第一章 5『黒い絨毯』
目を覚ますとロリが顔を覗き込んでいた。
「ぬっぉふわっ!?」
「ちょ、変に叫ばないでくださいよ。唾飛ぶから」
嫌そうに顔を顰める真っ赤な少女。
空も同じように赤く染まり、どれほどの時間が経ったのかを考えさせられる。
さて、自分に聞いてみよう。俺はどれくらい気を失っていた?
いや、その前だ。俺はなぜ気を失っていた?
……………………ああ、そうだ。
「目を覚ましたなら──って、わきゃあ!?」
「テメェいきなり人のこと蹴飛ばしやがったな!?」
まったくそんなつもりは無かったのだが、思わずロリ娘の胸ぐらを掴んでしまった。驚いたな。俺女の子に手を出せるのか。
そんな俺を睨み返し、
「あな、あなただって私に向かってロリだとかムカつくこと言ったじゃないですか!」
「だからって気を失うほど強い蹴りかますとかおかしいとは思いません!?」
「そんだけ貧弱なあなたが悪いんでしょう?」
「そォーい!」
「きゃあああああー!」
俺はあらん限りの力で少女を投げていた。だが投げられた少女は何事も無かったかのようにクルリと一回転して着地する。この野郎。
「ふぅ……いきなり投げるとか命の恩人に対してどういう了見でいやがんですか軟弱!」
「お前だって似たようなことしたろうが」
と、そこまで言葉を交わしたところで気付く。
「あれ、ここどこ?」
自分が立つ地を見れば黒い何かがあった。それはまるで絨毯のようでモフモフしている。ここで寝たらさぞ気持ちよかろう。
だが、気を失う前に俺がいたのは草原だったはず。
「…………」
少女の方は答えようとしない。
その目はまるで、忌々しいモノを見るような目で。
やがて、観念したかのようにポツリと呟いた。
「──魔獣の背中の上」
マジュウノセナカノウエ。
はて、それはどのような地なのか。なんて考えてしまうのは現実逃避からか?
ぎこちなく固まる四肢を動かし、同時に冷や汗を垂らす。
恐る恐る首を巡らせると──
「ガゥ」
魔獣の顔があった。
それも、最初に見たその数倍もの大きさの顔が。
「ギャァアアアアアアアアアアアア──ッ!!!!」
混乱、動転、パニック。
どれでもいい。そのどれもが俺を襲い、俺は黒い絨毯の上を転げ回る羽目になった。
結果、その黒い絨毯の上から落ちた。
ゴロゴロゴロン、ズテン、と。
魔獣の背中の上からロリっ娘が見下ろして来る。
そして、その右手を口に当て、端正な顔立ちを歪ませ、
「──ダサっ(笑)」
ぷぷーっとわざわざ声に出して笑って来やがった。
腹立つ……!
「……って、そうじゃない」
いや、腹が立つことに間違いはないが、今は目の前にあるどでかい疑問を解消したい。
さて、では問おう。
「なあ〜、そこの赤いの」
「……私のことで?」
お前以外に赤い奴がどこにいるんだ。
「なんです? 名前でも聞きたいんですか? なら名乗りましょう。私の名は──」
「いや、今はそんなのどうでもよくて」
「こいつ! 人の名乗りを遮った挙句どうでもいいとか!」
「だってよぉ……」
視線を赤いロリから、数倍の大きさになった黒い魔獣に向ける。
呑気に欠伸なんぞしているが、こいつは俺を襲ったわけで。
口から覗く牙はギラギラと輝いている──が、それと同じくらい鋭い光を放っていた目は、今は大人しくなっている。あの子犬のような目だ。
「これは……どういうことなんですかね」
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ブチリ、グチャ。
およそ、人間から──いや、肉を持つ生き物からその音が放たれた場合、生きていると思うのは憚られるような、そんな音が、肉を持つ人型の赤い少女から発せられた。
その原因は、魔獣に喰われたことで引き千切られた頭部にある。より正確に言うと、左肩の部分から鎖骨のライン、その上を全て喰われた訳だが。
疾さを伴った魔獣の噛み付きは鋭さとなり少女を襲い、現状、生きているとは言えないような状況で。
「……………………」
なのに。
プラン、と、少女の右腕が動いた。
