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第一章 三節 魔王

 放課後、俺たちは部室に集まっていた。あの屋上の一件が終わったと同時に、五時間目のチャイムが鳴り、俺たちはその足で部室に向かったのだ。

「未宇。生徒会に出す書類は、全部出してくれたか?」

「はい。すべて終了済みです」

 さすがは未宇だ。仕事が早い。

「べべべ、別に拓夢の為になった訳ではなく、部活の為に……」

「まだ何も言ってないんだが……」

「っ! ごめんなさい……」

 どうやら未宇は、俺の心を読んだらしい。悪気はないようだが、俺に自由がなくなるので、是非ともやめてもらいたい。

未宇をよく見ると、愛歌と二人で何かやっているようだ。ん? トランプか?

「おっ! 俺も混ぜてや」

 そんな二人に、大河が寄って行った。俺と昇も、それに同調する。陽はと言うと、窓際で読書中のようだ。

「なにやってんだ?」

「これは、ポーカーだね」

 ポーカーか。確か、大きい役を作った方が勝ちなんだよな。

「じゃぁ、次からみんなでやろうか」

「そうですね。そしたら、ポーカーじゃなくて、ババ抜きにでもしましょうか」

 この一戦が終わったら、俺たちも参加できるようになったようだ。ポーカーはともかく、ババ抜きなら、すべてのルールを理解してるつもりだ。

「それにしても、ポーカーって頭使うみたいだな」

 口から思った事が出てしまった。

「そうだね。ルールが完全に心理戦だからね。大河は、分かんないでしょ?」

「ドアホ! 俺だってポーカーぐらいできるわ」

 一番馬鹿の大河が、ポーカーをできるはずがないのだが、本人がそう言ってるんだから、それでいいか。もしかしたら、本当にできるかもしれないし。

「ん? 愛歌。それロンだろ」

『知らねんじゃねぇかぁぁぁ!』

「失礼な。できるっちゅうねん」

「嘘つけ。お前トランプ素人だろう」

「やかましい! 俺は玄人じゃ」

「じゃ、次のババ抜きで証明しろや」

「上等じゃ」

 ピリピリとした空気が漂う。トランプが人数分配られた後も、それは続いた。

 コンコン。

 ふいに部室の扉が、二回軽く叩かれた。

「はーい! 空いてますよ」

 来客なんて珍しい。もともと、人の出入りがあまりない旧校舎の四階という、立地条件の悪さに加え、名前からして怪しい為、来客者と言えば、たまに来る顧問の佐々木か生徒会の役員位だった。

「失礼します」

「どちらさん?」

 俺は、そっちに顔を向けず、ただ自分の手札とにらみ合う。俺の手元にはジョーカーがある。早く次の大河に回さないと負ける。

「あの、ここ特殊能力研究部であってますよね?」

「そうだけど、何? 生徒会の人?」

 ラスト二枚。今残ってるのは、俺と大河と昇か。昇の手札は一枚しかないし、この周で上がりだ。

「いえ……違います」

「じゃぁ何?」

 他の部員達も、来客には目もくれず、俺と大河の一騎打ちを凝視している。大河の手が伸びる。さぁ、右のジョーカーを引け!

「おっしゃぁ! 上がり!」

「ぬおぉぉぉ!」

 大河が引いたのは左のエース。その瞬間俺の敗北は決まった。

「あの!」

 扉の方から聞こえてくる声が強くなった。俺は気怠くそちらを向く。

『あっ!』

 時間が停止したかのようだった。

『お前は、昨日のタイツ男!』

「あなたがたは昨日の!」

 愛歌たちが、何事かと覗き込んでくる。

忘れもしない。この中性的な顔に、鼻まで伸びる長い前髪、細くて小柄なこいつは、昨日化け物と戦った時に現れた全身タイツ男だ。

「自分、何しに来たんや」

 大河が威圧する。タイツ男は、昨日とは打って変わって制服を着ている。という事は、この学校の生徒なのか?

「いや、あのぉ」

「もしかして、昨日の奴の仲間じゃないよね?」

「違います!」

「だったら、何の用だ?」

 俺たち三人の、記者のような質問攻めにたじろぐタイツ男。いったい何者なんだ。

「あの、僕も、この部に入れてください!」

『無理』

「即答!」

「ちょっと、その子可愛そうだろ?」

「そうです。話だけでも聞いてあげればいいじゃないですか」

 何故かアウェイの俺たち。お前らは何も知らないから、そんなことが言えるんだ。

「まぁ、話を聞くだけならいいんじゃない?」

「俺はまぁ、どっちでもええわ」

 まぁそれもそうだな。昨日の件も気になるし。

「分かった。じゃぁそこに座って」

 俺は、部室の真ん中に置いてある長い机を指差し、彼を促す。

「ありがとうございます」

 静かに、その横に置いてある椅子に腰かける。俺は、その対角線に座り、両肘をついた。他の部員も、俺の横に座っていく。

「それで、君は一体何者?」

 いろいろ考えられるが、変人なのは確かだ。あんな夜に全身タイツで歩き回ってたなんて、変人以外の何者でもないからな。

「実は僕、この前まで『魔王』やってました」

 また、特能部に、変人がやってきた。




『魔王』


とは、よくゲームとかのラスボスをしている奴のことだろう。もちろん、あれはフィクションで架空の生物のはずだ。まったく非現実な話だが、俺たち自体非現実な存在だし、しかも、昨日はあんなことがあった。完全には否定できない俺が、そこにはいた。

