純化する思考
大講義室の大きな扉を開けると談話のざわめきが出迎えた。
大講義室の広さは昔の記憶に残っている 学校の体育館といい勝負になる大きさだ。初めて大講義室に入室した事を思い出す。初めて来た人がまず圧倒されるのが、席が階段のように連なっていて眺めるような造りになっていることだ。まるでローマの円形闘技場の中心に迷い込んだかのような威圧を感じるに違いない。
そんな古い歴史のある円形闘技場と唯一に違うのは、まるで未来から送られてきたような不思議な技術があることだ。軽自動車くらいの大きさの 透き通った宝石が天井にふわふわと浮いている。この巨大宝石は魔力炉のような働きをしており、周囲の宝石と共鳴して講義室に柔らかい光を降らせる。ようはライトの代わりというわけだ。
まだ講師も来ていないようで、学生たちがくつろいだ様子で談笑をしていた。どうやらギリギリセーフで間に合ったらしい。
見上げて、席を探していたアルフが、中列の席を指さしながら声をかけてきた。
「おい、あいつら いいところに陣取ったようだな」
アルフの視線の先には、亜麻色のセミロングの髪をツインテールにしている少女が椅子に座っていた。隣にはユーリも座っている。
視線が合うと こちらに手を振ってきた。アルフと一緒に席に向かう。
「おはようございます! 起こすの お疲れさまでした!」
その声は明らかにアルフに向いていなかった。フランチェシカ・ティティリアが、こちらを向いて元気よく声をかけてきた。
「おはよう、フラン。ごめんね、アルフを起こすのに少し遅くなった」
フランがやっぱりかと呆れた視線でアルフを見上げた。ツインテールが小さくふわりと揺れる。ツインテールを結んでいるシュシュは、以前に手芸で余った布で作ったものを気に入ってくれたものだ。
実際に付けている姿を見ると嬉しい反面に、ちょっと照れくさい気持ちがこみ上げてきた。
アルフが机の上に腰を預けながらフランへ声を投げる。
「おい、オレには挨拶しないのかよ」
「はいはい。寝ぼすけさんは、お目覚め ご苦労さまですね」
「ふむ、善きに はからいたまえ」
悪態をついたフランに、アルフが悪ノリをする。
ユーリがぽつりと呟いた。
「え~と、あの。それって誉めてると言うよりも、馬鹿にされてるんじゃないでしょうか?」
ひっそりとした小さな声で こちらに同意を求めてきた。ユーリに対して、否定を唱える。
「だいじょうぶだよ、ユーリ。アルフはフランから馬鹿になんかされてない。だって、もうイロイロと諦められてるから……」
「そっちの方が重症じゃねぇかよっ!」
批判を叫んだアルフ。フランが「重症です」と肯定するように頷いた。そんなフランに、アルフは参ったと楽しげに笑いながら会話を弾ませる。
「おい、ユーリ。二人に何とか言ってくれよ!」
「え~と。その、アルフレイドさんは、あの、いつも元気でして、それで、あとは……」
助けを乞うような視線をユーリが送ってきた。仕方がないからユーリをフォローしてあげる。
「ユーリ、無理をしなくてもいいよ。アルフの性格は重症と言うよりも、希少疾病みたいなものだからさ」
「酷くなってるだろ!と言おうとしたが、個性を認めているのか。じゃあ、怒らないでおくぜ」
滅茶苦茶にポジティブ思考で納得された。
フランがイタズラな笑みを浮かべて、アルフの横腹を小突いた。
「単純な思考ですね。それでも勉強が凄くできるのは、逆に頭の構造が素朴だからこそかもしれないですね」
フランが話題を蒸し返す。アルフがフランの挑発にのって言い返した。そしてユーリが慌てて止めようとする。
でも、ちゃんと見てみると、フランもアルフも緩んでいるような笑顔で口げんかをしていた。たぶん、冗談で言い合っているのだと、お互いに信用しているんだ。
