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そしてその夜、佐藤家の玄関で土下座する雅の姿があった。
「顔、見せるなって言ったよね?」
絶対零度の笑顔で仁王立ちの莉子が吐き捨てるように言う。
「先生なにして莉子怒らせたんだよ。夕飯も作ってくれないほど怒ってるんだぜ?」
「蘭丸も部屋に帰れっ!当分出入りすんなっボケッ!」
「昼間桐野院が運ばれてきた時に、莉子が保険室で寝てたんだよ。本当っに済まなかった。だから許してっ!莉子ちゃん莉子様、女神様っ!あの娘のまえだと俺変になるんだよぉぉぉぉぉ!」
昨夜蘭丸が言っていたことと似たような事を雅がいうが、莉子は聞く耳を持たなかった。
「人のせいにするんじゃないっこのエロ教師っ!!死ねっ!ハゲろっ!!東京湾に沈んでこいっ!」
「り~こ~ちゃぁぁぁぁぁん。反省してます。マジしてます」
「知るかっ!破棄だ破棄っ!結婚式場キャンセルだっ!キャンセル料は全部アンタの負担だからな。エロ教師っ!!」
「そーれーだーけーはぁぁぁぁ!俺と莉子の仲じゃないかっ!許してっ!」
「五月蝿いっ!みーとーめーなーいっ!許さんっ!折角、渋々許可してやったのにっ!もう雅にうちの大事な母さんはやらんっ!」
そう、東雲 雅は来年の春、莉子の卒業を待って莉子の母親と結婚予定なのだ。要するに後半年もしないうちに莉子の義理の父親にはずだった。それが莉子が寝ていると知っていての暴挙である。結婚が白紙になる事を覚悟の上での行動であるはずだった。
「お願いっ!ちぃちゃんには黙っててっ!十七年越しの想いなんだよぉぉぉ!」
ちぃちゃんとは、莉子の母の愛称である。涙を浮かべながら取りすがろうとする雅を冷たく突き放した。
「それも知るかっ!!」
「でもさぁ、あの女マジで変だよね?俺、今日自分の台詞にサブイボだった。少しでも離れたくないってなにさっ!僕ってなにさっ!蘭丸って呼んでくれってマジありえねぇぇぇぇぇぇ!!」
「馬鹿っ!俺なんてなぁ、子猫ちゃんとか呼んでるだぞ?挙げ句の果てに隅々まで調べてやるとか言って体操着の中に手ぇ突っ込んでるしっ!ディープキスかましてるしっ!どこのエロ小説だよっ!どこの親父だよっ!断じて俺はそんなキャラクターじゃないっ!俺はちぃちゃんしか愛してないのにぃぃぃぃ!!」
「うわぁ、先生最低。そりゃ莉子が怒って当たり前じゃん。でも分かるっ!分かるんだよっ!あの女の前に出ると自分が自分じゃなくなるよな?勝手に口と体が動くよな?俺だって莉子しかいらないのに、なんであんな女口説かなきゃならないわけ?おかしいだろ?!ということで、莉子、先生の事は許してやれよ。絶対おかしいからあの女」
玄関に正座しながら、うんうんと首を縦に振る雅に鋭い視線を送る莉子は大きくため息をついた。
「あのさぁ二人共、都合の良い男の言い訳にしか聞こえないんだけど。因みに蘭丸はもう桐野院さんが初恋でいいから。それが恋。きっと恋。いままでのは遊び。よかったね初恋おめでとう。さっさと実家に帰れ。でも雅は自分の立場と年齢とお母さんの事を考えなくちゃでしょ?私がいるのにアレはないと自分で思わない?どこに理性置いてきたわけ?発情期?ねぇ?私が簡単に許す訳ないよね?」
「りーこーちゃーん」
「泣いても駄目。お母さんが夜勤で良かったね。会えてないからまだなにも言ってないし。でもそれも明日の夜までだね?」
「ちょっと待て。実家に帰れってなんだよ。俺には莉子だけだって言ってるだろ」
「五月蝿い、ややこしいから奥いってろボケっ」
「分かったっ!あの女がおかしいって事を証明してやる。だから明日まで待て、いくらなんでも先生が気の毒だ」
なぜ、そんなに蘭丸が必死に雅を庇うのか分からなかったが、どうせ今夜は母親は帰ってこないので莉子は分かったと頷きながら雅と蘭丸を家から追い出した。蘭丸はすぐに自分の部屋から莉子のリビングに戻ってきたのであまり叩き出した意味がなかったけれど。
