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「ほら、ここは寒いから暖かいところに行こう」


 信じられないないものを見たかのよう目を見開き放心状態の桜子の手を引いて、あらかじめ目星をつけていた喫茶店へと連れていく。よほどショックだったのかなかなか正気に戻りそうもない。隣を歩く蘭丸と顔を見合わせてため息をついた。


 この一ヶ月の雅の荒ぶりようったらなかった。毎日、毎日家の中で物を投げるような音や食器の割る音がする。なにもかも自分の意思とは関係なく桜子と距離と詰めていく現状への憤りだった。そしてこのままの状態ではいずれ手を出してしまうかもしれないと恐怖におののき、デートの約束のたびに蘭丸と莉子に後をつけさせていたのである。雅の主張としては恋愛シュミレーションゲームならば必ずエンディングというものがあるはずだからそれまでの辛抱だと、なにかが取り憑きでもしたかのようにネットにもぐり恋愛シュミレーションのいわゆる乙女ゲームと呼ばれるジャンルを根掘り葉掘り調べあたげらしい。 


 莉子達は雅の追い詰められた者特有の迫力に負けて、このところずっと雅と桜子のラブラブデートに付き合わされていた。キャッキャウフフのデートをしている雅と桜子はとても幸せそうで、もう千春を諦めて桜子と一緒に幸せ探しをすればいいと思う程だったが、デートの後の怒りとやりきれなさとで落ち込む雅にソレを言わないだけの良識はあった。


 そして大晦日の今日、キスをしていたと思ったら雅が怒りの為に血の気が引いた形相で桜子を突き飛ばした。今まで内心の戦いに完敗してきた雅が桜子を拒絶した事で、莉子と蘭丸はとうとうエンディングとやらを迎え雅が解放されたことを知ったのだ。それでつい「おめでとう」という祝いの言葉を言ってしまった。桜子にとっては全く喜ばしくない事だろうに、つい身内を贔屓してしまった結果だった。


 莉子達はこうなるだろうと予想していたけれど、桜子にとっては恋人の急な冷たい仕打ちに感じられることだろう。なにしろここ一ヶ月の雅ときたら桜子が視界に入った途端にスイッチオンになって完璧に桜子に恋する男になっていた。桜子といる時と、いない時とのギャップがありすぎて莉子と蘭丸が戸惑うほどだった。エンディングとやらを迎えた時には雅が自分の恋人だと信じているであろう桜子には一応フォローだけはしようと、二人で前もって決めていた。。


 昔ながらの喫茶店の中はガランとしていた。店内にはジャズが流れ、照明もわずかでまるでバーのようだがアルコールは出していない。大晦日の今日は帰りの参拝客を狙って店を一晩中開けていると夕方に寄った時にマスターから聞いていた。夜中にまた来ると言って店を出た莉子と蘭丸を憶えていてくれたのか注文を聞きに来たマスターに本当に来てくれてありがとうとお礼を言われた。


 まだ口も聞けそうもない桜子の代わりに、甘いもの方が良いだろうとココアを頼み、蘭丸と莉子は珈琲を頼んだ。しばらくして注文した飲み物が揃うと、桜子は目の前に置かれたココアを一口すする。正気に戻ったかとホッとしのも束の間、堰を切ったように涙を溢れさせる。涙を拭う様子もなく、ココアをジッと見つめ声もなく泣く桜子に、雅に対して本気だったのだと改めて思った。


「あのさ、追い討ちかけるようで悪いけれど、雅はウチの母さんに異常なほど執着してるんだよね。人あたりがいいから優しそうに見えるけど、基本自分の懐に入れた人以外に興味ないし冷たいし。それに今回の事は相当屈辱だったみたいだから」


 泣きながら納得できないのだろう、首を振る桜子に今度は蘭丸がため息をついた後に話だした。


「保健室での事覚えてるだろ?あれ、俺達の実験だったんだよ。桐野院と近づくと何故だか意思とは無関係に口説こうとするって事を証明したかったというか、それぞれの彼女に信じてもらいたかったってのが本音だけど。俺達さ、好きな奴がいるのに桐野院が傍にいると違う人格が出てくるような錯覚にとらわれるんだ。で、どこまで近づいたらそうなるのかって実験だったんだよ」


