第二章 2『宣告』
広場に響き渡る、二つの声。
片方は緊張感無さげに、片方は驚きを露わにし。
そんな彼らは、黒と白。対比するだけで絵になりそうな二人だった。
もっとも、片方はボロボロで、もう片方は間抜け面なのだが。
「……ん? って、今の日本語?」
俺が思わず白髪の少年と呼んでしまった、まさにその通りの容姿をした少年が何かを俺に問いかける。
ニホンゴ。またそれだ。
赤い少女も言っていたか。
それが何なのかを考えようとすると頭痛がするのはわかっている──から、その問いには答えず、逆に問うことにした。
「──それ、白髪?」
なんとも場にそぐわぬ質問。
不思議と、広場に冷たい夜の風が吹いた気がした。
「──プッハハハ!! なに? 何を聞いてんのお前。このタイミングで!」
そんな微妙な空気をいち早く割いたのは白髪の少年(残念ながら俺の中ではすでに白髪の少年が定着した)の笑い声だった。
「あーおもしろ。うん、安心した。こんなのは勇者の好みじゃないな。あれも単に、コイツの訳わからなさにイラついてただけかぁー。……まあ当然? と言えば当然。だって勇者は僕のモノなんだし……」
「お前こそ何言ってんだ白髪」
何やらアブナい事を言い出した白髪に思わずツッコミを入れてしまう。
あ、これツッコんでも良かったのかな? なんて思っても後の祭り。考えるだけ無駄である。
俺のツッコミに、白髪がピクリと反応した。
「……白髪?」
やべ、もしかして地雷踏んだか?
内心冷や汗をかくも、その次に白髪が取った行動にそんなのは杞憂だと判断する。
「やっぱりこれ、白髪なのかな……」
なんと彼は! 膝から崩れ落ちOTLの姿でズゥーンと落ち込んだのだ!!
──あれ、思い返して見れば、その前に二回ほど白髪って言ってなかったっけ俺? なぜそのタイミングで落ち込む?
……なんなんだろうかこの人。
単純に考えて、この街の住民なのだろうか。広場での騒ぎは(というか爆音は)街中に響き渡っていただろう。それが止んだのを見て見に来たとか……?
にしては、先ほどから勇者だなんだとわけのわからないことを呟いている。
勇者……なんて、俺の常識の中ではあまり耳にする単語ではないはずだが。すでに俺の常識と周りの常識には多大なズレがあることは確認済みだ。ネーマーの少女しかり、魔獣、魔人しかり、魔法しかり。
この状況で判断するには何かと足りなすぎる。
「っと、んなこたぁ置いといて」
突如立ち上がった白髪。そのまま俺を指差し、
「お前、何してんの?」
などと、今さらなことを聞いて来た。
「……見りゃわからねえ?」
「そういうのじゃなくて。あー……お前、ここで何をして、そうなった?」
言われつつ、自分の格好を省みる。
未だに開けた背中に透き通る風。そこから覗く煤けた肌。
ジャージはあちこちが焼け焦げボロボロ。さらには満身創痍な俺自身。
加えてこの広場の惨状。無関係であると考える方が鈍臭い。
「勇者と知り合いだってのも含めて……まさかとは思うけど、【大罪の英霊】を倒したのって──お前?」
その言葉にどんな意味が込められているのか。
額面通りに受け取るなら、この白髪の少年は只者じゃなくなる。そこに至るまでの迅速な思考。【大罪の英霊】の名を知っていること。
そして、同時に疑っている。
俺がただここに紛れ込んだだけの一般人かどうか。
俺的には実際その通りなんだけど……あの騎士を撃ち殺したの、確かに俺……ってことで良いんだよな? あんまり実感がない。
どうもこの白髪からは危険しか感じない。この場を上手くやり過ごせる方法は──
「……ま、そんなわけないよね」
身の危険を感じ、必死に頭を回転させていたこちらとしては拍子抜けするような言葉。
「見たところ、ただの一般人っぽいし。不幸にも巻き込まれちゃった街の人ってところかな」
「そ、そうそう。いやー、参った。まさかこんなボロボロにされるとは。遠くからの余波でも酷いもんだぜ!」
相手が勘違いしているのならそれを正す必要はない。
だからそれに乗っかってやり過ごそうとした。
真実に、ちょっとだけ嘘を混ぜる形で。
事実、俺がボロボロなのは直接の戦闘行為とは関係が浅い。蹴り飛ばされたとか、離れたところから見てたら吹っ飛ばされかけたとか、その程度のものだ。背中に至ってはこの街に入る前のものだし。
だけど、
「興味本位で危ないとこには近づくなってことだな! いやーははは……」
「嘘っぱち乙」
「は?」
そんな目論見は、あっさり瓦解した。
「少なくともこの街の住民ではないでしょ。だって、遣ってる言葉、セイレーン語じゃないし。それに、そこらにいる魔獣を捕まえて一般人とでも言うの? もっと言えば──お前、魔力とんでもないことになってるんだけど」
半ばまくし立てるように、呆ける俺に向かって言う。
やべえ。やべえやべえやべえ。
言葉に関しては完全に忘れていた。
あの赤い少女も俺と普通に話せてたし、目の前の白髪の少年とも会話できてたもんだから忘れていた。
それは相手がこちらの遣う言葉に合わせてくれていたからで、俺が彼らの言葉を理解したわけじゃないのに──!
