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 桐野院 桜子は放課後の図書室で読書をしていたのだが、校内放送で呼び出され保健室の前に立っていた。昨日忘れ物をしたと言う事だったけれど、全く覚えがなかった。これはきっと養護教諭の東雲が桜子に会いたくてわざわざ呼び出したに違いないと胸が弾んだ。


 桐野院 桜子には前世の記憶がある。そして、この世界が前世で大好きだった乙女ゲームの世界だということにこの学校に転入することになり気づいたのだ。前世では言葉は悪いが『くそゲー』の称号を戴いていたゲームだったが、桜子は夢中だった。ちなみになぜ評判が悪かったのかと言うと、攻略の容易さにある。ヒロインのパラメーターを上げる事も容易だったが、放課後や休みの日に攻略対象者と少し会話を交わすだけで好感度がグングン上がり、最終的にはエンディング一ヶ月前には全員の好感度がマックスになりセーブをここでしておけば、あっと今に全員の攻略が終わってしまう。ゲーマーにとっては薄いシナリオに簡単な操作と作業でしかも恋愛に至る動機付けが甘すぎると不評だったらしい。キャラクターの姿絵が美しく、そこそこキャラクターも立っていたが為に残念だという声が多かった。まぁ、前世紀の遺物とまで言われた攻略対象者の台詞選びにも問題があったらしいけれど、恋愛初心者、ついでに乙女ゲーム初心者の前世の桜子にはのめり込むには十分なソフトだった。


 この学校に来てからは、桜子の目には攻略対象者達の好感度がパラメータとして映るようになっている。そして攻略対象者達と話をしていると好感度が上がるチャルルルーンという音が聞こえる。選択肢は完璧に頭に入っていたので、好感度をあげるのは容易かった。東雲には何度も口実をつけて保健室に通い好感度を上げてきていた。昨日見た限りでは好感度マックスも間近だ。唯一成人をはたしている東雲のルートは甘く肉体的関係を匂わす表現がちりばめられていて、とても刺激的なのだ。実際、昨日は求められていたと思う。桜子の大好きなあのバリトンの低い声で甘く囁かれると、なんでも言う事をききたくなってしまう。まさかリアルに体験できるなど思いもしなかった。東雲のあの声も大好きでイヤホンから流れる囁くような声に腰砕けだった過去の自分に教えてあげたいくらいだ。破壊力が格段に違うと!


 つい、いつもの癖で全員の好感度を同じように上げてここまで来てしまったが、桜子の本命は東雲だった。前世でも運命の出会いだと思っていたが、それが現実となれば運命で間違いない。桜子は東雲 雅と結ばれる為にこの世界に生まれ落ちたのだから。


 ガラリと保健室の扉をあけ、よそ行きの声を出しながら入室の挨拶をして目を見開いた。何故か攻略対象者が勢ぞろいしていたのである。すでに西園寺蘭丸以外とはキスのイベントまで済ませてある為に、ちょっと気まずい。こんなイベントはなかったはずだが、場面場面で時間が飛んでいくゲームの中とは違い、ここではちゃんと普通に時間が流れていく。ゲームでは語られないエピソードがあってもおかしくはない。桜子はとりあえず控えめな微笑みを浮かべた。


「あら、こんにちは。皆さんお加減が悪そうですね」


 いつもは桜子を見ると輝く笑顔で迎えてくれる攻略対象達は皆真っ青な顔をしていた。ピアニストの南葉など涙を浮かべている。いったい何があったというのだろうか。


「やぁ、桐野院さん。今日も相変わらず綺麗だね、君こそ具合が悪いのかい?」


「それは大変だ。早く横にならなくちゃ。ほら、僕がベットまで運んであげるから」


「いや、俺が運ぶよ。桜子と会えない時間は息が出来ないくらいに辛いんだ。ここで会えて良かった。今日一日会えなかったりしたら、桜子の家まで会いに行こうと思ってたんだよ」


「北上、なにさり気なく桜子のことを呼び捨てにしているんだよ。僕の桜子に触るな。南葉もだ」


 目の前で繰り広げらる、桜子の取り合いにいつもなら嬉しいのだが、今日は少し変だ。苦痛の表情と震える声で話しているからだ。まだ好感度が上げ足りない西園寺 蘭丸も取り合いに参戦してくれている事も驚きだった。しかし、まるで何かを恐れているようだった。桜子の後ろに回り込み腰に片手を添えて桜子の右手にキスを落とす蘭丸はなにかの激情を押さえ込んでいるように感じる。ひょっとしたら桜子を愛する東雲に『桜子に近づくな』とでも脅されいるのかも知れない。それならば納得がいくが、それはそれで不味いと桜子は頭をフル回転させ始める。


