寒さの香り
変わった人称を模索しながら書いています。この型に反対意見があるのも もっともですが、最後までお付き合いしていただけたなら幸いです。
冷たい水で瞳をこじ開ける。ねっとりとした眠気が豁然と澄みわたってきた。
共用の洗面台の水を止める。窓から見える桜の風に倣いながら、男子学生寮の二階にある部屋へ戻った。
二段ベッドに大きく占領されている八畳ほどの簡素な部屋。静かな木漏れ日がカーテンから淡く漏れている。
窓を開けてみると、青々しい眩しさが空に優しく広がっていた。ほのかな桜の香りを乗せた風が頬を撫でる。
なんとも清々しい朝なのだろう。――後ろのイビキさえ聞こえなければ。
二段ベッドの上段へ登ると、まだ寝ている頭があった。
「朝だぞ。また遅刻する気か?」
今日くらいは起きてくれなければ困る。
枕に伏している頭へ声を投げかける。ぼやけた瞳がこちらを睨み返してきた。
「……起きれない。枕が頭を離してくれない」
「吸着力のある枕だな。なにで出来てるんだよ」
「心地よい夢で出来ている。気持ちも、ふわふわしてくるんだぜ……」
「寝るな。そっちの世界に行くなっ!」
「大丈夫だ……っ! こっちの世界はオレに任せろ……っ! お前は……っ、先に行くんだ……っ!」
「現実に戻れよっ!」
「夢くらい見てもいいじゃないか。夢を見てこその学生の青春だろ……」
「単位があっての学生の青春だ。遅刻で単位を落とすつもりかよ」
「そりゃ……起きなきゃいけないな」
アルフレイドがベッドから重たげに体を起こした。むっつりとした眠たげな瞳。肩まで伸びた癖のあるミディアムヘアが、陽光にさらりと流れる。寝起きのアルフレイドは唐突に顔をしかめた。
「寒ッ! 窓を開けてんのかよっ!」
「天気がいいし」
「ったく、しょうがない奴だな! 起きる人の気持ちを考えろッ!」
それならいつまでも寝ていただろうに。相槌は呆れた ため息で返してやった。
ふと 春にしては寒い風が部屋の中で鳴いて、背筋を舐めた。アルフレイドは眉をひそめて身震いをする。
「寝間着はヤバイな。制服に着替える」
アルフレイドが二段ベッドからひょいと飛び降りた。寝起きなのに元気な奴だ。
クローゼットから次々に服を取り出して、下段のベッドの上へ投げていく。なぜか春なのに夏服も冬服も混じっていた。
ところで、アルフレイドのベッドは上段だ。ひとのベッドへ勝手に服を投げ置いていやがる。わりと気軽にここへ物を置くようで、邪魔になることが多いから文句を言いたくなってきた。でも、少し急いでいるので今は黙っておこう。言ったら言い合いになりそうだし。
ポケットのたくさんついている黒のカーゴパンツをアルフレイドが急いで履く。色違いのボタンがついたパリッとしたYシャツへ腕を通しはじめた。
Yシャツのボタンがひとつずつ色が違っているのは、それぞれに魔除けが刻印されているからだ。魔石から加工されている優れモノだけど、ボタンが取れた時は代えが利かないので少し不便だったりする。
アルフレイドがジャケットに腕を通しながら、まだ眠たそうな声で愚痴を吐いてきた。
「このジャケットって肩が凝るよな」
「たしかに。魔法陣が裏にいっぱい張りつけれられてるしな」
「絶対にいらねぇ魔法陣があるし。着てると無駄に魔力が吸われるから嫌なんだけど」
学生服の裏地に貼り付けてある魔法陣をアルフレイドが忌々しそうに眺める。
生地の裏には、呪いや、魔除け、加護の魔法陣などが縫いつけられている。戦闘鎧の代わりや、魔法研究の白衣代わりにもなる素晴らしい服装だと学園が言っていた。
ただ、着ている学生側の評判はあまり良くない。なによりも器用貧乏な服装だったりするのだ。
兵士向けなら最低限の加護の魔法陣にしなければ、服の魔法陣維持で魔力切れを起こすかもしれない。魔法研究者ならたくさんの加護の魔法陣を縫いつけないといけないが、それにしては表面積が足りない。かゆい所に手が届かない状態だったりするのだ。