思い返せば、ここに来る途中、成り行きで助けた少年の言葉もわからなかったじゃねえか……!
俺の周りに散らばる、小っこくなった魔獣に関しても、本来であればコイツらは人間を襲う化け物だ。
俺に懐いている時点で、何らかの不信感が表れる。
遣う言葉の違いもあって怪しさ倍増だ。
この白髪の少年が本当に危険かどうかなどわかりはしない。
だけど、俺の脳内で危険信号が鳴り止まないのも事実。
くそ、こんな時、あの子がいれば──
「──あれ、そういえば、あの子は」
そこまで気付いて、俺は、自分で自分の記憶の蓋を開けてしまった。
流れ込んで来るのは、目の前で爆焔が少女と騎士諸共を包み、煙が晴れたそこに、少女の姿は無かった──そんな記憶。
今までそのことを考えるのを先延ばしにし、結論づけるのを後回しにしていた。
そのツケが、一気に回ってきた。
「あの子? ……ああ、もしかして勇者のことかなぁ?」
さらに、
「勇者が誰かわからない? ほら、お前と一緒にいた──紅い、炎のような髪をした女の子だよ」
そんな俺に、
「そして、その勇者なら──」
重く、重く、
「──跡形もなく、死んだよ?」
のしかかる。
ーーーーーーーーーーーー
図書館に近づけば近づくほど、辺りには瓦礫が散在する。
一つ下手をすれば足を捻りかねない、そんな荒れた道を難なく走る少女は、《歩法》というスキルを持っていた。
道の荒さに囚われず、まるで平地を歩いているかのような歩法を取れる。
本来であれば少女が持ち合わせているはずのないスキルだが、過去に親切から名前を教えてくれた旅人がいて、その時ネーマーとしての力を発揮。結果、こうして少女が発動することのできるスキルとなった。
もっとも、そのことを知られた後は嫌われることとなったわけだが。旅人の親切心は呆気なく消え去り、罵詈雑言を少女に浴びせ、怒り心頭で旅立っていった。
そういうことには慣れていたが、やはり人に悪感情を向けられるのは悲しいな、と思う少女。
だが結局はこうして、他人から得たスキルを自在に操っているのだから、やはり少女は弾弓されるべきなのかも。
そんなことを考える内に、図書館前の広場に到着した。
目の前に広がる光景。その悲惨さに、思わず息が詰まる。
「なッ……これを、あの三体の魔人が……?」
確かにあの魔人は、この街を壊滅に追いやるほどには強かった。
だが、どの魔人の攻撃も、広場に一個のクレーターを生み出すほどのものではなかった。そんな魔人にも歯が立たなかった無力さに歯噛みするが、それはまた別の話。
これを魔人がやったのではないとすれば、
「あの、わたしを守ってくれた……」
闇色の騎士。アレが、コレをやったのか。
その結論に行き着き、少女の胸中に複雑な感情が生まれる。
少女を助けてくれたあの魔神が、街の一部をここまで破壊した。
それが少しだけ、胸に棘を刺した。
そんな少女の視界に、白と黒。二つの対比が映る。
ーーーーーーーーーーーー
ゾワゾワと、何かが全身を奔る感覚に身を震わせる。
──震わせる? それはちょっと違うか。
震わせる身が、存在しない。
なのに感覚だけは鋭敏に、より研ぎ澄まされていく。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚は存在せず、ただ触覚と知覚だけが全て。
そんな状況で考えるのは、ただ一つ。
──ここは、どこだろう。
それに答える声はない。あったとして、聴覚がない身としては聞こえない。聞くことができない。
視覚による情報に頼ることもできない。ただ、宙にふわふわと浮くような、バラバラになって漂うような、そんな感覚だけが頼り。
あとは考えることしかできない。
その上で求める。ここはどこか、その答えを。
正しくは──
ここがどこか、今はいつか、自分が誰か、何を、どうしてこうなったのか。その全ての答えを求めて、なお知ることはできない。
以前にも何度か味わった感覚。ゆえに落ち着いていられる。
この後、どうにかなることを知っているから。
それでも問い続ける。
それだけが、縋れるものだと、半ば自棄になるように。
ふと、少しずつ聴覚が復活して来た。
耳を撫でるような空気の流れ、響き、それらが鮮明と聴覚を揺らす。
聞こえるのは二つの声。
それに向かって問いかける。
──ここは、どこ?
しかし、答えらしきモノは返ってこない。
当たり前と言えば当たり前だ。問いかけただけで、それは音として相手に伝わっていない。相手の脳内に直接問いかけたのならともかく、そういうわけでもない。
だから今の問いは無駄だった──と考えるのは、些か早計に過ぎる。
問うてみることで、その問いは相手には伝わらない。……と、いうことがわかった。それは決して無駄ではない。
こうして、少しずつ、少しずつ己を取り戻していく。
二つの声の会話を、半ば聞き流しつつ考え続ける。
ここがどこで、今はいつで、自分が誰で、何を、どうすれば良いのか。
ふいに、全身が何かに握り潰される。
途轍もない握力に、苦しさの声を大にする──が、それが音となり空気を叩くことはない。
やがて、己の身が爆ぜる。そんな感覚を恐怖と共に味わいながら──
「──勇者なら」
その声を鮮明に聞き取り、
「跡形もなく、死んだよ?」
瞬間。
「────────────」
何か悲しい叫びと共に、全ての『無』が弾け飛んだ。
「それはちょっと、意地が悪いってもんですよ」




