第一章13『決着』
「か、ハッ……」
吹っ飛ばされて、尻から落ちて、肺から息が絞り出されて。
あの赤い少女は何をした?
「ハァ……あの子は……!」
見れば広場の中央で、目で追うこともできない凄まじい戦闘が繰り広げられていた。
……なんだこれ。
俺とは、遊びだった、ってか?
ハハ、心から楽しんでいたのは、俺だけなのか?
「ん、だよ……それ。笑える」
声も掠れ掠れに、そう洩らす俺は、それを見て『超カッケー』って思った。
実際に力があって、自分の手で戦うことができて。
「逃げて来たばかりの俺とは、紛い物の力しか振るえない俺とは、大違いだ」
そう口にして、自分で疑問に思う。
逃げて来た、ってなんだろう。
確かに俺は、目を覚ましてから何かと逃げてばかりだった。
けど、それだけじゃない。もっと、ずっと前から。
俺は何かから、逃げていた気がする。
何かはわからないけど──つっ。
「頭痛……これ、俺の失くした記憶に何か、関係があるのかね」
頭痛と共に、視界にノイズが走る感覚。
その視界の中に、時折映る光景。
……誰か、女の子に、虐められてる?
「──ッ!」
……なんだ今の。
もしかして、俺の、記憶?
ーーーーーーーーーーーー
世界が激しく明滅する。
見えるか見えないか、そのギリギリを世界が遮る。
だけど問題ない。頼るべきは視覚ではなく、鋭く研ぎ済まされた感覚だ。
右から剣が振り下ろされるのを感じ、咄嗟に使い捨ての防護魔法陣を展開。高い金属音がして剣を防ぐ。
と思ったら今度は左から何か刃物が迫る感覚。【大罪の英霊】が手にしていた刃物は一振りの大きな剣のみ。
どんだけ剣捌き速えんですか……!
もう一つ、使い捨ての防護魔法陣を展開。いつもストックしているのは八つ。残りは六つだ。
一歩、一歩、【大罪の英霊】との距離を詰めれば突き放される。彼我の距離はいつまでたっても零にならない。
「埒が明かない……!」
私は、賭けに出ることにした。
一瞬でもタイミングを間違えればアウト。具体的に言うと、やろうとしていることができないまま終わる。
でもこれしかない。相手は【大罪の英霊】。時間をかければ、周りを気にしなければ、こんな危険な手を取る必要はない。
でも、いつまたクロネさんが戻ってくるかもわからない。
早めに決着を──ッ!
私はまた一つ、魔法陣を自分の足元に展開。そして、右掌の魔法陣から炎の波動を放ち、【大罪の英霊】の目の前の石畳を粉砕する。
途端に上がるのは、土煙だ。
相手の動きが止まったこの瞬間に【大罪の英霊】の背後に回り──
「ァああああああああ!!」
──その背中に、蹴りを食らわせた。
────ッキィーン
そんな私の捨て身の攻撃は、アッサリと、無骨な剣によって防がれた。
お終いだ。最後の手も尽きた。
もう、【大罪の英霊】を止めることはできない。
「──なんて、言うと思ってるわけありませんよね?」
靴の裏に仕込んでいた爆破魔法陣を起動。小さな爆風を巻き起こし、【大罪の英霊】をよろめかせる。
「もういっ──ちょ!」
加えて回し蹴り。バランスを崩す彼に追い打ちをかけ、目的の場所へと誘導する。
そして、その足が展開された魔法陣の中心に踏み入れた瞬間。
「──爆砕し──破壊し──全てを灰燼へと──死を恐れる弱き者──その力を無に帰せ! 爆焔陣・一極──ッ!!」
爆焔陣と呼ばれる、純粋な火力では陣式魔法トップクラスのそれを、発動した。
爆発が爆発を誘導し、小さな爆発が大きな爆発へと。
それは連鎖し、絶えず【大罪の英霊】の身を焼き焦がす。
呻き声が聞こえる。まあ、当然。ダメージは相当なモノのはず。
私はその中に足を踏み入れる。
「──ッ」
