故人への告解
食堂を探しまわったけれども、ココアが見つからなかった。
闇雲に探しても見つからない。好きな料理を分かっていれば、そのテーブルを中心に探すなどの選択肢が出てくる。でも、思い返すと好みも知らないような気がしてきた。ずっとそばにいたのに、案外と知らないことも多いなと痛感する。
夢中で探していたせいか、食堂の人混みと熱気で酔いそうになった。
食堂から出ていき、開いている窓から星空を眺めた。涼しい風に浸っていると、隣に男がやってきた。
典雅な白色のローブ。流れるような淡い紫色のサイドラインなデザインだ。うすい水色の髪には、年齢を感じさせる白髪がいくつか混じっている。腰には細めのベルトを二重に巻いて、ベルトのホールは大きい穴が空いている。それぞれの穴には複数の小物入れが吊り下げていた。
おじさんという言葉が似合いそうな丸顔の男が親しげに話しかけてきた。
「お悩みのようですね」
「……どなたですか?」
「覚えていないですか。人形を買いましたよ」
よく見てみると、吊り下げられた小物入れは重たく揺れていた。圧縮魔法が封入されている高級な小物入れかもしれない。男が小物入れをひと叩きすると、中からぬいぐるみ人形と、おそろいの花の髪飾りが出てきた。
思い出した。ココアと一緒に露天市を開いた日。いちばん最初にぬいぐるみ人形を買ってくれた商人らしき人だ。たしか、帝国から帰るお土産だったので、陶器よりも丈夫さがあるぬいぐるみ人形を選んであげた。花の髪飾りを一緒に買って値引きをした記憶がある。
愛嬌のある丸顔がころりとした笑顔になった。
「思い出したみたいですね。初めましてでいいでしょうかね、ポステリーと申します」
ポステリーさんが一礼をする。立っていたので軽くではあるが、その動作ひとつずつが実にスムーズで、手慣れている商人であることが直感できた。
そういえば、聞いたことがある名前だった。たしか、フランが櫛を勧めた時に教えられた商人の名前だったはず。
「いつもそばにいる子はいないですね。ずっと探していたようですがはぐれましたか?」
「はぐれたと言うよりも、会えていないって感じでしょうか」
「奇妙な言い回しをしますね。あなたが良ければ愚痴でも聞きますよ」
話せば見つかるだろうかと気分が弱っていたかもしれない。疲れて気が緩んでいたかもしれない。フランから事前に名前を聞いていて、かつ人形を売る時に会っていたから親近感が後押ししたのかもしれない。少しずつ今日に会ったことをポステリーさんに話し始めていた。
ポステリーさんは次第に漏れだしていく言葉に頷きながら最後まで聞いてくれた。聞き終わると、重たげな口を開いた。
「あなたはとても彼女のことを大切に想っているのですね」
「…………」
「ですが、気を使っていることを彼女は知っているでしょうか」
「どういう意味ですか?」
ポステリーさんが凛とした顔つきになった。
「遠ざける事と誰かを守ることは類似しています。それをあなたは知らないうちに間違えていたのかもしれないですね。何も言われないで、ただ守られている方は精神的にキツイものがあるんですよ。はたから見れば贅沢な悩みだと思ってはいけません。彼女がどのような悩みだったとしても、思いつめるほどに悩んでいたならば、手を差し伸べてあげることもあなたの役割ですよ。悩みに大きいも小さいもありません。それでも大小にこだわるのなら、本人が本気で悩んでいるものは、大きな悩みではないでしょうか」
「でも、それだと一人じゃ何もできなくなりますよ」
「そういう意味ではありません。あなたは彼女を理解している上でなら、放っておくのが一番だと思います。人間というのは一人でもそれなりに生きていけるものです。でも、彼女を理解したうえで一人にしましたか? 私にはあなたが問題を彼女の自己責任に投げたように見えてしまいます」
「そうじゃありません! でも、誰にだって過度の干渉されたくないはずです!」
「それは良い配慮です。誰かを傷つけないことは良いことだと思います。優しくしてあげれる人は強い人だと思います。でも、あなたの力加減は他人に対する接し方ではないでしょうか。身内になりたいなら、思いきって心に近づいて、彼女の本心を見つけてあげて下さい。見つけてあげられなかったから、今の状況になっているのではないでしょうか」
ポステリーさんは律義なほど丁寧に言葉を返してくた。心の中に溶けるように染み入る言葉を容認し始めて、思わずに声を失いそうになった。
「……どうしてそこまで言ってくれるのですか?」
今度はポステリーさんが黙った。夜空を見上げながら思いだすように、ぽつぽつとしゃべりだす。
「妻のことです。恥ずかしながら、少し後悔しているのですよ。怒ったりヤキモチ焼いてくれる分かりやすい人ではなかったのです。いま思うとケンカするのが怖かったのでしょうかね……」
「いま思うと、って……」
「娘と一緒に先立たれました」
