大騒ぎな味わい
ちょうどお腹のあたりがほんわかと温かい感覚がする。
瞑っていたまぶたを開く。どうやらいつの間にか寝ていたようだ。腹部に感じた不思議なぬくもりに、布団をめくってみる。静かにまるまって寝ているココアがいた。
隣で、くぅ、くぅ、と小動物のような可愛らしい寝息をたてている。出会った時の凛とした表情とは別の無防備な寝顔。白い陽光に照らされた長い髪が、くしゃりとシーツの上に散らばっていた。
そういえばそうだった。眠気にぼやけた頭で昨日のことをぼんやりと思い浮かべた。
上のベッドから寝息が聞こえない。アルフはいないようだ。
元気のよい陽光がカーテン越しに部屋を照らしている。人の声が混じった賑わいのある音もかすかに聞こえる。どうやら、太陽が高く昇っている時間らしい。緊張したせいで長起きをして眠れなかったのか、昨日が酷く疲れた日だったからなのだろうか。どちらにしても、寝過ぎなような気がした。
このままでは惰眠をむさぼる羽目になることが目に見えている。小さく気合を入れて布団から出ようとする。
ふいに、左袖が引っ張られるような感触がした。違和感の先を見てみると、ココアが小さな手でちょこんと握りながら眠っていた。ほどこうとするも、きゅっと握ったまま離さない。
これはどうするべきだろう。きっと初めての場所で心労もあっただろうし、起こすのも悪い気がする。どうにか刺激を与えないでこの事態を抜けだせないだろうか。思案を巡らしていると、ココアの瞳がゆっくりと開いてきた。
「……おはよう、ございます」
「ああ、おはようだね」
うつらとした真紅の瞳。ぼぅっとしている仕草に、思わず微笑みたくなった。
突然に乱暴な音をたててドアが開いた!
「おはよ~~ございま~すッッ!!」
「どっ、どうした、フラン」
フランが元気よく突入しやがった。今日はポニーテールにしている。亜麻色のセミロングの髪を少し高い位置で留めて、くしゅくしゅと毛先を流してある。
「アルフレイドさんから、新しいオトモダチが来たって聞いてやってきました! ついでに、休みだから遊びの誘いに来ました!」
今日は平日ではあるが、自分たちの学年は休みになっている。教師達は下級生の試験の準備で忙しいので、手に入れた武器で課外実習前の個人自習と言う名の春休み状態だ。
フランがポケットから丁寧に折りたたまれた紙を一枚取り出す。見せつけるように突き出してきた。
「なんとっ! 境界師の国、リーニュリネアのゼリー職人がやって来ました! あの国のゼリーはちゅるりんとして素晴らしいと評判です!」
珍しいところから店が来たものだ。境界師の国からの産物は、ときどきに前世と似ているものが流れてくる。例えばゼリーも そうだった。
ちなみに、帝国のゼリーはゼラチンが堅くて固形物のような食感だ。フランのちゅるりんとは、ジュレのような とろける食感なのかもしれない。
まだちょっと眠気が残る頭で、フランにゼリーの相槌を打つ。
「それは美味しそうだね」
「はい! それで、みんなで一緒に行きませんか?」
たしかに興味はある。でも、ちょうどに予定は埋まっていた。
「ごめんね。明後日の露天市のために売り物を作らないといけないんだ。今日は追い込みどきって感じかな」
「それなら残念です。じゃあ、ココアちゃんもダメですか?」
「それはだいじょうぶだよ。外を知るいい機会だろうし、むしろ見せてもらえると助かるかな」
「そうなの!? やったねっ! ココアちゃん、よろしく!」
フランのハイテンションに怯みながらココアがこくこくと相槌を打っている。フランは甘味のことになると目の色が変わるから怖いよね。
◇◇◇
威勢の良い声が少しずつ響き渡ってきた。学寮に近いなじみの露天商通りが見えてくる。カラフルな樹脂プラスチックの棒を柱にして、きめの粗い菜油製ポリエステルの布地で屋根が作られている簡易な露店。どちらかというと、模擬店と云うよりも、前世で見たお祭りの屋台のようなイメージが湧いてくる。
今日はぬいぐるみ人形を作るための棉や布を買いに来た。相変わらずに目の回るような人混みが、ひっきりになしに歩きまわっている。
「今日は、はぐれないようにな」
両肩ずつに乗った二体へ声をかける。具体的にはポプラ中心にだけれども。
ナズナも前回のポプラのことを思い出したように、ポプラを軽くむっと睨みながら頷いた。
『活気にまぎれて逃げないで下さいね』
『えー。アレは誘拐されてたんだし。そんなの注意されても』
そうだったのか。いつの間にかいなくなってフラリと帰って来たものだから、遊んでいたとばかりに思ってた。
「じゃあ、何日もいなかったけれども何をしてたんだよ?」
『私を盗んだバカへ仕返し』
実は気付かない間にポプラは子どもに盗まれていたらしい。核の宝石に魔力を貯めておいたので、自律起動できたがタダでは帰らなかった。
