第一章 間『白い少年』
「はぁ……はぁ……クソッ、どうしてこうなった……ッ」
路地裏の多いこの街で隠れることは容易だった。それは逃亡時にも適用され、今も、誰に見咎められることなく逃げ果せることが可能。そんな状況でも焦りを感じ、思わずボヤく。
影は三つ──のように見えて、その実は六つだ。
だがその半数、三つの影はその活動を停止し、もう半数の三つに背負われている状態。
彼らは古く、魔王軍に使えていた兵士だ。一つの部隊で戦を共に生き抜き、魔王軍の中でもそれなりに地位が高かった。そんな彼ら六人が、今こうしていることには事情がある。
(チクショウ……! やっぱりまだ魔人召喚システムを運用するのは早かったのか……!?)
彼らは過去に、魔王城に攻め入ってきた勇者一行と剣を交えた魔族たち。
しかし、その圧倒的なまでの実力差に剣を捨て、生き延びることを選択した。
後に、魔王が勇者に勝利した──が、魔王軍はほぼ全滅。いつからか、魔王もその姿を見せなくなったとして、長く魔界を支配したその歴史に幕が降ろされたことを噂に聞き及んだ。
元から魔王は滅多に兵士の前に姿を見せなかった。それは、彼らも魔王の顔を見たことがないことからも伺える。だが、その強さは広く伝え聞いていて、彼についていく意志を固めていた彼らであったが、軍を一個壊滅に追い込んだその采配には失望せざるを得なかった。
勇者を倒せる力があったのなら、なぜ最初から前線に出張ってくれなかったのか、と。
そんな怒りを覚えるのはお門違いで、彼を守り、魔界の制圧を維持し続けるのが役目だということは理解していた。そして、それを放棄した自分たちに何を言う資格もない、と。
だが、彼らは聞いてしまった。
あの魔王が、自分たちが戦っていた間に何をしていたか。
あの魔王が、今現在、何にご執心なのか。
それを知って彼らは、反旗を翻すことを決意した。
魔族の寿命は長い。どれだけ時間をかけても、魔王を倒す。
それを決意するのがもう少し早ければ、彼らは勇者と共にあったかもしれない──そんなことは、露ほども知らずに。
時が経ち、彼ら反乱軍の規模は増幅していた。
勇者との戦争以来、魔王に反感を覚えていた魔族は多かったのだ。
そして、彼らに知恵を授ける者もいて、経過は順調だった。
今日の実験が、上手く行っていれば。
(実際には大失敗。召喚の依代となった術師は皆精神的なダメージを負い気絶。クソッ、結局この街にあったアレも手に入れられず)
念入りな下準備と下調べ。魔力が切れた際の保険もあった。
なのに失敗した。
まさか、まさか。
「ここに勇者がいるなんて……それが一番の誤算だった──ッ!!」
忘れもしない。もう何百年と昔になるが、強烈な恐怖を自分たちに植え付けたあの存在を、誰が忘れることができようか。
あの赤い存在が全てをメチャクチャにした。昔の魔王城での戦争のように、たった数手で、こちらを追い込んで。
何やら最後、自爆のようなものをしていた気がするが、そこに付け入る程の余裕も無い。
魔王に反を企てるというのに、なんとも情けない話ではあったが。
(頼みの魔人はアッサリやられた! もう一度同じことをしようが無駄。なら逃げるしか無いって……!)
必死に、逃げるために走る自分を正当化する。
それが彼らの弱さであるとは気付かずに。
この街を出たところに待機している仲間がいる。そこまで行けば一先ずは安心。逃走も容易となる。というか、ほぼ確実に逃げることができる。
何の成果も挙げられずに逃げ帰ってきた自分たちを批判する声の一つや二つあるだろうが、命があるだけマシだ。
そう思っていただけに、街を抜けた先に広がる光景を視界に捉え、三つの影を背負った三つの影は絶句した。
「……は? おい、ここで待機してた奴らは……」
そこで逃走用の転送魔法陣を展開して待機しているはずの仲間が、まるでいなかった。
それどころか、最初からそこにいなかったかのような節さえ感じられる。
──まさか……ハメ、られた?