じゃあ、他の考え方をしてみよう。例えば、魔王という名の喫茶店でバイトをしているとか、魔王を演奏する演奏家だとか。

そんなこんなで、ずっと悩んでいた俺は、とりあえず答えを出した。

話を聞かないと、そんなこと分からないよな。うんうん。

「あのぉ」

魔王が口を開いた。

 気付くと、対峙してからもう十分ほどの時間が経過している。

「あぁ、悪い。じゃぁ、とりあえず君の素性は分かった。詳しくは後で聞くとして、今度は俺たちの紹介をしよう。えっと、俺が部長で主人公の金崎拓夢。それから、この金髪が……」

 俺たちは、順番に自己紹介を済ます。魔王は、一人ずつに律儀に挨拶をしていた。まったく、魔王だって言うからどんな奴かと思ったけど、案外しっかりしている奴だ。と思ったが、昨日のタイツが脳裏をよぎり、その思いは一掃された。

「とりあえずこれで全員。それで、もう一回自己紹介をお願いしてもいいか?」

 俺は、もう一度自己紹介をしてもらう事で、魔王の変人の印象を軽くしてやろうと考えた。が、それはすぐに後悔に変わった。

「魔王です」

 台無しだぁぁ!

 俺が頭を抱えていると、横槍が入った。

「おいおい兄ちゃん。あんま俺たちをなめんなや? あとでこの女に何されても知らへんで?」

 そう言って、愛歌を指差す大河。

「どういう意味だそりゃ!」

「ぐはっ!」

 見事なボディーブローが決まり、大河が机に突っ伏す。呼吸ができないのだろう、無様に口からよだれを垂らしている。自分から喧嘩を吹っかけといて、情けない奴だ。

「あのぉ、大丈夫ですか?」

「あぁ、ほっといて大丈夫だから。それで、お前は学校でも魔王って名乗ってるわけ?」

 脱線した話を、元に戻す。

「あ、いえ。この世界では、阿久津真央って名乗ってます」

 そっちを先に言えよ。

なんて思っていると、またしても復活した大河の横槍が入った。

「おい。最初からそう言えや。やっぱ自分なめてるやろ? 魔王だか拳王だか知らへんけどな、うちの女どもは怖いで?」

 そう言って、腕組みをした後、うんうんと頷き始める大河。

「げはっ!」

 またもや机に突っ伏す事なった。口から血を流して白目をむいている。まぁ、あの三人を敵に回したのだ。こうなる。

「あのぉ、大丈夫なんですか? 服汚れちゃいますよ?」

「あぁ、気にしなくていいよ。それより、話を戻すけど魔王ってのは?」

 俺は一度咳払いをした後、話を元に戻した。

「皆さんが想像するRPGとかで出てくる魔王ですよ?」

 やっぱりそっちか。

「分かった。話を聞こうか」

「はい」

 昨日の今日だ。あんな悪魔みたいな化け物がいるんなら、下手したら魔王だっている可能性はある。俺が知らないだけで、世界には不思議が溢れてるらしいからな。

「えっと、さっき言ったように、僕は異世界で魔王をやってました。異世界と言うのは、この今いる世界とは違う世界の事です。そうですね。この世界を、大きな木だと思ってください。異世界とは、その枝です。この世界から分岐した世界。それが、異世界です。どんな時に、どんな風にできるのかは、僕も詳しくは知りませんが、この世界に溜まった願いや妬みなどのすべての想いが流れ込む場所。それが異世界だと言われています」

 真面目に話す阿久津の事を、冷やかすものは誰もいない。

「パラレルワールドみたいなもの?」

 昇が口を開く。

「いえ。パラレルワールドは、似て非なる存在だと言われていますが、異世界は、その名の通り異なる世界。似ても似つかない存在です。もちろん、この世界に似ようとはしていますが、根本的に違いますね。とは言っても、似ている物もたくさんあって、例えばテレビとかです」

「テレビはあるのかよ!」

「え、えぇ。ありますよ、普通に」

 いや、お前らの普通の概念が分かんねーよ。

「あ、すいません。話がそれてしまいましたね。それで、僕はある異世界で魔王をしていたんですけど、先日勇者にやられて、命からがら逃げていたんです。そしたら、こっちの世界に迷い込んできてしまいまして……あとの事を中略して、今に至るという訳です」

