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【2038年1月19日】 第7章

母が掛けた声のあと、俺たちは目を合わせ、無言で頷き合い、部屋を出た。


しかし俺は、ふと思った。

「待って」


「え?」


「……いま行くのはまだ早い。食卓へ行っても、三人がまだ席についてなかったら余計に混乱するだろ? 父ちゃんが仕事部屋にいたり、姉ちゃんがまだ髪を乾かしてたり、せっかくの計画が台無しになる」


「……たしかに」


俺は少し考えながら、二拍、三拍と間を置き、そいつの目を見てから、口にした。


「……お前が先に行け。普通にご飯を食べて、みんなが食べ終わる頃に“紹介したい人がいる”って言うんだ。そのあと俺を呼びに来い」


「紹介って……」


「いいじゃん、いきなり出てくよりはマシでしょ」


「うん……わかった」


小さく頷いたそいつは、少し重い足取りで、階段を降りていった。

下からはテレビの音と、皿の当たる音。そして、じゃがいもと玉ねぎの甘い香りに挽き肉の匂いも合わさって食欲を掻き立てた。


(あーー、コロッケ食いてー……)


二階まで立ち上る揚げたてのコロッケの香りは、温かかった。俺を誘惑するように、そして食卓へ促すように。空腹と、この後のこともあって、気が気じゃいられなくなる。


俺はそっと部屋に戻って、食卓がちょうど真下くらいのところで、しゃがみ込み、聞き耳を立てて待機することにした。


常時流れているテレビの音、家族の足音や時折聞こえてくる会話。

でも、何を話しているのかまでは聞き取れない。

ただ音の重なりだけが、時間の経過を知らせてくる。


(とりあえずは、いつも通り過ごしてるな……)


そう思いながらも、胸の鼓動が少し速くなってることに気づいた。

掌がじっとりと汗ばむと同時に、指先が冷たい。俺はゆっくり体を起こしてからあぐらをかき、一度深呼吸をした。


「……俺は、桜井新一だ。そうだ、桜井家の――長男」


ふと、我に帰る。俺はこの時代に飛ばされてきたけど、このままどうするのがいいんだ?このままでいいのか?しかし、どうやって戻ればいいのか、戻れるとしても戻ったほうがいいのか。 まったく見当もつかない。


ただ、心の底では理性の隙に忍び込む羽音のように”遊んでみたい”が舞っていた。もし、いまこの場所に、現代に戻れるワープみたいな穴があったとしたら、俺はすんなり入らないと思う。理屈ではなく、本能的に。


すると、居間のテレビの音と、食卓の声が鼓膜に入り、ハッとした。今やるべき事だけに集中しようと、顔を擦る。と、同時に腹が鳴った。

コロッケの匂いはまだ漂ってくる。食卓の向こうで大きなコロッケと白く輝くご飯を美味しく食べる光景が見えてくる。


だが、いまは時が来るのを固唾を吞んでいるしかない。

(……あいつ、ちゃんと呼びに来てくれるよな)


時計の秒針がやけに大きく、時間がゆっくりと、音を立てて進んでいくようだった。



どのくらい経っただろう。辛抱強く待っていたが、胃が空っからで少しズキズキするような感じになり、緊張すら忘れてしまうくらいだ。


そのとき、下のほうで椅子を引く音がした。

床を擦る小さな音。続いて、廊下に足音が響き、一歩、また一歩。

それが階段のほうへ近づいてきた。


(……やっと来たか)


思わず息を呑み、また、心臓の鼓動が速くなる。

俺はゆっくり立ち上がった。そして、ドアを開き、もう一人の自分が顔を出した。


(……)


さっきまではなんてことなかったのに、ちょっと会わなかっただけで「なんで目の前に俺がいるんだ」と、脳がバグる。


すると、目の前の俺は「いいよ」と、無愛想に言ってきた。


「……あ、あぁ」


「どうしたの?」


「いや……なんでもない。――じゃあ、いくか」


俺は不安いっぱいの中、部屋を出た。あいつが先に立ち、俺は少し間をあけてその後ろに続いた。

俺たちの足音が、床を交互に軋ませる。そして、階段。ゆっくりと一段、また一段。

(ただ下に行くだけなのに、なぜこんなに長く感じるんだよ……)


階段を下りきると、食卓から父の声が聞こえた。

「もしかして彼女か? ははっ」


間髪入れず、姉の笑い声。

「しんいちが? まさかー」


「そんなこと言って、ほんとに連れてきたらどうする?」

母もドキドキするような声だった。


そんな軽い会話に、俺は思わず喉の奥で小さく息を漏らした。

笑うに笑えない、でも懐かしい。

この家の“明るい音”が、胸の奥をくすぐる。


食卓へ通ずる廊下を進む直前、そいつは一瞬、立ち止まった。

俺は背中越しに息を整える。

角を曲がったその先には、家族三人が待つ食卓。


(……行くぞ)


