定められた恋路
転送の光のゆらめきが、完全に消え去った。
ふう、と深く息を吐くと、軽い目眩がしてきた。傷だらけで、疲労困憊な身体に鞭を打って戦ってきた。その疲れが、気が抜けた途端に一気に出てきたみたいだ。
ココが心配そうに僕の顔を窺ってくる。
「あの……、だいじょうぶ?」
「ああ、なんとかね」
「うん。そう……」
ココが何かを言いよどんでいるように俯く。そして、ココの顔つきが真剣な表情が見上げてきた。
「……っ、ごめんなさいっ!」
「え……? なにが?」
「……勝手に、出ていったから……」
「そっか。まあ、いろいろあったからしょうがないよな」
「そうじゃなくてっ、あの、えっと……」
言いかけた言葉をココが苦く呑み込む。溢れている感情を必死に言葉にして整理しようとしているみたいだった。
「……聞かないの? 理由を……」
「それは聞かないと、ココは困るかい?」
「……分かんない」
「じゃあ別にいいよ。どうあれ、ココは頑張ろうとしていた。サクラを連れて行ったのは戦おうとしていたんだろ。戦おうって考えるくらいに悩んで、そうやって決めた覚悟があったんだよね」
戦うのは僕の役割で、本来のココは守られている立場なのだ。決して戦う必要がなかった立場なのに、戦うことを選んだのは 大きな決心がともなっていたのだろう。
「だから、謝る必要もないよ。びっくりはしたけれども、それがココ自身のためだったなら、俺はなんでも受け入れるから」
ココの瞳がじわっと赤みを帯びて濡れはじめた。
「やだ……っ!」
あれ、僕は変なことを言ったのか!? 目の前で泣かれそうになって脳が状況を把握できなくて混乱する。
「えっと。悪かった。ココの気持ちを決めつけるような言い方をしたのかな、ごめん」
「そうじゃなくて……っ! 優しすぎて、なんだか分かんなくなって……っ! うぅ……っ、ひっく……っ、ひぅっ……」
涙でむせながらココが話し続ける。
「怒ってくれた方が、楽だった……っ。ぜんぶ、大丈夫って、言われたらっ。私が悪いのに、ごめんなさいが駄目になる……っ!」
そういうことだったのか。僕はやっとココの意図に気がつけた。
ココは自身の無力さを後悔し、自身の存在を許せなくなった。だからこそココが依存している僕に怒られるという罰によって、懺悔をしたかったのだ。
「ココ、何を謝っているんだ。ココがいたから、俺は頑張ってこれたんだよ」
僕がココから聞きたいのは謝罪の言葉じゃない。ココの潤んだ瞳を見つめながら否定をした。
ココが心苦しさを嗚咽と共に吐き出す。
「……でもぉっ!」
ひっくり、ひっくり、とココが泣きじゃくる。痙攣した喉では「でも」を うまく言えなかった。
「……でもぉ、でもっ……っ!」
ココが切々と訴える。涙と共に感情を呑み込もうと苦心するが、肩をひく、ひく、と引きつらせた。不服そうに固く結ばれた唇が かすかに震えている。
「――ったく。しょうがない奴だ」
僕は両腕をココの背中にまわしてあやすように抱き寄せた。
涙でシャツが濡れる感触がした。ココが拒否をするように身じろぎする。でも、本当に嫌がっているような力の込めた身じろぎじゃなかった。僕はしっかりとココの身体を抱き寄せる。
ゆっくりとココを撫でる。いつも寝る前に そっと丁寧に撫でるのと同じように、柔らかに撫でていく。夜のあたたかさを思い出したのか、撫でるたびに、涙で震えていた肩が落ち着いてきた。
「ココ、僕はね」
言ってしまった方がいいだろうか。鼓動が激しく乱れ、僕の迷った気持ちも激しく揺れる。
ココが勝手に出ていったことが良いことなのか悪いことなのかは、分からない。でも、良い、悪い、を越えたものが僕の心の中には 確かに存在していた。
たとえココが悪かったとしても、僕は――。
「どんなことがあっても、僕はココの事が、大好きなんだよ」
ちょっとだけ緊張でうわずりそうになりながら、僕はココに気持ちを伝える。
「愛してる。ココがいたから、僕は未来のために生きようってアルフに誓えたんだ。欲しいのは思い出じゃなくて未来なんだって、ココのおかげで改めて分かったんだ。ありがとうな、僕と出会ってくれて。そして、一緒に生きてくれて」
この言葉は、ずっと前から僕の心の中にあった。たった数秒で言い切れてしまう言葉だけれども、この言葉をココへ伝えるには、たくさんの時間が かかった。
