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【2038年1月19日】 第8章

「……で、これからどうするつもりだ?」


父の声は静かだった。

けれど、その奥に“現実”の重さがあった。


俺は少し呼吸を整えて、答えた。


「しばらく、ここに居させてほしい。

外に出て、俺と“もう一人の俺”が同時に見られたら、ややこしいことになる。

だから、落ち着くまでは家の中で調べ物をして過ごしたい」


「調べ物?」と父が眉を上げた。


「うん。どうしてこうなったのか、どうすれば戻れるのか。それを知っていそうな人とか、研究してる人にも、いつか連絡を取りたい。……だから、父ちゃんのパソコンを少し借りるよ」


「まぁ、それはいいけど」と父は腕を組み直しながら言った。


「あと、平日の昼間は……町民会館だっけ? そこの図書室で新聞や資料も読んでみたい」


母が心配そうに言った。

「なにか手掛かりが見つかればいいけど……」


「うん。とにかく、なにもしないよりはいいからね。

それに――俺は“未来を知ってる”から。少しは役に立てると思う」


その言葉に、家族の表情が少し変わった。

不安と、好奇心と、わずかな期待。

その全部が混ざったような顔だった。


父が、ビールが入ったグラスを手にし、一口飲んだ後つぶやいた。

「……じゃあ聞くけど、これからの日本はどうなってる?」


「日本?」


「あぁ。景気とか、世界情勢とか」


俺は一度、目を伏せた。

そして、静かに言葉を探した。


「まず、二年後なんだけど……」


父と姉が同時に顔を上げる。

その表情には、なにか悪い予感が走ったような緊張があった。

母も手を止める。


俺は、少し間を置いてから言った。


「――イチローが、メジャーで無双する」


「…………は?」


家族全員の表情が一瞬、止まった。


「イチロー?」


「そう。あのオリックスのイチロー。

 メジャーに挑戦して、一年目で首位打者、MVP、盗塁王、最多安打、新人王とかタイトル総ナメだよ」


父も思わず吹き出した。

「おいおい、世界情勢の話じゃなくてイチローかい」


俺もつられて笑った。

「でもびっくりでしょ? 本当なんだよ」


「まぁ、びっくりだけど……」

父は少しあきれたように、でも楽しそうにうなずいた。


「でね……」

少し間を置いて、俺は続けた。


「同じ頃に新庄もメジャーに行くんだ」


「え?新庄が?」

父が思わず身を乗り出す。


「そう、バッターとしてはそこまででもないけど、守備はもう世界トップクラス。

……でも、それで終わらないのが新庄。二〇〇四年に日本に戻って、日ハムに移籍して、さらに監督になる。派手な格好で日本一に導いちゃうんだよ」


父は笑いながら言った。

「新庄が監督やっちゃうのか……どんな未来になってるんだ」


「ね。でも本当の話。その十年後とかに“もっとヤバいやつ”が出てくるよ。

 名前はねぇ……言わない方がいいか」


「なんだよ、もったいぶるなぁ」


「そいつが出てきてから、日本のスポーツが一気に世界と並ぶんだ。

 サッカーもテニスもゴルフも。

 十五年くらい経つと、日本人が世界で当たり前に勝つ時代になる。

 ……ちょっと異様なくらいにね」


俺は一呼吸おいて、表情を引き締めた。


「まぁ、話を戻すんだけど。二〇〇一年にイチローや新庄の活躍で、日本中が元気になる。……けど、その同じ年に、世界が一度、止まるんだ」


すると、家族が瞬時に黙った。


「二〇〇一年の九月十一日。ニューヨークの世界貿易センタービルに、飛行機が二機突っ込む“同時多発テロ”って呼ばれる事件が起きるんだ」


父と母は口を開け、唖然とした表情だった。


「まさか、そんなことが……なんで?」と父。


「これは、イスラムテロ組織、アルカイダのビンラディンだよ」


「ビンラディン……!」

家族全員がほとんど同時に口にした。


「そう。ビンラディンは知ってるでしょ?

俺もあの頃は、事の大きさを全然理解してなかったけど……こういったテロをきっかけに、世界が大きく変わるんだよ。国と国が疑い合って、“誰を信じればいいか”が曖昧になる」