あいつはゆっくり俺の方に振り向き、目で合図を送ってくる。

その表情は、なんとも言えない九歳の緊張が見えた。


俺は小さく頷き、一緒に廊下を歩いた。


廊下を渡った瞬間、食卓の声がぴたりと止んだ。

視線が一斉にこちらを向く。

先頭のあいつの背中越しに、母の目が見えた。


三人とも、後ろに誰かがいることだけはわかるが、まさかこのあと新一がもう一人出てくるとは思うはずがない。


「……ん?」と、

父の声が聞こえた。


母が少し笑って、

「しんいち、お友達?」

と聞く。


そして、すぐにあいつが一歩下がり、俺と並んだ。


母の口が小さく開き、

父の手にあった湯飲みがわずかに揺れた。

姉は椅子から腰を浮かせる。


三人の視線が交錯し、やがて一点に集まる。

俺と――もう一人の俺に。


俺は深く息を吸い、慎重に言葉を選んだ。


「驚かせてごめん。でも落ち着いて聞いてほしい」

少し間を置き、ゆっくり続けた。


「俺自身もよくわからないけど……いまから三十九年後、二〇三八年から”タイムスリップ”してきた、新一なんだ」


母の「えっ?」が三回重なる。

姉はなんとも言えない表情で言葉を失ったまま、口が半開きに。

父も、何も言わず、真贋を確かめる骨董商のように、俺の体を上下に何度も見ていた。


隣に立つあいつは、顔を引きつらせながらも「うんうん」と頷く。

そして、口を開いた。

「そう、こいつは未来の俺で……なぜか、いまの俺の姿になってタイムスリップしたらしい」


九歳のくせに、しっかりしたフォローだ。

その言葉に、姉が思わず笑いそうになり、すぐに真顔に戻る。

母は何か言いかけて、また黙った。


俺は小さく息を吸い、できるだけ穏やかに言葉を重ねた。


「あの、信じられないのは当然だと思う。俺だってまだ整理できてない。

 でも、この身体は九歳の俺で、記憶は二〇三八年のままなんだ。

 嘘でも冗談でもない。……どうしてこうなったか、俺も知りたいくらいなんだ」


父と母と姉は「あっあっ…」と、言葉を詰まらせながら顔を見合わせ、

そしてまた俺たちを見比べた。


沈黙の中、テレビから流れるバラエティ番組の笑い声が、いつもよりも大きく響き渡る。


やがて父が低くつぶやいた。

「……続けてくれ」


俺は小さく咳払いをして、息を整える。

「ありがとう。まず、ここまで来た経緯を簡潔に話すよ……」


そう言ったあと、横にいるあいつを含め、四人の視線がまっすぐ、俺に向けられた。


「俺はいま、所沢に住んでて、彼女と一緒に暮らしてるんだけど……」


母が思わず口を開いた。

「所沢……埼玉の?」


「うん」

軽くうなずいて、言葉をつなぐ。


「二〇三八年の一月十八日の朝、彼女と出発して、長野観光をかねて来たんだ。日付が変わって十九日の深夜に、松代にある、皆神山神社ってところがあって、そこで初詣をしたの。それから麓で――変な現象が起きたんだ。気づいたら、俺だけがこの時代に来て、この体になってた」


三人は眉間に皺を寄せ、小さく首を傾げる。


「とにかく下山して、バスで長野駅。そこから電車で牟礼駅に向かって、ここまで来たってわけ」


父は「うーん……」と、渋い顔をして、また小さく首を傾げた。


そこで俺は聞いてみた。

「皆神山って知ってる?」


「いや、知らない」

三人とも、そんな場所聞いたこともないようだった。


「そうなんだ、意外と知らないんだね。俺も四十九年生きて初めて知ったからね。皆神山って松代の外れにある、ふたこぶのような台形ぽい山なんだよ。しかも、調べたら世界最古で最大のピラミッドらしい」


「えっ、それが松代にあるの?」

三人とも驚愕の表情だった。


 「びっくりでしょ、よくわかんないけど、そこには言い伝えがあるらしいよ。

 オカルト界隈では、“時間の歪みが発生する場所”とか」


姉が半信半疑の顔で言う。

「時間の歪み?」


「うん、推測だけど――“世界の歴史的事件の裏では、必ず『時間のズレ』が起きている”って、彼女が言ってて……たとえば、戦争、巨大地震、システム障害、天文現象――。そういう瞬間に、時計や観測機器が一斉に止まることがある。記録を調べると、ほんの数秒から数分、“時間が抜け落ちている”んだ。オカルトの世界では有名らしい」


「オカルト?」

姉がまた半信半疑な顔で言った。


「まぁ科学で解明できない現象って言えばいいかな。たしか、オカルト動画の時に、二〇三八年の一月十九日――

 世界のいくつかの地域で同時に時計が止まって、そのあと、再び動き出したときには“本来とは異なる時刻”を示す、とか」


……そう、彼女はそれを確かめたかったんだ。


「たぶん、それが事実なら、実際に観測機器の一部が停止して、俺はこうなったと思う」


母が呆れたように、けれど少し怯えたように言う。

「まさか、じゃあ、本当に起きたって……」


「……うん、言い伝えが本当だったってことだよ。もちろん、俺も全部を信じてるわけじゃない。けど――起きたことだけは、事実なんだ。

そして、あの時刻。

“二〇三八年一月十九日、午前三時十四分”という瞬間が、何かの“境目”になっていたのは間違いない」


姉が息をのんで小声でつぶやく。

「……ワームホール、みたいな?」


「うーん……ただ、映画みたいな派手なやつじゃないけど」


母は不安げに俺を見つめた。

「でも、なんで体まで……?」


「おそらく、“この場所に残っていた俺の履歴”に同期したんだと思う。

 意識と記憶は二〇三八年のまま、だけど身体はこの年の俺に合わされた。

 心は未来、体は現在。いま説明できるのは、ここまで……かな?」


俺は、説明が不足してる部分がないか少し考えた。

すると、父が短く息を吸い、静かに言った。


「どうなったかはとりあえずわかった。問題は……これからどうする?」

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