ココと出会ってひと目ぼれした瞬間から始まった 僕の世界の物語。迷路館を戦い抜いて、ココを引き取って、ココを守りながら模擬戦争をくぐりぬけ、その時にお互いの気持ちを言い合って絆を深めて、課外実習のテントで一緒にトランプをして、ドラゴンの村では監禁されて、そしてドラゴンを倒し帝国兵から逃げのびて、実家に帰って僕の正体が分かって、僕が 僕自身で在ることが分からなくなって――。
こうやって僕はずっと頑張ってきたし、それと同じくらいずっと悩んできた。たくさんの出来事を乗り越えて、そのうえでやっぱり僕はココが大好きだったことに気がつけたからこそ発せられた 大きな意味のある言葉なんだ。
僕の胸に顔をうずめていたココが、顔をあげた。
「……ほんと?」
「本当だよ」
不安げに尋ねてきた愛おしいココを、愛情を込めて撫でながら言う。
ココの瞳には大粒の涙が浮かんできた。さっとココが僕の胸に顔を押しつけてきた。溢れ出る感情を隠すように、ぐりぐりと頭を押しつけながら、ぎゅぅっと強く抱きついてくる。
「さっき、愛してるって、言ってくれた……。すごく、嬉しい」
俯きながら発せられたその声は、安堵と照れが隠れ見えた。
「だって……愛されてるか、分からなかった……っ! 力もないし、魔法も使えなくて……。私にはっ、何も、返せるものがなくて……っ!」
館から世間へ出たばかりのココは、知識もなく、特技もなく、魔法すら使えなかった。自身と向き合うほど、誇れるものが なにひとつないことが明確になっていくだけだった。
「だから、ぜんぶが嫌になった……。生きていくのも、嫌になってた……!」
奴隷としての教育が基盤となって造られた過剰な自虐の心により、ココは生きていく喜びを見い出せなくなっていった。自分自身の存在を許容することができなくなっていった。
「だから、巻き込みたく、なかったっっ! 私だけの、ココア・ルルリスである私達だけの問題なのにっ、これ以上に迷惑をかけるのが嫌だった!」
ココの言葉を、僕はうんうんと聞いていく。どんなココの感情だったとしても、一緒に抱擁しているように優しく抱きしめながら、ココの言葉を待っていく。
ココの本音の ひと言ひと言に詰まっている 健気さが愛おしいと感じられた。僕はココのことがもっと好きになっていく。
始まりは歪だったと思う。なにせ、奴隷と、引き取った主人という関係だ。なのに、いつの間にか僕の方がココの世話をしていて、逆の立場になっていった。
自分で言うのも変だけど、まるで貢いでばかりのダメ男のような呆れた関係に見えると思う。
でも、それでも僕は良いかもしれないと思えた。ココを愛おしく思うたびに高鳴る鼓動が、正しさを証明しているのだから。
だから――。
「そこまで言うなら、勝手に出ていった奴隷におしおきしないといけない。ココ、結婚ゴッコをやめよう」
ココが青褪めた。すがるように悲鳴の混じった声で抗弁してくる。
「嫌です! だって……、だって……っ!」
「僕はココの事が、大好きなんだ。だから――」
そう。だからこそ 結婚ゴッコはやめなければいけない。
――次は新しい未来のために。
「だからさ、恋人になろう」
ドキドキと鼓動の音がうるさく鳴る。ずっと秘めていた感情をとうとう告白した。
僕は、じっとココの言葉を待つ。
ココが瞳を大きく見開いて固まった。時間が沈黙する。
パチリと耳元で小さな音がした。雪のように煌めいた魔力が結晶となって、小さな白い花火になった音だった。
ココの顔がだんだんと朱におびてきた。耳先まで真っ赤になって、頭から蒸気が出ている幻覚が見えてきそうなほどに、ぽっ となっていった。
ココは何かを言おうと口をパクパクと開きかけながら、言葉にできない感情に戸惑っている。
「えっと、あの。その……」
僕はココの口から答えが出るのを待ち続ける。
たぶん、答えは分かりきっている。むしろ、今まで結婚ゴッコ以上のことをできていない状態の方が不自然だったんだと思う。だって、僕の存在の根源はココのためにあって、僕とココはお互いに知り合う前から 運命によって惹かれあっていたはずだから。
「わたし、奴隷ですよ」
「うん、知ってる」
「命令ですか?」
「さあ、どうだろう? ずっとそばにいて過ごしてきたでしょ。俺がどういう意味で言ったのか、全部言わなくても分かるよね」
はぐらかすように言うと、ココは恥ずかしそうに「うぅ」と小さくうめいた。
どうしてこういう言い回しをしたのか自分でも分からなかったけども、むぅとしているココを見て納得できた。どうやら僕はこんなココを見たかったらしい。