 つまり、勇者に負けた阿久津が、気付いたらこちらの世界に迷い込んできた。という事か。何とも信じがたい話だ。

「阿久津の正体は分かった。昨日の事もあったし、異世界と魔王、勇者の存在は信じる。だけど俺はまだ、お前が魔王だったってのは、信じられないな。何か証拠はあるのか?」

「証拠――ですか?」

「そうだね。僕も昨日の弱い君を見てるからね。何か技とかを見せてくれたら、信じられるんだけど」

 そう。こいつは昨日、悪魔的な何かにボコボコにされて、俺たちに助けを求めてきたような奴だ。そんな奴が魔王だったと言われても、にわかには信じがたい。

「それが、僕、ひきこもりだったので、あまり力とか使えなくて……」

「なんだそりゃ! ひきこもりの魔王なんて、聞いたことないぞ!」

「すいません。魔王も父が死んで、無理やり継がされたようなものなので……」

 部員達と顔を合わせる。みんな呆れた顔をしていた。俺たちは、オカルト研究部じゃない。本物の集まる楽園だ。変な期待を持たれて入部されても困る。

「どうする。追い返すか?」

 俺はみんなに同意を求める。みんな苦虫を噛んだような顔をしている。そりゃそうだ。得体が知れないからな。

「今の話、全部本当」

 沈黙の部室に、俺たち部員ですらあまり聞かない声が響いた。全員の顔が、その声の主に向く。

「長篠先輩? なんて?」

 最初にその人物の名を呼んだのは愛歌だった。

 そう、口を開いたのは他でもない。陽だったのだ。

「その人の話、本当だと思う」

「っ! ありがとうございます!」

 喜びに顔を歪ませる阿久津とは対照的に、僕たち部員は怪訝な顔をしていた。

「長篠先輩、いいんですか? 下手に入れて、前みたいになったら……」

「この人は、大丈夫」

 陽の眉が一瞬動いたが、すぐにいつもの無表情に戻っていた。

「まぁ、長篠先輩がいいって言うなら、あたしもいいけどさ」

「え、いいのか愛歌?」

「あたしはいいって言ってんだろ? なぁ未宇」

「私もかまいません」

「ちなみに僕もいいよ。なんか面白い事になりそうだしね」

 陽がいいと言うならいいと言う愛歌と未宇。昇だけは、不純な理由のようだが、まぁほぼ過半数はとれたな。後は大河だけか。

「大河は?」

 俺は最後の一人の意見を聞く。まぁ大河なら、何も考えずにいいと言いそうだ。

「ちょっと待て!」

 いつもと違う真面目な顔をする大河。その雰囲気に、俺たちに緊張が走る。まさか、こいつが反対するのか? 

「なんか話がまとまりかけているとこ悪いんやけど、一つ確認しておきたい事がある」

 反対ではなさそうだが、何か考えがあるようだ。

「今日の、愛歌と未宇のパンツって、何色だったんや?」

 まったく真面目な話じゃねぇ! 

 しかも、さっき自分で命かけてあんな事したのに、結局見れなかったんかぁ!

「まったく、君って言う人は」

「大河……黒とピンクだ。ちなみに、黒が未宇で、ピンクが愛歌だ」

「うぉぉ! 未宇の奴、黒なんて履いてたのかよ! くぅ、惜しい事をしたぜ」

「おらぁぁぁ」

 大河に同調した瞬間に、こうなることは分かっていたさ。それでも、悲しいのが男の性ってもんだ。

――刹那。体に電撃が走る。体が軽い。まるで空を飛んでいるみたいだ。いや、事実飛んでいるのだろう。

「ジーザス……」

愛歌の拳で……。


                  †                   


『ずみまぜんでじだ』

 俺たち二人は、床に頭を擦りつけ、土下座をしていた。

「忘れろ! 今すぐ忘れろ!」

 鬼の形相の愛歌が、俺たちの前に仁王立ちしていた。

「そんなん無理やで。第一俺は見てない!」

「俺は見ましたが、すぐに忘れるのは無理かと……」

 俺たちは顔をあげ、何とかこの場をやり過ごそうとした。

「じゃあ、忘れさせてやる」

「すいません! 忘れました!」

 指を鳴らして、こちらを見下してくる気迫に負け、すさまじい勢いで頭を下げた。額からは、わずかどころか、普通に血が流れている。

「で? 大河は?」

「だから、俺は見てないって!」

「あ?」

 いまだに反抗する大河に、俺は目で訴えた。

『馬鹿! これ以上反抗したら、お前の席が明日なくなってるかもしれないぞ!』

『そんなドラマみたいな事、ある訳ないやろ? しかも、あの体育会系の愛歌に限って、そんな陰湿なマネ……』

『お前は忘れているぞ! 見てみろ。愛歌の後ろ!』

 大河は、視線を愛歌の後方に移した。数秒も経たないうちに、大河の顔は恐怖に染まり、体は小刻みに震えだした。

 愛歌の後方。物理的に恐怖を与えてくる愛歌とは対になる者。この世を終わらせそうな顔をした氷山未宇が、そこには立っていた。

『分かったか? 悪い事は言わない。素直に謝っとけ』

『…………』

 沈黙。大河からの合図はない。それほどの恐怖を感じたか。

『おい、大丈夫か?』

 今度は合図が送られてきた。

『小便、したい……』

 それで震えてたのかぁ!