次の日、蘭丸から放課後に保健室に来るようにとメールをもらい、なにをどう説明してくれるのかと楽しみに一日を過ごした。放課後、言われたとうりに保健室にいけば扉の外からでも大勢の人が中にいる気配がわかる。
そっと扉を開ければ、満面の笑顔の蘭丸が莉子を手招きしていた。雅をみれば結婚破棄だと言い張る莉子の怒りが堪えているのか目の下に隈をつくり真っ青な顔でうなだれいる。しかし、ここで雅の姿に同情するような莉子ではなかった。そんなに結婚破棄が嫌ならば桐野院に手をださなければいいだけの話である。少しぐらいの反省で許す気はなかった。昨日の一件を知れば母親はどれだけのショックを受けるか分からない。そう思うと昨日の怒りが蘇ってくる。カチンと音がして保健室の扉の鍵が下ろされる。保健室を見渡せば外から見えないようにカーテンが下ろされた部屋の中に十人近い生徒がいた。
「この子が俺の彼女の莉子。ほらな、それぞれ相手がいるだろう?いないの貴史ぐらいじゃないの?」
保健室に揃っていたのは例の桐野院と噂になっている将来有望株の彼らと数人の女の子達だった。自分で学校では他人のフリをしろと言っている癖に彼女と紹介する蘭丸に異議ありだが、この顔ぶれのほうが気になった。促されてベットに座る蘭丸の横に腰掛けた。
「莉子、ここにいる男全員が桐野院の前にでると俺や先生みたいになるって言ってるんだよ。みんなも困ってるってさ。それぞれに彼女がいるのに、桐野院の事を無意識に口説いてるんだよ」
コレは、情けない浮気男の僕のせいじゃないんです。口が勝手に、手が勝手に動くんです。決して僕の意思じゃありません。とか、バカを言いたいと?どんな言い訳をするのかと思えばっ!
胡乱に眇められた莉子の目とその背後から吹き出すような怒りの冷気に、ただでさえ項垂れている雅の肩がピクリと震える。
「いや、嘘ではない。正直言って後から悶絶死するんじゃないかというくらい、恥ずかしい台詞を口から量産している。女を口説くならばもっとスマートな言い方をすると俺は断言できる。アレは俺じゃない」
と、難関大学合格内定の北上が言うと口々に各々吐きだした台詞をいいだした。どれもこれも昨日の「子猫ちゃん」に負けず劣らずな出来の台詞達だ。最後にピアニストの南葉が顔を両手で多いなが泣きそうな情けない声をだした。
「僕なんか、缶ジュース持って君の瞳に乾杯だよぉぉぉぉぉぉ。酷い、ひどすぎるっ!穴があったら入って出てきたくないっ!!」
男達は誰も笑えなかった。何故ならば皆似たり寄ったりの台詞を桐野院にむかって言っているからだ。しかし、彼らの横に黙って座っていた女生徒達は声を殺して笑っている。怒っているのは莉子だけらしいと気づいた。
「おっかしい。どんな顔をしていってるんだか。ほら、南葉くん言ってご覧よ。本当はワイングラス片手にが良かったんでしょ」
「楓ちゃん、やめてよぉぉぉぉぉ」
楓と呼ばれた少女は、莉子を見て意地の悪い笑みを浮かべる。そうして南葉の癖の強い髪をくちゃくちゃにしながら莉子に話しかけた。
「この人ね、そゆーの駄目な人だから。好きの一言いうのに5年かかって、未だキスすら行動に移せない可愛い人なの。きっ君の瞳に乾杯とかいいながらキスなんて言えないし出来ないのに……………ブハッ。駄目っ可笑しい!!あの時の草太ってばすんごい可愛かった!もう、足蹴にしたいくらい可愛かったっ!!」
「足蹴って楓ちゃん酷いよっ!」
「だって、アンタ、真っ青になって涙浮かべて手をブルブル震わせながら、そんなくっさい台詞ほざいてんだもん。私の前で」
ゲラゲラ大笑いを始める楓に、補足をいれるように南葉がぼそぼそと経緯を話した。
「本当は、楓ちゃんとご飯を食べる為に中庭のベンチで待ち合わせしてたんだ。そうしたら、桐野院さんが隣に座っていいかって来て、もう楓ちゃんの姿が遠くに見えたんだよ?先約があるからって断ろうと思ってたのに、思ってたのに、口からもうある事無いことスラスラ出てきて、気づいたら桐野院にキスまでしてたんだ。僕の、僕のファーストキスがっ!!楓ちゃんと夢見てたファーストキスがっ」
涙目の南葉はキッと莉子を見据えた。かなり迫力があり、危機迫っている。