魔獣に向けられた右掌。そこに浮かんでいたのは、真っ赤に輝く小さな魔法陣。
それが唸りを上げながら大きくなり、直径で言うと少女の身長くらいだろうか。
「──…… 」
何かが、聞こえた。
くぐもっているが、それがどこからなのかはすぐにわかった。
魔獣の、口の中からだ。
それが意味するところを魔獣は理解できない。だが、首から上が無くなった少女が、そんな状態でも何かをしようとしていることだけは理解。
自然、散々喰って来た魔力を魔獣は中で練り始めた。少女が何をしようと対応できるように。
少女のそれは段々と魔力の残滓を撒き散らすようになる。それはつまり、魔法陣の中に内包しきれない程の魔力が込められているということであり。
魔獣の口の中から、声が聞こえた。
「──……さっさと頭返せクソ犬」
直後に放たれた純粋な魔力の塊は、魔獣が練り上げた魔力の盾をこともなげに打ち砕き── 爆ぜた。
魔獣の頭は綺麗さっぱり無くなった。ボトリと落ちる何かは、少女の首から上にあったもの。
それに近づくのは首から上が無くなった少女。それを拾い、頭部に近づけ──
「……はぁ、身体の一部が欠損した自分を見るのも、もう何度目になるんでしょうね」
──頭部と首の両方から伸びた触手のように蠢く何かが互いを繋ぎ、それらはくっついた。見れば傷痕など無く、若々しい完璧な肉体がそこにはあった。
ついさっきまで、そこは離れていたのに。
「……ググルルゥウウウウ」
「ん?」
ふと振り返れば、さきほど吹き飛ばされたばかりの魔獣の傷口から、黒い魔力が溢れ出し、失われた顎が再生されていた。
「めんどくせーと思うのは間違いなんですかねこの場合……」
魔獣を覆う黒い体毛。その正体は魔力そのものだ。
というか、魔獣のこの大きな図体そのものが魔力で出来ている。箱を開ければなんてことはない。小さな子犬のようなものなのだ。
つまり、吹き飛ばされた部分が、外面を取り繕った魔力なら再生も容易に可能。
よくある『核を壊さないと何度でも再生するぞグヘヘヘ』である。
それができなかったために、赤い少女はここまで追いすがって来たのだが……正直疲れた。
元々はこの魔獣が突っかかって来たから殺してやろうと思った程度であり、本来の少女ならば執着することはなかったはずだった。だが、どこかで『殺さなきゃ。殺すんだ』と叫ぶ自分がいた。
「勇者ってのもめんどくせー……」
今度はその身体を全て吹き飛ばすつもりで魔法陣を展開。
ここで終わらせよう。
そう思っていたのだが。
完全に再生されても、傷口から溢れ出る魔力が止まらない魔獣。その大きさはどんどん増し、最早一戸の家程度に大きくなっていた。
その魔獣はのそのそと動き、その狙いを──少女ではなく。
「あっ、しまっ──」
少女が蹴飛ばして気絶させた少年に向けた。
頑強な顎が開き、寝そべる少年を咥え……ポンと上に放り投げ、背中に乗せた。
そしてそのまま身を丸め──寝始めた。
「…………はぁ?」
くぁ〜と欠伸までする魔獣に、少女の口はポカン。
大きくなったことによってさらにモフモフ度が増したように見える魔獣の背中で、なんとも気持ち良さそうに息をしている少年。
まるでそれは、長年連れ添ったペットと飼い主のようだった。
何が、どうなっているのやら。
かくして時は現在に戻る。
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「背中に飛び乗ろうとしたら突然吠えるし、なんなんですかねこいつ。軽く睨んだら大人しくなりましたけど。……で? 何か他に知りたいことは?」
「……いや、知りたいことも何もわからないことが多過ぎて」
「ふむ……まあとりあえず、この黒いのが突然大人しくなって、その上であなたは寝ていたって訳ですよ」
「ダメだ、要約されたのに訳がわからん」
「でしょうね。要約した私だって分かってませんから」
見れば魔獣は、またも眠そうに欠伸をしていた。
その目はやはり、柔和な光をたたえていて、襲って来る気配がまるでない。
……いや、待てよ?
