指揮者のソロパート [上]
去年は時間どおりに始まったのに、今年はどうしてこんなことをするのだろうか。
幸いにもポケットに参加者のネックレスを入れていて助かった。赤い封筒に入っていた深紅色の宝石のネックレス取りだすと、ネックレスは点滅をしていた。このネックレスは異なる属性のネックレスと共鳴して点滅をする。どうやら、爆発した場所以外にも他組の生徒が近くにいるらしい。
「ココア、こっち!」
「はい……っ!」
いま敵に出会ってしまったら非常に面倒だ。少し遠回りになるけれども、脇道を選んで駆けていく。ネックレスの点滅が徐々におさまってきた。どうやら撒けたらしい。
走っていた足の歩調を戻していく。少し息が切れているけれども、まだまだ体力は保ちそうだ。おそらく、学園まであの速さで走っても充分に体力は残っているだろう。けれども、隣からの苦しげな荒い息を聞くと、歩調を緩めずにはいられなかった。
「だいじょうぶ?」
「はっ――ぁ、はい……っ」
うつろになった瞳で、顔を真っ赤にしている。肩を揺らして息を苦しそうに切らしていた。よく耳を澄ませてみると辛そうな喘鳴が漏れている。病気持ちだったのを忘れていた訳ではないけれども、ここまで弱るものだとは思いもよらなかった。
このまま逃げ続けられるだろうか。
「別に去年も参加したし、今回は運が悪いと思って棄権しようか」
「駄目……っ、です……」
「勝手に権利を投げつけられただけで、参加に執着なんて持っていないよ」
「でも……、出た方が…いい、ですよね……」
突然の言葉に意識をもぎ取られた。気がつくと歩みを止めてしまっていた。
「――誰から聞いた?」
「フランチェシカ、さま…です」
あのおしゃべりめ。余計な事を言いやがった。
このお祭りの参加者は学生会が間に入っているとはいえ、やっていることは学生選抜だ。国外への帝国のアピールや、企業からのスカウト、他にも様々な意図との関わり合いがあり、学園だけのお祭りではない。それを棄権という形で面子に泥を塗るなど、本来はそら恐ろしいことなのだ。
かなりの重荷を学生へ背負わされているが実は抜け道がある。わざと負けて退場してしまえばいいのだ。負けた生徒はネックレスの魔力で学校へ強制送還される。
けれども、ここで問題になるのはココアだ。奴隷はあくまで人間ではなくて物としての属性を持っている。負けて退場させられたら、残されたココアはいわゆる戦利品的な落し物扱いになる。この世界における決闘の法律上が適応されて、拾った人の物になってしまうのだ。ちなみに、この場でココアを単独で逃がした時も、決闘中に武器を落とした扱いになり同じように法律が適用されてしまう。
苦しげに俯いていたココアが、顔をあげてこちらを見上げてくる。
「まだ、だいじょうぶです。がんばれます……!」
苦悶に顔を歪ませながら決意のこもった表情で凛と答えた。
ぐらぐらと心が揺れる。ココアの安全を取るべきだろうか。ココアの意思を取るべきだろうか。ネックレスが再びに点滅し始めた。徐々に点滅の間隔が短くなってくる。選択肢を迷っている時間すら惜しい。考えている時間がない。
追い風が並木を揺らした。迷いを吹き飛ばすように街を吹き抜けていく。
「……絶対に離れるなよ。学園に着くまでだからな」
「はい……っ!」
点滅していたネックレスから、暴れ出したような熱が出てきた。いつ現われてもおかしくない距離にいるのだろう。
ココアにこれ以上の無理をさせられない。背中を向け、前かがみになるようにしゃがんでココアに声をかける。
「乗って」
「……?」
「はやくッ、魔法を使って飛ぶから!」
「は、はいっ」
意を汲みとったココアが細い両腕を首へまわして、ぎゅうっと全身で抱きついてきた。小さな体を背負い、離れないように糸で強く結びつける。これで両手の自由が利いて魔法陣を描けるようになった。
見通しの良い直線の道路。風魔法で吹き抜けるには、おあつらえ向きの道だ。
突如に豪快な火炎の音が飛びかかってきた。魔法作成を中断し、火炎弾を避けながら街を駆ける。
