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風歩きの長槍

 扉を開けたすぐ先には完全装備の大男。ユーリが戦々恐々と一歩引いていた。ユーリを庇うかのようにアルフが静かに一歩を踏みしめた。


「なるほど。本当に遠慮なく武器を使ってもいいんだな」


 飄々(ひょうひょう)とした表情でアルフは長柄の布を解く。中から現れたのは槍だった。コルセスカと呼ばれている槍で、両側に刃のような鉤爪が付いている。


 一方、相手は両手にメリケンサックを付けている。ナックル系の拳にはめてパンチを強化する武器は、リーチが短く武具の評価は低めである。しかし、通路であるからこそ今回はメリットが大きい。狭い通路での戦いは武器が壁に弾かれないように戦わないといけなく、大きな武器は使い物にならない。つまり、アルフのような槍は今回の戦いには向いていないのだ。


 相手は勝利を確信したような卑俗な笑みを浮かべている。しかし、アルフはどこ吹く風といったように、涼しい表情で怜悧な目線を送っていた。


「それじゃ、一番槍は頂いたぜ」


 アルフが静かな闘気をまとう。槍を男の胸のあたりに向けると、そよ風が周囲に流れた。見ているこちら側にも吹き抜けて頬を軽く撫でた。

 男とアルフが対立し、霏々(ひひ)とした静けさが積もっていく。互いに一歩ずつ様子を見ながら間合いをせめぎ合う。相手がナックルの間合いに詰めることができたなら、アルフは何をする間もなく圧倒的な連打を叩き込まれるだろう。


 見据えている互いの距離は、徐々に縮まっていく。肌がひりつくような緊張感。見ているだけでも、息を抑えつけられているような苦しさがこみ上げてきた。

 男が一歩踏み出す。瞬間に、裂帛した声を叩きつけるようにアルフが跳ねた。


「はぁ――ッッ!」


 旋転する突風が槍から解き放たれる。大気ごと貫くような轟音と共に、床を強く蹴り突進をする。

 槍先に集まる滔々としたエネルギー。風の魔力を逆巻くように唸らせて、槍先が大男の胸へ吸い込まれるように大きな金属音を打ち鳴らした。


「ぐぅ――ッ!」

「続けて喰らえ――ッッ!」


 槍に波濤の暴音が絡み合い、圧縮した爆風で切り上げた。

 男の鎧が弾ける剣戟と同時に真紅の火花が舞い跳ねた。大男がきりもみをしながら吹き飛んでいく。男の重そうな音が床に叩きつけられた。少し遅れて、余波を受けたアルフの足元の床も、きしんだ音を立てて歪んでしまった。