そもそも、こいつは俺を襲ったか?
夢か現実か曖昧なアレは除いて、この草原で目を覚ましてから。
追いかけられはしたが、噛みつかれたりだとかはしなかった。
……イミワカンナイ。
思考を投げた。考えたって分からないのなら考えない。
「まあ……襲ってこないなら良いでしょ。背中寝心地良かったし、このままここで寝ていたい」
「……なんでしょうか。今のあなたからはどこか、残念な臭いがするんですけど」
「臭い? 確かに起きてからというもの、わけもわからず走ったし、汗臭いかもなあ……」
「そういうんとちゃうんですよ」
冷めた目で返された。
現在、俺はまた魔獣の背中で寝転がっている。
自力で登るのは無理だったのでこのロリっ娘に手伝ってもらったのだが。
「はぁ……それは置いといて。あなた、日本語喋ってますけど……つまり現世の日本から来たってことですよね? どうやって来たんですか?」
「は? 日本語? 現世?」
思わず強めに聞き返してしまった。
日本語。聞いたことのないはずの言葉なのに、なぜかどこかで何度も耳にした言葉である気がしたのだ。
現世、に関しては、一応知識はあった。図書館で調べたアレだ。と言っても、夢かどうかがわからない記憶の上での情報なので信じていいのかどうやら。
そんな俺の引っ掛かりを察したのだろうか。
「……? 記憶喪失ですかね……随分ありがちな展開じゃないですかこれ」
綺麗な紅髪を掻き毟る少女。
どこか『もったいない』と思ってしまう俺がいた。
「まあ良いです。そういうのって無理に思い出そうとしても無理でしょうし。……名前くらいはわかります?」
「黒音……ユキムラ クロネだな。うん。これは間違いない」
「やっぱり日本人らしい名前ですねぇ……これもう決めつけちゃって良いですよね」
そんなことを呟いた少女は俺にズズイと身を寄せ、次の句を発した。
「クロネさん。あなたは多分……というか確実に、この世界ではないところから来たんだと思います。これがどういうことか、わかります?」
この世界ではないところから。
その時、記憶にある、とある単語が浮かんだ。
「来た手段が分からない。それはつまり、帰る手段も分からないということで。……で、私実は勇者なんですけど、そういうのって見逃せないような感じになっちゃってるんです。だから少しだけ──お節介焼かせていただきます。私自身、めんどくせーと思う訳ですが」
本当勇者ってなんでこう偽善的なんですかねぇ……とボヤく少女を見ながら、俺の頭の中に浮かんだその単語を反芻する。
──転生。
その二文字を。
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勇者である赤い少女は、魔獣との命のやり取りをクロネに話す際に、わざと言わなかった事がある。
それは、魔獣に首から上を喰われたこと。そしてそれが、傷痕も無くくっついたこと。
自分がやられた話なんてしたくない、というのも一つだが、本来の理由は他にある。
少女にかけられたとある呪い。それについて触れたくなかった、触れられたくなかったからだ。
(ホント、いやらしい呪いを考えましたよねあのクソ魔王も)
魔王と死闘……と呼べるかわからない闘いの末、勇者である少女にかけられた二つの呪い。それによって今も少女を監視しているだろう魔王を──勇者スクブスは心の中で毒付いた。
一応、これが10部目になる訳ですが。
間にめちゃ短いの2回挟んだから実際は8部目くらいになるんですかね?でも数字上は10なので、10部目ってことにしましょう。
はいキリの良い10部目でーす。わーい。
客観的にこの作品見てみたら、ファンタジーに定番の『はじまりの街』にすら辿り着いてない状態ですよねこれ。いや、一度は行った訳なんですけど……まあいいや。
この先も続くことがあればよろしくお願いします。