「うーん……」

父は渋い顔をして、ゆっくりとうなずいた。


「そして二〇一一年。

 東北地方で、大きな地震と津波が起きる。


 ……それから二〇二〇年。

 新型コロナウイルスが世界に来る。


 世界中の人がマスクをして、

 会社も学校も止まる。

 街の音も、人の流れも全部。


 新型コロナは、半年で全世界に広がって、

 経済までも止まってしまうんだ。


 ……でもね。

 そこから、人と人が繋がる“新しい方法”が生まれた」


母が静かにつぶやいた。

「そんな時代、怖いね……」


姉も思わずつぶやく。

「映画みたい……」


俺は軽く笑ってうなずいた。

「ほんと、映画みたいだよ。でも実際に起きた。

 でも、それで世界はまた、別の方向に動き始めたんだ」


「ほう……」と父が低く言った。


「ネットで買い物がさらに進んで、ネット会議や自宅で仕事、家からでも全部できるようになる」


「そうかぁ……」父は小さくため息を落とした。


「父ちゃん、保険の仕事してるでしょ?」


「あ、あぁ……」

父はその瞬間、俺の顔をまじまじと見た。

“なんで知ってるんだ”という驚きが、そのまま表情に出ていた。


「“数字”より“人”を大事にして。契約じゃなくて。

 信用が“見える”時代になるから。


 いま父ちゃんと母ちゃんは四十代でしょ。

 いままで大事にしてきた“仲間”や“知識”、“技術”――

 それを活かせる年齢なんだよ」


父は眉をひそめて、ゆっくりとうなずいた。

「なるほどな……でも、そんな話を急に言われても……実感が湧かないよ」


「まぁ、そうだよね」

俺は小さく笑った。


「この先、テクノロジーが急速に進んで、

 人が助け合える仕組みも増える。

 ネットも進化して、AIが生活を支えるようになる」


父が眉を上げた。

「AI? ……なんだそれ?」


「そっか。この時代ではまだ聞き慣れないよな。

 AIっていうのは、人間みたいな知能……いや、それ以上の知能を持ったロボットの仕組み。これが、考え方次第で――味方にも、敵にもなる」


父は黙ったまま、俺の顔をじっと見ていた。


俺は少し間を置き、続けた。


「仕事もね、AIをうまく使えば、ずっと楽に稼げるようになる。

 医者も教師も営業も、今よりもっと効率的になる。


 でも――その反面で、人間の“価値”が薄くなるんだ。

 仕事を奪われたり、“自分の頭で考えない人”が増えたりもする。

 便利になった分だけ……寂しくなる」



姉が苦笑いしながら口を開いた。

「へー……便利になるのはいいけどねぇ」


「便利はいい。でも“全部任せる”のは危ないんだよ。

 AIや機械がどう動くかを決めるのは、人間のほうだから。

 それを忘れたら……たぶん、人は幸せを感じられなくなる」


父は黙ったまま聞いていたが、やがて小さくうなずいた。

「……つまり、便利になるほど、人間が試されるってことか」


「うん、そう。

 さっきも言ったけど、四十までに積み上げてきたもの――

 仲間、知識、技術。

 それを周りに広げていく時代になるんだ。

 コミュニティ、って言えばいいのかな。

 父ちゃんと母ちゃんは、人脈が“武器”になる時なんだよ」


「そうねぇ……」

母はため息を落として、宙を見つめた。


「テロや新型コロナで世界が止まっても、人はちゃんと繋がりを取り戻す。

 AIが進んでも、それはきっと同じ。

 どんなに技術が進んでもさ……

 “誰かと笑って、飯を食える時間”だけはなくさないほうがいい。

 結局、それが生きる意味になるから」


「大人になったねぇ……」

母の声は、喉の奥でかすかに震えていた。


すると姉が笑いながら「見た目は子どもなのに。コナンみたい」と、空気が少しだけ軽くなった。



父は真剣な表情で俺を見つめ、穏やかに言った。

「俺の仕事は大丈夫なのか?」


俺はこの問いに、少し迷ったが、嘘をつくのは違うと思った。

そして、静かに話し始めた。


「父ちゃんは来年――、保険会社を辞めて独立する。てか、もうその準備をしてるんでしょ?」


父は口の端をわずかに上げた。

「ふふ、まぁね…」


母もそれは知っていたが、姉だけが「えっ?」と目を丸くしていた。


「個人で保険代理店を始めて、俺もどこまでが順調なのかわからないし、父ちゃんの年収は知らないけど……とにかく、不況が続いて、契約がどんどん減っていくと思うよ。景気もどんどん悪くなるし。未来の若者は保険よりも目に見えるものを優先するんだよ」

 