 顔が青ざめるまで気づかないって、どんだけ鈍感なんだ!

 先生! ここに馬鹿がいます! 早く保険室にっ!

『と、とにかく、早く謝って便所に行って来い!』

『あぁ。そうする!』

 そう言って、大河は勢いよく顔をあげた。

「愛歌!」

「何だよ?」

 そうだそのまま!

「ピンク見ちゃってごめんなさい!」

「おらぁぁぁ!」

「何故!」

 真宮寺大河。享年、十六歳。

「えぇ。とにかくだ。陽の意見もあって、阿久津魔央。お前の話を信じ、この星ヶ崎高校特能部の、新しい仲間として歓迎する」

 タコ殴りにされている大河のおかげで解放された俺は、それを横目に、脱線した話を元に戻した。

「はい! ありがとうございます! いや、僕てっきり忘れられているのかと思いましたよ」

 すいません、本当は忘れてました。

 俺たちのごたごたのせいで、異世界の話などが流れてしまっていたが、いつもは一言も発しない陽が、阿久津を信じると言ったのだ。陽は、大河と違っていい加減な奴じゃない。みんなもそれを知っているからこそ、まだ良くも知らない阿久津を、部に向かえることにしたのだろう。

「あの、僕からも一つ質問してもいいですか?」

「なんだ?」

「さっき部長さんが、主人公って言っていたんですけど、それってどういう意味ですか?」

「良い質問だね」

 俺は一度姿勢を正し、口を開いた。

「それはね――」

「要するに、拓夢は中二病患者って事だよ」

 俺の言葉を遮ってくる昇。俺はそちらに顔を向けた。

「そういう事ですか。納得です」

 なんで納得できんの? お前は俺の何を知っているんだ。

「君もいちいち相手してたら疲れるから、ほどほどにしなよ?」

「は、はい。心得ました」

「オッホン! えぇ、とにかく阿久津。君がこの部に入ろう思った理由は何だね?」

 これ以上俺が傷つく前に話を変える。

何気なくぶつけてみたのは、いわゆる志望理由というやつだ。面接などでは王道の質問だな。

「はい。折り入って超能力者のみなさんに、お願いがありまして」

 部室の空気が変わった。まるで、温度が五度以上下がったように感じる。皆『超能力者』という言葉に過剰な反応をしたのだ。

 愛歌も殴るのをやめ、大河も馬乗りになられながら、こちらを見ている。

「超能力者じゃない。サイキッカーと呼べ」

 いままで、俺たちはできるだけサイキッカーだという事を、隠しながら生きてきた。幼少期に苦労してきた経験で、ばれたら普通の人間として生きていけなくなるのを知っていからだ。

それでも、たまにぼろが出てしまったりすることもあった。幸い、誰も俺たちの事をサイキッカーだとは思わずに、ただ『変人』と認識してきた。それ故、俺たちが超能力者だという事を知っているものは、皆無に等しい。大河の場合は、昔有名だったのも含め、知っている者も多少いるかもしれないが、それも十年以上も前の話。今となっては、伝説みたいなもので、誰も信じてはいないだろう。

「なんで、僕たちが超能力者だって知っているんだ?」

「おい、サイキッカーだって」

「今はそんな事どうでもいいでしょ?」

「え、あぁそうだな」

 俺たち五人が一斉に抱いている疑問を昇が聞く。俺たちは固唾をのんで、阿久津の口が開くのを待った。

「何故と言われましても……しいて言うなら、魔王やってましたから」

 思ったより、気の抜けた返答だったために、俺たちの落胆は大きかった。

「なんとなくだけど、納得はできるね」

 今までの話を聞く限り、阿久津が普通じゃないのは分かった。もし阿久津がただの電波さんなら話は別だが、さっきの話を信じると言ったからには、魔王だからという理由も納得するしかないのだろう。

「ありがとうございます。それで、お願いなんですが……」

 そうだ。お願いがあるとか言ってたような。超能力の話に囚われすぎて忘れてた。

「頼みごとなら、この七色の顔を持つ男、ジェントルマン大河に任せろや!」

 七色の顔を持つ男が、紳士な訳あるか!

「ではジェントルマン大河。頼みごとがあります」

「おっ! 言ってみなさい東雲君」

「死ね」

「げはっ!」

 大河は、その場に崩れ落ちて気絶した。おそらく、メンタルに深い傷を負ったのだろう。

「まぁ仲間って言うのは本当だし、この愛歌さんで良ければ力になるぜ?」

 こういう時に、仲間の大事さって実感するよなぁ。ある人間を除いて。

「ありがとうございます。えっと、頼みと言うのは他でもない。皆さんに、魔王退治をしてほしいのです」

「え?」

 思わず聞き返す。横に顔を向けると、愛歌や未宇も首をかしげている。陽は――いたっていつも通りだ。

「皆さんの力で、魔王を退治してほしいのです」

 魔王を退治って事はつまり。

『君を退治するって事?』

 声が重なった。まぁそうなりますよねぇ。

「違います違います! そんな、僕魔王だったけど争いごととか苦手ですから」

 そういえば、阿久津はひきこもりだったんだっけ。

「倒してほしいのは、他の世界の魔王です」

 そこからは、何故他の魔王を倒してほしいかという説明が、淡々と語られた。なんでも、『魔王』とは、人の負の思いの集合体らしく、それを野放しにしとくと、結構大変な事になるらしい。でも、異世界にはそれぞれ防衛本能というものがあり、それが、勇者と呼ばれる者らしい。