皮膚が灼け、爛れていく感覚に顔をしかめながら、それでも歩みを止めず、【大罪の英霊】の元へ。
熱い暑いアツい熱い暑いアツい。
息ができない。爆発に酸素が持っていかれるのだから当然。
それでも私が死ぬことは、ない。
そして、ようやく、私と彼の距離は零に。
「……私があなたに近付かなければならなかった理由は二つ」
一つは、結界魔法陣は私を中心にして展開されるから。
結界魔法陣を展開。起動。
私と【大罪の英霊】が焔の世界から隔絶される。
二つ、
「私が扱える転送魔法陣って、とっても使い勝手が悪いんですよ。例えば、遠くに落ちてる石ころを転送させたいとすると、わざわざその石の元まで行って、起動用の魔法陣を展開してその状態で待機させなきゃならなくて。しかも、転送させられるのは私の掌にだけ」
そして、その転送用の魔法陣を展開させていた左掌を、【大罪の英霊】に向ける。
彼の目は、どこか怯えているように見えた。
「……そうですね。ここでこの魔法陣を起動させちゃえば、私諸共木っ端微塵です。まあでも──」
私は、私自身が展開させた結界魔法陣の強度を上げ、
「──これだけ密閉された空間で、あなたの動きを止めるほどの威力を持つ【楔の槍】を放てば。あなたも、私と仲良くサヨウナラ──じゃないですか?」
転送魔法陣、起動。
熱と断絶された空間に、新たに熱源が現れる。
風で酸素を操作し、常よりも凄まじい炎を顕現させ、その熱で氷が一気に水蒸気になり爆発。その繰り返し。
そんな、三属性を兼ね備えてなお殺せない【大罪の英霊】を、
威力を一極集中させることで、殺す。
「楽しかったですよ。初めて戦った時を思い出しました。……そして、今までありがとうございました」
【楔の槍】が、動けない【大罪の英霊】を貫き、核よりも威力のある爆発を、この密閉された空間で炸裂させる。
「──さようなら」
ーーーーーーーーーーーー
どこかから、狼の遠吠えのようなモノが聞こえた。
それと同時に、目の前で凄まじい炎が巻き起こる。
「んなッ……」
あの騎士が、呻いているように見える。
なんだこれ……こんな凄えの? あの子。
赤い少女は、めちゃくちゃ強かった。
これはもう、次元が違う。
ああ──カッケぇなぁ……。
だけど、次の瞬間に赤い少女が取った行動は理解できなかった。
このまま行けば押し切れそうなのに、少女は業火の中に足を踏み入れたのだ。
何を……して……。
しばらくして、爆焔の中心に何か、膜のようなものが現れた。
半透明で、幾らか中の様子が見える。
そして、見てしまった。
あの膜の中に、轟々と燃える、あの槍が──
それを認識した瞬間、全てが爆ぜた。
ーーーーーーーーーーーー
燃え盛る炎の中で、少女はとある夢を見た。
遠い世界。現世と呼ばれる世界の、地球の、日本で。
何やら大勢で、高校という教育機関に通う、そんな朝。
そこには、あの黒髪の少年もいて。
とても、とーっても、楽しいと思った。
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爆風に煽られその場に伏せることしかできなかった俺の視界に、最初に飛び込んできたのは圧倒的な白だ。
少しして、その白は、強烈な光に目がやられたのだと気付く。
またしばらくして、本当の意味で視力が回復した時、そこに存在したのは巨大なクレーター。
その中心に、一つの影。
「────?」
赤い少女か……などという希望はすぐに打ち砕かれる。
その影は、紛れもなく闇色の騎士だった。
「……ハハ、嘘だろ」
乾いた笑みが溢れる。
見れば、影は一つのみで赤い少女の姿はどこにも見えない。
あの少女が、跡形もなく消え去るような爆発で、アイツは生き残ったっての?