気にも留めないような明るい日常。いつものうるさくて穏かな光景が、今日もここに広がっていた。
そのままおしゃべりをしていると、扉が重たく開く音がした。ルシドール学園長が入室しているところだった。
鮮やかな緑色のローブを 気品のある黄金色の肩当てとベルトでまとめている。
フードを深くかぶっているせいで顔が見えないが、声の張り具合からして地位にしてはそこそこ若そうな印象がある。
落ち着きのある優雅な動作で講義台に立つ。生徒たちのざわめきが止み、学園長の話が始まった。
簡易な連絡事項を述べたあとに余談ですがと付け加えて、長くて退屈な ありがた~いお話が始まる。
昔に境界師と魔術師の戦争があったらしい。いま住んでいる帝国は、戦争から逃げた両方の国の人々が協力して作った国だとか。
境界師とは世界を区切っている世界線を利用して、歴史を媒体にした虚像物を操る魔法使いのこと。魔術師は世界に浮遊しているマナで、現実物を操る魔法使いと教科書にはまとめられている。そうは言ってもニュアンスが分かりにくいので、歴史を媒体にしているから派手な事象ばかりなのが境界術、普通に使っているのが魔術となんとなく覚えている。
その二種類の魔術が帝国で一つになっていき、よいとこ取りで発展したのが帝国だ。そのおかげなのか樹木製品が発達し、特に製紙技術や樹脂プラスチックの生成が貿易の中心となっている。
帝国学園に通っているのは単純な理由だ。ファンタジー世界の都会とはどのようなものだろうかと、興味や期待があったから。なによりも帝国学園に入学できれば、境界術と魔術の両方を安い学費で習得できる。もっとも、その代償として将来の進路は学園の判断で決められることになっている。
入学試験は地球の勉強と似ている部分もあって合格することができた。文字や時計などの特有の文化は、今でも分からないことがある。でも、生活する分には快適に過ごせている。
『……だったのでしょう。ゆえに、私は境界師の国であるリーニュリネアで、濡れ衣を被ったわけなのですが――』
静かな大講義室の中で学園長の声がこだましている。学園長の話が長くなるほどに、アルフの顔がむっつりしてきた。
「ったく、話が長い。しかも前に聞いた話だし、すげぇウザいぞ」
アルフがつまらなそうにため息を吐いた。
実はアルフと学園長は顔なじみだったりする。こっそりとだけれどもアルフは学園長に指導をしてもらっているらしい。この話も個人的に聞いたことがあったのかもしれない。でも、顔なじみと言っても、アルフ自身はあまり学園長のことが好きじゃないみたいだ。
学園長の素顔を誰も見たことが無いなんて噂があるけれども、実はアルフは見たことがある。見えにくいように隠している理由も知っているらしい。ちなみにアルフに真相を聞いてみたけれども、本人が隠したいんだからとお茶を濁された。
アルフは学園長のことが嫌いなのに、こういったところでは約束を守る実直さがある。それの反動なのか、いまは悪ぐちばっかり言ってるけれども。
アルフの愚痴に付き合っていたら、学園長の話が終わっていた。次に教頭からの話になり、一週間後の課外実習の説明になった。
課外実習の課題は、グループごとに決められた宝を持って帰ること。引率の教員はおらずに、グループの力で問題を解決する訓練だ。ものすごく簡単にいうと、修学旅行をゲーム感覚にしたようなものだったりする。
教頭からの話が終わると、講師達から各生徒へ封筒が手渡されはじめた。貰った生徒は、封筒の重さに息を呑んでいる。
封筒が渡されたので中身を確認してみる。重たい封筒には、金貨が二十枚と紙幣が何枚か入っていた。
思っていたよりも入っていたのでアルフへ確認する。
「なあ、アルフ。多すぎないかこれ? 武器ってこんなに高かった?」
「少し多めだがこんなもんだろ。そこそこの剣が欲しいなら、金貨が十枚あれば買えるくらいだしな」