「そんなの、俺たちに頼まないで、その勇者に任しておけばいいんじゃないか?」

 椅子に座ったまま、頬杖を立てて言う。

「その勇者が、存在しない世界もあるらしいのです。魔王が負の思いの固まりだとしたら、勇者は正の思いの集合体。もし、その異世界に正の思いがまったく流れていなかったら、その世界はおしまいです」

 RPGを想像する。勇者がいない場合、物語は永遠に進行しない。まったくもってお終いだ。

「負の思いが強い異世界は、やがてこの世界を侵食し始めます。僕はそれを、なんとか食い止めたい」

「阿久津君は、何故そこまでしてこの世界を?」

 今まで黙っていた未宇も、ただ黙っていた訳ではなく、しっかりと話は聞いていたようだ。

「だってこの世界は、僕にとっても母なる大地のようなものですから。僕がもともと憎悪の固まりでも、この世界を破壊するような事は望みません」

少し控えめで、しかし力強く言う阿久津に、いい奴かもしれない、という印象を抱いた。

「嘘です」

 だがそれも数秒。未宇の一言に、俺を含めた部員の空気は冷え込んだ。

「あなたは嘘をついています」

「い、いやだな。そんな事……」

「私の力はご存知なのでしょう? なら諦めて本当の事を言ったらどうです?」

 未宇の言葉に勘弁したのか、阿久津はその長い前髪を上げ、後ろで髪を一つに纏めてから口を開いた。一体その行動に何の意味があるのかは分かんねーけど。

「流石ですね。少しあなた達を試さしてもらいました。すみません……」

 俺たちを試しただって? 今ので試せたのは未宇の能力くらいじゃないか。

「氷山さんの能力を確かめるのと共に、相手への敵対心というのを、測らせていただきました」

 敵対心だと? 

「今ので確信しました。あなた達なら、必ず魔王を倒してくれる。皆さんすごい殺気でしたよ? それも、ばらばらではない統一した殺気。特に真宮寺さん。無意識に力まで使うほど、僕を警戒していたようですね」

 大河に視線が集まる。特に異常はなさそうだ。大河自信も分かっていない様子だし。

「あ」

 最初に気づいたのは愛歌だった。見ると愛歌のスカートが、まるで気球のように膨れ上がって、中のトライアングルが露わになっている。

「ね? 真宮寺さんはすごいですよ」

 関心しているのか、それとも小馬鹿にしているのか分からないが、阿久津は終始笑顔だった。

「貴様は、なにどさくさに紛れてやっとんじゃ!」

「ひでぶぅぅ!」

 世紀末英雄伝説の雑魚キャラのようにやられる大河。

 今回は事故の様だし、同情する。大河の死体の前で合掌。絶景を見せてくれて、ありがとう。

「でも、この世界を守りたいのは本当です」

 そんな大河を無視して、阿久津は言葉を続けた。

「だって、この世界がなくなったらゲームができなくなるじゃないですか! あっちの世界でも、唯一の楽しみはこっちの世界のゲームだったのに。異世界じゃゲームとか売ってないんで、本当に困るんですよ。そしたら僕、これからどうやってひきこもればいいですか? あぁ、僕の趣味を壊されることだけは、絶対に許せない!」

 阿久津真央という人物像が確定した瞬間だった。あえて、ゲームの入手経路などは聞かないでおこう……。


                    


「当面の我が部の活動内容は『魔王退治』で決定した。異論はないか?」

話合いの結果、みんなが出した答えは『魔王の手から、趣味を守ろう』というものだった。俺は絶対『自分たちの世界は己が手で守ろう』の方がいいって言ったのに、みんな世界云々より、自分たちの趣味を守ることのほうが大事らしい。まぁ部長として、部員がやる事に同調するのも、また大事な事だろう。

