困惑の契約
薄暗い通路を抜けた先には、真っ赤な夕陽が出迎えた。ちょうど紅に染まり始めた頃だろうか。すがすがしい淡い青色の空が、まどろみのような赤に色づいている。夕焼けに照らされた雲が薄紅色に染まってぽかぽかと浮いていた。
ユーリが外の光を見て、嬉しそうに駆け出ていった。ユーリの後に続くように、長く伸びた影を踏んで迷路を出る。久方ぶりに見た外の風景に、安堵の息を長く吐いた。
「やったぁッッ! やりましたよッ!」
「あぁ、ほんとうにね。すっごい気が楽になった」
ふわりと あたたかみのある風が頬を撫でた。淡い光が重なり合う幻想的な光景に、そよ風も美しい茜色に染まっているような心地よさだった。
振り向いたユーリと顔を見合うと、喜びに顔をくしゃくしゃに崩していた。ハイタッチをして生還を喜び合う。よく見ると、ちょっとだけユーリの瞳が濡れていた。
『お疲れさまでした。無事に帰還できたようですね』
『んー。ホントにネ。外法魔法を見たトキは、ヒヤってしたし』
「二人ともありがと。おかげで、なんとか切り抜けられたよ」
しんがりを守るように両隣に歩いていた人形達。二人の表情が見えるように屈んで、二体の人形を撫でてやる。
ナズナは嬉しそうに柔らげにほほ笑んでくれた。でも、ポプラはつんとそっぽを向いた。撫でられた表情が見えない。
『ヤメテよ。手が邪魔だ』
「あっ、そう。でも、撫でたいから撫でるからな」
『……む』
拗ねたようなじっとりとした上目づかいで見上げられた。ポプラは撫でる手を払わずに、ゆっくりと瞳を瞑る。そのまま撫でる手に身を任せて静かに撫でられていた。
「これは驚いた。最後まで逃げきれた人は、今年では初めてですね」
突然の声に驚いた。アルフが怪我をした時の商人がゆるりとたたずんでいた。
「ひとまず、男色の館の突破を おめでとうございます。完走では金貨が五枚ですが、規定した時間内に抜けることができたので二十枚ずつになりますね」
商人が丁重に重たげな布袋を二つ懐から取り出した。執着のないようにすんなりと渡そうとする大金に少しだけ違和感をもった。不思議に思いながら受け取ろうとすると、商人の額に脂汗が浮いているのに気がついた。そういえば、館の要である大男を正面から倒したのだから、怖気づいているのかもしれない。力があると認められたみたいでちょっとだけ嬉しかった。
袋の中身をユーリと確認をする。お互いの袋には、ちゃんと二十枚ずつの金貨が入っていた。
思わずに頬がにんまりと緩みそうになる。神経をすり減らすように大変な時間だったけれども、こうして目の前に莫大な報酬がある。どうにも、気を抜いていると有頂天になって小踊りしそうになる。
でも、このお金は無駄遣いしてはいけない。奴隷の子と暮らすことになれば、生活費は単純計算で二倍になるのだ。ご飯を食べたりする生活費にお金が必要なのだから無暗には使えないだろう。
ユーリや人形達と喜び合っていると、誰かの足音が背後から聞こえてきた。振り返ってみると、死にそうな顔のアルフが、よろよろと歩いてきていた。
「え――っ。うわっ、アルフレイドさん! どうしたんですかっ!」
「ちょっと、疲れてな……」
「なあ、アルフ。裏で何があったんだよ」
アルフの境遇を想像してみる。商人にとってみれば、金貨を獲得されるなんて滅多にある出来事ではなさそうだった。もしかしたら、金貨を獲得した報復にアルフに何か酷いことをしたのではないだろうか。
不安げにアルフの顔色をうかがう。すると、心配するなと軽く微笑をしながら、青白い顔色で疲れたようにぽつりとしゃべった。
「治癒術師も、その気があるとは恐れ入った……」
行くも休むも両方とも地獄だった。
「すっっげぇ大変だったんだぞ! まぁ、銀貨二枚をわいろで渡して無理矢理に切り抜けたけれどもな」
災難に遭ったんだなとユーリと一緒にアルフを同情して頷いた。
すると、ポプラがポンと膝を打って思いついたように跳ねた。急に右の肩口へ乗ってくる。肩の上に乗ったポプラと視線が合うと、イジワルそうにニタリと笑いながら話しかけられた。
