第一章12『ここで』
特に何か、正義感に目覚めた訳でも無い。
ただただ、命のやり取りがかっこ良いと思った。
そりゃあ最初は怖かった。魔獣に追っかけられて、喰われて、肉がぶちぶちと千切れていく感覚に、自分が自分でなくなる感覚に、ひたすら恐怖を覚えた。
だけど次に目が覚めた時、それが夢だったと考えて、そして次に、死ぬってそこまで恐いことじゃない、なんて思った。
本当はそんなわけないのに。めちゃくちゃ恐いのに。
一度死んだと思って、その上で生きていたから、死んでも死なないだなんて矛盾した考えが無意識にあった。
また死んだ。
呆気なく、今度は大丈夫だ、なんて思って、調子に乗って、ネーマーの少女の手を引き逃げて、アッサリとネーマーの少女は殺されて。
あの少女を殺したのは俺だ。俺のせいだ。
少女が、元から囮になって死ぬつもりだったとしても、その覚悟を無下に扱い、助かるかもしれないなんて勝手に希望を押し付けて、殺した。
ああ、そう考えれば、あそこであの少女に殺されたのは当然だったのかもしれない。噛まれたら魔獣のようになる、だなんてことが無くても、俺はあの少女にどうやってか殺されていたのだろう。
そして、また目覚めて、そんな死すらも無かったことになって。
また魔獣に追われて、死ぬのは嫌だな、なんて思っても、殺されても仕方ないと諦める自分もいて。
だけど、今度は死ななかった。
魔獣は俺を喰わなかった。親を見るような目をして、俺に懐いた。
赤い少女も空から飛来し、死から大分遠ざかった。
また俺は、死んでも死なない、なんてことを、今度はより強く、思ってしまった。
街が目の前で燃えるのを見ても現実味は湧かなかったし、赤い少女がいなくなっても、代わりに黒いコートを手に入れて、死ぬって感覚をもっともっと忘れて行った。
魔獣がもっと他にも色んな形に変われるんじゃないか、なんて考えて試してみたり、魔力が足りないからそれが無理なんだってわかって、無謀にも図書館の結界の魔力を喰わせれば良いじゃん、なんて考えて実際に行動してみたり。
それらが実際に実現できちゃったりして、さらに調子に乗ったり。
俺は、どうしようもなくロクでもない。
「でもそれが、『楽しい』って……思っちまった」
記憶がなければ戦闘経験もない。
命のやり取りをすればそのほぼ全てで死んでいて、それでも生きていて。
過去の俺がどうだったのかなんて知らない。いずれは取り戻したいとは思うけど、取り戻した時にヘタレてしまうような俺なんだとしたら、それは後回しでも良いかって。
「そして、この楽しさをもっと味わう為には、俺が戦えなきゃいけない。その為にはキツネが必要」
それだけだ。本当にそれだけなんだ。
俺は弱い。それじゃ戦えない。
だから、ここでキツネにいなくなってもらっちゃ困る。
根拠は無いが、どうせここで死んでも、その死は無かったことにされる。そんな気がする。
なら、今ここで──
「俺は、戦うッ! ああ、クソかっけぇ! 俺!」
ただし、俺今、背中を向けて逃げてるんですけどねッ!?
黒いコートを纏って、右手に剣を握って、闇色の騎士……何つったっけ、大罪の英霊? に相対するまでは良かった。
良かったのだが……一瞬でわかった。
これ、勝てない。
「いや、そんなのはわかってた! だからこれは、そう──」
──俺が、今さらながらビビり出した、ってこと。
騎士が拳を俺に振り下ろしてくる感覚をヒシヒシと感じ、咄嗟に横に飛ぶ。黒いコートによって脚力が高められ、避けることが出来た。ゴロゴロと転がりそのまま立ち上がり、また騎士から距離を取る。
石畳みのくせに土煙がもうもうと上がる。これは、アレだ。石畳みめくれてんだろ。これ土じゃなくて砕けた石なんだろチクショウ。
「ラァアアアア!」
剣を両手で構え振り下ろすと、そこからキツネの、黒い魔力の塊が放たれる。俺はこれを咄嗟に月○天衝と名付けたのだが、なぜか伏せなきゃならない気がした。
そんな黒い衝撃波が騎士にぶち当たる──が、特に大したこともなさそうにまた俺を追いかけてくる。
「クッソ、ここがめちゃくちゃ広い広場だから良いものの……狭い場所だったら今頃とっくに死んでるぞッ!」
普通、こういう武器を手に入れたらチート級の強さを発揮するはずでしょうが。なんで俺が圧されてんの? 俺以上にアイツの方がチートだってんの?