ちなみに魔法研究者は、だぼだぼしているローブの服装にすれば表面積が一番に広いとか、帽子も服装だからとんがり三角ぼうしを着て表面積アップを試みるなど、本気で魔法使いな格好をした人達だったりする。
ふいに控え目なノックの音が聞こえた。
「ねぇ、アルフレイドさんは起きていますか?」
男にしては少し高い声色。同じチームの同級生、ユーリム・ベノンズの声だった。
迎えが来た原因を作ったアルフレイドへ視線を投げつける。
「ユーリが来ちゃったぞ。しかも、アルフを名指しでな」
アルフが不思議そうな表情で問いてきた。
「なんで、お前じゃないんだよ?」
「日ごろのアルフの行いを胸に問けば良いと思う」
「モテモテだから、男にも惚れられているのか?」
「今朝は枕にも惚れられてたよな。まったく、人類だけにして欲しいよ」
「焼いてるのか? そういえば昨日、オレにむかって 行かないでって女の子が叫んでたよな。まったく、オレのファンは過激だぜ」
「発車するバスに対して行かないでって言ってたけどな」
アルフとの雑談を適当に流しながら、外で待たせているユーリのために扉を開けてあげようと手をかける。
急にくらりと揺れる地震が起きた。掴まるように握ったノブで扉を開けてしまう。開いた扉から、ミルクチョコレートのような優しげの色合いの髪が部屋へ飛び込んできた。
チョコレート色の髪もとい、ユーリが小さな悲鳴をあげながら転びそうになっている。咄嗟にアルフがユーリを抱くようにキャッチした。
一瞬のできごとにふっと息をつく。アルフにキャッチされたままのユーリ。ユーリが立ちやすいように、手を差し出しながら謝罪した。
「ユーリ、突然に開けて悪かったね。変な頃合いで開けたかな」
「ちょうど開けようとしてときだったので驚きました。アルフレイドさん、ありがとうございました」
「別にかまわねぇさ。にしても、最近は地震が多いよな」
「まったくですね。はい」
いささか小柄の体型。学生服の襟を直してキッチリと着込んでいる。性別を間違えてしまいそうな端麗な顔立ち。声変わりしていないテノールの声にちょっとだけ和んだ。
雄々しいという言葉とは無縁のユーリだけれども、これでも学園に入る前は兄貴分として子どもの世話をやっていたらしい。あまり想像がつかないけれども、野外実習で料理を手伝ってもらった時は手際が良かったし、整理整頓された部屋を訪ねれば、他の家事能力も文句のつけどころが無いことが容易に想像できた。周りから見れば、気のいいお兄さんといったところかもしれない。
「アルフって運動ができて凄いよな。さっき、一瞬でユーリをキャッチしたし」
「ん? ああ、そりゃどーも」
床に座ったままだったアルフへ手を差し出す。アルフが手をとりながら小さく笑った。
家事ができて気の優しいユーリ。運動神経抜群で爽やかなアルフ。長所のある二人を見ていると、一方で自分は何ができるだろうかと思っていまう。どうにも、弱気になりそうだ。
この『弱気』へ深く目を向けてみると、転生者の憂鬱が原因だと分かる。
転生者とはファンタジーな世界で時々に出てくる単語のひとつだ。具体的には召喚されて呼ばれたとか、死んだと思ったら死ぬ前の記憶を持ったまま異世界で輪廻転生するとか、そういった類のモノが今の自分らしい。
「らしい」というのは、ふと気がついた時に子どもの姿で異世界にいたからだ。突拍子もなく、そういえばなんでここにいるのだろうと ものすごく混乱した記憶が新しい。自分のことながら、とても奇妙な体験だった。
はじめはたしかに驚いた。それはもう猛烈にだ。でも、世界に慣れてくるにつれて感情は落ち着いてくる。次第には開き直って、新しい人生を謳歌して人生をやり直そうかとすら思いはじめてきた。プラスに考えれば、テレビで時々に目につくリセット願望を正しく体験できるということだ。
けれども、リセットしても、人生は変わらなかった。なにせ、転生しようが今の自分の延長なのだ。