 さらに相手のヘルメットが甲高い音をたてて砕け、鉄の飛沫しぶきを撒き散らす。その破片はアルフのでたらめに暴れている風が襲いかかってきた。


「おぉっ! くぅぅ……っ!」


 鉄塊がアルフと錯綜する。にぶい音がアルフの肩口に命中した。

 苦悶に顔をゆがめたアルフがジャケットに手をかける。腕を庇うようにゆっくりと脱いだ。

 アルフの右腕は血濡れており、あらぬ方向へ曲がっていた。左足にも見ているだけで痛々しい大きな紫斑ができている。

 きっと相手のかぶっていたヘルメットが安くて脆かったのが原因だ。通路の壁によって乱れた風によって、破砕された鋭利な破片を全身で浴びてしまったのだ。


いっつぅ……。泣きたいくらい痛いんだが、どうすりゃいいんだよ……!」

「えっと、ちょっと! ど、どうしましょうか!?」

「ユーリ、落ち着いて。骨折なら、魔法で治すと癖ができるから駄目だろ。でも、脚の方ならとりあえず……」


 突然に真横から知らない誰かの手が伸びてきた。見知らぬ手の方向へ振り向くと、受付の商人だった。


「困りますねぇ。ここはまだ純粋に迷路を楽しんでもらう安全地帯ですのに……」


 唐突な商人の登場で呆気にとられていると、商人がアルフの腕や足を診察するように声をかけながら触りはじめた。


「基本的には館のボランティアスタッフは良い方たちですよ。ですが、時々にあのような方にも会えますから気をつけて下さいね。さて、ここは痛いですか?」


 アルフは紫斑に触れられるたびに、苦痛の声が漏らしている。念入りに触った商人は納得したように頷いた。


「あの方の責任は、こちらにもありますからね。治療は無料にしましょう。それと……」


 商人は懐から銀貨を取りだして配り始めた。全員の手元へ五枚ずつの銀貨を押し渡される。


「この方の完走ができなくなってしまいますからね。それの迷惑料です」

「えっ――! ちょっと待って下さいッ!」


 慌てて声を張り上げた。それでは困ってしまう。絶対に金貨を持ち帰らないといけないのだ。アルフの離脱に対して、銀貨これっぽっちでは割に合わない。思わぬ誤算だ。


「そう言われましても、規則ですからね。まさか、迷路をやり直しと言う訳にもいかないですから」


 明日までに金貨を稼ぐ方法は、これしかないのだ。食ってかかるように商人へ問い詰める。

 すると、視線を遮るようにアルフが手を差した。


「まあそこまで言うな。オレもお前の気持ちは分かるが、そこの商人を責めてやるなよ」


 アルフの目が、いつくしみのこもった柔和な表情になった。

 ――ただし、唇の端は吊り上げたように、満面にニタリと笑っていたけれども。


「アルフ、その口元はどうしたんだよ」

「そうか。バレたらしょうがないな」


 アルフがすっごく良い笑顔でサムズアップしてきた。


「オレは堂々と無理だから休ませてもらうぜ!」

「うわっ! 裏切り者が凄く近くにいたッッ!」

「はっはっは。助けたいのは山々だけど、怪我がアレだしなぁ~。いや、ホントわりぃなぁ~。すっげぇわりぃなぁ~。逆に嬉しいくらいわるくて こまっちゃうなぁ~」

「逆にじゃなくて、素直にだろうが!」


 商人の説得よりも先に、こっちを説得すべきだった。アルフの気持ちのいい笑顔に、ユーリは疑問附を頭に浮かべている。こっちもこっちで駄目な気がしてきた。

 諦めて深くため息を吐いたとき、アルフの笑いが冷えた含み笑いに変わった。アルフは商人へそっと言葉を渡した。


「なあ、商人さん。ここでしゃべってたから時間も経ちますよね。賞金四倍の制限時間を延ばしてあげたらどうでしょうか?」


 少しだけ商人は考えるように唸ったが、ひとつ返事で了承された。躊躇もなく二倍の制限時間に増やしたので、相槌として唸っただけかもしれない。制限時間を二倍に増やしての再出発になった。

 アルフは商人に抱えられながら、声高らかに保護されていった。ただただ茫然ぼうぜんと背中を見送る。


 どちらにしたところで、アルフがここから声高らかに逃げた事実には変わりは無い。軽蔑したいけれども、アルフの気持ちも分からない訳じゃない。それに、引き換えに制限時間を延ばしてくれたのだから、責めるにも怒れないような状態。どう心を整理すればいいのだろうか。何ともいたたまれない宙ぶらりんな気持ちになった。

 相変わらずに、ユーリは合点がいかないような表情をしている。


「アルフレイドさんは、金貨が欲しくないんでしょうかねぇ」

「金貨よりも大切なモノがなくなるような気がしたからだろ」


 ユーリに声をかけながら魔法陣を紡いでいく。アルフが先ほどの戦いで風を紡いでくれたおかげか、風の魔法が随分と構築しやすくなっていた。

 学生の中ではわりと魔法の扱いが上手な方だったりする。前世を持っているから、魔法の存在は飛びぬけて憧れだったからだ。他の人たちよりも、魔法の練習を楽しめていた成果かもしれない。

 虚の空間に魔力を編み込んでいると、ユーリがハッとしたように声を上げた。


「あの、館の名前ってシャレとかじゃ……」

「完走するだけで金貨をもらえる店が、シャレなんてオチだったならいいんだけれどもね」


 ユーリは目を丸くして、開いた口がふさがらないといったようにあんぐりとした。後悔に悶えるように、悔恨の声を漏らしている。どうやら、意味を分かっていなかったみたいだ。後悔に拳を震わせて、徐々に瞳の色が赤く湿しめってきた。


「案ずるよりも何とやらってやつかな。とりあえず――」


 紡いだ風の魔法を吹き抜けさせる。

 腕から魔力が漏出していき、体の芯が冷えていく感覚がしはじめた。言うならば、体の外へ血流を脈動させて、風に乗せているような感覚だろうか。

 紡いだ風が壁に行き止まる抵抗。広く吹き抜けた感覚。完全ではないけれども、迷路を抜ける最短距離をなんとなく把握できた。体の中心は冷えているのに、額に汗が浮かびはじめた。脳がじんわりと疲労していき独特の浮遊感に酔いそうになる。

 風で読みとった迷路の感覚を諄々にユーリへ伝えていく。精密に受け取れた感覚を全て伝え終わったので、風魔法を解呪する。頬につたった汗をジャケットの袖で拭うと、瞠目どうもくしたユーリと視線が合った。


「やっぱり、すごいですね」

「細かい風の動きならね」


 迷路のような密室だからできた小技だ。

 けれども、簡易に物理を触っていたなら、地球の人なら思いつきそうな気がしないでもない。このような行動で驚かれるのは、この世界は魔法が発達し過ぎているのが原因みたいだ。例えば摩擦で熱が起こったとしても、ならば冷える魔法を研究しようなど何でも魔法に頼り過ぎるようだ。この手のモノを考える概念そのものが無いのかもしれない。


「もっとも、風魔法の全般に関してはアルフには及ばないけどな」

「そういう工夫ができるから凄いんですよ。素直に憧れちゃいます」

「ちゃんと抜けられてから誉めてよ。さあ、行こうか」




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