じゃあ、そんなのと契約して召喚したっていうあの赤い少女はなんだってんだオイ。
「……でも、あの子でもあんな凄えの使わなきゃコイツをどうにかできないんだよな……」
逃げながら、轟々と燃え空に浮かぶ槍を見る。
しかも、それでも騎士は倒せないという。
一体どっちが強いんだ?
「どっちもチートって意味じゃ変わんねえけど──なッ!」
振り向きざまに黒い衝撃波を放つ。
狙いは騎士──ではなく、その前の石畳み。
ぶつかった瞬間に石畳みが爆ぜ、土煙をもうもうと上げる。
この隙に攻撃を──なんて無謀なことは考えず、逃げる。
「ハァ……はぁ……息が、やべぇ」
記憶にある限り、俺が長く走れるなんてことは無かった。必ず息を切らし、筋肉だけで走っているような感覚に苛まれる。
どうやら騎士は動きを止めたようで、その間に息を整えられるだけ整える──が、どうせすぐに土煙も晴れる。
「何か、しないと……」
俺がそう溢した瞬間、コートと剣が魔獣の姿に戻った。
「──ハァ!? ちょ、キツネ、何して!?」
俺はお前がいなきゃ戦えない。超無防備なんですけど超最弱なんですけど!
「キツネ! コートに──」
そんな俺の言葉を無視し、キツネはどこかへ走り去っていく。
……マジか。
ここに来て、見捨てられた。
やはり、キツネっていう名前をつけたのが悪かったのか?
それとも、最初から俺に懐いていなかった?
どちらにせよ──
「土煙が……晴れちまった」
──絶体絶命であることは、変わらない。
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やはり上空。もうすっかり闇に染まった空に、蘭々と炎が煌めく。
「──我に繋げ──紡げ──彼我を零にせよ」
【楔の槍】の上に、新たな魔法陣を展開し、起動の準備の為の詠唱を終える。
後は──
「──包め──包め──界を隔て」
咄嗟に結界魔法陣を展開できるように詠唱する。
準備は終わった。それじゃ、クロネさんに加勢を──は?
見ればクロネさんは、無防備な状態で【大罪の英霊】の前に立っていた。
呼吸も荒く、身体もボロボロに見える。
だが、そんなのは驚くことでは無い。あの【大罪の英霊】と戦っているのだ。当たり前のことではある。
では、何に絶句したのか。
「クロネさん……コートは、キツネはどうしたんですか!?」
彼自身が言っていた。キツネがいなきゃ何もできない、弱い、と。
なのに、それを身に付けずに何をやって──
「悩んでる場合じゃない。早く私も!!」
私はほぼ垂直に落下するように、クロネさんと【大罪の英霊】の間に割って落ちた。
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騎士が腰の剣を抜いた。
それを、俺はただのジャージ姿で睨む。
クソ、楽しくねえ。楽しくねえぞ。
今の俺は無力。無能。何もできない。
アイツに攻撃することも、下手すりゃ逃げることもできない。これじゃ戦闘じゃなくて一方的な殺しだ。命のやり取りなんてありゃしない。
どうする。俺はどうやったらコイツと対等の土俵に立てる。戦える?
いくら考えても答えは出ない。悩んでいる間に騎士が剣を振りかぶりながら迫って来た──ッ!