『ねぇねぇっ! ココまで来るのに大変だったよネ!』
本当に大変だった。騙されて、外法魔法強化された強盗団の大男と命懸けで戦わされたのだ。お金をもらえたのだから一件落着で済んだけれども、結局は騙されて命を無理矢理に賭けさせられていた事には変わりがない。
それに、よく考えてみたらこの金貨だって、今回の口止め料のつもりで渡されている側面だってある。なんだか少しだけムカムカしてきた。
「まあ、大変だったよな」
相槌を打つと、うんうんと満足げに頷かれた。ポプラの鋭い視線がアルフへ向けられる。
『トコロデ、治癒術師は一人ダケだった?』
「そうだぞ人形。どうかしたか?」
『中でスタッフが気絶してた気がする。知らせてやるのが人情ってヤツだよネ』
ほくそ笑んだ声色で人形に人情を問われた。もちろん、善意じゃなくて、悪く揶揄した意味での 文字通りな人情ってことだ。
ポプラと顔を見合わせる。小悪魔のような無邪気な笑みだった。もしかしたら、自分も同じような表情をしているかもしれない。
◇◇◇
相変わらずに独特な居心地の悪さに息が詰まりそうになる。もちろん、国営奴隷商にいるのだから、なんとなく前世のせいで罪悪感が湧きあがってくるせいもある。
「金塊を正確に査定した結果、金貨六十三枚相当と鑑定しました。これだけの大きな金塊ですので、査定料をとらせていただきます。銀貨四枚分を差し引かせていただきますね。はい、どうやら追加の金貨も手に入れたようですので、ここに印を押せば貴方のモノです」
木製の正式な印鑑を押す。久しぶりに この印鑑を使ったかもしれない。だから、少し手が震えてきたのは、きっと緊張じゃなくて使い慣れてないからだと思う。やけに乾いた喉が生唾を飲み込んだのも、緊張じゃなくて部屋が乾燥していて唾を飲んだ感覚が鮮明なだけなんだと思う。
あっ――、判子が掠れた……。
くすりと小さく笑われながら、同じ誓約書をまた出された。ミスが起こっても万全なよう事前に用意されていたらしい。ちょっとだけ恥ずかしいと思いながら、呼吸を整えて判子を押す。今度は上手にできた。
「契約完了でございます。では、以前と同じ部屋です。ご案内いたしましょう」
応接室から出ると詰まっていた息が楽になった。相変わらずに心臓が音を立てて跳ねているけれども、さっきよりも緊張が解けたようだ。喉元をすぎたら なんとやらというやつかもしれない。
階段を降りて、寂しげに ぽつりと存在しているドアが見えた。商人がドアを開けると、冷えた空気が顔に触れた。不衛生そうなカビの臭いに、窓のない真っ暗な室内。
その中心に、ちょこんと横たわっている少女がいた。
一歩と前に歩みを進めようとすると、部屋が急に明るくなった。
すると少女を中心として暗い影が動きまわり、光に溶けるようにぼんやりと消えてしまった。
「驚きましたか。暗闇の魔法陣ですよ」
暗闇を媒体にした魔法だろうか。この部屋を真っ暗にしていたのは、別に意地悪でやっていた訳ではないらしい。
事務的にきびきびと商人が少女へ近寄った。
「立ちなさい。貴方は買われましたよ」
「……はい」
少女がゆっくりと立ち上がろうとする。ふわりとした足取りで、べたりと転びそうになった。商人が咄嗟に腕を掴んで助けた。
商人が呆れたように眉をひそめた。無頓着な態度で こちらへ少女を引っ張るように歩かせる。目の前にきたときに、にっこりとした表情で少女の手を慇懃に手渡した。
「熱のせいでふらつくようですが、たしかにお渡ししましたからね」
ふらつく足取りを抱きとめる。暗がりであの時は分からなかったけれども、思っていたよりも小さな矮躯だった。こちらを見上げた熱に染まった表情は、無表情な硬い水晶を連想させる。静かな月光を思わせる白銀色の長い髪がさらりと揺れた。深淵のルビーのように透き通った赤色の瞳。どこかぼぅっとしている視線が交わった。
熱をおびて紅潮した顔で、ふぅ、ふぅと熱い息をしている。足つきが危なっかしかったので抱きしめるように肩を貸す。転ばないように腰へ手をまわして抱きしめた小さな体の触感は、どことなく無機質に感じられた。