父は「うんうん」と深くうなずきながら、俺の言葉を飲み込んでいた。


「それでも父ちゃんは、真面目に働き続けて――七十五歳までやってたな」


部屋の空気が一瞬止まった。


「そんな年までやってるのか」

父は驚きと、言葉にできない何かが混ざった表情をした。


母が小さく息をのんだ。

姉は、噛んだ唇を離せないままだった。


父は、ただ、空のビールグラスを見つめたまま、その底に何かを探すように沈黙した。


俺も、そこまで言うべきだったのかと胸がざわついた。

でも、もう引き返せなかった。

「個人事業主だから年金が少なくて、生活は正直、かなり厳しい。俺の収入も高ければ、支援して父ちゃんは定年までで済んだかもしれないけど」


俺は”いま”だからこそ、軽さを混ぜ、少しだけ笑ってみせた。

「でも、俺が『働かなくなるとボケるよ』って何度も言ってたからかもしれない」


父の肩が、ほんの少しだけ揺れた。


俺はゆっくりと続けた。

「……だからこそ、今のうちに備えておいてほしいんだ。この先の時代は、誰もが不安を抱えて生きる。でも、方法がないわけじゃない。」


父はまだ俯いたまま、かすれた声で言った。

「……俺は、そんなにうまくいかないのか」


「うまくいかないんじゃない。さっきも言ったけど、“時代”が変わりすぎるんだよ。でも、父ちゃんが悪いわけじゃない。世の中が、優しさや誠実さだけでは生き残れなくなっていく。だからこそ、いまから準備してほしいんだ」


父が顔を上げた。

その目に、ほんの少しの光が戻っていた。


「準備って、たとえば何をすればいい?」


「そうね。この新一は、未来から来たから色々知りたい」

姉も興味津々に言った。


「父ちゃんの仕事はすごく大事なんだ。保険って“人を救う仕事”じゃなくて、“人が人を信じる仕事”だと思っていて、AIの時代になっても、その本質は変わらない。ただ――保険だけに頼る生き方は、もう古くなるね。数字の安心より、心の余裕を作れる人が強くなる時代だから。」


父は眉をひそめる。

「心の余裕?」


「うん。とにかく、”行動”だよ。行動力ある人はどの時代も強いわ。たとえば、本職以外に副業やるってのもいいね」


「副業?」


「まぁ、本職以外の収入の柱をたくさん作った方が、大きな柱が折れても、それらを支えてる柱があれば、安心でしょ」


父は腕を組んで、少しだけ視線を落とした。

「うーん……」


腑に落ちないというより、

“まだ想像が追いつかない”といった表情だった。


「少しずつで、いいんじゃない。

 “これがあれば生きていける”って思えるものが一つあるだけで、

 どんな時代でも立ち直れるよ。趣味でも、なんでもいいからさ、お金より大事な、“自分の居場所”みたいなもん。そういう保険を、父ちゃんが作ればいいと思う」


父は苦笑しながら言った。

「……なんだか、新一にアドバイスされるなんて……」


「なに、だから俺は”2038年”から来たんだって!」


「……わかった、ほんとに未来から来たんだな」


「はは、未来人は、副業もちゃんとやるんだよ」


俺はニヤついた。

「父ちゃん、ちょっとおもしろいこと聞いていい?」


少し身を乗り出して、質問した。


「アップルって会社あるじゃん」


「アップル?」


「”パソコン”のだよ。Macintoshを作ってる会社。あのカラフルなパソコンの」


「あー、はいはい。知ってるよ。それが?」


「それ。それの株を――できるだけ買っておいて」


「……は?」


「ほんとに。信じられないくらい安いけど、十年後には車より高くなる。

スマートフォンっていうパソコンのような携帯電話が発明されるんだけど、それが世界を変えるの! あと、アマゾンって会社。今は本の通販だけど、将来は日本のスーパー全部合わせても敵わないくらいになる。