「クソッ! クソクソクソォ!」
────ドガンッ!!
凄まじい衝撃が、そんな音と共に目の前からやって来た。
風に煽られそうになりながらも堪え、上がる土煙が晴れるのを待つ。
「──痛てて……勢い余って地面にめり込んじまいましたよ」
聞こえてきたのは幼い少女の声。
土煙の隙間から覗くのは、炎のように煌めく紅い髪。土を被ってなお、その美しさが衰えることはない。
ベルトを腰に巻いたワンピースはすっかりボロボロで、ところどころ肌の露出が目立つ。
でも、そんなのも気にすることなく、パンツが見えるか見えないか、そんなギリギリを維持しながら仁王立ちする少女に、俺は思わず安心してしまった。
こんな、小さい女の子なのに。
「で、どうですクロネさん。生きてますか?」
俺に向けられたその言葉に、折れかけた心が、生き返った。
「ハハ……やっぱ、死にたくねーし?」
「この状況でも軽口叩けるなんて、軟弱な日本人とは思えませんねホント。……まあ、もう無理しなくても良いようになりますよ、すぐに。だから逃げてください。今なら、置いてくようなキツネもいないでしょう?」
「…………ああ」
キツネは、俺の元を去ってしまった。
そして、ここにいても楽しくない。
俺がここにいる意味は──ない。
「でも、どうするつもり? あの槍ぶつけないと倒せないんでしょ?」
「正確には、このままぶつけても倒せませんけど。……気にしないで、安心して逃げれば良いんですよ」
そう言って、仁王立ちのまま、
「──あなたは死なせません」
次の瞬間、俺は何か、目に見えない力で吹っ飛ばされた。
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「少々荒っぽかったけど……許してくださいね、クロネさん」
今放ったのは、単なる魔力の波動。
何と言えば良いだろうか……スーパーサ○ヤ人みたいに、全身を包んでるオーラ? を全方位に向けて放つと言うか。
彼が剣から飛ばしていた黒い衝撃波は、これを凝縮したものだろう。
「さて、と……私の魔力で随分好き勝手遊んでくれてましたね、【大罪の英霊】。いい加減、温厚な私も怒っちゃいますよ?」
【大罪の英霊】は私を見るだけで、言葉を発しようとはしない。
まあ、限定的な召喚だし当然ですけど。
今の彼は、私の命令を聞くようにその肉体と本能だけを召喚している状態だ。私の命令に歯向かう理性が無いから、普段はこれで言うことを聞いてくれるのだが……何か、彼の本能に訴えかける強いモノがあったのだろうか。今回暴走した理由はこんなところだろう。
事実、彼の目は生き生きとしていて、欲望に溢れまくっている。
「あーあ……引く気は無さそうですねぇ……。まあ最初から期待してませんけど」
言いつつ私は、右掌に、最も使い慣れた炎の魔法陣を展開する。
込める魔力を最小限に抑え、それを魔法陣で増幅させる。
久々の感覚だ。
勝てるか勝てないか、そのギリギリに立っていることを自覚して、それを楽しいと感じる悪魔としての自分と、高揚感を抑えられない勇者としての自分とが同調して行く感覚。
「──【大罪の英霊】。私の魔力を使い、勝手に暴れたことは不問にします。……というか、ぶっちゃけ最初からどうでも良いです。私の都合で勝手に呼び出してるんですし」
左手にも魔法陣を展開。こちらには魔力を込めるだけに済ませる。起動のスイッチは既に押してある。
ここから先は、文字通り私の命を懸ける事になる。
この広場にはまだクロネさんがいる。あまり遠くまで吹き飛ばしてしまうと、頭を打って死亡──なんてこともあり得るから。
だから、この場に槍を、ただ落とすことはできない。
この状況で、私は──
「ここで死ねることを、嬉しく思います」
──笑った。
「さあ、【大罪の英霊】ッ! 久々に手合わせ願いましょうか──ッ!」
右掌の魔法陣から、炎の波動を放った。