 珈琲をすすると大きくため息をつく。なにがどうなってこんな事になったのかは分からないが、どちらにとっても残酷な状況だと思う。自分が雅の立場だったらと思うとゾッとするのだ。けれども、どうもここ最近のデートについて回っていた身としては桜子の事を責めることは出来なかった。


「だいたい、一メートルが人格変わる境界だったみたいだけど。あと好きな子に名前を呼ばれるとちょっとだけ正気に戻れるみたいだったな。あの時、保健室の床に目張りして確かめていたんだ。しかもあの時俺達は君に甘い台詞を吐くたびに一言に対して五千円の罰金があってさ。コイツら愛なんて言葉よりも物で謝罪しろって、ひでぇんだよ」


 少しでもこの重たい空気をなんとかしたくて、軽く言ってみたが効果はないようだった。桜子は鞄から取り出したハンカチを目にあててシャクリあげている。


「馬鹿だね。彼女達は目の前で彼氏が桐野院さんを口説いてるところを見ていたんだよ?どれだけ精神的苦痛が伴うと思ってるの?かわいそうに。桐野院さんを口説いてるけど、それは自分じゃない誰かに言わされているんだなんて、どうやって信じろっていうのよ。だから、分かりやすく罰金制にしたんじゃない。だいたい蘭丸から罰金とってないでしょ?付き合ってる彼女いないんだから」


 とりあえず蘭丸の意を汲んで莉子も軽く聞こえるように言ってみる。実際にはどうやら相当にたくましい彼女達はかなり面白がっていたと思うが。 


「莉子、しつこい。いい加減にしろ。啼すぞこらっ。罰金は全部千春さんに払ってあるし。あぁ、それで話がそれたけど結論は俺達は君の傍にいくほど君に手を出したくなるし、口ではものすごい口説き文句を垂れ流すって分かったわけ。今はやっとそれが消えたみたいだけど」


 桜子は顔を上げない。仕方ないので本題に話を戻した。明るい雰囲気にする努力は諦めることにする。失恋の痛手がこの程度の軽口で慰められるはずはない。けれど蘭丸の辞書に失恋の文字は必要なかったのだから仕方ないとも言えた。


「そこで、貴方に想像して欲しいんだけど、愛している人がいて、結婚も決まっていて幸せの絶頂期によ?なんとも思っていない相手に近づくとどんなに抵抗しようとその相手に愛の言葉をささやき続ける訳じゃない。その事が本人には苦痛だっていうのはわかるかな?しかもここ一ヶ月は休みのたびに貴方とデートを重ねてたじゃない?デートの時の強制的に体が動いて出かける雅は正直なにかが乗り移ってるみたいで怖かったんだよ。よく、雅が病気にならなかったなってレベルだった」


 全身で拒絶していた雅を思い出す。蘭丸と二人で雅の部屋に迎えに行っては、暴れた後と出かけたくなくて足を踏ん張ろうとしながらも勝手に手と足が動く異様な光景を毎度見ていた。雅の抵抗したくても出来ないのだろうあの状況は本当に恐ろしかった。母の為じゃなかったら、蘭丸がいてくれなかったら莉子はきっと雅から逃げたしていたと思う。


「気の毒だとは思うけれど、今の雅に桐野院さんを想う気持ちはないわ。どちらかと言うと憎しみのほうが勝ってるから、これ以上ちょっかいを出すと桐野院さんが危ないと思う。だから私達がこうして来たんだけど」


 桜子が雅を諦めきれない時が怖かった。なにがって、雅がこの件に関しては人が変わったようになるからだ。

 保険室で確かめた時に、桜子から距離をとれば彼女のほうが大事だと全員が言い切れることに莉子は不安を感じていた。幸い彼女のいない乾は普通に恋する乙女…………じゃなかった恋する男子高生だったけれど。雅のように、愛情が突き抜けてしまって、執着とか粘着とか言い換えられてしまほど相手の事を想っている場合のストレスを想像出来てしまった。そして、雅がそのストレスを憎しみやら憎悪に容易く変換してしまうだろうことも。