人生は性格の影響を受けやすい。でも、性格は簡単に変わるものでもない。夏休みの終わりに宿題が面倒だと毎年 叫んでいるのと同じだ。以前と変わらずな月並みの精神力では、転生前と同じような次元でしか生きられないらしい。
二回目なのにこの程度なのか。ふいに我に返ってしまう瞬間が一番に切ない。なにせ、生きてきた年月としてはここにいる誰よりも多い。複雑な気分だ。
重い気分で考えていると、二人の視線がこっちを向いていた。ユーリが呆れたように鼻で笑ってきた。
「でも、ボクは裁縫だと負けちゃいますよ」
ユーリが下段のベッドサイドへ視線を向けながら言ってきた。目線の先には売りに出す髪留めなどの小物や、ぬいぐるみ人形が並んでいる。
考え事をしていたのがバレたらしい。しかもニアピンな角度で勇気づけようとしてきた。でも、二回目の人生だから多少の出来は良くて当然だと思う。問題は二回目なのにという部分なのだ。
そんな考えも知らずに、ユーリの言葉にアルフも頷きながら会話に入ってきた。
「何を悩んでるか分かんねぇけれど、なんかあったらオレを頼れよ」
「ボクもですよ。だから、窮屈そうな表情をしないでください」
まったくふたりに悩みを理解されていない。しかも、したり顔をしてくる。でも、腹を立てるというよりも、弱気になっていた心を気にかけてくれたことに嬉しく感じられた。
でも、相談するのは気がすすまない話題だったりする。転生を信じてくれなかったら、頭が変な人間と思われる。信じてくれたなら、話題が重すぎてギクシャクしそうだ。ユーリが信じたら「すごく年上ですから、次回に話す時はもっと丁寧な言葉を使います」なんて言い出しそうだ。ひょっとして、アルフに敬語を使われるなんて状況になるだろうか。むしろ寒気がする。信じても信じられなくても困る。やっぱり、相談しない方がラクそうだ。
悩みを言えない半面に、気にかけてくれたふたりの優しさに小さく胸を打たれていると、「そういえば」とアルフがユーリへ疑問をなげかけた。
「ところで、ユーリ。なんで、オレを名指しで呼びに来たんだよ」
「そうでした。フランチェシカさんが、先に大講義室へ行ってますよ。席を取ってくれるようです」
四人チームの紅一点。気さくな性格の彼女が珍しく先に行っているらしい。
ちなみに、彼女はあまりにも気さくすぎて、時間に対しても気さくだったりする。つまり、すごく遅刻ギリギリというわけだ。
「それじゃあ、ボクも先に行ってますね」
「そうか、オレのせいで悪かったな。ぜひ先に行っていてくれ。気兼ねなく遅刻できるってもんだ」
「アルフ、さっさと着替えてくれ。同じ部屋だからって一緒に怒られるから嫌だ」
アルフがうそぶくようにおおげさな舌打ちをしながら、着替えを再開した。ユーリは急ぐように部屋から出て行った。
ユーリの背中を見送っていると、後ろから思いついたかのような声をかけられた。
「あっ――。そうだ」
声の方へ振り向くと、柔和な瞳のアルフがいた。
春の透き通った風が、窓辺から静かに抜けていく。
「起こしてくれて、ありがとうな」
純粋に感謝の意を示しているような穏かな声色が、部屋の中へ静かに響いた。
「どういたしまして。夜更かしをしなかったら、アルフだって起きれただろ。あんまり無理し過ぎるなよ」
「無理くらいするだろ。なにせすぐに野外実習が始まって、しばらくは帰ってこれねぇだろ。昨日までに論文を一本読み切りたかったんだ」
ふと差し込んできた陽光にアルフが目を細める。眩しげな窓へ視線を移した。
視線を追ってみる。雲ひとつない眩しい青空が広がっていた。背中越しだからアルフの表情が分からない。けれども、どこか遠い目で何かを眺めているように感じられた。アルフの瞳には夢や未来が映っているのだろうか。
「よし、着替え終わったから行こうぜ」
「ああ、部屋の鍵はあるよな。窓を閉めとく」
窓辺へ向かう足取りがなんとなく重たい気がした。繰り返す四季の光景が前世も含めて何年も生きているのに変わらない自分と重なったように見える。
窓を閉めようとした時にそよ風が吹きこんだ。さくらの優しい香りが胸に痛く沁みた。