「それから以後、超能力者をサイキッカー。異世界をブランチワールド。俺たちのいるこの世界をアクシスワールドとする」

「何よそれ」

「呼び方だよ。異世界とか分岐世界とか軸世界って捻りがない。こっちの方がしっくりくるだろう?」

「いや、そうでもないでしょ。ねぇ昇、どう思うよ?」

「僕に振らないでよ。うーん、僕的には拓夢の中二に乗ってもいいと思うけどね」

「ほら、昇もこう言ってんじゃん。他に意見がないならこれでいいだろ?」

「…………」

 皆黙ったまま反応しない。肯定とも否定とも取れるが、他に意見がないならこれでいいだろ。

「あのさ」

 沈黙を破ったのは大河だった。

「意見か?」

「いや、そんな大層なもんやないんやけどな。ブランチワールドもアクシスワールドも長いと思うんよ。ここは略して『ぶっさん』と『あっさん』でどうや?」

「何言ってんだお前。そんなのが可決される訳――」

「賛成」

 全員一致でこの案は可決されました……。

「分かった。とりあえず今の案については明日もう一度話合うとして、今日のところは解散にしよう」

 窓の外を見ると、空は朱色に染まっていた。俺たちが帰り支度を済ました頃、誰よりも早く陽は部室を出ようとする。

「陽? 今日くらいは一緒に帰らないか?」

 いつもの事ながら、陽の帰宅は早い。大抵俺たちは、同じ方向ということもあって一緒に帰るのだが、陽だけは、いつも一人で先に帰ってしまう。何度か誘った事はあるが、毎回断られているのだ。もしかして、本当は俺の事嫌いなのかな?

「いい。一人で帰る」

 案の定、いつもと同じ二つ返事が返ってきた。周りは何も言わない。俺も何も言わない。それが俺たちの日常だから。

 陽が部室を去った後、俺たちも続いて部室をでた。俺は、戸締りを済ませ、阿久津をふまえた新しい特能部で下校した。

 俺たちは他愛もない話をしながら、いつもの帰宅コースを歩いた。土手を歩いて住宅街を目指す。夕焼け空が水面に映って、何とも言えない色彩を放っている。すごく綺麗だ。同じ色でも、俺の出す火とは格が違う。

「この世界は、本当に綺麗ですね」

 垂れ下がっていたウザったい前髪を、意味はあるのか分からないが後ろで纏めたまま、ずっとそのままでいる阿久津。一瞬男か女か見分けがつかない中性的な顔。魔王と言うからには、もっと強面かと思っていたが、そんな事ないんだな。

「なんや? 自分らの世界は汚かったんか?」

 とても失礼な大河。そんな言い方はないだろう。

「ちょっと大河。本当の事でも、言っていい事と悪い事があると思うよ?」

お前も随分失礼だぞ。

「大丈夫です。そうですねぇ。異世界によって差はあるみたいですが、僕のいた世界はこんなに綺麗ではなかったです」

「ガムとかごっつへばりついてるんか?」

 馬鹿な質問が浴びせられる。もちろん奴から。

「ガムとかのゴミが散らばっているとかの汚さじゃなくて、こうなんというか、全体的に暗いといいますか……」

「ふぅん」

 ふぅんってなんだ! 興味がないんだったら最初から聞くんじゃねぇ!

「さっきさ、世界によって違うとか言ってたよね?」

「は、はい!」

 阿久津は、今までとは違う異常な反応を示した。おそらく大河がやられるのを何度も見て、愛歌に恐怖を抱いたのだろう。その気持ちは分かるぞ阿久津!

「なんでそんなに驚いてんのよ……。まぁいいわ。それで? どうやってそんな情報入手したの?」

「ヤッポーです」

 おっと、ふざけているのか? なら今すぐに謝罪しないと殺されるぞ新人。

「え? よく聞こえなかったなぁ。もう一回言ってくれる?」

「はい。ヤッポーから入手しました」

 何それ? 笑えばいいの? 

「何それ?」

「ネットです」

 ネットかよ! まさか異世界――じゃなくてブランチワールドにネットが存在するのか? てか、ブランチワールドは長いな。略してBW。うん、これでいこう。

「へ、へぇ。そんなサイトがあったなんて知らなかったよ。似てるのは知ってるけど……」

 愛歌も、どこか顔が引きつっている。

「知らないのも当然です。異世界――ぶっさんのネットですから」

 そんなの普通ですよ。とでも言いたげな顔をしている。しかもぶっさんじゃねー!BWだ。

「へ、へぇ」

残念ながら俺たちは、BWのネットワークどころか、BWの存在すらさっき知った身だ。周りを見ると、困惑色に染まる顔が四つもある。もちろん俺の顔も困惑色だろう。

「阿久津。ぶっさんっちゅうのは、俺が想像しているもんとはえらい違うみたいや」

『俺が』じゃない。『俺たちが』だ。

「そうなんですか? ちなみに、僕はゲームを嗜む者として言っておきますが、この世界のRPGのような異世界――じゃなくてブラ――でもなかった。ぶっさんではありませんよ? ぶっさんはこの世界の人の思いの集合体ですから、どんな形をしても多少はあっさんに似ている面があります」

 おい! 何でブラまで言って言い直したんだよ!

「だから、ネットもあれば、電話もあります。とは言っても、あっさんのものとは、まったく異なるものですが。あ、唯一無いものと言ったらあれです」

 俺のイメージが崩れ去った音がした。でも、やっぱりBWだ。それだけ文明の利器がそろっていても、やっぱり無い物もあるみたいだ。

「ハンガーがないです。物干し竿はあるんですけどね。いやぁ、こっちの世界に来た時に初めてハンガーを見て感動しましたよ。あんなすばらしい物が百円で売っているんですよ? こっちで売ったらもっと高いはずですよ!」

 なんでネットがあるのに、ハンガーが無いんだよ! しかも、物干し竿はあるのに、ハンガーだけないってどういう事?