「楓ちゃんはSっ気が強いんだよ。目の前でそんなことしてご覧よ!酷い目にあうんだから。実際ひどかったし。今も笑ってるしっ!!分かっててそんな事するほど僕だって馬鹿じゃないもんっ!」
次に口を開いたのは、北上の隣に座る日本美人だった。サラサの黒髪は艶やかに光を反射し、背筋をピンと伸ばして両足を揃えて座り、膝の上で軽く手を重ね合わせる姿はもう、見るからにお嬢様だった。手入れをされた爪や髪からはお金持ちしか持つ事の出来ない、セレブオーラが漂っている。
「因みにですけれど、あ、私北上の婚約者の源川 華澄と申します。北上はやはり私の前で同じような事をしていますわ。あまり細かいことは申し上げられないんですけれども、私達の婚約は色々なしがらみが御座いまして私達の都合で破棄できないのです。元々北上は、私に分からないように他の女性とお遊びになられていますのよ。私を怒らせますと、困るのは北上ですもの。今更、桐野院さんを私の目の前で口説くなど本当に彼らしくない行動だと私も思いますわ」
かばっているのか、さり気なく浮気を言及しているのか分からない。けれど、北上がさっと顔色を変えた。
「なっなにを言っているんだ。遊んでなんかないぞ。俺は勉強が忙しいんだ。桐野院の事は認めるが断じてアレは俺の意思じゃないぞ」
「ふふふふ。よろしくてよ。そういう事にしておいて差し上げますわ。俊彦様はお家が大事でございましょう?」
脅しているようにしか見えなかった。源川家にたいして北上家は随分と弱みがあるようだと莉子は判断した。南葉にしろ、北上にしろ雅と同じように見せてはいけない相手がいると分かっていても、桐野院に手を出してしまいたくなるらしい。
「桐野院さんて、なんかフェロモンでも振りまいてるのかねぇ?」
確かに桐野院は目を引く容姿をしていると思う。ただ、そこまで可愛いかと言われると考えしまうのだ。莉子の基準で考えれば源川のほうが美しいと感じる。男の人がほっとかないだろうなぁとも。
「フェロモンなら莉子のほうがよっぽど…………っ」
明らかに余計な事を言いそうな蘭丸の脇腹に肘鉄を一発入れておく。莉子にフェロモンは装備されていない、という事は蘭丸の気のせいである。
「あのっ」
弱々しい声を上げたのは、オリンピック目指して鋭意努力中の辰巳 海斗の隣によりそうツインテールの少女だった。視線が定まらず、おどおどしている。けれど場の視線がそそがれると意を決したように口を開いた。
「あっ、長瀬といいます。私、桐野院さんの独り言を聞いたことがあるんです。その、ちょっと様子がおかしくて…………。海斗くんや、先輩方の名前の後にパラメーターがどうとか好感度がどうとか。あとスチル?スチルってなんだか知らないんですけど。最短攻略ルートとかなんだかゲームみたいな言い方をしていたんです。桐野院さんってゲーマー?でそういうゲームを先輩達の名前を使ってやってるのかな?って思ってたんですけど」
スチルとはゲームの静止画の事ではないだろうか。恋愛シュミレーションゲームなどでよく聞く単語だと莉子は思った。ただ、主人公の名前を変える事が出来るゲームは聞いた事があるが攻略対象の人物の名前を変えられるようなものはあっただろうか。それとも、ゲームをしているつもりで蘭丸達に近づいて恋愛ゲームを繰り広げているのかも知れない。
莉子は、昨日保健室で雅が体を離れた瞬間に舌打ちした桐野院が頭をよぎる。そして、ちょっと面白そうな事を思いついてしまった。きっと桐野院さんは男の人にちやほやされる事が好きなのではないだろうか。じゃなかったら、学校のなかでもネームバリューのある男達と次々に接触した挙句にキスなどしないだろう。学校の中で知り合ったばかりの男に口説かれ、キスを迫られたら普通は拒否するはずだ。莉子だったら間違いなく殴っている。けれど桐野院からは拒絶は感じられない、昨日など、ベットの上で服の中に手を入れられていたのに大人しくしていたのだから。
「よし、実験しよう。ここにいる人は彼女達と別れたくないのよね?」
それぞれが頷いた事を確かめて、莉子は人の悪い笑顔を浮かべた。