走りながら振り返る。相手はジャケットにカーゴパンツの男子学生服を着ている。胸元に揺れているのは黄色いネックレス。向こうのネックレスも共鳴するように点滅をしていた。どうやらあの男子学生と反応しているらしい。
風の魔法は炎に弱い。火炎弾を放ってきたのは風魔法で逃げられないよう牽制するために放ったのだろうか。
アルフやユーリのように接近戦が得意ならば、炎魔法を放ちながら一気に距離を詰めて襲いかかるはずだ。しかし、相手との距離はまだ保たれている。
「つまり、魔法戦の得意な奴が相手か……」
魔法戦は技術力はもちろんだが、魔法知識も勝敗の重要な鍵となる。対抗手段を考えるために魔法学の講義を思いだしてみる。
魔法とは心象を具現化したものだ。心から生まれるので、概念のような思いこみの影響を強く受けている。たとえ魔力を原料にした炎でも、酸素量などを関係なしに水で消えてしまうのだ。魔法は概念の塊であり、この世界の万人に共通した認識が属性となっている。
魔術五大属性と言われている火、風、土、水、金のうちで、四属性は円のような相対になっている。炎は水に弱い。水もとい雨は大地に吸収されてしまうので、水は土に弱い。頑丈な土の壁は風によって風化してしまうので、土は風に弱い。風は空気であり炎に燃やされるので、風は炎に弱い。
火←水
↓ ↑
風→土
この円の中心に五番目の属性である金があると考えると分かりやすい。金属は変化に強く、どの属性にも有利だ。その反面に複合属性には弱い。例えば水と風の複合魔法は、金属に水をかけて風で乾かせば錆びてしまいそうな「思い込み」から金属は複合魔法に弱い相対と成っている。
火炎弾から逃げながら指先で魔法陣を宙に描き、基盤となるマナを空間から掻き集める。滔々(とうとう)と輝く光の塊が集まってきて、それを魔法陣の中央へ配置する。光の粒子を指先でなぞり、世界へ語りかける呪言を魔法陣の中へ縫いつけていく。
魔法陣が燦然と煌めき、世界の理が円の中に充填された。体内の魔力を魔法陣へと叩きつける。
「いけっ――!」
魔法陣が鼓動して魔力波が風を揺らした。魔力の奔流と共に淡い光が放出される。輝きから水が象られ、半円状な水のベールが出現した。
火炎弾と水のベールが衝突する。魔力同士がぶつかり合った衝撃で視界がぶれた。空が炸裂したような大音量が耳へ突き刺さる。急ごしらえで作られた弱い構築力のせいで、貫通こそされなかったが水のベールは相殺されてしまった。
しかし、簡易に作ったのはわざとだ。水のベールが蒸発し、辺り一面が水蒸気に包まれた。蒸し暑い霧が視界を遮るように蔓延している。読み通りに魔法戦が得意ならば、相手はこの霧で接近戦へ持ちこまれたくないと考えるだろう。ならば、この瞬間だけ相手は守りに入り、攻めては来ないはず。
「ココア、しっかり掴まって!」
「――っ!」
重石を先端に付けた糸を店の看板へ投げる。魔力を送ると収縮する性質がある人形の筋に使っているものと同じ糸だ。重石が看板に絡まり、しっかりとした手ごたえを感じられた。その瞬間に霧を吹き飛ばす旋風が背中から吹いた。おそらく相手が霧を払うために使った魔法だろう。風向きがこちら方向に吹いているのは、突進攻撃を嫌った配慮のためだろう。
しかし、残念ながらその風はこちらにとっては追い風の向きだ。糸へ魔力を叩き送り、一気に収縮させた勢いと背中を押す突風を踏み台にして、吹き飛ばされる霧の中を隠れつつ隣の道へ飛翔する。
風の恵みを受けながら霧がかった街並みを飛び越えた。霧の向こうを突き抜けると忽然と地面が急接近してくる。落ち着きを払いながら魔法陣を編んで、風の魔法を大地へ叩きつけて着陸の衝撃を和らげる。
両足で着地すると、靴が派手に叩き鳴らされた。地面から豪快に軋む音と同時に、猛烈な痛さが神経から脳へ突き刺さった。感電したように全身の神経が痺れる。吐き出しそうになった悲鳴を噛み殺す。風に乗った勢いと、背負っていたココアの重さで衝撃が相乗されていた。
痛さに耐えながら点滅しているネックレスを観察していると、光が徐々におさまってきた。おそらく、追い風に乗って直線で逃げたと勘違いをしたのだろう。誰もいない彼方の方向へ追いかけていったに違いない。
