第一章 8『狼× 猫× コート○?』
────ドサッ
「痛てっ……、なんだ?」
身体全体に走る鈍い痛み。どうやら俺は地面に投げ出されたらしい。
ふと横を見れば赤い少女がいて、その視線は前方に向けられたまま身じろぎもしなかった。
その顔はいつになく真剣そのもの。魔獣を相手にしていた時にも見せなかった表情で見つめる視線の先には街があった。
もうここまで近付いたのか、と思ったところで、街の異変に気が付く。
「……燃え──?」
ごうごうと。
街が、燃えていた。
遠目に見たら、街全体が強い明かりを発しているようにも見える──が、目を凝らせばよくわかる。
あれは明かりじゃなくて、炎だ。
「ちょ、これどういう……」
赤い少女に問うも、答えてくれる様子は無い。
心ここに在らずといった感じで呆けている。
頭の上に重さを感じ、そこに黒い猫となった魔獣がいるのがわかった。
やがて、ガクン、と突然赤い少女の意識が戻った。
「……クロネさん、ちょっとここで待っててもらえますか? その黒いのと一緒なら、そうそう危ないことはないと思いますし」
「お、おい。何が起こってんだよ、これ。あと黒いのじゃなくて『キツネ』だ」
「なに名前付けてんですかっていうか猫なのにキツネ!?」
「こいつ、オオカミなのか猫なのかわかんないじゃん? だったらキツネで良いかなーって」
「余計分かりづらいし、当のキツネが嫌がってるように見えるんですけど……じゃなくて。何も聞かずに、残っててください。できますよね?」
「理由も聞かずにできるわけがない。納得のいく説明をしてもらおうか」
「めんどくせー……」
あの頭をがしがしとかく仕草をし、ため息を一つ。
やがて諦めたようにポツリと洩らす。
「……街で魔人が暴れてるんです。それも強そうなのが三匹」
魔人、という言葉に、頭の上にいるキツネがピクリと反応する。
「流石に見過ごせないし、ブッ殺しに行きたいんですけど。……それだとあなたが邪魔なんですよ。はっきり言って」
邪魔。
突き放すような言葉を遣ったのはわざとだろう。俺をここに残す為に。何もわからない俺を危険な場所に連れて行かないように。
それに、足手まといなのも本当だろうし。
「だからここでその黒いの……キツネと残っててください。……すぐに戻ってきますから、心配なんてしないでくださいね?」
「それはあれか、心配してくれっていう振り?」
「そういうんちゃう」
赤い少女はそれを最後に駆けて行った。
……………………。
さて、どーすっかね。
どうすると言っても、俺には何もできない。これは変わらない。
それに、あの赤い少女は強いんだろうな。自分が負けるだなんて一欠片も考えてなさそうだったし、何より、俺の頭に乗るこの黒い魔獣を抑え込んだ。
信じても良いのだろう。ここで俺が手を出す方が、邪魔になるはず。
うん。そう。俺は行かなくて良い。ここで待ってれば全て終わる。
目の前で街が燃やされてるのはちょっと、ちょっとだけ嫌な気分ではあるけど、わざわざ危ない場所に飛び込むほどこの街に思い入れがあったわけでも──
「──あったわけでも、無い」
……………………。
「……うぉっ、寒い。背中が寒い! ……なあキツネ。ちょっと大きくなってくんね? 背中をモフモフで包んでくれはしないか……」
俺がそう言うと頭の上の黒猫は、ニャァ……と嫌そうに鳴きながらブルブルと震え始め、その姿を大きく……んん?
デデーン
そんな音がしそうな感じで、黒猫が黒いコートになった。
……何を言っているかわからない? 大丈夫。俺もわからない。
ひとまず、着てみることにした。
「うひょう! 温かい!」
ぬくぬくとしていて、背中だけではなく冷えていた身体全体が温かくなっていく。
と、同時に力も漲ってきた。
何か、身体の奥底から湧いてくるような、そんな力が。
ハハッ、そんな都合の良い展開あるわけ──
そう思いながらコートを翻したらとんでもない風が巻き起こった。
「……………………」
どこかから──おそらくこのコートそのものから──黒い猫の鳴き声が聞こえた気がした……。
ーーーーーーーーーーーー
「──ハッ、ハッ」
背後に迫る業火。
脚がもつれ倒れそうになる。
酸素が、燃え盛る火によって食い尽くされて行く。息が苦しい。
「なんで……なんでなのよ……っ」
今日は祭りだった。豊作を祈る、祈祷祭だった。
みんなが笑顔で祭りを楽しみ、中にはそれに乗じて儲けようと屋台を出す者もいて、思い思いに祭りを盛り上げて。
そんな楽しい時間があっという間に崩れ去った。
少女は『ネーマー』という特性を持った者だった。
その特性は過去に、『悪魔の異能者』と呼ばれた。理由は、その熟練度が高くなればなるほど、名前から習得できるモノが増えるから。
それは簡単に言ってしまえば、名前を知られた人間が、今まで培ってきたソレを無条件で扱われてしまうということ。
ゆえに、生まれてすぐにネーマーであると占い師に診断された少女は捨てられた。
いつ死ぬかもわからなかった。そんな少女がここまで生きることができたのは単純に運が良かったから。それに尽きる。