ポプラは普段はしゃべらない普通の人形のふりをして、夜中は盗んだ子どもの親の寝室へ忍び込み、毎晩も枕元で恨めしそうに『帰りたい』と泣いてやったらしい。ついでに、糸で縛って正しい意味での金縛りも体験させてたとか。そうして適当な恐怖を与えていたけれども、途中で飽きたので颯爽と帰ったらしい。
なんだか、消え去った呪いの人形として代々に語り継がれそうだ。盗んだ子どもは、えらく親に怒られたんだろうな。逆に可哀そうになってきた。
「お前、相手が悪役だと容赦しないよな」
『正義のミカタってやつだネ』
「ポプラの辞書だと、正義と書いて自我って読ませそうだ」
『なるほど。ポプラはそうかもしれませんね。では、言葉が欠陥している辞書は、買い変えるべきだと進言します』
さりげにナズナが、ポプラの全人格を否定した。ポプラは怒るかと思ったけれども、挑発的な笑みでナズナへ返した。
『へえ。じゃあ、ナズナの辞書も一緒に買い直そうネ。生真面目って書いておせっかいと読ませるし』
『私の妹として情けないですね。その読み方は誤りです。正しく辞書すら使えないほどに残念な頭なのですか?』
『人形なのにソレを言うの? ワタが入っている軽い頭の人形に言われたくないし。ヤッパリ、頭の中身も軽いんだネ』
『おや、比喩を本気で受け取るとは。頭が軽いのはポプラの方ですね。ちなみに、これも比喩ですよ』
『改善スル心意気を持ってなさそうだネ。マッタク、自分の間違えを認めナイ愚かな姉を持つナンテ、誰かサンはとっても可哀そうだなァ』
『それについては同感です。自らの過ちに目をそむけて、自身が戯言を吐いている事にすら気がつかない道化の誰かさんは、とても可哀そうですよね』
お前ら、頭を挟んで言い合うなよ。のんびりと買い物ができないじゃないか。
◇◇◇
「やってしまった……」
頭越しで言い合われ続けてイライラした衝動買いが原因だったかもしれない。
大量に買った菜油性ポリエステルと木綿の混合布。新素材のサンプルとして安価で売られていたのが悪いんだと言い訳を考えてみる。
ポリエステルの高い繊維強度と、木綿の心地よい肌触りを生かした素敵な布地。深く考えずに散財してしまった。
「そうだ、ココアの服なんだよ。つぎはぎの奴隷服は可哀そうだ。そのために買ったんだよな」
『うわー。ウソくさいネ』
『何着作る気ですか?』
原因を作った人形達の声なんて聞こえない。
漫然と手に取った紺色の布を広げて考える。しとやかな色合いで、見る角度を変えてみると微妙に濃い色彩で大きな花びらが描いてあった。この柄を生かすにはと考えるとワンピースが思い浮かんできた。
明後日に売りに出す人形も作らないといけないけれども、一番に時間がかかるところはできている。なら、気分に任せて服を作るのもありかもしれない。ココアが喜んでくれたら嬉しいかなと 心づもりもあるけれども。
さらさらとチャコペンで末広がりの袖になるよう印をつける。あとで袖にお守りの呪言を描くスペースを広げたいからだ。どうせ描くなら、スカートのすそにも付けてデザインみたいにしようかな。
布を切り取って無心に縫い合わせる。こうして縫っているとストレス解消の効果もありそうに思えてきた。
縫った服を拡げてみると、色彩が落ち着きすぎて寂しい気がした。何か明るい色を差しておきたい。オレンジ色のケープを羽織らせれば顔色が明るくなっていいかもしれない。それに、腰を留めるのに大きな純白のリボンを背中に蝶々結びで咲かせてみるのも可愛い気がしてきた。
テーブルの上にナズナが立って、一緒に服を見渡す。
『服へ刻印を縫い付けないのですね。あの時に断ったので、服に刺繍を縫うつもりだと思っていました』
「服にはね」
奴隷は外から見える位置で刻印を持っていないといけない。ココアを買い取ったときに商人がサービスで焼印を付けると言ったけれども、高温で炙られた印鑑を見て可哀そうだと断ってしまった。
ただ、刻印は学生証や自動車免許証のように身分証明証の代わりになる。刻印はなんとなく嫌だけれども、持っていなくて困るのはココアだ。葛藤の結果、取り外しができるような刻印にしたいと思った。それなら、手持ちのブローチに刻印を描いて、ケープを前に留めて完成型にしようかな。
ひと息つくとドアが乱暴に開いた音がした。
アルフだろうか。呆れながらドアの方へ振り返ってみると、顔面蒼白のフランがいた。
「大変ですっ! どうしましょう!」
ココアがフランに抱えられてぐったりとしていた。熱に火照った真っ赤な頬で、息苦しそうに唸っていた。
◇◇◇
「へぇ。だから今もひっついてるのか」
アルフが納得しながら ご飯をスプーンでかきこんで食べている。