そんな折に、誰かの気配を感じる。そのことに心底安堵している自分に気付き、その上で無視をする。
やはり、見捨てられてなんかいなかった。その事実の方が重要だったから。
しかし、そんな彼らの淡い希望は打ち砕かれる。
気配のする方、そこにいたのは──
「……なんだお前ら?」
こちらこそ誰だと問いたい、見知らぬ顔。
まず目につくのは、夜目には刺激が強い、純白の頭髪。老いて生える白髪のようでもなく、生粋の、まさに何にも染まらぬゆえの白。
まるで人間のような肢体を包むのは、存外アッサリしたもので、絹製の肌触りの良さそうな半袖、長裾に、両手は黒の手袋で覆われていた。
この街の人間だろうか? とは思うが、であればこんな街の外れにいる理由がいまいち理解できない。魔人から逃げてここに辿り着いたのだろうか。
それならば、ここに待機していた仲間に殺されているはずで、そうなってはいないとすればやはり、自分たちは見限られたか。
どちらにせよ、気分の良い状況ではない。
魔族たち三匹は、この少年で憂さ晴らしをしようと考えた。
「なんだ、と言われてもなぁ……何に見えるよ。え? ガキ」
挑発的な口調で少年に問い返す。
それに対し少年は、特に恐れた様子もなくあっけらかんと答える。
「んー……そうだな」
長裾のポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で透き通るような白い髪をかく少年。その余裕さが、三匹の魔族が持つ余裕を奪って行く。
そして、
「──見たところ、雑魚」
そんなことを言ってみせた。
モブ、が何を表すのかは知らないが、単純に馬鹿にされたことだけは理解できたため、彼らの怒りは限界を超えた。
「ハッ……ブッ殺す!!」
「あー、めんどくさいねぇお前たち。なんとなくだけど、お前らが魔人を召喚してた奴らっぽいなぁ」
白い少年が何を言っているのか、既に彼らの耳には届かない。
「ちょっとだけ様子は見てたけど……あの魔人は酷かった。必要な回路の構築が成されていない魔法陣で召喚して……あれじゃただ魔力を突っ込んだだけの人形だ。同じように見える力を振る舞うだけの失敗作ですなぁ」
一人、少年に斬りかかる。その手に握られているのは視認することのできない剣。斬りかかる際に、背負っていた一人の術師は放り捨てた。
そんな、見えない剣の軌道を特になんでもないように避ける。
「可哀想に。あんな出来損ないに街をメチャクチャにされたって知ったら、死んだ人間も生き残った人間も、どちらも報われないや。お前らも罪深いなぁ」
見えない剣戟を避けられたことに一瞬怯むも、すぐさま次の攻撃へシフト。それと重なるように、他方から詠唱する声が聞こえる。
「──闇に染み出し瞬け──焔光に惑わず──」
魔法陣は展開されていない。となれば、アレは詠唱式魔法だろうと少年は判断する。
詠唱式魔法とは、言ってみれば、初心者向けの魔法だ。
目的の魔法に至るまでの回路を、ただの暗算で構築し、正確に起動するための魔法陣を構築せねばならない陣式魔法とは違い、魔力を声に乗せながら詠唱するだけで、魔素に呼びかけ現象を引き起こせるソレは最もポピュラーな魔法。
だが、詠唱に時間がかかる。慣れた魔法使いは、数節の詠唱、もしくは詠唱する必要がない陣式魔法を好んで使う。魔法陣の構築も、慣れれば簡単なものだ。
まあそれでも、複雑で強大な魔法を生み出すための魔法陣を構築するには、それ相応の力量が必要だが。
そんなことを考えつつ、やはり三匹の魔族が雑魚であることを確信する。
そして、剣の二撃目もなんなく避け、詠唱を続ける魔族に向けて魔法陣を展開。
「なッ、陣式魔法──ッ!?」
「やっぱり、お前ら雑魚だったんじゃん」
魔法陣から白の奔流が放たれる。詠唱途中だった魔族は、それに呑まれ──次に姿を現した時には、ただの骨と化していた。
それを見て、遅まきながらに力量差に気付いた剣士は、慌てて斬りかかる──が、恐怖により鈍った剣に斬られるような相手でもなく、こちらも白の奔流に呑まれ骨となった。
それを目の前で見ていた最後の一匹。正確には、気絶している三匹がいたが、現在戦える者としては最後の一匹である。
歯は噛み合わず、カタカタと音を鳴らす。
「な、なん、ッなんだよ、お前……!」
「それは僕の方が聞きたかったっての。でもまあ、当たりはさっきつけたし、用済みかな」
言いつつ、先ほどと同じ魔法陣を最後の一匹、その足元に展開する。
「んまあ、冥土の土産に教えてやろうか。……これ死亡フラグ扱いなセリフだよなぁ。まあ僕が死ぬわけないんだけど」
最後の一匹は完全に生きることを諦めていた。
もう何をしても無駄。そんな状況で、ただ、彼は求めている答えだけに全てを注ぐ。
この白い少年は、何者なのか。
「何者なのか。それを聞き、僕に剣を向けたことを後悔しろ。……はぁ。スキルの効果が消えてから、自分がただ強いだけの魔族になった気がしてならないんだけど──」
段々と、足元の白い魔法陣がその輝きを増して行く。
「──魔王。みんな僕のことをそう呼んだ。今では、率いるような仲間もいないけど」
その言葉が、最後の一匹が聞いた最期の言葉だった。
白い奔流に呑まれ、骨から肉が剥がされて行く感覚に叫びを上げるも、既に声帯も存在せずそれすら叶わない。
呆気なく、あまりにアッサリと、何百年に及ぶ反乱の種が、消えた。
彼らは知らなかった。城から一歩も出てこない、魔王のその顔を。
魔王は知らなかった。彼らがかつて、勇者を前にして逃亡した兵士であったことを。魔王に反旗を翻す、そう決意した最初の魔族たちであったことを。もっともそれは、勇者であるスクブスを除けばの話だが。
「さって、胸くそ悪いキマイラもどきは殺したし──久々に、あの可愛らしく小っこいロリ勇者を自分の目で見に行こうか」
そう残し、白い少年はその場を去り、激闘があった街へと足を踏み入れて行く──
骨にされた四つの影。
一つは剣を握り、一つは魔力の残滓を撒き散らし、一つは一つを背負った姿勢のまま。
生きて残ったのはたった二匹のみ。しかも彼らは、魔人を殺されたことによる衝撃で気絶中。
そんな二つの影の近くに降り立つ新たな影。
シルエットとしては二メートルを超えるか越えないか。その頭には角が生え、まるで闘牛のような形をした──骨。
首から下はローブに包まれていて、詳しく知ることはできない。
それは二つの影を抱え、静かに、足元に一つの魔法陣を展開した。
「──魔王様。そのお姿は、変わらないようで」
影は、誰に向けるわけでもなくそう呟き、魔法陣の中に姿を消した。
風吹く街の外れに残された四つの骨。
それらは徐々に、端の方から淡く輝き始め──魔素へと還元されて行った。
すみません、もう一話第一章入れちまいました。本当の第二章は次からです。……たぶん。