いつも大好きオーラを出しているイメージがあるココだけれども、意外と攻められるのには弱いみたいだ。もしかしていつもの奇行は、本当は恥ずかしがっている気持ちの裏返しだったのだろうか。愛に埋もれたいけれども、真面目に愛と向き合うには恥ずかしくて、ちょっとふざけて対応してしまうみたいな感じかもしれない。だから、正攻法でちゃんとした『大好き』を向けると、途端に恥ずかしさのあまりにしおらしくなってしまうのかもしれない。
愛らしく困っている表情に嗜虐的な心が甘く くすぐられていく。一生懸命に悩んでいるココがたまらなく愛おしく感じられた。同時にもっとココに愛をあげたくなってきた。
「わたし、背も高くないし、スタイルだって、その……」
「うん。知ってる」
「あまり、しゃべれなくて、楽しくないかも……」
「気にならない。そばにいるだけで、僕は幸せだから」
「何もできなくて、やってみても駄目で、全部だめなんですよ」
「それでも、大好きだから」
「だって、裁縫も下手で、料理も駄目で、むっ、むぐぅ――っ!」
僕はココの言い訳をキスで塞いだ。
数秒だけ重なりあった唇が あたたかな余韻を残す。
「俺の好きな人の悪口を言うな」
口づけをされたココが、もっと紅くなっていた。
「でも、むぎゅむむぅ――っ!」
これ以上不快なことを言うなと、もう一度 塞いだ。
唇を離される。ココが恍惚の吐息をはいた。
「でも、とか言うのもナシな」
「…………」
ココは何を思ったのか、小首をかしげて少しだけ考える。
期待に甘くとろけた瞳が、僕と見つめ合った。
「でもぉ……。ん、んぅ――」
甘い声で言われたので、またキスしてやった。わざと言ってきたんだろう。
名残惜しそうに唇が離される。
くりくりとした大きな瞳が、澄んだ視線を投げかけてくる。純粋な子供のような、無垢に澄んだ瞳。恥じらいを見せながら、小さな声でココが僕の愛の告白を答える。
「恋人。お願いします」
「ああ、よろしくな」
なんというか、前から好きあっていたのを分かっていたのに今さらだった。
こそばゆい気持ちを、お互いに笑い合う。そんなココの控えめな笑顔がたまらなく綺麗で、僕の鼓動を更にトクトクと早く動かした。
「あの……っ、その、ひとついい?」
遠慮気味な小さな声で、ココが恥ずかしそうに言った。
「キスして。今度は、ちゃんと」
いじらしくココが言ってきた。恥ずかしさで上気した顔が かわいらしい。
「キス、好きなんだ?」
「うん。前に、してたのと違う」
「前にって? ……どういうこと?」
もじもじと恥ずかしそうに、ココが囁く。
「寝てるとき。こっそりと」
「……そうか」
驚きはしたけれども、言われてみればなんとなく納得してしまえた。
ココの性格を考えれば、一回や二回はこっそりとやられていたかもしれない。
「それで、何度も毎日。朝起きる前にも、あと時々にお昼寝してたときも、それに、夜に寝たのを見てからも。ひとりで夜中に起きた時は、寂しくて、その時は、夜中はずっと……。気付かれないようにずっと、ずっと……」
「……………………」
僕の彼女はイロイロとダメな子だった。前から知ってたけれども。
それでもやっぱり可愛いって思う僕は重症なんだろうな。僕という存在はココのためにあるのだから、そう思うのように造られているのだろう。でも、その心を受け入れて、そのうえでココを愛おしく思う心というのは僕のオリジナルなんだと思う。僕が感情を受け入れるかどうかは僕自身が決めることができるわけで、そんな決断の選択の果てが人格というものなんだろう。きっかけはどうであれ、未来の選択肢は僕の人格によって決めるものなんだ。決して運命によって決められているものではない。
そっとココの輪郭に触れる。未来を選択した決意を込めるように、ココと口づけをする。
途端にココがカクリと腰を抜かした。僕はさっと抱きとめる。
「キスして、力が入らない。幸せ、すぎて……」
「大丈夫かよ」
腰の方に腕をまわしてココを支えようとする。
でも、身長差があるせいなのか、腰の抜けたココをうまく支えられない。
「背が高くて……届かない……」
「じゃあ、ちょっとだけ屈むか。これで、掴める?」
僕は少しだけかがんだ。すると、ココが 僕の肩に顔を乗っけるような形で抱きついてきた。
幸せそうにゆるんでいる顔が、僕のすぐ横にある。満足げに ほうずりしてきた。