「えっ、そんなに?」
「命を賭けるものだから、精巧に作られて割高なんだろ。探せばピンからキリまであるけどな」
ユーリが目を丸くしながら、封筒の金貨と紙幣を一枚ずつ確認している。隣にいるフランも、普段は使わない貨幣に言葉を失くして圧巻されていた。
ユーリがこわばった声でフランと見交わした。
「金貨とか久しぶりに見ましたね。ボクは高い買い物でも銀貨くらいしか使わないですから」
「私なんて普段は銅貨しか使わないもん。金貨って綺麗なモノなんだね」
フランがおそるおそるといったように、うっとりと眺めている。
金貨は日本でいうなら十万円以上の価値がある。学生の身分としては、容易に手に入れられるものではない。
ユーリがフランと見合いながら不安げな言葉を漏らした。
「ドロボウに盗られないように。なんだか、持っているだけで気が引き締まりますね」
「でも、最近は急に治安が良くなってきたよねぇ。そんなドロボウなんて滅多に遭うわけじゃないんだし、そんなにカチコチにならないの」
そう言いながらも、フランは真剣に金貨を見つめていた。二人の言葉でお金の怖さが徐々に増長してきた。時代劇でよく言われている「恐れ多い」と言うセリフは、この状態のことを指すのかもしれない。
煌びやかな金貨を見つめるほどに肌が粟立ちそうになってくる。光沢のある ずしりとした威圧感。これに命を託すのかと思うと余計に重みを感じられてきた。
金貨を見つめていたアルフが、ふとこっちを向いて呟いた。
「そういや、お前はいちおうだけど武器を持ってるよな。金貨はどうすんだよ」
「武器だけが全てじゃないだろ。それに目星はつけてるよ」
◇◇◇
金貨が入っている大切な鞄を抱きしめるように慎重に抱える。細い裏道を抜けていくと、帝国のはずれにある大きな館が見えてきた。この空間だけ暗く重たい雰囲気に淀んでいる。
帝国学園に入学してから、少しだけ気になるところがあった。いや、ちょっとだけ大きな野心ができた。
目の前にあるのは国営奴隷商の看板だ。
実は帝国の政策として失敗した話だが、スラムの孤児を保護し、貧民層から抜け出すための教育が受けさせる政策があったのだ。当初は、識字や算術ができる人間が増えることによって、帝国全体が活性化する政策だった。しかし、スラムの住人は明日すら分からない死活問題で、労働力をタダで渡すのは反対だった。そこで、低所得者が望むなら、帝国が子どもを買い取る制度ができた。
買い取るという意味では強引な内容ではあるが、将来的な視野で見渡すならばと評判の良いシステムであると認識されていた。しかし、日々の生活が苦しいスラム民は、お金が手に入り、子供を保護してくれるならばと、子どもを大量に産んで帝国に売りつけはじめてしまった。すると、孤児院に子どもが溢れてどうにもならなくなり、それが今に至る国営の奴隷商というわけだ。
詳細のシステムは分からないけれども、法律も改正されずに相変わらず建ったままだったりする。国としては得になる状態だから見逃しているのかもしれない。
現に ここに興味がある学生がひとりいるわけだし。
「いや、まあ下心はないけど……。うん、ちょっとだけあるかな……?」
張り詰めた空気に心の音が漏れてしまう。
でも、雑に使うつもりなんてないし、むしろ、アニメとかに出てくるメイドさんキャラみたいな感じにお世話をしてくれたなら嬉しいなとか、そういうところはやっぱり男なんだから興味があるのかなとか、だけど男の奴隷がいたなら 魔獣が出るような物騒なご時世に守ってもらえるのはありがたくて、それの値段を見に来た理由はあるけれども、でも、凛とした女剣士が仲間にいたらカッコいいかなとか、あと、――――。
「いらっしゃいませ。当館にご用でしょうか」