「ははは。すごいんだな、ぶっさんも。なぁ未宇」

「えぇ。私の想像とは全く違うものでした」

 顔が引きつっている愛歌と、目を瞑って冷静に答える未宇。

「他に無いものはないんか?」

 そんな二人とは対照的に、大河は興味深々の様だ。

「そうですねぇ。あ、あのぉ、異世界にはゲームが存在しないので、僕がやるゲームは勿論、エロゲーやギャルゲーという類の物も存在しませんね」

「…………」

 喜怒哀楽、どれにも属さない顔をする大河。口からは何か魂のようなものが出かかっている。これが、エクトプラズムというやつか。

「まさか、アニメは?」

 やばい。昇まで自暴自棄になるかもしれん!

「アニメはありますよ?」

「そうか。やはりアニメは万国共通だね」

 異世界がはたして万国の中に入るのかは分からないが、とにかく昇が大河のようにならなくてよかった。

 などと思っていると、その魂を自力で飲み込んだ大河は――。

「だぁぁぁぁ! そんな世界、俺がぶっ潰したるっ!」

 発狂した。

あまりにも衝撃的な告白だったのだろう。怒りに身を任せて叫んでいる。

『きゃぁ!』

 女子の悲鳴が上がる。見ると、またもや愛歌と未宇のスカートが翻りかけている。

 またやってしまったか。

 大河は気づいていない様子だし。ご愁傷さま……

「ぶっさんなぁんてぇ、俺がぶっつぶっ――」

「ぶっ潰されるのは、お前じゃぁっ!」

「あべしっ!」

 またもや、世紀末英雄伝説の雑魚キャラのようにやられ吹き飛ぶ。その綺麗な放物線は、まるで栄光への架け橋だ。

『え?』

 その放物線に見とれていた全員の声が上がった。今目の前で起こった事態に、思考が追い付かない。

愛歌の鉄拳で放物線を描いた大河の落下地点は、そこに流れている川のはずだった。だが、未だに落下時に伴うはずの『音』が聞こえてこない。もちろん、水しぶきすら上がっていない。

「大河が……消えた?」

 そう。

『消えた』

という表現が正しい。

 落下する直前、大河は消えたのだ。

 まるで、空間の切れ目に吸い込まれるように。

「おい。大河? 大河!」

 返事はない。

「え? 何? どういう事?」

「真宮寺君が、消えた? 何故です? 確かにさっきまで……」

 未宇もさすがに動揺を隠しきれないようだ。いや、当たりまえなのかもしれない。目の前に起こった異常に対して、冷静に見解ができる奴など、おとぎ話の世界だ。もし、現実にそんな奴がいるなら、そいつはおそらく……。