不敵にココが本音を漏らす。
「立てないんじゃなくて……、これが目的……」
幸せそうにほにゃほにゃした声で言われた。心配させておいて、実はコレをやりたいだけだったのか。
「はあ……。騙されたか」
「……怒る?」
不安げに潤んだ瞳。こんな表情を見せられたら可愛過ぎて怒るに怒れないや。
ココの腰の後ろに回していた手を動かし、ココの頭をぽんぽんと優しく叱るように叩いてから、僕もココにほうずりをする。
ココがくすぐったい声をあげる。甘えるように鼻を小さく鳴らしたココの頭が、僕の胸へ 寄りかかるように逃げていった。
胸元で、えへへ と笑いながらぎゅっと抱きしめてくる。そして、すんすんと鼻を鳴らした。
「どうした、ココ?」
「大好きな匂いがして、ずっと会ってなかったから、落ち付く。はふぅ……」
「……そうか」
案の定といったところだった。キス騒動のあとだから、僕はもうあれ以上なにも驚かない、はず。いや、やっぱりそうはならないかも。こんな驚きの毎日が始まるのかな。
この先に続く未来は僕には分からない。でも、もしかしたらココと一緒にぎゅっとしながら過ごして、時々にココの奇行に振りまわされて、出会う前の おしとやかさはどこに行ったんだろうと懐かしさを思い出して笑い飛ばしていくような、そんな幸せを僕は勝ち取っている最中なのかもしれない。うん、そうだといいな。
半ば呆れたような結論を悟っていると、ココのワンピースのスカートの中から、割れた刻印ボタンがポロリと落ちてきた。その独特の形には見覚えがあった。
「……ココ、なんで俺のシャツのボタンが落ちるんだ?」
数秒の沈黙の後にココが答える。
「……出てく時。内着に、寒くて……」
嘘をついていると言わんばかりに、言葉じりが微妙に震えていた。
「そういえば、実家に帰った時からシャツが一枚足りなかったよな。本当に、借りたのは出ていく当日だったのか?」
むぅ、と悩んだココが観念した。
頬を染めて、もじもじと言い出す。
「……いつも、そばに包まれているみたいで、幸せだったから」
「…………」
「一回だけのつもりで。着てみたら、大好きで落ち着く匂いを全身に感じて。幸せで、きゅーってなって、そのまま、つい……」
恥ずかしがっているココを たまらなく可愛いすぎてしょうがないと思った僕は、ココよりも重症なのだろうか。
そんなことはおいといて、このシャツ騒動のおかげで、僕は助けられたのかもしれない。
催眠魔法は、自身の魔力によって眠気が誘発される。ココは魔力が常に枯渇しているので、催眠魔法の効果を受けにくい。しかし、枯渇しているだけであって、体内では微量には魔力が湧いているはずだ。それを、シャツのボタンに刻印されているお守りによって完全に催眠魔法を無効化することができたのだろう。
ココがいなかったら僕はアルフとの戦いに負けていたに違いない。つまり、ココの変態的な愛の力が僕達の勝利を導いたということだ。
なんだかもう、どう言えばいいんだろう。ココを怒るにも何とも言えずに黙ってしまった。あと、あまりに可愛かったから、頬がゆるんで怒れそうになかったし。
ちょっとだけ、体力が回復してきた。ふらふらだった体も、ちゃんと立てるようになってきた。出血も止まっている。僕とココが ぎゅっとくっついていたから、能力の副次効果なのかもしれない。
ふと、視線が降りると人形達と目があった。そういえば、いたよな。
『とりあえず、オメデト。ぱちぱちぱち~』
手が無いポプラに口で拍手を言われた。他の人形達もポプラに合わせるように祝辞を言ったり、まばらな拍手をしはじめた。
「とりあえずってなんだよ。まあ空気を読んでくれてありがとうは言っておく」
『邪魔しなかったトコロをモット誉めていいのにナ。アト、ソレを感謝するツモリなら、4人ダケじゃないヨ。ダカラ、とりあえず だし』
ポプラの言葉に勢いよく振り向くと、建物の蔭からユーリとフランの困っている顔が見えた。あと、二人の後ろには、なぜか魔法防護服を着た人達がたくさんいる。
なんてことだ! 見られているじゃないか!
「んぅ……、しあわせ……。はむはむ…………」
心の底から幸せにとろけきったココが、僕の鎖骨をくすぐったく甘噛みしてくる。
相変らずのマイペースさに思わず笑いそうになる。でも、そんなココを見ていると、今の状況ですら 楽しい思い出として語れる未来が 顔を覗かせているように見えた。