本日二回目の地雷を踏んでしまう。アルフしかり、けっこう重たい人が多い。
ほんとうに、何をやってるんだろう。気をつけていたはずなのに、自分でも嫌になってきそうになる。
「話せるほどに気持ちは溶けているのです。気にかけなくてもかまわないですよ」
それも二回目だったりする。
「あなたは運がいいのですよ。でも、たまたまこの生き方をしていないだけです。余計なお世話かもしれませんが、私のように看板の無かった道で、生きる道を間違ってしまった人の声も聞いてみたらいかがでしょうか?」
生きていく上で考えついた理屈の正しさは、ずっと先の未来で振り返ったときしか判別できない。自分で考えた合理性が、運がよく正しい道を指さしただけのときだってあるかもしれない。
生きるって難しい。一人だけでも大変なのに、ココアと一緒に二人で生きるなら余計に絡んで複雑になる。
「人というのは、自分のためでないと努力を放棄する本質があると思います。努力の功労が倫理に沿ったものだったとしても駄目です。誰かにやらされるのは、労働と同じく心が長持ちしないのでしょうね。ですから、あなたの放っておく考えは決して間違いではないと思っています。行動の責任は全て自分にかかります。自分のためであると真に自覚していくことでしょう」
ポステリーさんが言葉を重ね続ける。
「ですがその一方で、誰かのためでないと人は生きていくことができないと私は確信しています。家族を失った私の悲しみは、当時の私の生きる活力を根こそぎに奪っていきました。生きる意味が無くなったのです。彼女の生きる気力をあなたは奪っていませんか?」
分からなくてもやもやした感情が、ポステリーさんの発言によって形づくられていく。
ココアにとって「何もしなくてもいいよ」は、どれほどに苦痛だっただろうか。今までココアに促してあげたのは努力をする心。しかし、その接し方では生きる心を満たすことができず、むしろ放棄させかけていたようだ。
「……難しいですね」
自分でも情けないくらいに、嘆くような細い声が出た。
「もう少し自己の人間性が理解できるようになると、今度は楽しく感じられるようになりますよ」
「どうすればできますか?」
「流されるよう作業的に生きては駄目です。変わり映えのない日常で生きることを労働のように捉えないようにすることです」
ある意味では二回目の人生。前世に体験した出来事を元に、知らずのうちに効率だけ考えて無機質に生きていたのかもしれない。
「変わり映えのない毎日は、あなたが選んだ最適な選択肢の結果であり、望んだ結末のはずなのです。いまの感情が幸せかを自分に問うだけで、違う生き方を考えられるようになりますよ。意識するだけで、だいぶに違うと思います」
なんだか、ココアだけでなくて、自分にも問題がありそうな気がする。
全てを見透かしたように、ポステリーさんがニコニコしている。すごく悪辣な笑顔にみえてきた。
たぶん、ポステリーさんは、自分とココアの関係を奥さんとの過去に重ねて見ているのかもしれない。奥さんのヤキモチの話はともかく、ココアは嫌な事を感じても我慢して何も言わなそうだ。むしろ、部屋の隅でむっつりしていそうな気がしてきた。
「そういえば、部屋に行ってないです」
「おや、彼女がいる心当たりを見つけましたか?」
「これって心当たり……かな?」
「いそうだと思えば心当たりです」
「じゃあ、心当たりですね」
「ええ、そうですよ」
単純な事も思いつかなかった自分に苦笑した。
「本当にありがとうございました」
「いいえ。困っている人がいたら助けるのが医療従事者の役割ですからね」
「えっ――。商人じゃないんですか?」
「失礼、元でした。以前に薬師をやっていたんですよ」
そういえばロイが薬師になりたいと言っていた。
「どうして商人になったのですか? 薬師の方が楽そうですけれども」
途端にポステリーさんの相貌が射貫くような冷やかで鋭い眼差しになった。
「……知っていますか? 商人の常識です。誰もやりたがらないから、代わりに誰かがやってお金を貰うのですよ。魔獣に会う危険を冒してまで隣町に商品を持っていくから、高値で売っても歓迎されるのですよ」
頭の中で警報音が響き渡る。本日、三個目の地雷を踏んだ。
「そ、そうですよね。でも、友達がなりたいって興味を持っていたので、なんとなく訊いてみたいなって……」
「まず、その前提が間違っています。誰かに言える職業だと思っていますか?」
「どのような意味でしょうか?」
「私は患者さまを相手にしています。つまり、あなたが訊きたがっているのは、患者情報に直結することなのですよ。安易に言えません」
「でも、本人の名前を言わなければいいじゃないですか?」
「病気には必ず発病背景があります。つまり、私達の仕事である治療の話をするには、同時に背景も説明しないと理解ができないでしょう。しかし、背景を話してしまうと、普通はすぐに発覚してしまいます。発覚で困るものと言えば……例えばあなたがこっそり治療していたとしましょう。内容はそうですね、痔や、勃起不全や、性病や、水虫やら周囲にバレたら嫌でしょう?」