いまのココアはフランから貰ったリボンで、しなやかに長い髪をツーサイドアップで可憐にまとめている。熱による汗で不衛生だった奴隷服も、さっき作り終わった服へ着替えてもらった。
プリンセスラインの ふんわりした紺色のワンピース。少し高めな腰の位置から裾広がりにやわらかく膨らませている。ウエディングドレスによくあるデザインで、清廉さと愛らしさをただよわせている。でも、着せてみてケープは失敗したと思ったのは内緒だ。どことなく子どもっぽい鳩胸に見えてきたから……。
アルフに相槌を打ちながら、ココアの取り皿へおかずを盛り付けてあげる。
「そういうこと。それにしても、倒れるまで付き合わなくても良かったのに」
ココアが ふるふると首を横に振った。
調子が戻ってきてから話をしたけれども、離れてから体調が少しずつ悪くなったらしい。もしかしたら慢性疾患なのだろうか。そう考えると、あの奴隷商人は随分な奴隷を売ってきたものだ。
ちょっと待った。もしも治せないタイプの病気なら、一緒に寝るのは毎日じゃないといけないのか。でも、何日か寝てみて試せば、いや、そもそも試せるものだろうか。ちょっと離れただけであれならば、試すことすら危険すぎるのではないか。
悶々と考えても解決策が見えてこない。そういえば、無理をしてフランと遊んだココアの心には問題があるかもしれない。
幼いときからあの館にいたらしい。奴隷として精神を育てられていたから、自尊心が育つ前に根元から自意識を折られてしまったのだろう。病気については一緒にいればいいけれども、心についてはどうすればいいんだろうか。
思案をしていると、アルフが遮るように声をかけてきた。
「コレはやっぱり旨いな。何て料理だっけ?」
「コロッケだよ。そういえば前にも作ったよな」
「そうそう、ヘンテコな発音だった。旨かったから覚えてる」
ヘンテコはともかく、そう言ってくれると嬉しいものだ。それにしても、アルフと組んでからいつの間にか料理担当になってしまっていた。
アルフに台所を任せると、同じ料理が三食なんて平気でやってくる。しかもそれが丼なら単調な味が連日なので本当にまいった。本人は旨いなら連続でも飽きないらしい。だから、料理は人形を操る併行作業の練習になるという建前で台所を死守した今の状態となった。
アルフはひょいとコロッケをぱくつきながら首をひねった。
「にしても、前より量が少なくないか?」
「人数の関係上で少し小さめに作ってる」
アルフがココアを眇め見た。トゲトゲしい雰囲気を感じたので、自分のコロッケをひとつ アルフの皿へ追加してやる。
「受け取れ、アルフ」
「いや、貰っても……いいのか?」
「もちろん」
「ふぅん。お前って、けっこう優しいよな」
優しいとは少し違うかもしれない。いわば自衛のための優しさで、これは本当の優しさじゃないと思う。闘争が嫌だから、この程度の我慢ならとやってあげているにすぎない。
アルフは増えたコロッケをフォークで刺して、こっちに突き出してきた。
「しょうがねぇな。お前の分が減ったからオレの分を ひとつ分けてやる」
「いや、アルフのだってば」
「遠慮すんなよ。ほら、あーん」
「別にさ」
「食べてもいいんだぞ」
「あのさぁ」
「むしろ、食え」
話が進まなくて面倒くさくなってきた。仕方なく、突き出されたコロッケを食べる。
「よし食った。なぁ、旨いか?」
サクサクする香ばしい歯触りに、ほくほくしたイモの舌ざわり。あめ色の玉ねぎの ほのかな甘みをピリリと香る胡椒が引き立てている。シンプルな材料で出来ているにもかかわらず、だからこそ洗練され尽くした深みのある味わいだ。飽きの来ない素朴な美味しさに、アルフじゃないけれども、もうひとつ食べたくなってきた。
「美味しいな」
「そりゃよかった。オレの素敵な親友が作った料理を誉めてもらえると嬉しいぜ」
「その親友は、ずいぶんと想われているんだな。光栄な気分でございますってね」
「オレが言うんだから間違いなくいい奴さ。けっこう情にもろいところが玉にキズだけどな」
「アルフには言われたくないと思う」
「そうトゲトゲすんなよ。そいつは料理は独特だけれども旨いものを作ってくれるし、裁縫も得意だし、一見するとストイックで大人びている性格だけれども、人形を作ったりしてけっこう可愛いところがあるんだぜ」
そう思われていたのか。それにしても、ストイックに思われていたのは意外だった。前世と複合した経験による見識の広さで、他人からはそう見えるのかもしれない。内心では迷ってばかりで、全然に大人びていないような気がするけれども。
アルフが付け足すように誉めつづける。
「だから、家事全般は何でもできるだろ。嫁にするならサイコーだな」
「そろそろ性別を把握しろよッ! 何年の付き合いだよッ!」
冗談で言っているん…だよな……?