圧倒的な理不尽。勝てっこない。
逃げなきゃ。
「あ、ああ、そうだ。逃げなきゃ。別に戦って勝つ必要なんか無かった。最初から逃げてれば良かったんだ」
また、俺が殺した。
そうだ。キツネなんて置いて逃げれば良かったんだ。そうすれば、あの子はわざわさアイツを殺さなくても済んだ。帰投魔法陣とやらでどうとでもなった。
俺がワガママを、バカを言ったから、あの子は捨て身の攻撃なんてしなきゃいけなかった。
──俺のせいだ?
「ァ、アあ、あァアあぁア?」
──走り出した。
意味のわからない奇声を上げ、騎士に向かい走る。辺りにはまだ熱気が残っていて肺を焦がす。痛い。熱い。息が苦しい。
もつれながら、どうにか騎士の目前に立つ。
そして、拳を振りかぶり騎士めがけて突き出す──が、アッサリとかわされる。そのままバランスを崩し転倒。
もうこのまま眠ってしまおうか。石畳のその下、抉られた地面が鉄板のような熱を放ち、触れるそばから神経がズタズタになっていく。
そんな俺を、騎士は──哀れむような目で、見ていた。
──ああ、今日だけで、色んな目を向けられた。
キツネには、親を見るような目を向けられ、
ネーマーの少女には、優しそうな目を向けられ、
路地裏で出会った少年には、憎悪の篭った目を向けられ、
この騎士には、闘志の宿った目と、哀れむような目を向けられ、
──赤い少女には、呆れるような目を向けられ。
「あー……あ、カッコわる」
騎士が剣を振り上げた。それをただなんとなくの感覚で感じ取り、それ以上は知りたくないと目を閉じる。
だから気付いたのだろうか。
辺り一帯から聞こえる、数々の、狼の遠吠えに。
耳を済ませればあちこちから、遠吠えが連鎖し、俺の耳に届く。
閉じた目を開ければ──そこには、
「…………キツネ?」
狼の姿をしたキツネと、たくさんの黒毛の魔獣が、広場を囲むようにして並んでいた。
一匹が騎士に飛びかかると同時、もう一匹が俺を拾い上げ、騎士から距離を取る。
騎士に飛びかかった一匹は、剣でその身を裂かれる──が、斬られたのは上辺の魔力だけのようで、すぐに元通りになった。
何が起こっているのか。
理解するまでに、そう時間はかからなかった。
「さっきの遠吠え……仲間、呼んでたのか……?」
騎士から離れた場所に降ろされた俺の元に、一匹の魔獣が近寄ってくる。
その一匹は──キツネは、一つ吠えると、その姿を一丁の拳銃に変える。
そして、他の魔獣達も次々と姿を変える。
そして出てきたのは、たった一つの弾丸。
あれだけいた魔獣が、掌に収まるほどの小さな弾丸になったのを見て、思わず笑ってしまう。
「……ハ? こんな小さな弾で、アイツを倒せると思ってんの……?」
言いながら、俺は弾丸を拳銃に込める。
騎士は、今も囮となっている魔獣相手に剣を振るっている……が、心なしか、その動きが鈍っているように見える。
そりゃそうか。あれだけの爆発に耐えただけでも凄えってのに……限界なんだよな。
今なら、倒せる。
両手で拳銃を構える。使い方なんて知らない。もしかしたら外れるかもしれない。
でも不思議と、手は震えなかった。
「あー……あ。もう身体ボロボロだよ。痛いし辛いし苦しいし。全然楽しくない。当たり前だよなぁ……俺自身は弱くて、あの子やキツネに頼らないと、もうとっくに死んでるっつーの」
照準を定め、引き金にかけた指に軽く力を込める。
「でもまあ──死にたいとは、思わないかなぁ」
────ドゥンッ
思ったよりも鈍く低い音と共に、魔獣何十匹もの魔力が込められた弾丸が、放たれた。
その弾丸は、騎士に向かって一直線に飛び、やがて騎士が構えた剣にぶち当たる──が、それを貫き、重厚な鎧すらも貫通し──胸を穿った。
とても静かに、静かに。
騎士は、クレーターの中央に、倒れた。