たしかにそれは嫌かもしれない。要するにプライバシーや個人情報保護のことらしい。
「例はともかく、個々人の体の弱点を公開するようなものです。扱いは慎重なのですよ」
「それならお話を聞けないですね」
とにかく分かったことはひとつ。ロイの将来はやたらにデリケートそうな職業だということだ。
「まあ、仕事内容くらいならお話をしましょうか」
「はい。お願いします」
正直に言うと興味は薄い。でも、ロイの事情を知っているので耳を傾けてみる。
「薬師の大きな仕事は三つです。「監査」、「調剤」、「解説」ですね。処方箋どおりに薬を出せば良いと言う人がいますが、それは監査の話です。一番に大変な仕事は服薬「解説」なのですよ。ですが、あえて皆さんが楽だと思っている監査について説明しましょう。次に服薬「解説」の話と最後に――」
「すみません。一個だけでいいです」
すまない、ロイ。フェリンデールさんじゃないけど、この人も長く話しそうなタイプだ。
ポステリーさんが残念そうな表情になるが、そこは現役の商人ですぐに営業スマイルに戻った。
「では、誤解の多い監査ですね。仮定として、お医者様は薬のことを知らないと捉えてくださればスムーズに理解できるかもしれません」
「薬を出しているのにですか?」
「帝国医療学校の、特殊な教育スタイルが原因ですね。あそこは三年生から部門選択で分化します。医師部門、薬師部門ですね。最初の三年は診断を勉強し、分化した後にそれぞれ三年で修業できます。分化後の内容ですが、医師部門は治療方針系、薬師部門は調剤指導系ですね」
そういえば、地球では薬学部は六年制になりはじめていた。専門的な薬が増えすぎたからとか、新聞にいろいろと載っていた気がする。うろ覚えだけれども。
「ヒトは何十年も生きていたらけっこう個体差が出るものみたいですね。お医者様も薬の大衆的な副作用は知っていますが、例外的な副作用は覚えていません。ですから、患者さま個々人で現われる薬の副作用を観察できるのは薬師しかいないのです。最初の三年で診断を習いましたよね。患者さまに副作用が出ていると診断したなら、帝国の薬師の場合は再診断勧書を書いて別病院へ再診断勧告をします。さて、再診断の場合の薬師は――」
ちょっと長すぎないだろうか。いや、興味が薄いからそう感じているだけかもしれない。
「――仮にお医者様の処方薬が適切でなかったら、帝国では薬師の責任になります。いうならば、保護者のようなものですね。例えば子どもが器物破損をしたら叱ります。しかし、責任は問いません。タテマエとしては、それが違法だったことを子どもなので知らないという大義名分ですね。なので、実際に賠償するのは保護者になります。さて、帝国医薬看護法では薬を指名するのはお医者様です。治療方針はお医者様が決めるので、それの延長と考えてください。しかし、お医者様は薬を知らないという大義名分を以前に説明しましたね。つまり、誤った薬の責任はすべて薬師になっており――」
なんだか今日は貧乏くじを引いている気がする。ロイのために安請け合いをしすぎた感がある。
あと、ここにロイがいたら、言葉で圧殺されていたかもしれない。こんど会ったときにでも言い含めておこう。
「――つまり、みなさんが思っているよりも、ものすごくリスクと責任が重い職業なのです。学校の教師を想像すると分かりやすいでしょうか。教えるのに失敗した全ての生徒に対する賠償責任の対象は薬師になります。クラスの生徒達が頑張っているのは分かりますが、全員が赤点を回避するのは難しいです。赤点もとい生徒が薬で体を悪くしてしまうと、誰に責任があると言われたなら薬師に帰結されます。帝国医薬看護法では、薬師が真剣に説明しなかったと判断されるからです。ちなみに、教える生徒は、薬を飲まないといけないのに隠してしまう薬嫌いの子どもや、まれに聞き間違うお年寄りの方は要注意で――」
「わ、分かりました! 分かりましたので、もう行きますね! それでは、ココアのいる心当たりに行ってきますねっ!」
話題がそれ始めたので、無理矢理に話を切る。
ポステリーさんが気まずそうに咳払いをした。熱くなりすぎたと自覚したらしい。
「……すこし話が過ぎましたね。失礼を致しました」
「とんでもないです。特に昔話は参考になりました。ココアと一緒にいろんなことを話してみることにします」
「それなら話したかいがありました。ところで……」
ポステリーさんが腰に吊り下げられた小物入れをちらつかせた。
「世の中はお金で解決できないこともありますが、お金でも解決できることもあるのですよ。もしくは、お金は手助けもできると言えば良いでしょうか。今日はたしか、ツゲの木の櫛を仕入れたような……」
あまりに露骨な商売に失笑してしまった。たしかに、買うけれども。