「なぁ、どういう事か説明できるか?」

 未だ冷静を保つ阿久津に声をかける。

「はい」

 自信に満ちたりた返事。

 こんな時に冷静でいられる奴は、何故それが起こったかを、知っている奴だけだ。

「どういう事? あたしが殴って、それで……」

「落ち着けよ愛歌!」

 俺の言葉に、愛歌は肩をすくめた。いつもの愛歌からは考えられないに、弱弱しくたじろぐ。

 昔からそうだ。こいつはいつも強気なのに、何かあると心の奥にある弱さを隠せない。

「大丈夫? 愛歌」

「う、うん」

「まさか、こんなところに扉があるとは……」

女子二人を横目に、阿久津は静かに呟いた。その声は、全員に届くか届かないかの微弱なものだった。

「説明してもらってもいいか? 大河は、別に消えたとかいう訳じゃないんだろ?」

 俺の言葉に、愛歌と未宇は驚いた顔をする。その表情からは、希望のようなものが垣間見えたりする。そんな目で見ないでくれ。俺だってまだ確信が持ててる訳じゃないんだ。

「えぇ。簡単に言えば、真宮寺さんはぶっさんに入りこみました」

予想通りの答えだった。つまり、大河の描いた栄光への架け橋は、BWへの架け橋になったわけだ。動揺している二人は、今の言葉じゃ理解しきれていないようだ。

「僕の記憶だと、ここは昨日の現場だよね?」

「その通りです」

「じゃぁ、俺たちが昨日対峙した化け物も、BWに行ったって事だな」

「そうですが、正確に言うと『帰った』でしょうね」

 俺たちの答え合わせは順調に進んでいった。

「つまり、大河もBWに行ったって事でいいんだよな?」

「そうです」

ようやく理解したのか、女子二人の顔からみるみるうちに、疑問の色が無くなっていく。

「でもまさか、真宮寺さんに単体で扉に入る力があるとは……。いや、ぶっさんの気を持った超能力者なら可能か……」

 ぶつぶつと、独り言を呟く阿久津。冷静そうに見えて、焦りのようなものを感じるのは俺だけだろうか。

 てか、シリアスムードなのに、ちょくちょく絡んでくる『ぶっさん』ってのやめない? ムードぶち壊しなんだけど。

「すみません。僕のミスです。あなた達を甘く見てました」

「大河は? 助けられないの?」

間髪入れずに、愛歌から質問が投げかけられる。

「助けられると思います。でもその為には、僕たちもあちらの世界に行かなくてはなりません」

「なら、とっとと行くぞ!」

「僕も行くよ拓夢」

「ちょっと待ちなさい。準備とか必要なんじゃないのですか? 私たちは未知の世界に行くんですよ?」

「御託はいい。たとえ俺一人でも行く! 準備なんてしてられるか!」

「いい加減にしてください! 拓夢も昇君も死んだら元も子もないのですよ!」

 早まる気持ちを、未宇は言葉で抑制してくれた。ここで初めて、頭に血が上っていたことに気づいた。

助かったぜ、未宇。おかげでクールに物を考えられる。

「別に、拓夢だけの為じゃ……」

 また、こいつは俺の心を読んだな。まったく、今回だけはお咎めなしだ。

 そんな俺たちの言葉を待っていたかのように、阿久津は口を開いた。

「いえ。行くなら早くしたほうがいいです。また違う世界への扉に変わってしまいます。あるいはもうすでに……」

 ――刹那。甲高い音と共に、阿久津の顔が強制的に横を向く。

「縁起でもない事言わないでください! 真宮寺君なら大丈夫です。なんせ、ゴキブリ並みのしぶとさですから」

 褒められてるのか、けなされてるのか、分かんない言い方だな。

「すみません。では、いいのですね? 準備をしている暇はありませんよ?」

 叩かれた頬は赤くなっている。それでも、精悍な顔つきを崩さないところは、さすがに魔王をやっていただけはあるな、と感心した。

「当たり前だろ? 俺はいつでもオーケーさ! なぁみんな!」

「問題ないよ」

 昇は相変わらずだな。こいつに関しては、心配ない。

「あたしも行くからね! 拓夢だけじゃ頼りないし……」

「そうですね。私も行きます」

 さっきまで動揺を隠しきれていなかった二人が、調子を取り戻してくれたのは嬉しいんだが、俺主人公で部長だよ? もっと信用してくれても……。

「分かりました。では、あそこの土手と川の境目に注目してください。なんかモヤモヤしていませんか?」

 目を凝らす。本当だ。なんかモヤモヤして見える。蜃気楼や陽炎と呼ばれるやつに似ているな。

「見えるぞ。あそこが扉ってやつか?」

「はい。あの中に入ります。確証はありませんが、サイキッカーの皆さんなら、扉の中に入れるはずです」

「あの先に、大河がいるのね」

 愛歌の顔色は大分良くなったが、まだ何かにすがるような、そんな弱弱しさを、俺は感じていた。

「行ってみないと何とも……」

 阿久津も、さすがに愛歌の心中は察しているだろう。それでも冷たい事を言うのは、もし大河がいなかった場合を想定しているからだ。もしいると断言していなかったら、それは天国から地獄に落ちるのに等しい感覚。いや、実際に天国から地獄を体験したことないから分かんないんだけどね。

 だとしても、今の愛歌を考えると、おそらく耐え切れないだろう。東雲愛歌は、そんなガラスのハートの持ち主なのだ。

「とにかく、行くしかねぇだろ」

 俺は、一歩一歩地を噛みしめるように、その扉に近づいていく。四人も、俺の後を付いてきた。

 扉は近くで見ると、絵の具を水に落としたような感じだった。気を抜くと、引き込まれそうな感覚に陥りそうになる。

「これが扉です。この先は、何があるか僕にも分かりません」

「なら、最初は俺が行く!」

 俺は一歩出る。

「気を付けてください。あちらで何があるか――」

「安心しろ」

 阿久津の言葉を、俺は途中で遮った。

「俺主人公だって言ったろ? そんなの怖くもなんともないさ」

 実を言うと、足なんてもうブルブルです。

「レールってのはな、乗っているうちはいいけど、一度脱線すると元には戻りにくいんだ」

 一歩ずつ、BWの扉へと近づく。土手の土は、雨も降っていないのに少しぬかるんでいた。

「俺たちサイキッカーは、元々脱線した欠陥品。それでも前に進むには、新しいレールを敷かなくちゃならねぇ」

 目の前にモヤモヤとした空間がある。それはまるで陽炎のように揺らめき、俺に手招きをしているようだった。

「なら、その大仕事。俺が引き受ける!」

 俺は微笑みながら振り返った。

「ぐだぐだ言ってないで、とっとと行って来い!」

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 すさまじい蹴りで、重力を無視したように飛んでいく。あぁ、こういう時くらい、カッコつけたかったな……。

 みるみるうちに、眼前に水面が近づいてくる。ダイブまで、あと数センチというところで、反射的に目を閉じた。だが、いつまでたっても水の冷たさは感じない。その代わりに、地面に叩きつけられるような衝撃が、俺の顔を襲った。

 恐る恐る目を開ける。

 そこは、俺がさっきまでいた河川敷ではなかった。

まるで世界の腐敗後。

そんな景色が広がっていた。


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