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【2038年1月19日】 第11章

佐山は、しばらく黙っていた。

ノートを閉じ、テーブルの上に置いたまま、コーヒーにも口をつけない。


沈黙が、わざと引き伸ばされているように感じた。

まるで、次の言葉が出てしまえば、何かが戻れなくなると分かっているみたいに。


「……君の言葉で言えばだ」


佐山は、ようやく口を開いた。


「“戻れたけど、戻れていない”状態だ」


その一言が、胸の奥に静かに沈んだ。

理解できた、とは言えない。

けれど——なぜか、拒否もできなかった。


「時間は、一本道じゃない」


佐山はそう前置きしてから、テーブルの上に指で、見えない線を描く。


「多くの人は、“過去→現在→未来”と一直線に流れていると思っている。

だが実際には、分岐と重なりが無数にある。

そして稀に、人は“元の流れに近い別の流れ”に落ちる」


「近い……別の流れ」


俺は小さく復唱した。


「見た目も、歴史も、ほとんど同じだ。

違いは、ほんのわずか。

だが——そのわずかが、時間を積み重ねると致命的になる」


胸の奥が、ひゅっと縮む。


「……それは」


言いかけて、言葉を探した。


「それは、元の未来には……完全には戻れない、という意味ですか」


佐山は、即答しなかった。

代わりに、視線を落とし、テーブルの木目をなぞる。


「“完全”という言葉を、どこまで許容するかだね」


そして、静かに言った。


「戻ることはできる。

だが——“同一の未来”とは限らない」


その言葉は、刃物のように鋭くはなかった。

むしろ、重たい布をかぶせられるような感覚だった。


「……僕の」


喉が少しだけ詰まる。


「僕の彼女の未来も、変わる可能性がある、ということですか」


佐山は、ようやくこちらを見た。

その目には、同情も、期待もなかった。

ただ、観測者としての静けさがあった。


「君が過去で何かを選ぶたびに、未来は枝分かれする。

その枝のどこに、彼女が立つかは——誰にも分からない」


胸の奥が、きし、と音を立てた気がした。


「……じゃあ」


言葉が、自然と低くなる。


「何もしなければ、どうなるんですか」


佐山は、少し考えてから答えた。


「時間は、修正しようとする。

異物を、元の位置に戻そうとする力が働く」


「それは……安全なんですか」


「安全とは言えない」


即答だった。


「ただし、“比較的穏やかな揺れ”が起きやすい年代はある」


佐山は、ノートをもう一度開き、三つの年号を書いた。


二〇〇八

二〇一八

二〇三八


「これは、私が観測してきた“山”と“谷”だ」


指先が、二〇〇八を指す。


「ここは、条件がかなり揃う。

だが、失敗した場合のズレが大きい」


次に、二〇一八。


「ここは安定している。

その代わり——戻れたとしても、失うものが多い」


最後に、二〇三八。


「君が来た場所だ。

最も条件が揃うが、同時に、最後の山でもある」


言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。

けれど、一つだけ分かることがあった。


——これは、正解を選ぶ話じゃない。

——後悔の形を選ぶ話だ。


「……方法は?」


絞り出すように聞いた。


佐山は、ノートを閉じた。


「それは、今は話さない」


拒絶ではなかった。

順番の問題だ。


「君がどの山を選ぶのか。

それを決める覚悟ができたときに、話そう」


店内の時計が、静かに時を刻んでいる。

カチ、カチ、という音が、やけに大きく聞こえた。


窓の外では、夕方の光がゆっくりと傾いている。

俺は、深く息を吸い、ゆっくり吐いた。


「……少し、考えさせてください」


佐山は、小さく頷いた。


「それでいい。

時間は君を急かすが、選択は急がなくていい」


喫茶店のドアベルが、からん、と鳴った。

誰かが入ってきた音だったが、振り返る気にはなれなかった。


頭の中には、三つの年号が、輪のように浮かんでいる。


二〇〇八。

二〇一八。

二〇三八。


そのどれもが、

“未来へ戻る道”であり、

同時に、“何かを失う入口”だった。


俺はまだ、どれも選べていない。


だが——

選ばなければ、時間は勝手に動き出す。


それだけは、はっきり分かっていた。

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