 攻略対象者がここに揃っていて、東雲に怯えているとなれば、東雲に彼らとキスした事がバレてしまったのかもしれない。それはあってはならないことだった。ゲームなんだからそれぞれのルートは分かれているはずだ。横の繋がりなんてないはずなのに。折角今日まで東雲の好感度を順調に上げてこられたのだから、ここで失敗などしたくはなかった。あと一ヶ月で東雲を完全に手に入れられるのだから。


「あの、東雲先生は?私、東雲先生に呼び出されたんです」


 なるべくか弱く聞こえるようにそう言うと、皆がベットのカーテンの奥に視線を向ける。それと同時に勢いよくカーテンが開かれた。見知らぬ女生徒が四人と何故か一人の女生徒の後ろに隠れるようにして東雲がいた。女生徒達の視線はいつものように、嫉妬にまみれたものから面白がるような視線まで様々だった。特にツインテールの女生徒の憎しみがこもった目に優越感という喜び感じる。この学校でのこういった視線は自分がとても優位に立っているように思えて楽しかった。だが、今のこの状況は桜子ではなにが起きているかよく分からない。けれど、東雲と話す事ができればそれでいいので、そっと一歩前にでた。


「東雲先生?これは一体どういう事なのでしょうか?」


「待って、近づかないでそこにいてくれ」


 桜子と手の平で制止すると、東雲は自分の前にいる女生徒の肩に手を置き、顔色を伺うように尋ねた。


「な?莉子納得してくれた?これで許してくれるよな?」


 その親密な空気にざわりと腹の底でなにかが蠢いた。桜子というものがありながら、東雲は他の女生徒にまで手を出したというのだろうか。桜子だけが東雲の運命の相手だというのに。しかもその女生徒はとても美人だった。怒っているのか眼差しはキツイけれど、高校生にしては大人びた雰囲気で東雲と並ぶとお似合いだと言いたくなってしまいそうだ。それもまた桜子は気に食わない。


「わかった。信じてあげる。皆涙目だもんね。あっ、蘭丸はそのままでいいから。それが恋、きっと恋、間違いなく恋。おめでとう!お幸せに!」


 それが合図だったかのように、女生徒達が口々に攻略対象者の名前を呼ぶ。すると桜子のそばから一人ひとりと女生徒の元へと駆け寄っていくではないか。これは一体どういう事だろうかと説明を求めて東雲を見てもまるで桜子の事は眼中にないようで、莉子と呼び捨てをした少女に抱きついている。ドロリと粘着質ななにかが更に腹の底から湧き上がってきていた。


「莉子っ!分かったよ、俺が悪かった!学校でもちゃん彼女だって友達にいうから、怒るなよ馬鹿っ」


「莉子、ちぃちゃんに言わないよね?パパって呼んでくれるよね?」


 今、蘭丸が彼女と言ったのか?と桜子は目を見開く。だってここは桜子というヒロインの為に用意された乙女ゲームの世界だ。攻略対象者に彼女がいるわけがないのに。しかも、蘭丸と東雲を攻略しているように見える。ヒロインが桜子一人ではないのだとしたら大きな誤算だ。


「ほらっ、雅。桐野院さんに土下座して謝れっ。そしてさり気なく自分の欲望紛れ込ますな誰が呼ぶかっ」


 東雲を呼び捨てにする莉子という少女に覚えはない。ゲームに出てくる主要人物じゃないはずだ。それなのにこの親密さはいったいなんだというのだろう。しかも蘭丸の彼女だという。納得ができなかった。東雲は莉子に促されて床に手をつく。慌てて駆け寄って頭を上げてもらおうとしたところ、今度は莉子に止められた。


「ごめんなさい、この人ちょっと病気みたいなの。それ以上近寄らないで?」


「桐野院、昨日は本当にすまなかった。土下座ぐらいで許して貰えるとは思わんが、養護教諭として相応しくないふるまいだった。申し訳ない」


「桐野院さん、本当にごめんなさい。私からも二度とあんな事をしないように、じっくりと説教しておくから。こんなこと都合の良いことだって分かってるけれど、許しては貰えないかしら?」


 本当に土下座してしまう東雲に怒りがわいた。二度としないとはどういう事だろうか。東雲は桜子のものだ。手を出してくれなきゃ困るではないか。このまま避けれられでもしたらトゥルーエンドが迎えられなくなってしまう。そもそも、莉子が東雲と一緒に謝るところが気に食わない。