紫色のローブを着た すらりとした美人のお姉さんが目の前にいた。
「えっ――。あっ、はい……」
言われるがままに入館してしまった。もちろん、最初からそのつもりだったけれども、ちょっとだけ情けない気がする。少しだけ釈然としない気持ちを感じた。
屋敷の部屋に通される。そこはまさに異次元だった。
きらびやかなシャンデリアから淡い光が降り注いでいる。壁には金色の額縁で睥睨と飾られている絵画。カチコチと音をたてる身長ほどの大きな振り子時計がやけに耳に障った。まるで、映画のワンシーンにまぎれ込んだと錯覚しそうな光景だ。
お姉さんに促されるよう椅子へ座らされる。翡翠色のお茶を出してくれた。
なんだか、心臓が気持ち悪いくらいに跳ねてきた。今から相談するのはいわゆる人身売買なわけで、前世の記憶を持っている立場からすればどうにも罪悪感がある。
悶々としていると、ローブ姿の男が入室してきた。こっちに会釈をしてテーブル越しに座られる。
片手に紙束を持っていた。売りに出す奴隷の情報だろうか。
男が柔らかい声をかけてきた。
「緊張しないでくださいね。時々に学生の方もいらっしゃいますよ。さて、どのような奴隷を所望でしょうか」
「えっと、まずはいくらが相場でしょうか。あまり知識がないので……」
張りつけたような笑顔で、持ってきていた紙束を見せてくれた。奴隷のプロフィールが書いてある。
なんだか、奴隷のプロフィールを見るたびに息が窮屈になってきた。例えるなら、生まれてはじめてエッチなDVDを見るような呵責と好奇心の狭間の心境だろうか。国営なのだから この世界では普通なのかもしれないけれども、なんだか胃に穴があきそうな痛みが出てきた。まだ買ってないのに。
「こちらの男はいかがでしょうか。境界術と魔術は使えませんが、励起の能力が使えますよ」
能力とは、帝国で解明されていない魔術のことを指す。そもそも、魔術の体系のまとめ方は、特殊能力者を研究してどうやって奇跡を起こしているのか分析することから始まっている。
境界術と魔術を両方とも中途半端な知識しかない帝国は、研究がしやすい五大属性以外の研究はされていない。だから珍しい魔術は、ゲームで例えるなら固有スキルのように重宝されている。
「ちなみに、値段はいくらでしょうか?」
「そうですね。金貨を七十枚でいかがでしょうか」
天井を仰いだ。やはり二十枚程度で買える値段じゃなかった。
そういえばこの資料の束には女性の奴隷が書かれていない。この人たちよりも相場が高いからだろうか。どうやら、『メイドさんキャラみたいにお世話してもらえたらいいな計画』は無理らしい。本気で考えていたわけじゃないけれども、いざ駄目と分かるとちょっと残念だ。
商人が話を続けていく。
「この安さはウチくらいですよ。他の国だと二倍はするでしょうね」
「それでも、七十枚ですか。すみません、ちょっと席をはずしても良いでしょうか」
「はい、どうぞ。廁なら向こうにありますよ」
部屋から出て、周囲に誰もいないことを確認する。
緊張でふるえた指がゆっくりとバックを開ける。かすかに光沢のある拳くらいの大きさの粗い金色の塊を取り出した。
学園で貰った金貨二十枚では駄目だった。だから奥の手を使う。これからやるのは秘密にしないといけない大事だ。
「お願いだから、成功してくれよ……」
大きく息を飲んで、祈りを込めて両手で包み込むように塊を握る。鼓動が全身で跳ねる音がして、けただましい耳鳴りが響き乱れる。切に願った力に、包み込まれた手のうちからフラッシュが焚かれる。
鼓動も耳鳴りも止んで、静けさだけが残った。
「おっと――、重ぇッッ!」
重量感のある手応えに思わず頬が緩んだ。どっと疲れがでて壁に背をあずける。
発動した魔術は帝国では能力と呼ばれているもの。唯一の特技である『純化』が成功したようだ。