……それから、テスラっていう企業だ。テスラは電気で走る車の会社で、今はまだないけど、二〇〇三年にできる」


父は笑いながら言った。

「おいおい……そんな映画のような未来がくるのか?」


「まぁ……俺は未来人だからね。信じるかどうかは任せるけど、これだけは言える。

もし買ったら、家族の未来は全部変わるよ」


父は肩をすくめた。

「まあ、アップルくらいは試しに見てみるか」


俺は思わず笑みをこぼした。

「絶対、後悔しないよ」


母は呆れたように「バカねえ」と言ってお茶を一口啜った。

俺と父のやりとりを見ながら、姉が小さく言った。


「ねえ……じゃあ、私の未来も知ってるの?」


俺は一瞬、言葉を失った。

けれど、姉の瞳が真剣だったから、逃げずにうなずいた。


「知ってるよ」


「……なに?」


少し間を置いて、穏やかに言った。

「……二人の息子に囲まれてる、かな」


姉が息をのんだ。

「息子……」


「うん。二人とも、元気。姉ちゃんの影響で音楽をやり出したね。一人はピアノ、もう一人はギター」


姉はしばらく黙って、それから笑った。

「そっかぁ……まぁ、ちょっと安心した」


「安心していいよ。未来は案外、優しい」

そう言いながら、俺はたぶん――未来を、少しずつ書き換えようとしている。



ようやく、話が終わったかのようにみえたが、もう一つ問題があった。


「それにしても――見分けがつかないね」姉はじっと、俺たちを見比べた。


「え?」

俺と“もう一人の俺”が同時に声を出した。

まったく同じ声、同じイントネーション。

家族全員が一瞬、笑い出す。


「喋るとどっちがどっちだかわかんないよ」姉が笑いながら言う。


父と母もうなずく。

「そう、今後の計画とかはわかったけど、どっちに声をかければいいかわからんな」


俺は笑いながら頭をかいた。

「たしかに、このままじゃ……ねぇ」


どっちだかわからないのは、生活にも支障が出る。


「――呼び名、決めようか」


「呼び名?」と姉。


「うん。普段みんなが呼んでる“しんいち”は、

 こっちの九歳の俺に使うでしょ。

 俺は別の名前にする。

 何か、混乱しないような呼び方」


姉が考えながらぼそぼそつぶやく。「しん……二人いるから、しん、しんにち……」


「しんにち?」と、俺は姉に聞く。


すると、父もぼそぼそと考えながらつぶやく「未来から来たから、未来人……」


そして、姉は閃いたように言う「二人いるから”ニシン”」


「魚じゃん。それは却下」すかさず俺は言った。


「……ミライ、でいいんじゃない?」横にいるもう一人の俺が言った。


「うん、もうそうしよう」姉は半ば痺れを切らしたように言った。


俺もそこまでこだわってないので、ニシン以外であればいいと思っていた。


「よし、じゃあ、俺は“ミライ”。お前はそのまま”しんいち”で」


父がふっと笑った。

「で、見た目のほうはどうする?」


「見た目?」


「服装とか髪とか。そのままだと、親子というより“影分身”だぞ」


「……”ミライ”の方は、坊主かなぁ」姉が笑いながらぶっ込む。


「坊主? マジで?」


「なるほど」父がうなずいた。


母と”しんいち”は笑った。


「いやぁ、坊主って……」俺は他のアイディアを必死に考えた。


すると母も「いいんじゃない手っ取り早いし、可愛いわよ」


その言葉に、俺と“しんいち”は、思わず見つめ合って笑った。


“未来の俺”と“過去の俺”。

同じ笑顔が、同じ角度で揺れた。


新しい家族のかたちが、静かに始まろうとしていた。




その夜は、家中が妙に静かに感じた。

二階の部屋には布団が二つ並んでいる。

俺と“しんいち”の分だ。


電気を消して横になったけれど、

どちらも目を閉じても眠れなかった。

天井のわずかな明るさが、春の外灯の光を反射している。


しばらく沈黙が続いた。

俺は布団の中で小さく息を吐いた。


「……今日はすごい一日だったな」


隣から、しんいちの小さな声が返ってきた。


「うん……」


「ややこしいよな」

少しの間を置いて、俺は天井を見ながら言った。


「なあ、しんいち。お前の夢って、なんだった?」


「……夢?」


「そう。大人になったら何したい、とか。

 やりたいことってある?」


しんいちは布団の中で体を少し動かした。

暗闇の中でも、悩んでる空気が伝わってくる。


「……うーん。

 特にない。なんにも。

 まだ、わかんない」


「ああ、そうか」

俺は穏やかに笑った。


「でも、それは普通だよ。

 夢なんて、これからいくらでも見つかる。

 俺だって、すぐには見つからなかったし」


しんいちは少しだけ安心したように、布団の音を立てた。


「これから、お前のやりたいこと、全部サポートできるぞ。

 野球選手でも、ミュージシャンでも、芸人でも。

 だって俺は未来を知ってるからさ。夢を叶えられるぞ。」


少しワクワクした声が出てしまった。

自分でもそれに気づく。

胸の奥の欲が、隠しきれずに漏れた感じ。


しんいちが「うーん……」と、

なんとも言えない声を出した。


その反応に、俺は少し驚いた。


「どうした?」


しんいちはしばらく黙っていたが、

小さく息を吸って言った。


「……俺は、自分で考えてやっていく」


「……」

耳が、その言葉を拒否するみたいに一瞬止まり、俺は声が出なかった。


「それで上手くいっても、なんか……楽しくないな」


“ズガン”と、胸の奥に鉄の塊が落ちたような衝撃だった。


「……とりあえず、なにか夢中になるもん見つかればいいな」


俺は


しばらくして、しんいちが小さく言った。

「うん……おやすみ」


「おやすみ」


声が少し震えた。

たったそれだけで、自分の弱さがバレる気がした。


まぶたを閉じても、

闇の中でずっとしんいちの言葉が反響していた。


『俺は、自分で考えてやっていく』


その一言が、

未来を知った“俺”の全ての計画を、

最初の夜にして音もなく揺らしていった。

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