「謝る必要なんてありません。私と東雲先生の仲ですもの。ところで貴方は?」


 言外に彼女は私だと威嚇しているのに、なぜか莉子はポカンと桜子の顔を眺めている。


「へ?雅と桐野院さんって付き合っているの?」


「え?えぇ、そのつもりですけど」


 さも意外だとばかりに聞かれて、まだ告白はされていなかったがどうせ遅かれ早かれそうなるのだから間違いではないだろうと頷く。と、莉子が大きく足を振り上げ東雲の背中に踵を落とした。突然の暴力、それも生徒が職員にだ。驚いてその場がシンッと静まり返った。ゲシッゲシッと三度程蹴るので止めようとして、桜子は言葉を失った。大粒の涙を莉子が流していたからである。大勢の人に見守られる中、莉子は東雲の横に正座し、そのまま頭を下げた。


「おいっ。莉子やめろ。誤解だ、付き合ってなんかいないぞっ」

 

 大人しく蹴られていた東雲が慌てたように莉子の頭を上げさせようとする。


「キスしたのは本当でしょうが」


 低い声でそう言うと、莉子はさらに深く頭を下げた。


「誤解をさせるような行動をした雅が悪いと私も思う。だけど、雅は決して二股をかけられるような性格じゃないはずなんだけど。それに、雅はもうすぐ結婚が決まっているの。勝手を言っているとは思う。だけど申し訳ないけれど雅の事は諦めてください」


 土下座なんてして欲しくもないし、されたところで桜子の中でなにかが変わるものでもなかった。しかし、今の言葉は聞き捨てならない。


「結婚?!ありえないわ。だって東雲先生は私と結婚するのよ!」


 そう、トゥルーエンドの最後にプロポーズをされてゲームは幕を閉じるのだ。だから雅と結婚をするのは桜子でしかあり得ない。他の誰かと結婚が決まっているとしたら、そちらが間違いなのだ。雅だって桜子としか結婚などしたくないはずだ。無理矢理決められた結婚なのだろう、そんな結婚の約束は今ここに桜子が存在するのだから無効になるに決まっている。だいたい、何故この少女が土下座までして桜子に謝っているのだろうか。もしかしなくとも、この少女が結婚相手で桜子から雅を無理矢理引き剥がそうをしているのではないのだろうか。


「雅?」


 頭を上げた莉子が隣に座る東雲を睨みつける。それもまた親密な様子で、桜子は拳を握って感情を抑えた。


「誤解だってばっ!桐野院、いつ俺がそんな約束したんだ?」


「私と東雲先生は力強い愛で結ばれているのよ。貴方こそ潔く雅さんを諦めてちょうだい」


 きっと今、東雲は脅されているか強制されているかどちらかなのだろう。桜子が助けなければいけない。そう、使命に燃えて莉子に言い放った。


「桐野院、君はっ!君は俺の人生をぶち壊す気かっ?!俺と結婚の約束なんてしていない。俺が愛しているのは千春ただ一人だっ!粘って粘って、やっと手に入るのにどんな権利があってそんな事をいうんだ」


 千春とはいったい誰だろうか。メインキャラクターにいなかった。まさか、桜子と同しく前世の記憶を持つ人間がこの世界にいて、雅を攻略しようとしているとでもいうのか。それこそ許せることではなかった。


「権利?なにを言っているの。私は主人公よ?私はプレイヤーとして東雲ルートを選んでいるんだもの。好感度も後少しでマックスだし、パラメターは既にマックス、貴方は私の為にここに存在するんだから、私の物よっ!」


 もう後は一ヶ月後のエンディングの日、十二月三十一日にむけて甘いイベントをこなしていくだけなのに。このゲームは卒業式やクリスマスがエンディングというゲームが多い中、なぜか大晦日の年越しがエンディングなのだ。除夜の鐘と共にプロポーズ。微妙に雰囲気が台無しなのだ。これも、あまりこのゲームは人気がない原因の一つだ。


「プレイヤーって?」


 桜子にとっては自明の理なのだが、ここにいる人達にとっては違うらしい。何故だか桜子のことを気の毒そうな目で見ている。桜子だって、こんな事を言いたくなかったが、雅を引き止める為ならば何を犠牲にしても良かった。すこしぐらい頭が変だと思われたって、雅は桜子の物だと分かってもらわくてはいけないのだから。


「だから、ここは、ゲームの中じゃないのっ!ほら、証拠にみんなの頭の上にパラメータがあるでしょう?」


 攻略対象者の頭の上のバーを指差す。因みに、視界の隅にチラチラと映る矢印を空中でタップすれば一人ひとりの細かいステータスや、会話中で知り得た情報などが閲覧できる。まさかこれすらもないと言われるのだろうか。桜子はこの情報画面のおかげで難なく東雲の攻略が進められたというのに。


「いや、そんなもの見えないけど」


 戸惑うような声音で莉子に言われた桜子は急いで矢印をタップする。するといつも通りの情報画面がちゃんと現れる。半透明のそれは、その向こうの景色もはっきり見えるようになっているので歩きながらでも操作出来る。こんな便利な物が皆にはないというこに驚いた。それは何故か、その答えはすぐに出たのだった。


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