノォおおおおおおおお!!!!」
あっれー! おっかしーなー!!
こういうのって実は聞こえてなかったり、女の子の方は鈍感で気づかなかったりするんじゃないんですかー!?!?
「ああいや、別に恥ずかしがることはないんじゃないですか? ほら、私ってめちゃくちゃ可愛いし魅惑的だしエロエロだし」
「ごめん勇者。確かに可愛いし魅惑的だしロリロリだけどエロエロは無いわ。っていうかその手の話苦手でしょうが」
「黙れ変態スーファミ。家族だけならずロリコンまで追加されてどんだけ変態度増すんですかあなたは」
「今自分のことロリって認めたー!」
「ブッ殺!!」
赤い少女が魔法陣を白髪の足元に展開。そこから火柱を顕現させた。
「ギィャアアアア──ッ!!」
「ちょ、ちょっと。さすがにやり過ぎじゃあ……」
明らかに必殺の攻撃だ。なぜかあの白髪の少年からは死の匂いを感じないが、それでも目の前で誰かが燃やされるのを見るのは胃が痛い。
だが当の、やった本人はいたって普通に「死にませんし」と呟いた。
「……え?」
「だから、死にません。アイツは。──いえ、アイツと、私は」
ふと表情が翳り、告げた。
「私と魔王は死にません。何年経とうが、その姿も形も変わることはない。ただ一つ、髪だけは伸びますけど。まあいわゆる──」
「不老不死ってやつです」
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「……なに、あれ」
目の前で起きたことが信じられない……とでも言うように呟くのは一人の少女。その特性はネーマー。
事実目の前で起きたことが信じられなくて、思わず身体が底から、芯から震える。
何もない空間から、一人の少女が現れた。
何やら淡い光が集まり、それが強い光を放ち──その光が収まった時、そこにはあの赤い子がいた。
少女を助けたあの子だ。
「何なの、あれ……何なのよ」
普通に考えたら魔法で姿を消していたと考える。が、だとしたらなぜあんな派手な登場の仕方なのか説明がつかない。あれだけ光を放ちながら姿を現す隠蔽魔法などあったろうか?
説明できない。規格外。
同時に少女は、そのすぐ側にいる黒髪の少年から目が離せない。
顔の造形はよく、モテるというかかっこ良いというか、そういった部類に入る。だがどこか特徴がなくて冴えない印象がある。
その中でも、若干クセのある黒色という髪は珍しい。それが彼の特徴となり得るだろう。
だがそんなことはどうでもいい。
「…………あれ」
初めて見るはずなのに、彼のことなど知らないはずなのに。
「なん、で」
それでも頭にチラつく、とある七文字。
『──── ───』
そんな記憶はないはずなのに、脳に飛び交う、メモに書かれたある名前。
それは、
「わたし、なんであの人の名前……知って」
────『ゆきむら くろね』
「あなたは──誰なのよ……!!」