幼いながらに、生きることへの執着が凄まじく、その特性を使いモンスターを倒し、強くなり、そしてここへ辿り着いた。
最初は、この街で数日過ごしたらまたすぐに出て行くつもりだった。ネーマーだと知られる前に、すぐに。
今までもそうして来た。過去に一度、ネーマーだとバレて殺されかけたから。しかも、その時仲良くしてもらっていた子に。
なのに、気づけば少女はこの街が好きになっていた。少女がネーマーではないかと疑うことなく、心を閉ざした少女に、優しくしてくれた。いつしか少女にとって、この街はとても居心地の良い街になっていた。
いつかのこと。それではいけない、そろそろこの街を出よう。そう決めた時だった。
最後に、何も言わずに出て行くか、全てを告げて、後腐れのないように別れるか。
散々迷った挙句、少女は後者を選択した。
そして、少女はこの世界のたった一点の、優しさを知った。
以来少女はこの街を、この街に訪れた者を、同じように……いや、それ以上にもてなそうとするようになった。
今まで世界が辛く苦しいモノだと思っていた、その時間を取り戻すように。
その街が、燃やされて行く。凍らされて行く。吹き飛ばされて行く。
祭り好きな街の住民が、死んで行く。
目に浮かぶ涙。漏れる嗚咽。
それが次第に、少女の走るスピードを落として行く。
「えぐっ……ひぅ……」
炎から逃れるように角を曲がる。そこにあったのは氷像。凍らされた街の住民。
「あ、……ぁあ」
止まる足を無理やり動かし、その横を通り抜ける。
そしてその先には──
「────────」
風の魔人がいた。
背後から迫る業火が、凍った住民を燃やして行く。
前方からは、かまいたちのように鋭い、見える風が迫る。
空からは氷の塊が、いくつもいくつも。
少女のネーマーとしての力があれば。その力で習得した魔法やスキル、アビリティがあれば、少しの時間は防げるかもしれない。
だけど、生き残ることはできない。
「ああ……ここまで、なんだ」
呆然と立ち尽くし、これまでの人生を振り返る。
「私が、悪魔の子だから……この街にいたから……」
全部、私のせい。
「私が悪いから……だから、街は、街の人たちは……助けてよ。殺さないでよ──」
そう思わなきゃ、少女は何を憎んで良いのかわからなかった。
「──私が死ぬから、街を壊すのをやめてよォおおおおおおおおッ!!」
少女は、炎に、氷に、風に蹂躙されて──死んだ。
ーーーーーーーーーーーー
街の上空。
かつては、こんな光景にも胸を踊らせたもの。
だけど今は──心底胸クソが悪い。
「これも、勇者の弊害……ですかね。ホントめんどくせー」
誰が魔人を召喚しているのかはわからない。
だが、三体もの魔人を召喚しているのだ。それが破壊された時の精神に与えられるダメージは相当のもののはず。
そして、私は魔人を破壊する術を持っている。
……そう、持っている。これは、勇者としての力じゃなく、私の、悪魔としての力。
魔族の悪魔であるからこそ、契約できた。
「さて……ちょっと久々なんで魔力はこれくらいにして、出てきてくれません? ──あんまり膨れ上がられると、手を付けられないんで」
先ほどから展開されている召喚魔法陣。そこに私は魔力を注ぎ込んでいた。
もう召喚に十分なほどの魔力は注ぎ込んだはずなのだが、この先にいる奴が、よこせ、よこせ、と私の魔力を吸い続けている……まったく、女の子に食事を用意させるとかどんなヒモなんですかねこのニートは。
「──顕現せよ──堕ちた咎人──ッ! いい加減目を覚ませこの暴食魔神がぁ──ッ!!」
無理やりに詠唱を唱え、この魔界にその姿を呼び覚ます。
彼はかつて、私が勇者として挑み、辛くも勝利を収めた強者。魔界ではない世界で出会った、私と契約を結んだ者。
「──【大罪の英霊】。〝魔神〟としての力を魔力有る限り振るい、この街を蝕む魔人を破壊しろ!」
魔人には魔神。
相手方がどこの世界から召喚されたのかは知らないけども──『天界』で名を残した元英雄に勝てるのは、同じく天界に生きた者だけだ。
勇者と魔王を、除けば。
ーーーーーーーーーーーー
石畳みを靴底が叩くその音を聞くのは、これで二度目になるか。
ただ、その時とは違うところが二つ。
一つは、前回は歩いていただけで、走ってはいなかったこと。
一つは、隣にあの少女がいないこと。
走るスピードを上げ、目的の場所へ向かう。
「あそこなら……あそこなら……!」
あそこに行けば、どうにかなる。
勘でしか無いが、今はそれしか縋れる力がない。
あの赤い少女ならなんとかできるかも……とは思うが、万が一なんてこともある。それに、あそこでジッとしていろなんてのも無理な話。
目の前で街が燃えて行くのを見ているだけだなんてやっぱりできるはずがない。
足手まといだとわかっていても、無駄な足掻きだとわかっていても、少しでいいから手を伸ばしたい。
────なんていうのは全て、建前で。
「……待ってろよ。今すぐ、大量の魔力喰わせてやるから。そしたら俺も一緒に遊ばせてくれよ」
俺、雪村黒音が走る、その理由は──