 愛し合う本人同士が幸せならば、それでいいと思うからこそ母との再婚に承知したけれど、自分が相手だと仮定すれば雅は絶対に無しだ。あんな心の中真っ黒の一歩間違えれば犯罪者はごめんこうむる。母の千春がちゃんと手綱を握っているからこそのヘタレ雅なのだから。


 桜子が雅に向ける想いも、間違いではない。好きな人にあんなに甘く見つめられて、気遣ってもらって舞い上がるなという方が酷な事だ。例え婚約者がいたとしても、自分に向ける愛情を見れば婚約者から奪う事も出来ると考えてしまうのかもしれない。


 恋愛は難しい。世の中不倫とこいう言葉もあるくらいだ。結婚していたって相手や自分の愛情が常にお互いを向いているとは限らない。自分の幸せだけを考えるならば、略奪って形もあるのだ。たまたま好きになった人に、恋人がいたり、伴侶がいたりした場合、ソコでとどまるか、そのまま想いのままに気持ちをぶつけ相手を振り向かせるのか。それはもう、個人の考え方一つなのだから。


 それに桜子は自分をゲームのヒロインだといい、雅を攻略対象者だと言い切った。そう思っていたら、どんなに言葉を尽くそうと、桜子の中で雅とは両思いなのだ。


 実際、桜子に雅は結婚が決まっていると土下座までしてキチンと伝えたし、雅自身が婚約者を愛していると伝えた。桜子に近づくと態度が豹変すると言う事まで目の当たりにしていたのに。桜子は自分の見たいものしか見なかった。ゲームだと主張していたのに、現実に存在する齟齬を見ないフリをしてしまっていた。あの時、なにを言ってもきっと無駄なのだろうと分かってしまったから、アレ以上はなにも言えなかった。


「だって、私がヒロインなのに」


「そうね。だからちゃんとエンディングを迎えられたんでしょう?ゲームはエンディングを迎えたら電源を切って終わりでしょう?その先はないじゃない?ゲームと一緒だよ」


「そんなっ!運命の恋なんだよ?!お互いが唯一なのにっ!その先がないなんてそんな訳がないじゃない。雅さんはソコにいるのにっ」


 運命と唯一。そんな言葉は幻想だと莉子は想っている。だから、桜子が語る雅への愛はどこか嘘くさい。


「あのさ、あんまりこーゆーの言いたくはないんだけど。桐野院さんの中で、雅ってちゃんとトイレ行ってる?ついでにおならもするし、いびきもかくし、休日はでろでろのジャージで頭ボサボサだよ?貧乏ゆすりもするし、嫌なことがあると手当たりしだい物にやつあたりするし。感動ドラマで子供が出てくればすぐに泣くし。毛深いから腹毛も濃いよ?そういう人間らしいトコちゃんと桐野院さんの中の雅にあるの?」


 どうもデートをする桐野院を見ていると、偶像の雅しか見ていないような気がしたのだ。莉子が並び立てた普段の雅を見ていない思う。少女漫画の中のイケメンがどこまでも美しいというレベルじゃないのだろうか。


「そんなの雅さんじゃないっ!」


 涙がとまった桜子が、莉子の予想通りに顔を歪めて悲鳴を上げた。


「いや、それが雅だから。だいたい、自分の事を甘い台詞でずっと口説き倒してくれる男で本当にいいの?適度に叱ってくれて、いいとこと悪いとこちゃんと見てくれる人のほうが良くない?真面目な話、僕の子猫ちゃんとか言われて嬉しい??」


 そこがもう莉子には分からなかった。糖分過多な言葉は逆に不安にならないのだろうか。自分にそれだけの魅力があるのかどうか、莉子なら疑問に思う。良い面だけしか見ないなら、嫌な部分を見つけた時、その恋はどこへ向かうのだろうか。


「莉子っ!ちょっと待て!お前は夢がなさすぎるぞ。その恋愛観!!もっと夢見ていいと思うっ!というか、俺に夢持ってっ!!」


「え?蘭丸のどこに夢を見るっていうのよ?」


 それこそ莉子にとっては、訳が分からない。出会いから現在までどこに夢をもつ要素があったのだろうか。


 真顔で返され、蘭丸が頬を引きつらせた。そして、もの凄く気の毒そうな顔を桜子にされている。

 確実に今、失恋したばかりの桜子に同情されているに違いないと蘭丸は肩を落とした。

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