たしかに、追い風をそのまま受けて直線で逃げることも考えたが、ココアを背負ったままならば追いつかれると見通したからだ。個人で行動していたなら話は別だが、現状ではこれが最良な判断だったと思う。
「逃げきれたかな?」
「……でも、行けないですよ?」
ココアの声に辺りを見渡してみると思わずに顔をしかめてしまった。安心して学園へ向かいたいのだが、飛び降りた先が袋小路になっていた。予期もしていない行き止まりに思わず頭を抱えたくなった。自分から逃げ道をふさぐ選択をしてしまったようだ。
先ほどのように糸を使って別の道へ飛び越えていても良いが、ココアを背負ったままでは危険が多い。別に足が痛くなるからとかそんな理由じゃない。背負っているとバランスを取りにくくて、堅い地面へ衝突してしまう可能性があることが分かったからだ。
ネックレスが再び点滅し始めてきた。どうやら直線に逃げたのではないとバレてしまったらしい。点滅の感覚が近づいてくる。
この場から逃げた方がよいだろうか。しかし、ココアを背負った状態での遭遇戦で逃げ切れる要素の想像がつかなかった。ここで罠を張って待ち構えていた方が、よっぽど勝機がありそうな気がする。
「とりあえず、落とし穴でも掘ろうかな……」
「…………」
呟いた声に誰も相槌を打ってくれなかった。人形がいないと、こうも寂しいものなのか……。
魔法陣を発動させて土片を散在させる。穴の上に水のベールを張って、氷結魔法を唱えて凍らせる。氷の上に土を置いていき落とし穴を完成させた。
作戦は非常にシンプルだ。相手が落とし穴に嵌るまで、糸を使って逃げ続ける。そして、相手が落とし穴で身動きがとれなくなったところで魔法を連続で打ち込むのだ。落とし穴に嵌った相手は事前に用意でもしていない限り、迎撃魔法を即時形成するなんて出来ないはずだ。単純な作戦ではあるが、成功すれば対処が難しい罠だ。
落とし穴をひとつセットし終わると同時に、ネックレスが熱く輝いた。落とし穴の近くで待機する。黄色い宝石をつけた生徒がゆっくりと歩いてきた。
距離は二十メートルあるだろうか。生徒はコの字型になっていた袋小路の逃げ道をふさぐように立ち止まった。
中肉中背でざっくりと切られた茶色の短髪がツンツンと跳ねている。鋭い目つきでこちらを見据えて、両腕を広げるように拳を変わった形で構えた。その両手には、鮮烈に輝く烈火の魔力の指輪と、旋風の魔力の指輪。煌々とした魔力を両腕に纏っている。
おそらくあの指輪は、魔法の国サーセリースの魔装品だ。あの国は魔法の小回りが利く特性を応用した魔装品が発達している。
先ほどに追いかけられた火炎弾の連続魔法。霧を吹き飛ばした風の魔法。それに、魔法行使をしていないのに、今も指輪の周囲で煌びやかに光っている魔力。察するにあの魔装品は、常にマナを集める作用があるに違いない。
相手は指輪の影響で指を使えずに、追加の別属性な魔法陣を描くことができない。しかし、指輪の効力で炎と風の二つの描き終えた魔法陣を常持しているような状態だ。
魔法を放つ動作は、マナを集めるために魔法陣を描き、呪言を書いて世界へ命令し、自分の魔力を送って発動させる。この三ステップで魔法を行使する。
ここで問題なのは、三ステップの内の一番に時間が必要な最初のステップを指輪の効力で抜かしていることだ。こちらが魔法を放ったとしても、状況に応じた対抗魔法を一瞬で構築してしまうだろう。
即座に魔法が撃てるなら、落とし穴作戦は挑戦する前から失敗したようなものだ。これからどうやって立ちまわればよいだろうか。
おそらく、糸での逃走は叶わないだろう。糸を張り、萎縮させ、飛翔するまでの動作。動作としては一瞬なのだが今回は相手が悪い。風魔法での逃走は炎が弱点であり成功率は言うまでもない。
背中から切なげに強く抱きしめられた。背負っていたぬくもりを思い出し、肩から首元へまわされている手に、そっと触れる。
「だいじょうぶだよ。この程度なら、ね」
凛と心の息をひそめて、闘志を静かに研ぎ澄ませる。徐々に思考回路が冷えていく。倒すべきであると認識した敵を睨み据えた。




